なぜ結末も決めずに文章(物語)が書けるのか?
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1 :
たけくま ★
2007/10/06(土) 19:40:33
ID:???
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http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_76b8.html
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201 :
渡辺裕
2007/10/23(火) 19:16:40
ID:f5dc6efa6c
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>そこは常に作家にとって戦いです。
>商売なのか、自己表現なのか。
所帯じみたこと申し上げてナニですけど、そこは、まず商売やって自分なりに納得いく生活ベースなり資産なり確保して、
「私は芸術やってるんだ幾らカネ懸けても人生懸けても惜しくない」と言える状況になってからじゃないですかね?
遊ぶんだったらその前に働いてカネ稼げ、と。おばちゃん的有り体に言えば、そういうことです。
働いてカネ稼ぐことと芸術を平行させようってのがそもそも我が侭と言ってしまえばそれまでですけど、
そこを敢えて推し進めるのが職業作家の辛いところと言えば、そうかもしれませんね。
んでも、大抵…というかほぼ絶対的に、稼ぐだけ稼いで偉くなってから、芸術ですよね。
最近「芸術」枠で大人気の北野武さんの映画にしても、何作か作って地歩を固めて世間的な評価も上がって、
それから芸術性云々を口走るようになりましたね。
すっごい初期の頃は「私は芸術なんかやってない。商売だ。映画は映像の切り貼りの技術だ」とか、
何その職人魂? みたいなことを言ってましたよ。北野作品そのものの芸術性は、今も昔も変わらないと思いますが。
モノの順序的に、芸術から入るのは、どうかと思います。
完全に趣味で創作しているならその限りじゃありませんけど。
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202 :
忍天丼
2007/10/23(火) 20:49:10
ID:ed158aa5b4
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日本人の働き方は「タグ」と「ソーシャル」で変わる
『ソーシャル・ウェブ入門』から読み解くウェブ・広告・メディアの未来(1)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20070827/133208/
上記の糸井重里氏のインタビューを読んで、たけくまさんが言いたかった事が何となく分かった気がします
演繹法も帰納法もツリー方式だが、タグ方式でも文章が書けるのでは無いか?という
ツリー方式とタグ方式の違いという事ですね。
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203 :
渡辺裕
2007/10/23(火) 21:24:16
ID:e421e348a2
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↑そういう意味から言えば、私は完全(?)にタグ志向ですね。
ある特定の嗜好性を持つ人はツリー式で突き詰めたモノの考え方をすると思いますけど、
そうでもない他一般の人ってのは、タグ志向で考えますよ。多分。
んで、そういった気質の基本にあるのが「要は」「詰まり」でね。
ツリー式で突き詰めて考える人からすれば大雑把でいい加減なんですけど、タグ志向の人は別に問題を感じないわけです。
前のレスでも述べてますけど、私自身は「正しく理解して」なんてセンスをまったく持っていませんね。
どういう切っ掛けであってもいいから、そこから掴んで引っ張り出せば? と。そういう感覚です。
ツリー式の思考が欲しければ広辞苑と資料本をその都度見ればいいよと。そんな感じでもあります。
資料本の類は2,3000冊持ってますけど、全部が全部読破したわけでも暗記したわけでもないですね。
大半は、流し読みで捨て置きです。
ケイン濃すぎさんとのやりとりを見てると、
>渡辺さんの意見に事細かに答えようと思ったのですが、内容が錯綜していてそれに反駁してもなんだかアラ探しっぽくなるだけなので、ここは持論を補強する形で行こうかと思います。
↑こういう発言が出てらっしゃったわけですけど、私はそこで事細かに答えられても濃すぎさんと同じ思考を持つことは、ないんですよ。
むしろ私が合わないことによって濃すぎさんは話を摺り合わせようと色んな喩えを持ち込んできますよね。
んで、私が「それは」「要は」みたいな頓珍漢なことを言うわけで、そうやって話がどんどん伸びていく中で、他の方が「それは」「要は」みたいに話を繋げるなりまとめるなりして、
ツリー式とタグ式の融合系みたいな展開になってきてる。
こういうのも、ある種「シャーマン型?」なのかな? とも思ってみるんですけど。どうなんでしょうね?
(私は)落語や三題話や漫才なんかを好んで見ますけど、そういう話法って大抵ボケツリー・タグツッコミ式ですね。
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204 :
渡辺裕
2007/10/23(火) 21:30:30
ID:e421e348a2
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タグボケ・ツリーツッコミ式もありますよね。
ここでのやりとりは、タグ(渡辺)ボケ・ツリー(濃すぎ)ツッコミ式ですね。
濃すぎさんにはストレスの溜まる(?)展開になって申し訳ないですけど、
ひとりで云々考えて自説展開する手法も、こうして頓珍漢トークを延々続ける手法も、
読み手に対してある種の閃きを与えるという意味では等価…になりませんかね? …ダメか…という感じです。
あとのことは、私が考えることじゃござんせん。閃く人のセンスや行動に全てを委ねますって感じ。
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205 :
渡辺裕
2007/10/23(火) 21:45:09
ID:e421e348a2
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めたろうさんが提示してらっしゃる筒井康隆作品の紹介とか、面白いですよね。俯瞰的で。
筒井作品は一応全部(?)読んでるんですけど、私が一番好きなのは『原始人』ですね。
『朝のガスパール』とか、あのへんは作者の志向にユーザーが付いて来れないというか。
ボケ役ツッコミ役傍観役みたいな役割分担を、作者ほど読者が徹してないというか。
天然ちゃんが参加すれば面白かったんじゃないかと思いますけど、良くも悪くも読者さんが賢すぎて、変に型に嵌まっちゃったのが残念かな、みたいな。
ああいうのは、馬鹿丸出しでフルチン踊りをするくらい堂々としてなきゃダメですよ。
じゃなかったら、芸人さんの客いじりみたいに天然路線か。どっちか。何にしろ、役者気質が問われますよね。
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206 :
zwei
2007/10/24(水) 00:09:27
ID:231401910f
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なんか、自治厨ッぽくていやだなと思いつつ、レスをつけます
ケインさんも渡辺さんも同じ内容を話しているように感じているのは俺の錯覚でしょうか?
お互いに認識のずれがあるために、伝わっていないような気がするんですよ。
例え話ばかりで悪いなと思いつつも、山登りに例えますね。
本当に語彙が少なくてすいません。
二人とも山登りという共通の話題で話しているんですけど、
片方は「エベレスト」を上るための準備の話で、
相手は「富士山」を上るための準備の話。
お互いにリスクの考え方が違うから、用意するものにもずれがでてきます。
「コレがないと命に関わる」「そんなのより、コレで十分だ」「それじゃ死ぬから!」
という話に私には見えるのですが
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207 :
ケイン濃すぎ
2007/10/24(水) 01:34:25
ID:7f70676a7e
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>>201
うーむ・・・渡辺さん。
言っていることが錯綜している、というのはこの書き込みにも顕著
ですね。あと、俺が引用までして述べた内容を理解されておられ
ないようです。
作家が「いかに素晴らしいアイデア(創作物)」を生み出すことが
できるかということと、商業的に成り立つとか成り立たないとか
はさっぱり無関係です。
確かに売れた、売れないは作品の一つのバロメーターではあります。
しかし本当に優れた文学作品でも、「作者の存命中には全く売れ
なかった」なんていう事例は腐るほどあるのです。
分かりやすい所ではルネサンス期の名画家など、みんな食い詰めて
いました。そして彼らは売れることよりも自己表現の「芸術の極み」
を目指していたわけで、存命中はそれに理解あるパトロンがついて
生活を保護していたに過ぎません。
>>192でいう作家の「深海魚に他人が勝手に値段をつけた」だけの話。
「売れてから好きなことをやるもんだ」というのは「作家の質」とは
まったく関連のない話ですよ。論理のすり替えです。
そして「何故物語の結末を・・・」という話題は作家の持つ能力
(創作のメカニズム)を解明しようという話題ですから、芸術性本位
の話になって当然です。
「なんでそんな手法で面白いものが書けるのか」をみなさん知りたい
はずです。
作家は商人であることが優先したら、それは作家ではありませんよ。
作家とは自己表現をするものですし、芸術的側面がまずあり、その
後に仕事があるんです。その順序を間違えたら、魂のない作品を作る
作家になってしまいます。
売れるためには何でもする、そんな作品では魂は揺さぶれません。
あまりに芸術家の側面を重視するとエンターティンメントにはなり
難いですが、しかし、作家の本質がどちらなのかは明白です。
>>189で渡辺さんが「ラブコメッサー」を例に出して面白い流れだな
と言ったのは、商業的にはまったく価値がない、というか商業的価値
なんて考えて作られていないものなのに「なぜか面白い」という作品
の事例だってあるという流れで持ち出したのだと俺は思うのですが、
ラブコメッサーの作者に対して>>201の論理は通用しないじゃない
ですか。
おっしゃるとおりラブコメッサーは完全に趣味で創作しているかも
しれませんが、心は動かされるわけですよ。
このことからも作家の本質は何か、推して知るべしじゃないですか。
ラブコメッサーが何故面白いのかを解明することと、
物語の結末を考えずに何故書き始められるのかを解明することは、
同じ領域の研究題材として論じることができます。
しかし売れてからどうのこうの、ウケるネタはちどうのこうのは、
主旨が違うとしか言いようがないです(話題として価値はあるに
せよ)。
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208 :
ケイン濃すぎ
2007/10/24(水) 02:14:52
ID:7f70676a7e
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>>202
忍天井さん、この話題とてもとても面白いですね。
すごく分かりやすい。
最後まで読むのに無料会員登録が必要でしたが、面白く読ませて
いただきました。
忍天井さんは「アイデアのつくり方」はお読みになったでしょうか。
糸井さんの話は非常にこの本の内容と符合しますよ。
お読みでなかったらぜひ一読されることをお薦めします。
頭の霧がいっそう晴れますよ。
というのもです。
つまり>>199で俺が引用したことを裏付けることを話しているわけ
じゃないですか、糸井氏と滑川氏は。
渡辺さんは俺のことを「ツリー型」にくくりたいようですが、
どっこい俺は「アイデアのつくり方」で述べられている脳内作業を
現実にやっていましたから、完全に「タグ型」なんですよ。
というか、すべてのアイデアマン(創作者)は「タグ型」で思考して
おり、そのタグのひもの数がどれだけ多いか、どれだけ人と違った
優れたタグをつけているのか(必要な時に必要なタグを引っ張れるか)
が作家性の発想の優劣であると俺は理解できました。
まずは忍天井さんのリンクから記事をよく読んでいただいてから、
俺の引用した文を読んで欲しい。
つまり「タグをつける作業」っていうのは、「アイデアのつくり方」
でいう「関係の特殊性」を見出す作業に他ならない。
****************************
【アイデアのつくり方より】
私たちは大抵この知識を収集する過程であまりにも早く中止して
しまう。
表面的な相違がほとんど目立たないような場合、そこには何ら相違
点がないとすぐきめてしまう。しかし、十分深く、あるいは遠く
まで掘り下げていけばほとんどあらゆる場合、すべての製品とある
種の消費者との間に、アイデアを生むかもしれない「関係の特殊性」
が見つかるものなのだ。
****************************
そしてタグ型だけでは完結しないのです。
タグというのはお札のすかしみたいなもので、「見える人にしか
見えない」ものです(見える「視点」(=タグ付け)を発見できなけ
れば。だからアイデアには価値がある)。
そして発見したことを「見えない人」に説明するには、やはり
「ツリー型」が非常に役立つ。ツリー型にタグ型を重ね合わせる
ことで、魔法のように「見えなかった人にも見える」ようになる
ワケですよ。
-
209 :
ケイン濃すぎ
2007/10/24(水) 02:35:07
ID:7f70676a7e
-
>>205
筒井先生はテーブルトークRPGの弱点を考慮しなかったのでしょう。
言ってみれば社会主義国家を作り上げたかったけど、国民全員が
マルクスではないから実現不可能というような。
TRPGの弱点について
>>98
>>114
>>115
本当に役割を演じさせるには、ポジショニングの意味を教え、人物
相関上の役割をまっとうすることが「オイシイ」という認識をまず
理解させないとキャラクターにプレイヤー自体の倫理観や功名心
(とにかく目だって主役になりたい)をストレートに反映して失敗
する。
「悪役が悪役として活きる」(単に悪いことをすれば良いのではない)
「脇役が脇役として活きる」(単に地味な行動をすれば良いのではない)
をお客さんにいきなり求めるのは厳しいでしょうね。
くわしいシチュエーションは分かりませんから、想像ですが。
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210 :
めたろう
2007/10/24(水) 03:11:43
ID:9ba16ccdc3
-
えーと続き書けてません、、、、。
zwei様
私も同じ事感じてました。
お二人は、おそらくよく似た環境、立場にいらっしゃって、
創作について、これまで考えてきた事が、ほぼ同じレベルまで達しているのだと思います。
ただやはりルートと用語が違う。
まぁ後は「せっかく立場的に分かれたみたいなので、判りやすく対立してみようか」
という色気も感じます、、、失礼!
