なぜ結末も決めずに文章(物語)が書けるのか?
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1 :
たけくま ★
2007/10/06(土) 19:40:33
ID:???
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http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_76b8.html
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101 :
メルヘンひじきごはん
2007/10/10(水) 15:08:26
ID:5d889cbe75
-
んー。ここでアメリカンジョークはむつかしいが挑んでみるか。
-
102 :
メルヘンひじきごはん
2007/10/10(水) 15:14:57
ID:5d889cbe75
-
「今年離婚ブームだとか煽られちゃっておふくろが穏やかじゃないんだ」
「あー。うちじゃ姉貴だよ。」
「えっ?あのセンスのいい。あれでも海外だろ関係ナインじゃん?」
「四年前仏人とご結婚なされたことをひどく悔いておられる」
-
103 :
zwei
2007/10/10(水) 15:23:15
ID:1183d1e555
-
>ケインさん
意見ありがとうございます。
少し気になったのは、TRPGに関する認識の齟齬があるのかなと感じました。
D&Dやソードワールドだと、導入で依頼を受けてダンジョンハックや化物退治です。(乱暴な言い方ですいません)
でも、今の俗に言うFEARゲー物になると、個別導入が導入されてPL自身にメタな情報が与えられます。
それによって、PL自体に行動指針が与えられるようになっています。つまりPL自身が話に沿った行動をとりやすくなります。
当然、行動に制限も入りますが、その代わり物語に入りやすくなるという利点も発生します。
だから、PLがメタで行動するのでより物語らしさが生まれると思います。
あと、明日のジョーの例えですけど、ホセをGMが用意したボスだと考えるとそんなに理不尽に感じないのは私だけでしょうか?
最近はPL経験点になった制で鈍感になっているだけかも知れませんが、その場に感動を与えれれば、経験点はどうでもいいと
感じたりもしてしまいます。
-
104 :
メルヘンひじきごはん
2007/10/10(水) 15:28:04
ID:5d889cbe75
-
今の日本国は砂漠をずーーーーーーーーーっとあてどなく歩いててもう…てとこに突如蜃気楼てとこかもしれまへんなある。
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105 :
メルヘンひじきごはん
2007/10/10(水) 15:30:44
ID:5d889cbe75
-
で理学徒として言わせていただくなら「存在しないオアシスの蜃気楼が発生することは皆無である」。
「ガリレオ」第一話チェキりまする。
-
106 :
zwei
2007/10/10(水) 15:46:59
ID:1183d1e555
-
>ケインさん
TRPGに関してはさておき、でもみんなキャラクターが勝手に動いた経験って有りませんか?
以前書いてた恋愛物では、主人公とケンカしたヒロインが元カレとくっついてしまった事もありますけど
そういうときは、キャラクターの好きにさせるしかないと思うんですよ。無理して用意した結末へ
行こうとすると、キャラが薄っぺらくなってしまいます。この辺が私が結末を決めない理由なのかな。
-
107 :
◆ OZCI/VVVB2
2007/10/10(水) 16:58:44
ID:39b9987e76
-
>>100
┃やはり「面白み」という基準で何かを
┃書くという観点はない人なのかなと思いました。
シャーマン型かコザネ型かで、あたかも精神構造だか人種だかが異なるようだと大げさにいうオレの意見を、
オレとは反対のシャーマン側から証明してくれてるような内容のあなたのかきこみ、興味ぶかくよんでました。
「面白み」という単語ですが、これは通常ならゲラゲラ笑う意味の「おもしろい」の系統の単語です。
しかし、オレがよんだかぎりでの解釈ですが、あなたのいう「面白み」はそういう意味ではないとおもいます。
ではどんな意味かとオレが勝手におもうに、ようするに、そのモノカキが「世に『いいたい』『あらわしたい』
と感じること」というような意味ではないか、などとおもいました。
つまり、通常の意味でならけっしてゲラゲラ笑わない面白くないできごとや妄想や意見だったとしても、
あなたのいう「面白み」にはあてはまる場合がふつうにある単語なのだろう、と。
喜怒哀楽のいずれであってもその「面白み」はつかえる、そういう単語のようにオレはおもいました。
そして、それは「面白み」としかいいようのないものだ、ということをあなたはおっしゃってます。
このオレの「面白み」の解釈がもしちがってたら指摘してください。とりあえずオレはこの解釈として以下のべます。
そういう「面白み」というのは、もしかすると、あなたのおっしゃるとおり、オレにはないかもしれません。
それでおもいあたったのはつぎのことです。
じつは数年まえぐらいから個人的に2chがはてしなくつまらなくなっていて、
そのつまらなさがオレの限度をたぶんこえたからだろうとおもいますのは、
ネットが何かもっとおもしろいことにならんものかとおもい、去年の秋にブログを何ヶ所かで開設しました。
ブログになにかを書きたくなったらいつでも始動できるようにと、はやめの準備としてもそうしたわけです。
ところが、これがいままで全然かく気になれなかったわけです。けっきょく1文字もかいてない。
しかし依然として2chでなら、いくらでもかきこめるわけです。(笑) いまでもさんざん書きこんでます。
しかし、ブログはサッパリ。2chはあいかわらず昔よりクソつまらんのに、です。
ブログで文章を発表することをかんがえるとき、なんというか、あたかも、
はてしない宇宙空間にむかって水をまいて芽がでるのをまつみたいな印象をオレはおぼえます。つまり、
どうも何かむなしいわけですね。で、たぶんそれが理由でブログに文をかく気がおこらんのだとおもいます。
なんというか、くだらないの極致みたいな感情をちょっとですがアタマの片すみにおぼえるのですよ。
これが2chだとタネまき後のウネに水をまく春の農夫の気分というべきなのかどうなのか、
依然としてかきこめるわけです。末期症状の2ch中毒でしょうか。
あなたのそのかきこみをよんで、このブログをめぐる件をおもいだしました。
2chはかならず相手がいますからね、かりに論争や批判をしかけるわけでなくても、です。
(いやいや、しかしこのたびはおそれおおくも竹熊健太郎陛下におかれてはこのような場所をご開設あそばされ、
なんというか、まったくもって足をむけてねむれんであります。