と、この様に役割演技(ロールプレイ)を意識する、というのは、
こうした掲示板とかでも現れる現象ですね。
ネット時代になって、皆が情報発信する上で、それ以前と大きく違ってきているのは、
こうした「仮想役者としての訓練」を受ける場が増えて、
読者や観客が自立し、「役者化」しつつある、と私は考えています。
「朝のガスパール」の時代には、そもそもTRPG的な、
「参加者の能動性」や「ロールプレイのスキル」が低く、
「自分から舞台に上がる」者が、結局殆どいなかったのだと思います。
この辺を踏まえて続きが書ければと考えておりますが、今宵はこれまで。
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211 :
めたろう
2007/10/24(水) 03:15:47
ID:9ba16ccdc3
-
訂正。下書き無しはいけませんね。
×読者や観客が自立し、「役者化」しつつある、と私は考えています。
〇読者や観客が自立し、「役者化」しつつある事だ、と私は考えています。
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212 :
ケイン濃すぎ
2007/10/24(水) 04:25:53
ID:7f70676a7e
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>>211
まったく向かっている方向が違うと思いますね。
俺は何かしらの方法論であるとか、論理であるとかを解明したい
立場です。つまりは作家のブラックボックス「パンドラの箱」を
何とか開ける方法を知りたいと思っているわけです。
それは「物事を系統立てて考える」ことだから、糸井さんの話で
言うと「タグ型」の中身を「ツリー型」に説明しようとしている
ことなのですよね。
現に俺も仕事しているときには「ブラックボックス」が機能している
実感が多々あります。
悩みに悩んでいると、ふと経過はすっ飛ばして答えが出てくる。
それはもう、時には奇天烈、破天荒な発想ですよ。
糸井さんの表現で言うと、「真っ暗闇に手を突っ込んで、生首を
つかみ出す」瞬間が訪れるんですよね。
ある人はそれを「シャーマンのように」と言い、ある人は「脳に
釣り糸をたれるように」(これはたしか宮崎駿監督)と表現する。
その現象にまったくの仕組みがないとは言えないと思っている
わけです。糸井さんも恐らく疑問を抱いていた。少なくとも
任天堂の社長との対話以降は具体的に疑問として心に浮かび
上がっていたわけです。
何か答えがあるんじゃないかと。
そして現にそういうことを論理的に解明している本はあって、
例えば「アイデアのつくり方」なんかは非常に明確にそれに回答を
示している。
タグ型をツリー型に落とし込んではじめて、みんなもそれを理解
共有できる。パブリック化される。
俺が求めるのはそういうことです。
しかし渡辺さんの論調は俺が思うに逆で、「そんなことは出来ない」
または「することはナンセンス」と捉えているんじゃないかと思う
んですよね。
ブラックボックスはブラックボックスだから魔力がある、という
フィーリングのような気がするんですよ。
あえてとんちんかんなことを言ってみたとか、そこからアイデア
が生まれるとか、論理性を超えたところに答えがあるという立場
を示している。
俺はそうじゃありませんからね。
そしてタグ型の「タグの付け方」を解明したところで、いきなり
誰でも作家(タグ付けの達人)になれないわけで。
シャーマンのトリックが解明されても、魔力は依然として作家
固有のものなんですよ。
【アイデアのつくり方より】
自分の見つけ出したこの貴重な公式をなぜ私が惜しげもなく公表
するのかとおたずねになるなら、この公式について私が経験から
学んだ二つのことを諸君に打ち明けよう。
(中略)
説明は至極簡単だが実際にこれを実行するとなると最も困難な種類
の知能労働が必要なので、この公式を手に入れたといっても、誰もが
これを使いこなすというわけにはいかないということである。
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213 :
へよ
2007/10/24(水) 22:34:46
ID:c0f0926945
-
とりあえず一つだけ、念のため。
>作家が深さを拒絶して、浅瀬の魚を釣るというスタイルがいまはある
これは最近のオタクカルチャーに限ったことではなく、怪獣映画や少女漫画なんかの延長上に
あるスタイルだと思ってます。極端に言ってしまえば乱歩の少年探偵団とかも。
今読むと怪人二十面相は、子供相手にずいぶん大掛かりな無茶をやっています。時には自分で
巨大な虫の着ぐるみの中に入って小林少年を脅かしてみたり。怪獣映画で言えば、ゴジラ
なんかは被曝という非常にシリアスなものをモチーフにしているわけですが、それが「口から
放射能を吐く巨大な怪獣が東京を踏み荒らす」という話になると、これはもう“娯楽大作”
以外のなにものでもありません。
『だが、そこがいい』んですよね。“娯楽”として“傑作”。
こういうのも古典的な「大魚」の一種だよなあ、と。
……と、今スレッドの冒頭を読み返してみて、当初の目的と全く違った話をしていることに
気がつきました。(笑)
(ああでも面白い…他人の思考を答え合わせ付きで読み解く機会なんてあまりないですから。
哲学者や数学者の書簡というのはこういう感じだったんでしょうか。ネットの功績だなあ…)
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214 :
へよ
2007/10/24(水) 22:44:09
ID:c0f0926945
-
本筋は ◆ OZCI/VVVB2 さんの「論理を伝える文章と面白さを表す文章で書き方に差はある
のか」というあたりでしょうか?
私は、“伝えたいことを文章に直す”という部分では差はないのではないかと思います。
たとえば、この文章を書くとき。まず、文章を書き始める前に、頭の中には皆さんの書き込み
を読んで感じたことが、文になる寸前の形で渦巻いているわけです。それは皆さんの書き込み
の流れを自分なりに消化したものであったり、書き込みから連想されてきた(記憶の中から
「同じタグを見つけて引っ張ってきた」)ものであったりします。
それを文章の形に当てはめて出力していくわけですが、頭の中の考えがぴったり文章の形に
収まるとは限りません。それどころか、書いている途中で別の考えが思いついたり、
それによって自分の考えが誤読であったことに気付いて結論が変わってしまったりもします。
“会話”ってわりとこういう感じだと思うんですよね。「あ、あ、ちょっと待った今気付いた
けど違うわ今の」みたいにして論が続いていく。
私はこの一人語り形式で一度下書きを書き上げて、それを冗長な文にならないように刈り込む
形で書いています。言葉が足りないところには補い、文章の繋がりのねじれを修正し、
うまく文章の形に収まらなかった部分をこねまわしてなんとか自分の考えが伝わるように整え、
全体を見たときになるべく平易な流れになるように整形する。(これがおそらく「ツリー型に
する」プロセスなのだと思います)
この場合、書き始めたときには、完成形のビジョンはあるにはありますが、結論はまだ文章の
形をなしていないぼんやりとした状態です。書きながら思い出したり思いついたりしている
うちに、完成した下書きの結論はときどき、書き始めたときには考えてもいなかったものに
なるわけです。(書き始めた“後”に思いついたのだから当たり前ですが)
これは「結末の決まっていない状態で書く」の一種ではないかな、と思います。頭の中の
イメージを文章にするときは、誰でも多かれ少なかれこんな感じなのではないでしょうか。
こうして下書きが出来上がったあと、たいていは推敲という作業が必要なわけですが、書いて
いる途中でまれに、イメージが一分のずれもなく文章の中に収まってゆくことがあります。
>>78で ◆ OZCI/VVVB2 さんがいう「あかるくなった感じ」に近いと思うのですが、
書きたかったことのつながりが一気にはっきりして、あとはそれを書き表すだけ、といった
状態です。一人語りでいうなら、口から滑り出たアドリブがばっちり決まった状態ですね。
私のような凡夫ではこういう状態はどんなに続いても1段落くらいのものですが、いわゆる
シャーマン型の作家は、この状態がコラム1本分や短編1本分(あるいは、長編1本分?)
持続してしまうのだと思います。
漫画や映画でも基本は同じではないかと思いますね。最初に頭の中のイメージを漫画のコマ
割りや映画のカット割りに当てはめて出力してゆく、以下同文。
「タイトルが決まれば中身も決まる」というのも、同じ流れなのだと思います。
タイトルから連想されること(タイトルと同じタグのついたもの)が頭の中で関係付けられて、
それが書きはじめるうちに一気に文章の形になってしまう。
……羨ましい限りです。
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215 :
ケイン濃すぎ
2007/10/25(木) 02:03:51
ID:df2a3d6acf
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>>213
それはちょっと、俺的にはとらえ方が違うんじゃないかと思うの
ですが。
ゴジラや江戸川乱歩の少年探偵団シリーズは、ぜんぜん浅瀬の魚を
狙って釣っていないですよ。
超娯楽映画でありながら、ゴジラには「人類の業」への深いテーマ
があります。博士がオキシジェンデストロイヤーを使う時のシーン
など、特に深く考えさせられ、涙まで出る。
少年探偵団も破天荒だし、俺が度肝が抜かれた話では「電人M」とか
ありますが、非常にたくみに作られた物語で「深く読める」児童文学
ですよ。
たしかに子供向けであったり娯楽であったりはするわけで、その分
チープだったりナンセンスだったり、破綻したりしているわけですが、
そのワクの中でそれぞれの作者はテーマとして深いものを描いて
います。
よいアニメだって同じだし、よい特撮だって同じでしょう。
くだらない子供だましの設定の中に、何らかの「教訓」「感動」を
得られるような「暗喩」がこめられている。
しかしいわゆる「ラノベ脳」が喜ぶものというのは上のような志向
は逆に「必死すぎてイヤ」なのではありませんか。
たとえばサル漫で「戦争とテーマ」っていうネタがありました。
戦争モノの漫画を描く時、作家というのは普通の感覚で行くと物語
を通して「争いのむなしさ」や「大切な人を失う哀しさ」なんかを
テーマとして表現しようとするでしょう。
しかし実際のところ、戦争漫画を楽しみにしている読者は(サル漫
の中では)「派手なドンパチ」「カッコイイ武器や戦車」「残酷な
表現」をただひたすら見たいから戦争漫画を読むわけです。
作者と読者でズレてるんですよね。
あれはまあ、そういう皮肉(ぶっちゃけ話)として描かれているワケ
ですが、「作者が本気で読者と同じ目線だったら」どうなるかです。
つまり本気の本気で「戦争ドンパチかっけぇー」的な漫画を描きたい
表現したいとなれば、物語を通して深遠な人間のテーマを掘り下げる
必要もないし、むしろドンパチ描写のページは減るしブレーキかかる
しで「深いテーマ」はジャマ。ウザくなるでしょう。
たとえば戦争だけじゃなく、恋愛モノでも考えて見ましょう。
普通は恋愛漫画でナニを描きたいかというと、「真実の愛とは」
だったり「リアルな感情」だったり、人間関係の深い部分を描こう、
青春時代のあの熱い季節を表現しよう、なんて考えるわけです。
しかしラノベ的発想で行くと、そんな必死すぎることは大して重要
ではない。むしろ「感情がリアルだと甘酸っぱさが失われるから
イヤだ」なワケです。
だから恋愛モノのギミック(スタイル)やスラップスティックさその
ものがテーマになる。「その形をやることに意味がある」のでしょう。
たとえば「ツンデレ」なんて作者側の技法として昔からあったけれど、
読者側がこれほど価値を見出したのって最近のことですよ。
「メガネ男子」「お姉さま」「妹萌え」も同じ。
様式の追求とそれをどれだけ盛り込めるかが目的で、それ以上の
深さなど必要ないわけです。描くほうにも見るほうにも。
これって昔では考えられないというか、作り手が「やっちゃまずい
こと」だと思うんですよ。
魚と海にたとえると、これほど浅瀬の魚だけを料理して食う文化は
いままで(表世界には)なかったから。
もっと深いところにいる魚を釣るための、もしくは味を引き立てる
ための魚だったものを専門に食う人と料理する人が現代には現れた。
それが現代のラノベ文化というか、同人プロ文化なんじゃないかと
俺は分析していますよ。
そしてこれは卑下して言ってるんではなくて、多様化がここまで
進んだということです。
作者と読者の壁がなくなって、誰でも作者で誰でも読者になった
結果、必然的に生まれたと思いますね。
-
216 :
めたろう
2007/10/25(木) 02:22:20
ID:848e72d83c
-
おお。「ギミックや様式の追求」は、この後書きたいと思っている、
「役者化する観客」「行動する読者」の話に繋がって参ります。
「作者と読者の壁がなくなって、誰でも作者で誰でも読者」になる状況下において、
皆の志向はまず、ゲームマスターでは無くプレイヤーに向かっていると考えられます。
「感情移入」に恋愛の要素が加わったものが萌えであると想定される様に、
「現代のラノベ文化というか、同人プロ文化」を「役者化」であると話をもって行きたいところ。
そこで重視されるのは、テーマではなくシチュエーション、状況であり、
結末はもとより求められてはいないのです。
-
217 :
渡辺裕
2007/10/26(金) 22:33:40
ID:3525e5cb63
-
ケイン濃すぎさんが芸術主義であるなら、私は商売として考えますから「理解していただけない」方向性でしか返事できませんのですよ。残念ながら。なので、話が噛み合って私と濃すぎさんの間で納得するしないは別にして、このスレ読んでる人がその人なりに何か感じれば、もうそれでいいんじゃないかと思います。
>>206
だいたい、そんな感じだと思いますよ。
-
218 :
渡辺裕
2007/10/26(金) 22:59:13
ID:3525e5cb63
-
一般?の人は、別にエベレストに登りたいとは思ってないですよ。富士山に登りたいとも思ってない。近所の山でも「誰かと行くなら」それで十分なんです。そんで、誰かと行くと決まっていても仕事が入ったら仕事優先。キャンセルします。そういうこと。そこから思考が始まる層ってのが、どーやったってあるんですよ。
エベレストに登る方法論を云々するよりも、近所の山に登るレベルの軽装で「どの高さの山まで登れるか」を考えたほうが、まぁ商売としては有益でしょうね。「砂金拾い」も、私的にはその線で考えてますよ。アレが商業ベースに乗れば面白いんだけどね。みたいな。
そこで登った山の高さを比べて俺のほうが凄いとかこうすればもっと高くの山に登れるとか美しく登れるとか言っても意味が無くて、やったね、良かったね、そういやあの時あんなことがあって…というレベルで盛り上がるほうが、楽しいんでしょうね。
-
219 :
zwei
2007/10/26(金) 23:03:32
ID:d86ebf57f4
-
いや、単に二人の話している内容が同じなだけど、
ずれているって言いたかっただけなのですが
-
220 :
渡辺裕
2007/10/26(金) 23:47:56
ID:3525e5cb63
-
ありがちといえばありがちなんですけど、「エベレストや富士山に登るにはどうすればいいの?」って設問があったとき、生真面目な人は方法論をいろいろ考えたり旅費や資金の調達方法を考えたり、そういう方向性で考えると思うんですね。
私は根が天邪鬼ですから、地図や写真を持ってきてその上に乗っかって「登ったよ?」って言い張りますけどね。
それはそれで「登る」でしょうね。いや厳密には「乗る」だろうがと言えばそうなんですけど、その場をまとめる(繕う)方便としては、「登る」で問題ない。
たいがい、頓智・ギャグで片付けられますよ。あんまり細かく拘らないほうが、楽は楽ですよ。
結果が先に決まってる話を書きなさいって形式だと、作家さんによっては↑のような頓智を発揮して「とっとと飽きちゃう」ケースが出るかと思いますんで、「なぜ結末も決めずに文章(物語)が書けるのか」じゃなくて、「結末を決めない」からこそ書けるタイプの人も、中には居るでしょうね。
-
221 :
ケイン濃すぎ
2007/10/27(土) 05:00:40
ID:c33cc342c3
-
>>217
>>218
渡辺さん
芸術主義であるとか、商売主義であるとか、そんなことにこだわる
話ではないと思うな。
要点は「どうやって作家は(良い)アイデアを発想しているのか」と
いうことじゃありませんか。
そして何故それに話が及んだかというと、スレの命題である
「なぜ結末も決めずに物語が書けるのか」という疑問を解決する為
にはまず「作家の発想のメカニズムの解明」が必要なんじゃないか
という話なのでしょう。
そこで俺は自説を本の引用やみなさんの意見を踏まえて色々述べ
ましたけれど、あくまで「こう考えた方が説明がしやすい」から
そう話しているだけで、あくまで自説を主張するために意見をねじ
曲げたり拒絶したりはしていません。
>>185でへよさんが渡辺さんの論理を解釈して説明されてましたが、
「なるほどそう考えれば説明がつく」という部分は受け入れて
います。>>186
その後ちょっと意味が違うのでは、という部分では「こういう理由
で違うのではないか」としていますが、それもやはり説明がつくか
つかないかで疑問と意見を提示しています。
商売主義で「作家の良いアイデアのつくり方」を説明できるのなら
その自説にこだわるのも良いでしょう。
しかしよい作品というのは「売れる売れない(だけ)ではない」と
いう説を唱える理由を俺は説明できます。
だから「まず売れなければよいアイデアもクソもない」的な意見
に反論できるわけで、根拠がなければ言いません。
その根拠となる例も挙げましょう。
たとえば今でこそ知られている宮沢賢治ですが、生前に出た本は
詩集と童話が各一冊のみ、原稿料は五円のみだといわれています。
画家で言えばモジリアニの売れない絵と極貧生活は有名です。
それぞれが「売りたくて傑作を生んだ」「商売で成功する作品を作
った」ワケではない。それならば出版社に持ち込んだりパトロンに
売り込んだ時点であれだけの作家が認められないわけはない。
しかし現実に彼らは生前あまり認められなかったわけですよ。
こういった例だけでも、本物の作家がどんな性質の人間なのか
一般人にも容易に想像できるのではないでしょうか。
よい作家には「こだわりのない人間」「自己主張のない(弱い)人間」
はいないですよ。表現したくて作家になったのだから。
その逆を行った作家って、いわゆる流行作家なのでしょうが、作家
として後世まで残る(本質だから残る)のはどちらのスタイルで
しょうか。普通に考えて。
「徹底的なマーケティング戦略を優先した結果名作を生んだ作家」
や「自己表現よりも売れることを最優先した結果生まれた素晴ら
しい作品」があるものでしょうか。
まず、売れることを優先した作家は内面を掘り下げることはしない
ですよね。自分に売るのではなく、お客さんに売るわけですから。
作品のアイデアは常に「作家の外側(客のニーズ)」にあるはずです。
論理で言えば。
その考えでいって、ひいては「物語の結末を考えず・・・」の仕組み
を予測して、仮説を立てられるのでしょうか。
俺はその論理的な説明を渡辺さんから聞ければ「なるほど」と思い
ます。
そして比較もできます。゜ここの捉え方はどうだろう」と。
でもいきなり「理解してもらえない」ではわからない。
それは意固地というものです。言葉は悪いですが・・・
俺は「ここがおかしくないか」と言っていますが、その理由は説明
していますよ。
別に自分と答えが違ったとしても、反論理由がなければ反論もしま
せん。めたろうさんとは似ていてもだいぶ解釈は違うと思いますよ。
忍天井さんやzweiさんとも、へよさんとも違う。俺と渡辺さんの
主張が似ているという指摘は「俺とは捉え方が違う」わけで。
-
222 :
ケイン濃すぎ
2007/10/27(土) 05:04:03
ID:c33cc342c3
-
俺が主張しているのは「創造的なアイデアを生み出す方法」の話で
あって、山登りで例えでもそれが「鹿野山(千葉の低い山)」だろう
が「富士山」だろうが「エベレスト」だろうが登り方は一緒です。
ただ「アイデアのつくり方」で書かれている通り、その秘訣を
知ったからといって誰でも一流のように使いこなせるものではない
という現実があるだけ。
渡辺さんは「正論」でもなく「逆説」でもなく、論理展開そのものを
否定することがしばしばですよね。
たとえ話でたとえに沿わないことを言ってみたり。
「地図や写真を持ってきてその上に乗っかって登ったよ?って言い
張りますけどね」など、これは「アイデアの出し方」のたとえ話と
して考えた場合、何の比ゆになるのですか。何がナニと符号して
いて、結局何が具体的に主張したいのでしょうか。
「アイデアがひらめく」というトンチの部分の解明にトンチを持ち
出したらもとの木阿弥で、何も説明できないんだと主張している
のに等しい。
つまり、やっぱり「ブラックボックスはブラックボックス」という
ことが言いたいのだなあと思ってしまう。
無理やり渡辺さんの例えにそって言うと、「登る」ことは誰だって
前提として理解しているんです。問題となっているのは「登り方」
ですよ。どうやって登ってるの?どうやって登ったらプロみたいに
上手に登れるの? ですよ。
プロの登り方のトンチが解明したいんです。プロはいつでも思い
がけなく唐突に「頂上から手を振っていたりする」わけで、それは
どうやってんのかなあという話ですよ。
実際体験として「いつのまにか登れていた」なんて経験もあるし。
「何故結末も決めずに書けるのか」という問いに「結末を決めない
から書けるのだ」と答えるのも、すでに禅問答だからなあ・・・
だから、そのからくりを知りたいんですよ。
そういう作家の発想のプロセスが知りたいの。
そういうスレでしょう?
-
223 :
めたろう
2007/10/27(土) 05:05:11
ID:c5103e5863
-
お。またお二人の流れが始まってる様ですが。
こちらはマイペースで参ります。
ここで一旦、以前書きかけた「エチュード」と脱線の話に寄り道します。
芝居の練習で、役者同士で行う「エチュード(即興)」と呼ばれるものがあります。
ジャズバンドで言うところの「セッション」に相当するものです。
公演に向けての、台本をベースに作品を作る作業以前、
あるいは、日常の練習において、役者同士で即興芝居を作ることがあるのです。
まず練習に参加しているメンバーを何チーム化に分けて、上演の順番を決めます。
だいたい、「全体のお題」を決めてはじめますね。
次にチーム毎に、簡単に「状況設定」「役柄」「登場順」「小道具(練習場所にあるものや私物を使います)」等の打ち合わせをします。
あるチームの上演中は他のチームは実に批評的な目で鑑賞しています。
上演後はそれはキビシーイ駄目出しがあったりしますが、時には褒めてくれます。
全てのチームが上演し終わるとお互いに総評となります。
この練習、楽しいのですが、難しいんですなこれが。
上演中は大方笑いを取りに行くのですが、客に吹かせると演ってる方は有頂天、でもその後話がグダグダになったりします。
終り方を決めないではじめる事が多く、「きれいにオチた!」と終るのは中々難しい。
大体話の流れが止まったり、グダグダに伸びていって、演出家や、周囲の客が手を叩いて終らせます。
始まりは、大体2人くらいの会話からはじめます。
そこへ3人目4人目が流れを見ながら参戦する事になります。
状況を見て、話に絡みきれない、と見たら、一度退場して、
外から流れを読んで、また合流したりします。
悪い奴は、打ち合わせにないキャラクターを登場させたりして、相方たちを揺さぶったりします。これに動揺して吹き出したりすると「負け」。
いかにして受け流したり切り返すかが腕の見せ所となる訳です。
このエチュードを面白く作るには、幾つもの要件が必要です。
これまでお話してきた「脚本家」「演出家」「役者」の意識を参加者がそれぞれ持っていること。
まず「役者」として、他の出演者と息があって無くてはいけません。事前に打ち合わせた状況、すなわち世界観を共有していなくてはならない。短い作品ですから、役柄の造形も明確な方が観る側にも共演者にも親切です。
「役者」であるだけでは状況設定も話の流れも見る側に伝えられません。的確な台詞や動作で情報を伝える「脚本家」の視点が必要です。
そして「演出家」として、流れにどう合流するか?どこで退場するか?どういうアドリブをかますと目立てるか?あるいはアドリブで破綻しつつある状況をどうごまかすか?
グダグダになった話をどう持っていくのか?
と、いったことをリアルタイム処理しなくてはなりません。
大概、自己顕示欲旺盛な役者たちの事ですから、目立ったり、話の主導権を握ろうと、打ち合わせに無い事をやる。するとうまい切り返しにあってフリーズしたりします。
参加者それぞれの基礎教養的なものも問われます。
タグ形式であれツリー形式であれ、自分の引き出しの数と、引き出しの中身が充実していないと、他の参加者のアドリブ攻撃を返せません。
ものを知らない役者だと、何か冗談を言われても理解できない。客の側は大爆笑。でも自分は取り残される事もある訳です。
同時に、参加者が共通言語を持っている事も大切です。上記のような齟齬が頻発しすぎては、話の流れは止まってしまいます。ディスコミュニケーションをテーマとするコントにするなら別ですが。
これらを押えた上で、上手い演じ手達、あるいはアンサンブルを確立しているチームは、スムーズに作品を作れる様になりますが、それでは飽き足らなくなってきます。
だんだんアドリブ合戦が派手に、話の流れは脱線してゆく様になります。
「状況を破綻させた方が、面白い!」と思う様になるのです。
突拍子もないネタ振りで、瞬発力で引き出されるリアクションこそが面白くなってゆくのです。
そして時折、全てがかみ合って、「グルーブ」が神懸り的に降りてくる、奇跡的な作品が現れる事があります。
そうなると結末とかは全く判らなくなる。
観てる方も批評してる余裕も無く、「で?どうなる?」とホントにお客さんになって見てる。
で、まぁ大概、途中でどうしようも無くなってフリーズしちゃうんですが。
基本的に役者と言うものは「話を広げる」「脱線させる」「状況を変化させる」事は得意ですが、物事を纏める志向性は余り無いんでありますな。すぐ収集がつかなくなる。
その辺を纏め、整理し、区切りをつけるのは、やはり外から観察し続ける演出家の仕事といえます。そして最終的には、「作品」としては演出家個人の、固有の世界観でもって、纏められる事になる訳です。
エチュードの面白さと言うのは「作品」以前の、過程の面白さであると言えましょう。
そこで働くベクトルは、脱線志向、拡大志向、シーン毎の面白さの追及であり、纏まった全体としての評価とは、また別の評価軸があるのだと思われます。
一方、そしてなにより、エチュードは訓練なのであります。
参加者の「引き出し」を増やし、深化させ、同時に共演者との共通言語を身につけ、
「観客の視点」を身につけ、「演出家から見た全体像」を想像する。
「役者の総合力」を高める機能があるのです。
そしてこれは、「よりよい観客」を形成する訓練でもあるのです。
長文、ぐだぐだになっちまいましたが、次はようやく「朝のガスパール」の話に戻れます。
「訓練の浅い役者、教育されていない観客が、エチュードに参加するとどうなるか」
についてのお話になる予定。
-
224 :
ケイン濃すぎ
2007/10/27(土) 05:08:45
ID:c33cc342c3
-
>>222は>>220への意見です。
-
225 :
ケイン濃すぎ
2007/10/29(月) 06:15:14
ID:ccc130212f
-
>>223
なるほど。
ゲームの仕事はモーションキャプチャーの時など役者さんと仕事
する機会もままあるので、そういう稽古のことは聞いて知っては
いましたが、詳細は初めて聞かせていただいたのでとても参考に
なりました。
前に>>114あたりで「究極のテーブルトークRPGを求めて」デザイン
した自作RPG(修羅の門RPG)の話をしましたが、それを何で作ったの
かというと、まさしくライブで物語を作ってゆくテーブルトークに
「役者の資質」、または視点が不可欠だったからです。
既存のテーブルトークはゲームであるがゆえに、「ライブ感」のみ
が重視された作りだったわけです。
はじめに物語的取り決めが多くあると、プレイヤーは自分が楽しみ
たいのに窮屈になってしまう。プレイヤーにとってライブ感が失わ
れるのです。
みなさんはあまり読んだことはないと思いますが、テーブルトーク
RPGにはプレイ中の出来事を文章に起こした「リプレイ小説」という
ものがあります。
ゲーム中の音声を録音して文章に落としますから、キャラクターの
行動とプレイヤーの本音は違います。
実例を挙げると水野良のロードス島戦記があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%B9%E5%B3%B6%E6%88%A6%E8%A8%98
***
物語のクライマックス、魔女の精神に幻惑された僧侶の娘レイリア
は、母親の親友であり旧知のドワーフギムを含めたそのパーティと
対決する。
ギムはレイリアを攻撃できず、正気を取り戻そうと必死に説得を
続ける。しかし容赦なく唱えられる「死の呪文」・・・
ギムは魔女にのっとられたレイリアのフィンガーオブデスを受け、
一筋の涙を流しつつ即死する。
***
このシーンは小説版でもアニメでもかなり盛り上がるわけです。
しかしリプレイ小説ではどうなっているかというと、ギムの担当を
していた安田均氏は悶絶します。「うわあ、死にたくねぇぇぇ!」
そしてサイコロ判定に失敗して水野氏に「死んだよ」と言われ、
安田氏はガックリ。ぶちぶちと不満を洩らしています。
後にリプレイをもとに水野氏が小説した時には感動的になったあの
シーンは、ゲーム上単なる失敗に過ぎないんです。
リプレイ小説に見るそういった現場のライブ感は読むと伝わって
きて面白いけど、ストーリーが面白いわけじゃない。
これを当時読んだ俺は何か違うと思った。
どう考えても物語的には「ドワーフはここで死んだほうがオイシイ
のに、何故それが失敗というか、プレイヤーの喜びにならないの
だろうか」と。
物語の理想的展開とリプレイに見れたようにプレイヤーがゲーム
として求めている結末にはあまりに差がある。
その差はなくなるべきじゃないかと思ったんですよ。
プレイを録音したりプレイ小説が、何故そのままで水野良の小説版
ロードス島戦記にならないのかが納得がいかない。
物語として比較したら明らかに小説が上で、書き直しているわけです
からね。それはプレイの仕方が間違っている(そんな方向に誘導する
ルール、システムが悪い)のかと思いました。
そこで色々と「RPGって本当はどんなものか」を研究して解析して
いったことで色々分かってきた。
漫画の「ザ・スター」とか「アクター」とかむさぼり読みました。
そして演劇や歌舞伎や狂言も本で研究しました。
あしたのジョー思考実験も行った。当然修羅の門も参考にしました。
そうして分かったのは、やっぱりRPG「役割を演じて楽しむゲーム」
は「ライブ感だけじゃないんだ」ということでした。
物語はライブだけでは作れない。ライブも大切だけどね。
話がここでやっと戻ります。
めたろうさんが>>223で説明していることがテーブルトークには
足りなかったんですよ。
『「脚本家」「演出家」「役者」の意識を参加者がそれぞれ持って
いること。』がね。そしてそれを鍛えるような「エチュード」のよう
なコンセプトをシステムに盛り込んでいなかった。
我々は当時エチュードという訓練法を知らなかったので、独自に
音楽に照らし合わせて考えていました。
ジャズを構成する「アンサンブル」の概念と「アドリブ」の概念
です。アドリブって言うのは、ゲームで言うライブ感と同じ。
テーブルトークっていうのはシステムから逆算しても、アドリブ
のことしか計算されていないゲームです。
他のプレイヤーとセッションしている認識はあっても、面白くする
方向はめたろうさんのエチュードで言われている『役者性』だけ
なんですね。
しかし役者軸のみでアドリブを入れてゆくと、演劇と同じ、グダ
グダになるんです。「発想と連想だけがつむがれてゆく」先には、
結末なんてないですからね。
ここで必要になってくるのは「アンサンブル」の認識です。
俺は演劇には役割が決まっていて、その人物が「物語上何を表す
ためにいるのか」役者が明確に認識する事が大切だと思います。
狂言で言う一枚目、二枚目、狂言回しなど、物語上すべきことは
決まっている。
物語を調節し、目論見どおりに収束を迎えさせるための取り決め、
音楽ていう「アンサンブル」です。
これを俺はテーブルトークにシステムとして組み込みたかった。
これが組み込めれば「役者軸」に「演出家軸」が入らざるを得ない。
そして「演出軸の面白さ」「演出軸のオイシさ」(ゲーム的に与え
られるメリット)を理解してもらえる。
そうなれば初めてプレイヤーが役者であり監督であり観客になる
「作家でなくても物語が共同で作れる」ツール的なゲームが完成
するんですよね。
アンサンブルは単純に「設定」なんていうことじゃないです。
エチュードでも役者のアドリブに演出家や観客視点になった
別グループの役者さんが「ダメ出ししたり手を叩いて終わり
にしたり」する基準は決して「脚本とは違う」という単純なことでは
ないはずですよね。
脚本に書かれていることの「意味」を、役者は理解しなければなら
ない。そしてそれを表現するための「道筋は自分で探す」ワケです。
エチュードはそのための訓練。
セッションする中で、アンサンブルにどれだけのアドリブを加えれば
曲がよりグルーブするか、スイングしてゆくかを役者演出家一丸と
なって試行錯誤するための訓練ですよね。
俺の考えていた理想のテーブルトークはまさにその過程をゲームに
したかったといえます。
そして訓練されたプレイヤーがプレイして、そのさまをリプレイ
すれば「そのまま小説に落とせる」ことを目指したわけです。
ええと、これはテーブルトークRPG論ではなくて、めたろうさん
のおっしゃることを「こう捉えていたので、はからずしも同じこと
をやっていました」という事例です。
はい・・・
-
226 :
ケイン濃すぎ
2007/10/29(月) 06:39:04
ID:ccc130212f
-
最近色々とこのことを考えていて、テーブルトークのシステムを
考えていた頃からずっと俺の中でもやもやしていたものが解明
されそうです。
しかもこういうときって一気にパズルのピースがそろうように、
「謎の答えのほうからこっちに集まってきてくれる」もんですね。
今年始めから仕事の流れでゲームAIの研究セミナーに参加して
いたのですが、そっちで得た知識からもここでやり取りしていた
「アイデアの出し方」と符合する要素が俺的に見つかりました。
当たり前といえば当たり前、人工知能とは人間の思考のメカニ
ズムを模倣して作られる仕組みですから(大雑把に言うと)。
で、「そんなことを考えている」という話をゲームセミナーの講師
さんに話すと「その考え方は非常に面白い」と。
・・・もしかしたら、俺の意見をまとめて「ゲームアイデアの発想
法」としてセミナーで講義をすることになるやも知れません。
もちろん、参考にした文献はすべて公表しますが。
「アイデアのつくり方」と糸井さんの記事が引用としてはほとんど
ですね。あとはAIの仕組みと絡めて。
めたろうさんの演劇の話も参考になってます。
-
227 :
めたろう
2007/10/29(月) 12:57:04
ID:3eadcd7a8f
-
>ゲームAIの研究セミナー
SUGEEEEEEEEE聞きテーーーーーーーー。
一般客の傍聴席はないのですかいな。
いや、ゲームは全く判らぬものの、
自律思考AIとか、判らぬまでもわくわくするだろなぁ、と。
講義録出来たら見てみたい、、、。
-
228 :
ケイン濃すぎ
2007/10/29(月) 14:12:38
ID:0e4375006b
-
>>227
まず所属会社内で講義して反応を見て、手ごたえがあればゲーム
デザイナー向けのセミナーで公表するかも。
一般も有料ですが参加できると思いますよ。ヘタすると一万円
くらいしますが(もちろんゲーム制作者も払う正規の料金で)。
講義する場所(セミナーの規模)によって決まります。
パワーポイントなりが完成したらたけくまさんに送ります。
まだ色々資料を読みたいので時間はかかると思いますけどね。
AIには色々な種類(仕組み)がありまして。
学習するタイプのAIがあります。
話すと長くなるのではしょりますが、C4アーキテクチャーという
タイプの人工知能と、ニューラルネットワークというタイプの
人工知能があって、その仕組みというのが実はC4が「ツリー型の
思考」をモデル化したもので、ニューラルネットが「タグ型の思考」
の仕組みをモデル化した、反映したものなんですよ。
俺的にはですが。
人間の脳の働きを参考に人工知能はデザインされているわけです
から当然といえば当然なのですが、人工知能は回路なので、もの
すごく説明しやすいし、「ちゃんとそれらしく動く」わけだから
思考の方法の実証になるんじゃないかと思うんです。
だから絡めて話したらもっと「アイデアの出し方」を理解しやすい。
そんな話をするつもりです。
養老先生は「唯脳論」で「人間は脳化を進めている」という話をして
おりました。都市を整備し、そこに暮らすということは「脳の中に
住むことなのだ」(脳の機能を外に持ち出している)と。
この話は俺にとってすごく面白かったわけですが、人工知能はまさ
にそれで、人工知能というモデルを見れば人間の思考の働きを説明
しやすい。
論理として、一つの線としてつながりました。
-
229 :
メルヘンひじきごはん
2007/10/29(月) 14:24:09
ID:a1cc950d5a
-
「社会主義は人間性にそぐわない」という常識いくせいぬわ
そーとーおかにえつつこンドルDEATHnA.洗脳するのは勝手ですが 粛々乃粛々度をAGEデゆきますんで夜炉詩駆ゥ。
-
230 :
ケイン濃すぎ
2007/10/29(月) 16:14:37
ID:0e4375006b
-
>>229
なんぞ誤解されてるようですが、俺はサラリーマンの約定に縛られ
てるのでセミナーの講師は完全ボランティアですよ。
技術者のセミナーなんていうものはCEDECも含めて学会みたいなもん
です。偉い先生を招待した場合以外は、本職を持った講師はノー
ギャラでしゃべってます。所属会社にメリットもない。
俺も他の会社の人からセミナーで知恵を分けてもらっているので、
こちらの技術も流して全体の意識を高めたいだけです。
この貴重な話を自分の業界にフィードバックしたいのよ。
センセイの真似事をして知識で禄を食もうなんていう気はさっぱり
ありません。独立するか、引退して本職の先生にでもなるか、出版
が話をもちかけてきて依頼で原稿を書くなんて稀有なことがあれば
話は別ですが。それはまあないでしょう。
その時はその時でまたインフォメします。
-
231 :
めたろう
2007/10/29(月) 18:01:35
ID:3eadcd7a8f
-
おお。1万くらいなら、マジで行きますぜ。
今日び、大家の芝居は8〜9千円することもあるけど、
費用対効果で満足できたためしがないもんな。
それより面白いのは間違いない。
話変わるけど、AIに「批評」はできるのかなぁ、とか思います。
たぶん、ケイン様のやろうとしてる事って、
「AIに「面白判定」をさせる」事になると思うんです。
観客チームや演出家の視点で「手を叩かせ」なきゃならない。
で、たぶんその手がかりになるのが「物語素」、
「物語の黄金律」みたいなものになるのではナイかと妄想。
-
232 :
メルヘンひじきごはん
2007/10/29(月) 21:20:33
ID:a1cc950d5a
-
無防備な再生産は困るんですが
障害があるほど萌えあがる理。
-
233 :
ケイン濃すぎ
2007/10/30(火) 03:59:01
ID:7b08a21303
-
>>231
めたろうさん。
IGDAでのセミナーなら、千円くらいだと思いますけどね。
でも来るのは完全に本職だけです。研究会なので。
AIに興味がおありなら、セミナーより前にオライリー・ジャパン
から出ているAIの本とかを買って読むとよいです。ちとプラグラム
の記述とかあって眠くなりますが。
ちなみに俺はAIに物語を作らせようなどとは考えていませんよ。
人間の思考がどうやって機能しているのか、それを説明するのに
AIの仕組みは適しているという話をしているだけです。
AIは脳の回路をモデルにしているから、「人間ってこうやって
アイデア出しているのか」と、AIの回路を学ぶことで論理的に解釈
できるわけです。
実際にAIは「それらしく動く回路」だから、模型としてだけの意味
じゃなく、シミュレータにもなるといえばなりますが。
いまはまだ実用化どうこうの段階じゃないですね。
ニューラルネットワークとか、ゲーム業界ではまだちゃんと使って
いるところの少ない、新しいAIの仕組みです。
人間のニューロンの発達の仕組みをAIに応用しているんですが、
まだゲームに使うとなるとアイデアが足りない。
今後どういうゲームに使われるのか明らかになってゆくでしょう。
それは置いといて、俺が注目しているのはニューラルネットの進歩
(ニューラルネットワーク型のAIは学習します)の過程が、アイデアが
脳内で結実する過程(糸井氏の言う「タグがつく」過程)と似ている
ということです。
そしてニューラルネットワーク以前に開発された同じく学習型のAI
C4アーキテクチャーの仕組みが、脳内で論理構築する過程(糸井氏の
言う「ツリーを作る思考」の過程)と似ているということです。
これはぜんぜん偶然ではなく、人間の脳のモデルであるAIの進歩に
よって現れたシステムの発展と同じように、人間のアイデア(発想)
というものもAIの進歩と同じプロセスを経て完成するものなのだと
俺は確信しました。
まあ、そういう説明を講義したいんですよね。
答えだけ言うと、物語の発想(新規性のある発想)とは
ツリー→タグ→ツリーの順序なのだということ。
ツリーでダイブし、タグで釣り、再びツリーで浮上させる。
ずっと言ってた「海のイメージ」で言うとこんなところです。
これはあくまで「意図的にアイデアを出したい時の発想法」であって、
無意識にやって(神に祈ったり何となくひらめくまでボーっとして
浮かぶという人)はガチに意識しなくても良いんです。
ただアイデアが出ない原因を知りたかったり、アイデアを出したい
けどうまく出せたためしがない人、出そうとした経験がない人など
には有効なメソッドになるはずです。
俺はアイデアは湯水のように出るタイプなので、こんなことを日常
意識したりはしないでしょうね。
しかし煮詰まった時は「何の過程が不足しているのか」いいチェック
になりますよね。たぶん。
しかし・・・
アイデアが出ない言い訳ができない(フテ寝できない)のはツライな。
-
234 :
メルヘンひじきごはん
2007/10/30(火) 09:23:20
ID:c1b679faba
-
俺語れることがものっそうすくのうなつてきましたるニガ敢えると
・日本観客だけはかつてないほど高潮。質×人数に数値するにDISTINGUISHeD
・建前をガメてた不当の頑なな拳を拓かせるニナヌヲセンネバナランカツタカ
・大正と大正天皇の評価がひくすぐる
・反映光源をまやかすが倣いヤガ…
・罪人の再生産という常識こそが旧いが、それを認めるオリのくつぢよくにたえらりるか否か
・たいくつなことすかシトランから終わり無き日常なのであってコテコテの入り口は常時開放中ただ寅辰巳はトグロヲマイテイルヨ
・俺ほどこまつたちやんはおらんとおもつていたニマタマタアマカツタエエイくチヲ視野
・「あらかじめきまつていたこと」としたがりっこ総じてオッちんだ後にちこちこあなさがしのキルト織りおいつれHOBBYにそしてきつとすくあいる
なんのことゆうとるかわからんてしようなあ。わかるとこもあるてしようざざ。なんで なあ がざざになるの。ATOK12ソフトキーよおまいモカ。
-
235 :
メルヘンひじきごはん
2007/10/30(火) 09:30:21
ID:c1b679faba
-
distinguishは あぶりだす あたりがそのお・あるいわじゅうえんだましたじきにえんぺつ擦り。
-
236 :
メルヘンひじきごはん
2007/10/30(火) 09:32:08
ID:c1b679faba
-
隠れたPEEKを可視化てコトスネ・。
-
237 :
めたろう
2007/10/30(火) 12:22:29
ID:53825c4a42
-
昨年〜今年頭に
「心の起源」
http://www.amazon.co.jp/%E5%BF%83%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90%E2%80%95%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%AD%A6%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E6%8C%91%E6%88%A6-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%9C%A8%E4%B8%8B-%E6%B8%85%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4121016599
「脳は空より広いか」
http://www.amazon.co.jp/%E8%84%B3%E3%81%AF%E7%A9%BA%E3%82%88%E3%82%8A%E5%BA%83%E3%81%84%E3%81%8B%E2%80%95%E3%80%8C%E7%A7%81%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E7%8F%BE%E8%B1%A1%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B-%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%89-M-%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3/dp/4794215452/ref=sr_1_1/503-1030941-2477521?ie=UTF8&s=books&qid=1193714279&sr=1-1
と読んでいって、そういうのが好きな知り合いと学習AIの話とかで盛り上がったんですよ。
で、「思考」の前段階に「評価」や「選択」がある、と言う話になって、
俺には理解不能だったのですが、「アナログコンピュータの論理展開は独特で、「判断」基準も違う」
という話をされました。
それで、興味を持った次第です。
-
238 :
めたろう
2007/10/30(火) 12:26:52
ID:53825c4a42
-
タグ抜けた。233ケイン様宛。
-
239 :
ケイン濃すぎ
2007/10/30(火) 14:51:06
ID:1f62c7cced
-
>>237
C4アーキテクチャーAIは情報を「認識」することからはじめます。
センサーから得た情報を認識ツリーと呼ばれるふるいにかけて細分
化するのですが、これはあくまでAIの「主観的な認識」なので%で
分類されます。つまり「あやふや」なんですね。
たとえば羊を見たときに「(自分の位置から捉えた視覚センサー情報
から判断して)75%羊だとおもう」「60%立っている」「80%前進
している」という感じに細分な認識をします。
そして認識ツリーによってふるいにかけた情報を元に、AIは行動
を起こします(認識ツリーとはまた別の行動ツリーに従う)。
その結果微妙に判断が間違っていたり、確信を深めたりします。
認識ツリーから得た情報の%が調節され、経験則としてワーキング
メモリーに蓄積されるので、次はより間違いのない高度な判断に
よって行動を起こす・・・という仕組みです。
一方ニューラルネットワークは、センサーから入ってきた世界情報
を「どう認識して」「どう結果につなげるか」を、結果から「評価」
して回路を最適化(ネットワークを形成)してゆきます。
つまり生物の進化と同じように、色々な「試行」をまず行うんですよ。
生物で言えば子供を沢山作る。
そしてその第一世代(試行一回目)で判断が優秀だった子供(たとえば
アルゴリズム)たちが「子孫」を残すんですね。
子孫は生き残ったものたちの「形質が遺伝」しています。
たとえばABCDEFGという行動パターンがあって、結果ACEGが優秀
だったとする。そうしたらAとCを半分ずつ受け継いだ行動パターン
とEとGを半分ずつ受け継いだ行動パターンが生まれます。
そして第二世代はさらに生き残りの上位が子供を作り、それがまた
試行によってふるいにかけられ・・・
という循環をたくさん沢山重ねることで、回路は最適に近づき、
進歩してゆきます。
この進歩のさせ方には「生物的なゆらぎ」を加えることでさらに
AIの判断が多様化してゆきます。つまり突然変異の要素ですね。
まあこれ以上はなすと長くなりますからはしょりますが、AIは
行動を起こす前に情報を認識細分化し、試行を繰り返すことで
ワーキングメモリーを発達させるか、回路を発達させるかしない
と成長はしません。
アナログコンピュータの論理展開は独特・・・
というのは言っている意味を俺は理解できていませんが、
進歩するAIというのは裏を返せば「最初は赤ちゃんからはじめる
AI」ということなので、最初は能力が優れているわけじゃない。
その代わり適応力があるので育つと環境や状況にも柔軟に対応
できるAIができるんですね。
通常のゲームで使うAIは最初からもっと賢くて、ツリー型に判断を
して行動します。
たとえば「ゴール指向型プランニングAI」など。
AIは目的(例えば第一目標・敵の殲滅、第二目標・陣地の確保)は
目標に向かうために世界情報から最適な判断(この場合は先に説明
したAIとかと違い、もっと明確な判断。たとえば地形に点数が
ついていて合算して評価を下す。右の地形はぬかるみで歩きにくい
から20点、左は草場で歩きやすいから60点、右は敵から見えない
から60点、左は敵から丸見えなので-80点、合計右80点左-20点
だから右へ行く、とか)をし、ロジカルに行動します。
-
240 :
めたろう
2007/10/31(水) 07:32:39
ID:bf1a2c7e38
-
「脳は、、」の方で、脳回路の「記憶の強化」の為にに進化論というか、
いっぱい回路作って淘汰させる話がありましたな。
特定の少数回路だけが生き残り、他のは死んで、その分が新しい回路に回るんだったけ?
それで脳は生体アナログコンピュータだという話になったのだったか?
半年前で記憶があやふやであります。
-
241 :
ケイン濃すぎ
2007/10/31(水) 13:16:00
ID:d59373386f
-
「脳は空より広いか」をアマゾンで注文しました。
俺が言っていた「面白み」に近いものに固有名詞を与えて説明して
いるみたいですね。心理学では当たり前なのかな。
その言葉の意味を確認したいので買います。紹介ありがとうです。
ちなみに解剖学的見地から心を説いた本で俺がバイブルとしている
のは養老先生の「唯脳論」ですね。古い本だけど超お薦めです。
本当に論理的で、当たり前のことが書いてある。
宮崎駿さんとか、これ読んだら「ゴジラとヤマトとぼくらの民主
主義」なみにイヤだろうなあ・・・
-
242 :
メルヘンひじきごはん
2007/11/01(木) 10:43:05
ID:049b04b1a7
-
俺はコンピュータの マシン語 アセンブリ語 高級言語 の三段階プログラムアーキテクチャのヒントてーのは
PacificOceanWARの折日本語徹底研究を行った副産物ではないかと考えておりまして。ノイマンかいなかは
心に棚。
-
243 :
nomad
2007/11/01(木) 23:27:28
ID:9859dbb227
-
> めたろうさん
手元に資料が無いのでアレですが(たしか「アポトーシスの科学」に載ってたような)
脳細胞の数は、胎児期に最大となりますが、出産までにアポトーシスによって3分の1まで減ります。
回路の削りだしをしているのです。
-
244 :
ケイン濃すぎ
2007/11/02(金) 01:15:08
ID:d72b4a3e1f
-
>>242
メルヘンさんはどのくらいインテリなのか計り知れないなあ。
まあ、俺は高校しか出ておりませんので深い話はできませぬ。
知っている限りで言えば・・・
ノイマンは日本語解析などに関わってないとおもいますが・・・
二次大戦中のそんな文献があるのですかね。
最近ではフォン・ノイマン型のアーキテクチャーだけではなく、
ハーバード型のアーキテクチャーも見直されて取り入れられて
います。CPUとメモリ(キャッシュの構造だとボトルネックが
生じるわけで。
ただ、この話は突き詰めてもだいぶスレの話題からは離れてゆく
かなあ。ノイマンのゲーム理論とか面白いんですけどね。
>>243
回路の淘汰というのは、AIでいうニューラルネットのことですね。
脳が命令を出して行動を起こすには神経細胞同士をシナプスが結合
してゆき、回路を形成することが必要なんですが、行動を行う際に
パルス(命令)が経由したシナプスは結びつきが強くなってゆき、
使われないものは細く消えてゆくわけです。
そして足りない部分は新しいシナプスが形成され、神経細胞を網羅
的に繋いでネットワーク化してゆく。
この仕組みを数学的に置き換えてAIに使ってるのがニューラルネット
ワーク。
だからAIってのは研究すると人間がどういう回路を使ってものを発想
するか分かるし説明しやすい。
仕組みが回路図になっていますし、数学化されてますからね。
ちなみにもう一つの生物の進歩を応用したAIの仕組みは「遺伝的
アルゴリズム」という仕組みとしてAIには取り入れられています。
アルゴリズムを遺伝子として捉え、色々なアルゴリズムで試行を
行う。その結果優秀なアルゴリズムの上位を掛け合わせ(この時
二分の一ずつ掛け合わせる、四分の一ずつ掛け合わせる・・・
などありますが、細かく分断して掛け合わせるほど形質の遺伝は
損なわれます)
こうして試行を繰り返し、第一世代から交配を繰り返してゆくうち
にしだいに進歩したアルゴリズムが完成する・・・
という仕組み。
このシステムでは多様化させるために、遺伝子に「ゆらぎ」も加え
て突然変異が起こるようにするのもポイントです。
-
245 :
めたろう
2007/11/02(金) 03:24:34
ID:7f0af636cf
-
おおなんですか言語学までひつようですかそうでつか。
そのうち言語学における遺伝と進化なんつう話になるのかいな。さすがに全然判りません。
「心の起源」の肝が、「記憶の集積が感情へ相転移し、感情の選択の集積が行動へ相転移し、行動の集積が相転移して意識に進化する」
という階層論であったかと記憶しております。で、
「これは、士郎正宗の言ってた、情報の集積が意識へ進化する、ってアレをマジで仮説で体系化しとる!と。」
「なんとパンクでMADなじいさんかと(なんか著者が東大の老教授なのです)」
大変オモロかった記憶が御座います。
記憶の海ならぬ部屋のマンガの海に埋もれてしまった、、、。
-
246 :
めたろう
2007/11/02(金) 03:53:03
ID:7f0af636cf
-
「脳は、、、」の方で一番オモロかったくだりは、
「縮退」(なんか本来の使い方とはだいぶ違っていたような)という用語で説明されていた話で、
「脳の中で一つのイメージを形成するのに、複数の回路が、
バラバラなルートから同一の答えを猛スピードで連続作成している」というところでした。
たぶん、脳を、スタンドアローンの(古いイメージの)コンピュータに擬えるのではなくて、
ネットとのアナロジーで考えるべき(それも双方向的な)だ、という事だと思うんだけど、
こういう解釈ってホントに時代の産物なんだなぁ、と感慨深いものがあります。
ここらでスレッドの話題に戻ると、「縮退」の意味するものが
「一つの結末に対して、複数の到達経路がある」
「複数の到達経路の起点はバラバラで、到達する「結末のかたち」にも誤差がある」
「にもかかわらずその集積が(かたちの揺らぎを含めて)一つの結末を形成する」
「結末に至るルートは時間経過と共に、淘汰集約されて一つの太いルートになってゆく」
こんな感じになるのかな?
そろそろ「朝のガスパール」に戻らねば、、、。
何書いてたか忘れちゃった。
-
247 :
ケイン濃すぎ
2007/11/02(金) 05:24:25
ID:d72b4a3e1f
-
>>246
めたろうさん
「脳の中で一つのイメージを形成するのに、複数の回路が、バラ
バラなルートから同一の答えを猛スピードで連続作成している」
というのがつまり、『アイデアのつくり方』でいう「表面的な
相違がほとんど目立たない場合、そこには何ら相違点がないと
すぐ決めてしまう。しかし十分深く、あるいは遠くまで掘り下
げてゆけばほとんどあらゆる場合、すべての製品と消費者の間
に、アイデアを生むかもしれない関係の特殊性が見つかるもの
なのだ」ということなんですよ。
糸井氏の対談で言われるところの「タグをつける」も同じことを
言っています。
そしてこのアイデアが生まれる流れというのは「アイデアの元に
なる断片的な情報」を神経細胞、それを関連付けるための試行錯誤、
発想、連想がシナプスに置き換えることができます。
これらが網を形成して回路がつながったとき、ニューラルネットが
形成された時、「すべては一気につながって」まったく新しい回路
(発想)を生み出すわけです。
我々はこの脳の性質に従ってアイデアを出しているから、脳のルール
にしたがって考えれば「意図的に」形成されるニューラルネットワーク
をコントロールできるはずなんです。たぶん。
そしてそのことは「アイデアのつくり方」などの方法論と符合させても
スジが通ることばかりなんですね。
そして俺がこの考え方で分かったのは、
結末をつけるための思考は基本的に「逆ツリー型」な脳の使い方
が必要であり、話を広げるのは「タグ型」の脳の使い方なので
まったく脳の使い方、分担が違うのだということです。
だからこそ「結末をつけようと意識しなければ、作家はタグの先
のタグを永遠に引き出し続けることが可能(材料か枯渇しない限り)」
という理屈も納得がいきます。
たとえば夢枕先生は永遠にタグ型の思考で小説を書き続けること
ができる。タグの数と強さが半端ではないから。
物語を集束に向かわせたいときは、タグ型から逆ツリー型に思考
を変化させ、集束させればよい(集束へ向かいはじめた初期はタグ
と逆ツリーが共存しているところもある。少しずつ連想を減らし、
論理で結論へ向かう)。
ツリー→タグ→ツリー(逆ツリー)・・・これがよいアイデアという
か、物語を広げてオチまで付けられる作家の発想の使い方だとおも
います。
ちなみにこれ、物語のセオリーでも証明されています。
もっともバランスの良い物語の構成法「起承転結」というのがある
じゃないですか。
これ、アイデアの出し方も符合します。
なぜなら物語はアイデアの集合体なので、構造は同じになるんですよ。
起=アイデアの発端
承=論理付け、資料の研究による深い理解、つまりツリー
転=まったく別の論理、つながらないものを繋げる発想、つまり
タグ
結=突飛な発想を整える、裏付け、理論によるフォロー、つまり
逆ツリー
このサイクルによって基本的に人間はアイデアを出し、集積して
物語を形成している・・・
んじゃないかなーと。
-
248 :
ケイン濃すぎ
2007/11/02(金) 05:31:17
ID:d72b4a3e1f
-
>>244のニューラルネットワークが形成されるプロセスもあわせて
よく見返してもらえれば、より俺の言いたいことが分かるんじゃ
ないかなとおもいます。
ツリーとタグという意味がね。
-
249 :
めたろう
2007/11/02(金) 06:27:03
ID:7f0af636cf
-
ふむふむ。
脚本に基づく芝居作りに擬えると
起=脚本(脚本家のお仕事)
承=「本読み」(読み合わせ)
「脚本家へのツッコミタイム」(昔いた劇研では、上がってきた脚本に皆でツッコミを入れる時間が設けられていて、
より脚本への理解を深めたり、矛盾点を訂正させたりしてました)
(↑このあたりまでツリー的な動き)
「役争奪の為のオーディション」(このあたりからタグ的な役者の裁量が出てきます)
「役決め」(ここは演出家の権限)
転=「立ち稽古」(脚本を暗記して、段取りを決めて行きます)
「シーン練習」
「エチュード」(役を膨らます為に、脚本に無いシーンを勝手にやってみたりする」
「役の入れ替え」(ロールプレイの視点を入れ替えて、俯瞰の視点を得る練習ですが、ホントに役をチェンジする事もある)
等など、タグ型の拡大作業が多く、役者の裁量が最も大きい段階です。
結=「演出家によるまとめ」
「シーン毎の最終的なまとめ」
「シーンを時系列で連続する全体練習へ」
「衣装合わせ、音響、照明とのすり合わせ」
等など、劇場に入る前のツリー的な纏めへの回帰、
ですね。
この段階では、ほぼ演出家の独裁になってゆきます。
こんな感じのアナロジーになりますかね。
音響などは、きっかけあわせに必要なので、早い段階から役者に合流していますが、
衣装、照明、装置などは、劇場入り直前に合流します。
ただし、合流前までの流れは役者の流れに準じます。
-
250 :
めたろう
2007/11/02(金) 07:02:18
ID:7f0af636cf
-
補足:「承」のとこの役者の動きはまだツリー型の範疇ですな。
「脚本の読み方についての演繹の提示」なので。
「起」→「承」までは演繹。コスモスからカオスへ。
「転」は演繹にも帰納にも当て嵌められない、「タグ型」の混沌状態。カオスそのもの。
「結」で、出揃ったアイデアを結びつける帰納、カオスからコスモスへ。
てな感じかと。
-
251 :
メルヘンひじきごはん
2007/11/02(金) 09:11:55
ID:337f6d03c8
-
いえ。俺チョムスキーになっどナヌをゆいはつておらりるのかはつぱりわかりまへん。ハイデガーもおなし穴。
で、仕方ないので「彼らがわけわからんちんなことをくっちゃべることによる知識層内政治効果」に着目しましてる。
これとアルバート先生の「宇宙の法則はシンプル」という哲学を併せた者が現状採用方法論。難点はおかにぇに
ならぬいことである。
-
252 :
メルヘンひじきごはん
2007/11/02(金) 09:32:47
ID:337f6d03c8
-
そうそう。相転移って重要な概念なんですよ。「閾値」「パラダイム・シフト」と親和性の高い。
雲って遠目からだとはっきりどこからどこまでかだいたいわかりますよね。しかし、ミクロにかきわけていくと「アレッ」
となると思いませんか。厳密に定義しにくい、しかし「常識」にてらせば遠目には明らかに「雲空間」と「非・雲空間」は
歴然としている。つまり、常識とはいわば「遠目で観る皆様のためへの言葉」なのでありまするよ。
で、「雲空間」と「非・雲空間」が「相」として「転移」していることを「相転移」と呼称してまったくかまいません。
もっとも、俺が教養学部の図書館で生まれてはづめてこの言葉を眼にした折の、その指し示していた対象は
「整然と整列する金属原子構造内にフラクションとして例外存在した不連続面」でした。マア有呈に言うと、
「ちょっと斜めにズレてる列が数列あった」。
近視眼的になるとこういうもんなんです。東大レベル理系学生のための入門学術書だったんですが。
数年後ナデシコです。「ケッコーはええな」とおらおもつた棚。
-
253 :
メルヘンひじきごはん
2007/11/02(金) 10:01:34
ID:337f6d03c8
-
チョットちょーしに乗ると
「非・ノイマン型コンピュータ」、すなわち二進数とシリアル処理に否、を唱えたDr.ウィーナーじさまは青春読書の
思い出のひとつ。彼の人生を反面教師するに、俺は飛び級制度に反対である。
ベトナム戦争の折稀代の天才と呼ばれたマクマナラ国務長官はゲーム理論を採用して華麗に敗北。でも俺は
「基本」しっぺがえしタイプを採用中。で、くだんの長官殿はチェ・ゲバラに「ぶつけられた」という「俺憶測」。
その「プレイヤー」が「ロスチャイルド五家族」でまったく驚きません。
「MI6のどなたかが日本に過剰に興味を示し始めた過剰なささやかな兆候」がありんす。「エレガントさ」「洗練」「では」
マダCIAは彼らにおよばんのやもしりまへんナ。なこと考えたりしまする。
-
254 :
ケイン濃すぎ
2007/11/02(金) 12:24:53
ID:4717a333f5
-
>>249>>250
めたろうさん。
めたろうさんのおっしゃる解釈で大体正しいとおもいます。
やはり人間、養老先生が言うように「脳の機能を外に取り出して
生きている」ので、脳の仕組みにしたかがった構成のものがよい
(処理しやすい、気持ちがいい、納得が行く)ワケですね。
ここに違和感があるとスッと入ってゆかない。
>>251>>252>>253
メルヘンさん。
うぐおわーっ、メルヘンさんは文を読むこと自体に相当の負荷が
かかるので、いいこと書いてあっても内容を読み取れなくなって
くる・・・正直本気で読もうとするとえらい疲れます。
妙に「おいしそうなもの」がちりばめられているからほっとけも
しないという。
心あるコンピュータがウィルスプログラム流し込まれたらこんな
気持ちになるという気がする。文章ウィルス。
-
255 :
メルヘンひじきごはん
2007/11/02(金) 14:10:14
ID:337f6d03c8
-
ウエイァト「粗密」も相転移にものっそく有用つか有効つか重要塚。
-
256 :
yasu
2007/11/16(金) 06:30:00
ID:f21971b513
-
物語の結末には二種類あると思います
既に完結している物語で結末が分かっている場合と
物語が途中の段階で結末を頭の片隅で予想している場合です
日本人は後者に慣れた人が多い環境なのかもしれません
ある意味女性的といえるかもw
-
257 :
名無しさん
2007/11/20(火) 07:07:44
ID:c53c71c183
-
推敲しながら漫画が描けるソフトだそうです
http://www.ipa.go.jp/jinzai/esp/2007youth/gaiyou/y2-05.html
-
258 :
はなもぐら
2008/03/06(木) 16:25:11
ID:8vKNHOJU
-
乙一さんが、
小説を微分すると俳句や詩になって、
物語を微分すると描写になる。
って書いてて、これは物凄い洞察だなぁって思うんっすよ。
小説はライトノベルでも文学だと苦しんでた、乙一さんの
文学観を一言で表してると思いましたですよ。
で、タケクマ先生のおっしゃる、結末を考えなくても書ける人ってのは、
小説を書いてる訳じゃなく、物語を書いてる人なんじゃないかと。
それならば結末を考える必要ないと思いますし。
つまり描写はさらに単語に、文字に、と微分可能なんで、
原始関数さえあれば、原始関数に則って記述を続ければ
良いんですが、俳句や詩ってものは、単語や文字に微分可能か
と、問われればそれは不可能だと思うんですよね。
最後に蛇足ですが。
こういう例えって、微積分を把握してない人にとっては
ソーカル事件的だと思うんですが、微積分をなんとか物にしようと
苦労した人にとっては、(私は失敗したほうですが)
物凄く納得する例えなんですよね。
別のスレッドで高校教育なんていらないと書いてたましたが、
そっちにもつながるかと思って。
-
259 :
ケイン濃すぎ
2008/03/06(木) 18:00:46
ID:pOigbQdE
-
むつかしく言っているが、因数分解に言い換えても通じるような
使い方で微分というものを扱っているように読めるんですが。
普通、物語とはどうオチをつけるのかを想定して書く(訴えたい、
伝えたいことのために仮定の話を想起する)もんだと思うが、意識的
にオチもなく書く人間というのは「夢想をそのまま書き留めている」
と言える。漫画家にも居ますよ。
つまり意味として何か言いたいことがあるのではなく、イメージを
発信することそのものが目的という書き方。
そういった書き方もないことはないが、そういった場合はオチなど
つかない。作者が思いつく限り続くのみである。思いつかなくなれば
そのまま消えるように終焉する。ブツッと消えることもある。
目的地に着くために飛び立つ飛行機はいかにランディングするかが
重要だが、飛ぶことそのものを目的に飛び立った飛行機は予測不能
かつ燃料がある限り飛び続け、どこに降り立つのかは分からないし
しばしば遭難してしまう。
それで実力を発揮する人も居るから、仕事としてはともかく文学
の手法として悪いとはいえない。
プロだと手法はそうなのにうまく着地させられる人もいるしなあ。
ちなみにどうでもいい話、俺は乙一氏の初受賞作品の載った号の
雑誌に初作品を掲載したんだよな。道は違えど同期デビュー?
-
260 :
はなもぐら
2008/03/06(木) 18:14:04
ID:8vKNHOJU
-
そこなんですよね、因数分解と微積分って
算数として見れば似たようなものなんだけど、
数学としてみればそれぞれに違う。
ここで、微積分だと難しがるから因数分解にしちゃおう
と思えてしまう人が物語書きで、それをやってしまうと、
違う作品になる、と感じるのが、小説家なんだと思う。
-
261 :
ケイン濃すぎ
2008/03/06(木) 18:58:15
ID:pOigbQdE
-
いや、今のままでは単なる言葉遊びだといいたいのだけれど。
フィーリングは分かるけど、その深い意味を理解するのにたとえ
を使うのに、たとえそのものの構造の違いをまずちゃんと説明
できてないなら、それはいくら美しい解釈でも空虚だと思うんだ
けれども。
むずかしがるというより、それを引用する意味を具体的に知りたい。
物語とは「総体を把握できないもの」として捉えているわけかね。
微分ていうのは簡単に言えば、局所的な情報から大局的な情報を得る
方法(大局的な情報は総量の量りにくいものを扱う)でしょう。
物語の真意を捉えるのが難解であるという前提で、それを描いた
描写を取り出して測ることから真意を求めようということなのかも
しれないけど、このたとえにおける「原始関数」とは何かね。
そこに当てはまるものを説明してもらわんとなりませんよ。
小説は大局。実測は難しいものとする。
俳句や詩は局所的な情報(小説は俳句や詩に近い集合体だと捉える
前提で)。
さて原始関数はここでいうと何ですかね。
物語は大局。実測は難しいものとする。
描写は局所的な情報(物語は描写の集合体に近いものであるという
前提で)。
さて物語における原始関数とは何かね。
原始関数で近似値(答え)を求めるという手法が違いなのだから、
物語の原始関数について説明できんわけはないでしょう、この表現
に納得いったのだから。
そも、物語書きと小説家の違いは何ですか。
単に「数学としてみたら違うところが同じ」なんていうガックリ
な話じゃないよね。
この解説しだいではなるほどねよく理解できるなあと思うんだけど、
今のままでは乙センセの文学詩人的カックイイ言い回しにボクシビレ
ましたというくらいの意味しかありませんよ。
いやみ半分はいったけど、本当にこの言い回しの真意が知りたいね。
何か創作の新境地が開けるかもしれないから。
-
262 :
はなもぐら
2008/03/06(木) 19:23:33
ID:8vKNHOJU
-
>いやみ半分はいったけど、本当にこの言い回しの真意が知りたいね。
>何か創作の新境地が開けるかもしれないから。
私が言いたいことは伝わったと思いますです。
それに答えをだすのが、創作なんじゃないでしょうか?
うまく説明は出来ません。とくにそのような議論スタイルで
考えることじゃないと思うんですよね。
別の議論スタイルなら対応出来たかも、、、
それも分からないんですけど、そういうのが掲示板のよさだと
思うので、書いてみました。
一応ソーカル事件を引用して、そんな風に議論できないと伝えた
つもりなんですが、読み取ってもらえず残念です。
私は読者側ですので、そういうスタンスで、漫画もラノベも小説も読んでます。
とお伝えしたかった、もちろん優れた物語も好きです、が、やっぱり
先に述べた意味での小説、(漫画にしても同じです)、そういう作品の方が
好きですね。お役に立てなくてすいません。
最後に。
>小説を微分すると俳句や詩になって、
>物語を微分すると描写になる。
これを説明できるほど書けるのなら、小説家になれると思ってますので。
で、小説家なら、こういう文章が書けないと駄目なんだろうとも。
-
263 :
ケイン濃すぎ
2008/03/06(木) 20:14:39
ID:pOigbQdE
-
コークスクリューパンチの打ち方が分かっても、訓練と見合った
センス、フィジカルが伴わなければ打てない。
サッカーファンがサッカーの戦略を語り合っても、その戦略をファン
自身が実行出来るわけはない。そのレベルでの話でいいんですよ。
雰囲気でフワッと話してるのは分かるけど、論理性がないんですよ。
別に書き手でなくても理屈は理解できよう。「意味が分かったから
納得したんだろう」に。
それを説明できなきゃ話し合いにならないですよ。
微分を因数分解でやっちゃおうと考える人は物語書きで、違うと思う
人間は小説家って断言しているんだから、論理はあるでしょう。
その違いを何であなたは判断しているんだね。
そこをよく分かってないのに言っているなら、「言い回しがカック
イイ」というレベルで乙先生に同意しただけなのね、という話です。
それは彼もガックリなんではないかな。
一掲示板の書き込みにおいて、書き手も読み手もないでしょう。
同じ土俵で書き込んでいるのだから、ただ考えを書けばよいの
です。
無ければ書かなくてよいのだけど、何かある風に見えたので食い
ついたが本当にソーカル事件狙いだったのかしら。
結論、乙一氏の感じ方はソーカル事件そのもので、「微分なんて
解釈に使ったのは氏のファンに対する単なる釣り」と。
ああ、それならあなたが説明できなくて当たり前だし、見事にワナ
にはまりましたよ。
ガッデム。
-
264 :
はなもぐら
2008/03/06(木) 21:40:34
ID:8vKNHOJU
-
「ワナ」とか「ガッデム」とか、困った人だなぁ。。。
タケクマ先生や、他の人が来るのを少し待ちませんか?
>雰囲気でフワッと話してるのは分かるけど、論理性がないんですよ。
理論性は、乙一さんの引用だけなんですよ。それに同意するなぁって
話でして。微積分で苦しんだ経験が有ってよかったなぁと。
この一文、ZOOで書かれた言葉だったと思うんですが、ググルとかなりヒットします。
多分、微積分で苦労した人で、乙一さんの小説を読むと、
(乙一さんって書いてしまう。なぜだろう敬称はさんが似合って先生と書くと
違和感がある。1ファンのわがままです。他意ははありません)
ケイン濃すぎさんの議論スタイルはディベートに近い感じがして、
建設的に話せないんですよ。あと、2ch流の煽りを上品にした感じ?
発言の良し悪しを一文毎に採点して勝った負けたの議論になりそうで、
嫌なんですよね。
意見交換はしたいけども、議論をしたくて来てるわけじゃなのです。
お怒りをしずめてくださいな。
最後に。
>結論、乙一氏の感じ方はソーカル事件そのもので、
ここには釣られますが、出典元は小説です。
-
265 :
はなもぐら
2008/03/06(木) 21:43:39
ID:8vKNHOJU
-
○多分、微積分で苦労した人で、乙一さんの小説を読むと、
○共感する人が多いのだと思います。
すいません、文章が切れてしまいました。
-
266 :
ケイン濃すぎ
2008/03/06(木) 22:46:04
ID:pOigbQdE
-
>>264 >>265
ソーカル事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
いや、ディベートって。
乙一氏の発言がソーカルと同じ意味で発せられたものと捉えないと、
あなたの話は意味が分からないんですよ。
「数学を知らないとソーカル事件ぽく見えるけど、実は違うんです」
という意味なら、乙一氏とソーカルの話とは違っていう理解者である
あなたはそこを説明できなきゃウソでしょう。
だけどあなたは説明できないし、そうなら乙一氏の発言をソーカルと
同じと捉えた書き込みだったのかと俺が捉えるのは自然だよ。
ソーカルは引っ掛け論文を書いたのだから、乙一氏の発言も「釣り」
と表現するのが今的には分かりやすい。
俺は別に2chを意識してませんが。ガッデムはシャレ。や〜ら〜れ〜
た〜でもいいよ。
ちなみにウィキのソーカル事件の解説文を読むとこんなところが。
***********************************
しかし、ソーカルの批判の対象となった哲学者の支持者達は、
ソーカルの批判に真剣に取り組もうとせず、「哲学を分かって
いない」といったコメントを発する程度のことしかしないなど、
全く反論にならない感情的な反発しかしなかった[3]こともあり、
彼らに関して言えば出鱈目というレッテルを払拭できないのが
現状である。
これ、>>260 以降からのあなたのスタンスですよ。
結果的に乙一氏発言を論理的に説明できず、数学よりも哲学より
の対応じゃありませんか。
あー・・・なんか俺、相変わらず引き際を知りませんね。
この辺でやめときます。
-
267 :
◆ OZCI/VVVB2
2008/03/08(土) 20:57:10
ID:pV/7KxsA
-
ソーカル事件なんていうできごとがあったとゎはじめてしった。
めちゃくちゃおもしろいな。アラン・ソーカルえらいゾ! という感じがする。(笑
話はかわる。
乙一とかいうひとの説明する物語と小説のたとえ話の件なんだが、
べつのふさわしいタトエがほかにないかと、ちょっとかんがえてみた。
(ただし、オレはこの件をこのスレッドでよんでしっただけで、乙一さんの原文はよんでない。)
まず、小説も物語も「長文を叙述する」という点ではおなじ作業であるとかんがえる。
で、この点を「植物を人工的に配置する」ことであるとたとえる。
そうすると >>258 で はなもぐら さんが紹介してる乙一さんの説明をたとえてみると、
小説は「いけ花」ということができて、
物語は「田植え」とか「畑のタネまき」ということができるんじゃないか、
などとおもいついたが、どうか?
俳句や詩は規模のちいさな「いけ花」ということができる。
これにたいして小説は、規模のおおきな「いけ花」とかんがえる。
「規模のおおきな」というのは、ただ「花」だけの配置の問題にとどまらず、
その活け花のまわり全体をある程度ひろくふくむような表現としての活け花というか。
それが小説だと。
そういうことを乙一さんという人は説明したいんじゃないか。
いや、よくわからんが。
どっちにしても「微分」というタトエはオレにはピンとこなかった。
微分・積分というのは、どっちかというと、
オレとしては「田植え」「タネまき」としての「植物の人工的配置作業」のほうのイメージになるなあ。
-
268 :
ケイン濃すぎ
2008/03/08(土) 23:23:39
ID:e7b8oeyw
-
>>267
いや〜、これは論理的な話ですな。
俺も物語書きは単なるストーリーとして「経過を書く」脚本やシナリオ
的なもの書きスタイルのことを言い、小説書きというのはストーリーを
書くのにただ書くのではなく、文や構成そのものに叙情性とか韻とか
そういう散文詩的な「描き方」をするスタイルのことを指して
そう捉えているとかならまあ、良し悪しはともかくとしてなるほどね
と思う。
ただ、なんとなくそこはかとなくスタイルの違いというより優劣っ
ぽい捉え方で捉えられないこともないところは分け方としてあやういね。
文体にこだわるのはよいが、主旨は伝えることであるという側面で物語
を見た時には華美な表現っていうのはジャマになる。
書き手が伝えたいことを伝えるのに最も適しているのが文章の美しさや
構成の妙だというならそれは存分にそうするべき。
でもさ、日露戦争の秋山参謀の電文みたいな物語の伝え方もまた
よかったりする(本日天気晴朗ナレドモ浪高シ)。
だから流派の違いという意味で捉えるべき比較だよな。
微分をたとえに使うことについて、ソーカル事件からこんな解説
も引用できる。
*********************
まずソーカルは科学用語を使った比喩そのものを批判したわけでは
ない。科学の論文や教科書では比喩は本来難しい事を簡単に説明
する為に用いるのであって、その逆ではないはずであるが、ソーカル
によれば、哲学者達は『簡単な事を難しく言う為に比喩を使って』
いるのであった。
ソーカルがいうように『たとえば私が量子力学をデリダの精神分析
に比喩しながら説明したら失笑を買うはず』なのである。
またソーカルは人文科学を軽視していたわけではなく、むしろ重視
していたからこのような批判を行ったのだと述べている。 ソーカル
の言によれば、これら科学用語の無意味な乱用で本当に被害を受ける
のは自然科学ではなく、こうしたナンセンスな議論で不毛な時間を
費す事になる人文科学なのである。
-
269 :
名無しさん
2008/03/09(日) 08:18:22
ID:WKCCfm3E
-
微積って実はあんまし難しい定義じゃないです。
次元の下げ上げっす。点を線に、線を面に、面を体に、その逆々々。
概念上はもちろんこれ以上もできまふ。また、実際は点を線には
し難いっすね数式では。
-
270 :
名無しさん
2008/03/09(日) 08:24:40
ID:WKCCfm3E
-
だから俺にゆわせっと一次元文章:一行詩(含む俳句短歌
二次元文章:一枚物語(SS
三次元文章:ごほんができたよ(青木俊直
とゆうことに。さしずめ四次元文章はテキストアドベンチャーゲームすかね。
-
271 :
はなもぐら
2008/03/09(日) 08:45:02
ID:cDtz9wq6
-
>>267
>どっちにしても「微分」というタトエはオレにはピンとこなかった。
加速度を微分すると速度なる、速度を微分すると位置になる、それ以上は微分できない。
という、応用数学(高校生レベルなんですけどね)の方面からのアナロジーなのですよ。
これをあえてここで紹介したのは、結末を書かずになぜ書けるのか、
書ける人と書けない人がいるのは何故か?
に対する答えとして、私が持ってるもので、いい機会だから、
皆さんにお聞きしてみたいなーと思ったからです。
別のスレッドで、高校の微積分なんか必要ないとおっしゃっていたので、
思考の道具が増えるんですよと、二方面から、この例えを引っ張り出すのが
良いと思ったからでして。
あと、筒井先生の言う物語素というのは、このアナロジーで考えると、
「素」というより、物語関数なんだろうと思います。この関数は簡単な
n次式で表すことの出来るようなものじゃなくて、マルコフ連鎖みたいな
ものなんだろうな、と、もちろん「マルコフ連鎖では無い」とも思います。
これをみっちり研究して、数式を提示できる人が応用数学者と呼ばれる人だと思うし、
これをうまく人に語って聞かせれる人なら小説家になれると思うし、
これを題材に面白い物語も書ける人がいるかも知れないなと。
そして一番いいたかった事は、物語と小説って違うものだから、
作り方が違うんじゃないかなと。
-
272 :
名無しさん
2008/03/09(日) 13:38:59
ID:qekxMUPU
-
>加速度を微分すると速度なる、速度を微分すると位置になる、それ以上は微分できない。
>という、応用数学(高校生レベルなんですけどね)の方面からのアナロジーなのですよ。
もしこれが書き間違いでないなら酷いもんだ.
-
273 :
はなもぐら
2008/03/09(日) 13:50:01
ID:cDtz9wq6
-
>>272
その手の文言議論が好きな人を招き寄せちゃうばっかりでしたね。
ここなら大丈夫かと思ったんだけど、しょうないっす。
-
274 :
名無しさん
2008/03/09(日) 14:04:34
ID:qekxMUPU
-
>>273
いや,よりによって微分と積分を取り違えてるから.
書くなら書くでその内容に問題がないようにきちんと書くべし.
さもないと議論の前提(=自分の語っている内容を自分自身が理解していること)
が疑わしくなるだけなんですけど.
しょうもないっす.
-
275 :
はなもぐら
2008/03/09(日) 14:23:50
ID:cDtz9wq6
-
>>274
ならばそうなんでしょうね。あなたにとっての私とは。
それで構いません。
-
276 :
名無しさん
2008/03/09(日) 14:59:27
ID:qekxMUPU
-
>>275
そのことと,
間違ったことを書いた事の訂正の話は別のはずです.
どうか混同しないで頂きたい.
もし訂正する必要はないという考えなのであれば
その根拠をお聞きしたい.
はっきり言って微分がどうとか興味がないけど,
そのことについて力説している本人が
主張の内容にデタラメを含んでいても
全く意に介さないでいるということには
大変興味がある.
-
277 :
ケイン濃すぎ
2008/03/09(日) 15:11:13
ID:fQcyZv9Y
-
>>270
次元化は面白いですね。
確かにアドベンチャーゲームは物語が多岐に流れてゆくから立体的
といえないこともない。
舞台にストーリー性があり、イベントで語られないけどプレイする
ことで「物語に身を置く」ようなゲームも今はあります。
そういうものはよりストーリーとしては多角的ですね。
受け手に依存する部分が非常に大きく、送り手の予想だにしない
ストーリーが構築されることもある。これは体験型物語のよい
ところ。まあ、書き方というより選択した媒体の特性の話には
なってしまいますが。
>>274
微分を取り違えているのは最初からでは・・・俺はそこは突っ
込んでもしょうがないので自分の書いた説明ではひっそりと修正
しておきましたが。
だから雰囲気でフワッとモノを言いたい人なんだと思いますよ。
論理的なようで、実はイメージだけポンと書いている。
俺がソーカル事件の解説から引用しているのはそういうことへの
戒めなんですけどね。
最終的には突っ込まれると「キミタチは分かってない」と。
だからそれじゃダメな哲学者とおんなじやん。
>>271
とはいえ、物語関数という説明は今まで聞いたことの中では理に
かなう話ではあると思うよ。
素というより「何らかの仕組み、構造を持つ」ものとしての独自
の関数があって、そこに素材やテーマを放り込むと構成された
物語として出てくる。
そしてそれはマルコフ関数のように詳細が不明でモデル化しにくい
ものを統計化できる(実現化できる)という存在という意味において
は、なるほどなあというたとえかもしらん。
しかし独自解釈過ぎる上に説明皆無なのでよく分からんのはです、
物語と小説って違うものだからと言い切っている部分。
あなたがそれをどう分別しているのか、まずそこがあなたの言説
では重要でしょうが、内容を聞いてないですよ。
小説反小説なんて言っていた時代の分別をまさか今でも行っている
のでしょうか(んな分け方したら乙一氏なんか小説家とはとても
言えん)。
現代的には小説と物語の分別は非常にあいまいで、かつ物語は虚構
だけ扱うわけではないから小説を包括すると考えられている。
・・・と思うんだけど、あなたの中では物語と小説はどう分けられ
ているのかしら。
-
278 :
ケイン濃すぎ
2008/03/09(日) 15:13:09
ID:fQcyZv9Y
-
>>277
物語としては多角的×
多元的と書きたかったです。
-
279 :
はなもぐら
2008/03/09(日) 15:21:10
ID:cDtz9wq6
-
>>276
興味ないならそれで良いと思います。
-
280 :
名無しさん
2008/03/09(日) 16:11:04
ID:qekxMUPU
-
>>279
で?
-
281 :
名無しさん
2008/03/09(日) 16:27:08
ID:qekxMUPU
-
>>277
読み飛ばしてました.
> 論理的なようで、実はイメージだけポンと書いている。
御意.
-
282 :
はなもぐら
2008/03/09(日) 16:33:06
ID:cDtz9wq6
-
>>280
たたいて煽ってネタがほしい?
そこまでの頭もなさそうな感じ?
という事で。
-
283 :
ケイン濃すぎ
2008/03/09(日) 16:43:05
ID:fQcyZv9Y
-
これこれ、いくらなんでも童心に帰りすぎじゃよ。
言い返したいならお互い理屈を述べなされ。
はなもぐら氏も批判されたら論理的にここはこうだと話せばええ
だけやろ。
君の考えが悪いのではなく、自分の言ったことをちゃんと人に説明
できないことが悪いのだ。
理解できない相手の格を下げて自分を孤高に保とうとする姿勢も。
-
284 :
はなもぐら
2008/03/09(日) 16:51:06
ID:cDtz9wq6
-
>>283
そうしたかったんだけど、貴兄のおかげで無理です。
物書きなのがちょっと信じられない。後、後に参加してきた
七資産は、貴方ととても似てらっしゃる。釣り針に
想定したとおりに噛み付かれてる。
議論の仕方もディペートの仕方も知ってるので、
教えて頂かなくても結構毛だらけ猫灰だらけ、
かと。
-
285 :
◆ OZCI/VVVB2
2008/03/09(日) 17:00:24
ID:XiNR7GQc
-
>>271
┃加速度を微分すると速度なる、速度を微分すると位置になる、
┃それ以上は微分できない。
┃という、応用数学(高校生レベルなんですけどね)の方面からのアナロジーなのですよ。
なるほど。了解です。オレとしては微分積分のべつの側面をイメージしていたので、
あなたがどういう意図だったのか、よくわかりませんでした。その説明をみて、ようするに、
関数の式を微積的にいじるときのことを念頭においてたんだな〜などと納得できました。
ちなみにオレは、微分積分の主たるイメージは、曲線をふくむ平面図形の面積をもとめるかんがえ方、
球面などの曲面をふくむ立体図形の体積をもとめるかんがえ方などのほうをおもいうかべるのです。
だから田植えやタネまきのような「単なる連続」とか「単純な蓄積」みたいなイメージになるわけです。
で、オレも
┃これをあえてここで紹介したのは、結末を書かずになぜ書けるのか、
┃書ける人と書けない人がいるのは何故か?
┃に対する答えとして、私が持ってるもので、いい機会だから、
┃皆さんにお聞きしてみたいなーと思ったからです。
のことが関心の中心で、ほんとうは
┃で、タケクマ先生のおっしゃる、結末を考えなくても書ける人ってのは、
┃小説を書いてる訳じゃなく、物語を書いてる人なんじゃないかと。
┃それならば結末を考える必要ないと思いますし。
の部分のことをかんがえたいとおもってます。しかし、この件にかんしては、
それこそ筒井康隆の『短篇小説講義』を読了するまではオアズケだと(個人的に)おもっていて、
しかも、それを読了したあとはタケクマさんや立花隆の方法についてもちょっとツッコミが必要じゃないか、
などともおもっているし、いろいろ段階が(個人的に)ありまして、おいそれとはイカンのです。
おゆるしください。(笑
おもうことをひとつかきますと、乙一さんのたとえを上のラマヌジャンの例にあてはめてみるとき、
ラマヌジャンの天才にひらめくみじかい数式を俳句・詩だとしますと、
その数式にいたるまでのながい論考というか、長文の叙述としての「証明」のほうは、
はたして「小説」とかんがえるべきか、「物語」とかんがえるべきか、どっちとかんがえるべきか、
ということです。
もしかすると、このあたりのことが、
ケインさんのいう物語と小説のさかいはアイマイ≠ンたいな話につながっていくのかもしれません。
おもうことはほかにもいろいろありますが、ここでは適当にうかんだことをひとつだけ。
ともあれ、なにごとによらず「たとえ」というのは本当にむずかしいもんだとおもいます。
ドンピシャで文句なしのタトエというものは、なにごとであれ、なかなか見つからないし、
それなのに、ドンピシャでないタトエをちょっとウカツにもちだそうものなら、
たちまちのうちに、ごらんのとおり弾や矢バネの雨アラレです。(笑
で、不幸にもそういう矢おもてにたたされてしまったひとをオレは(弾や矢バネをうけるのはイヤなので)
たすけはしませんが(笑)、画面のまえでふかくふかく同情はしています。(笑
まこと人情は紙ふうせん……ですよねエ……(笑)
-
286 :
ケイン濃すぎ
2008/03/09(日) 17:11:26
ID:fQcyZv9Y
-
なら話せばええやん。話すことがないなら四の五の言わなきゃいい。
まぁ、君が物書きじゃないのはよく分かる。
だって自分の思っていることを人に表現できないんだからさ。
ディベートはいいから、少なくとも議論の仕方を知っているなら
知ってるようにおやんなさいよ。
というか自分の思っていることすらはっきり表現できず、議論は
できないくせに相手を卑下する、そんな甘えが通用する仕事って
ないと思うけどね。
ソーカル事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
*********************
ソーカルの批判の対象となった哲学者の支持者達は、ソーカルの
批判に真剣に取り組もうとせず、「哲学を分かっていない」と
いったコメントを発する程度のことしかしないなど、全く反論に
ならない感情的な反発しかしなかった[3]こともあり、彼らに関して
言えば出鱈目というレッテルを払拭できないのが現状である。
実際のところソーカルは、別に「ポストモダン哲学」自身を批判
したいわけではないと『「知」の欺瞞』ではっきり断っている。
ソーカルが批判したのは、権威づけだけの為に使われている科学的
比喩であり、科学用語を無意味に散りばめて読者を煙に巻く哲学者
達の欺瞞であった。
************************
君の意見がそうじゃないってことを、他の誰でもない君にうかがっ
てるんです。
別に頭ごなしには否定しちゃおらんでしょう。取れるところは
取ってるやん。
ちょっとあなたは掲示板に意見を発表するには打たれ弱すぎだよ。
-
287 :
ケイン濃すぎ
2008/03/09(日) 17:22:33
ID:fQcyZv9Y
-
>ちなみにオレは、微分積分の主たるイメージは、曲線をふくむ
>平面図形の面積をもとめるかんがえ方、
>球面などの曲面をふくむ立体図形の体積をもとめるかんがえ方
>などのほうをおもいうかべるのです。
>だから田植えやタネまきのような「単なる連続」とか「単純な蓄積」
>みたいなイメージになるわけです。
俺もそっちで捉えてるんだけど。
というか、全体を把握するのが難しいモデル(局面を含む計算とか)
を理解する方法のメタファとして言ってるのかと。
だから因数分解じゃあかんというのでしょう?
でもこういうこというんだから「原始関数は何のメタファなんだよ」
ってなるじゃない。
で、出てこないからやいのやいのといったら、「マルコフ関数」が
出てきた。
・・・こういうのさ、自分で導いて欲しいわけよ。
わからんあんたらに話す気はない、みたいな感じじゃなく。
-
288 :
ケイン濃すぎ
2008/03/09(日) 17:25:10
ID:fQcyZv9Y
-
たとえ話がよく伝わらんかったら、それについてすり合わせするのは
礼儀じゃないかね。
本来共通項を増やして分かり合うためにたとえ話はするんだから。
と、ソーカル先生も言っておられる。
-
289 :
はなもぐら
2008/03/09(日) 17:40:04
ID:cDtz9wq6
-
>>285
>ドンピシャで文句なしのタトエというものは、なにごとであれ、なかなか見つからないし、
>それなのに、ドンピシャでないタトエをちょっとウカツにもちだそうものなら、
>たちまちのうちに、ごらんのとおり弾や矢バネの雨アラレです。(笑
私の中ではドンピシャなのですが、何度も書いてるように、
上手くかけるのなら小説家になれるだろうなぁと。残念です。
最初からこの手の方が出るだろうとは想定してたのですが、
この手の方*しか*出ないとは思わなかったもので。。。
定義づけ、理論化をあんまりやると、ニューサイエンスみたいになりそうで、
それは避けたかった。
>”物語と小説のさかいはアイマイ≠ンたいな話につながっていくのかもしれません。
最初乙一さんの小説を読んだ時に、感じたのは「小説と物語って何が違うの?」
でしたので、疑問としては当然なんでしょうね。
私の場合は逆に、これを真としたら、受け入れてみたらどうなるって方向で
考えた結果、こうやって小説と物語を分けるのがベストなんだと感じ入りました。
書いてなかったんですが、小説ってのは、俳句や詩で表せられるような
(物、事、情、etc)を「物語」る文学の形式なんじゃないかと考えてるんですよね。
もちろん異論もたくさん在ると思うんですけどね。
-
290 :
名無しさん
2008/03/09(日) 17:43:43
ID:qekxMUPU
-
>>271
>加速度を微分すると速度なる、速度を微分すると位置になる、それ以上は微分できない。
距離・速度・加速度の話だけど,
距離(つーか変位だけど)を時間微分すると速度に,
速度を再び微分すれば加速度になるけれども,
それ以上「微分できない」わけでは「ない」よ.
古典力学では加速度が*本質的*だという話なだけです.
#もちろんより本質的には運動量だろ,とかそいういう話はおいておく.
現に心理学とか人間工学においては
乗り物等の乗り心地のパラメーターとして,
加速度の時間微分(ジャークという)が出てきます.
これが人間の感じるいわゆる「加速感」というものです.
閑話休題.ここから本題.
つーか普通に考えると,
物語とか文章の本質とは何か? ということをまず考えて
それに見合ったモデルを導入すべきだと思うのだが.
それが,喩え話が最初に決まっていて,
それに沿って議論するという形式がよく判らない.
下手したら「物語」の定義をその喩え話に
都合よくゴニョゴニョしたりできるでしょうし.
アイディアそのものも大事だが,
その検証はもっと大事よ.
喩えたもの同士には当然,
通底するもの(本質)がある筈で,
本質から考えれば当然それは保証されよう.
逆に表層上の類似性を起点に考えたとして,
収まるべき所に収まるのかは怪しい.
まあ綺麗サッパリとした結論がでるような話じゃないというのは
誰の目にも明らかだから,床屋談義風もOKではある(と思う)が.
と,
とりあえずここは論証系のスレッドだと思って(勘違いなのかな?)書いています.
#ところで論文も物語に入りますか?
-
291 :
ケイン濃すぎ
2008/03/09(日) 18:54:12
ID:fQcyZv9Y
-
>>290
つまりそういうことだよはなもぐら氏。
他人を勝手に分からず屋に仕立てるんじゃあない。
ここまでひっぱってきて良し悪しはともかく言いたいことは何と
なく分かってきた(大切な部分はフワッとしてるけどな)。
みんなが興味があるのは「あなたがどう思ってそういう話を展開
しているのか」だよ。そう話したい意図を知りたいの。
何でその例が(よりによってそんな数学が)どんぴしゃなのか説明
して欲しかったわけ。
いじめてるとかおもわんで欲しい。
論文
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E6%96%87
物語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E8%AA%9E
物語っぽくなると論述性を失うという気がするけども、俺は論文を
書く事はほとんどないのでよく分かりません。
-
292 :
名無しさん
2008/03/09(日) 19:48:01
ID:cDtz9wq6
-
>>291
話し掛けないで下さい。
-
293 :
ケイン濃すぎ
2008/03/09(日) 19:51:49
ID:fQcyZv9Y
-
この掲示板に書き込む限り、ムリ( ´_ゝ`)
-
294 :
はなもぐら
2008/03/09(日) 19:54:52
ID:cDtz9wq6
-
クッキーを失っていた。>>292は、おいらね。
-
295 :
名無しさん
2008/03/09(日) 19:56:41
ID:WKCCfm3E
-
アノオ…
しんさく、まってます。る。
-
296 :
ケイン濃すぎ
2008/03/09(日) 20:00:46
ID:fQcyZv9Y
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>>294
みんな(たぶん)分かってるよ( ´_ゝ`)
>>295
SVGといえばシンサック・ビクトリー・ジム。
というわけで俺はむしろメルヘンさんのメルヘンあふれる新作に
期待しておるのですが。
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297 :
はなもぐら
2008/03/09(日) 20:04:19
ID:cDtz9wq6
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>>295
あっ、でも、これだけ気持ち悪い人だと、作品は読んでみたい気がした。
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298 :
ケイン濃すぎ
2008/03/09(日) 20:15:25
ID:fQcyZv9Y
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ついに人間攻撃する方向に落ち着いたか・・・哀しいねえ。
バーカバーカ、お前のがバーカ・・・そんな事したくないんだが
なあ。意見はしてるが別に君の人間性は否定してないし。
たぶんミリオンタイトルだからタイトルと内容くらいは目に触れた
ことはあるんじゃないか。
あっちで映画になったりもしてるから。
でもゲームは集団作業だから俺がどういう人間でもどんなシナリオ
書いても機能さえすれば質はよくなるからね。
ディレクターは大事だが、個人力はあまり関係ない。
て、>>295か。 俺のこと含まれてなかったらさーせん。
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299 :
名無しさん
2008/03/09(日) 20:21:09
ID:WKCCfm3E
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エットオ。
もーちょっと!おーらばとらーはかっこいいはづ!!
おーらしっぷはちょーかっけかったけど…こんぴたでやるなら
ぱーすくるわしないと端正なままですよで…
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300 :
ケイン濃すぎ
2008/03/09(日) 22:03:26
ID:U+/f3smE
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そういう話なら俺、板野一郎セミナー受講してきましたよ。
板野一郎セミナー内容
http://shiraishi-unso.com/archives/2007/11/18-235804.php
確かに言うことは素晴らしいが、アニメ業界もいま出来てるとは
いいがたいよな。3DCGにおいて。
例に挙げてた「剣聖のアクエリオン」とかのCG、俺は物足りなかった。
板野さんがつけたマクロスの動きはスゲエと思ったけど、聖闘士
聖矢や六神合体ゴッドマーズとかドラグナーとか・・・みたいな
ダイナミックなパースで勝負しているんじゃなくて動的なカメラ
ワークと複数物体の制御に妙を感じた。
とはいえ。
ゲームの場合は「いつどの角度で見られるか分からん」(ゲームの
都合でいつカメラをヤバい位置に付けられるか予測できん)という
考えが根付いているから、破綻を極度に恐れるフシは確かにある。
お客を楽しませる気がないんじゃなくて、そういう考え方起源。
でもゲーム用ならともかくイベント用ならカメラワークは決まって
るからパースくらい破綻させるべき。
そういう意味では今、ゲーム業界から流れてアニメCGを作っている
人間は多そうだがアニメで育ったCG屋がゲーム業界に来ている話は
少なそうなので、流入があればゲームももそっと思想が変化する
でしょう。
今なら独自にフレームワークを作って駆使すればゲーム中でも出来
んことはなさそう。
まあ、俺そっち方面のゲーム作ってないんで、今度フロムソフト
ウェアの人に会ったら話してみます。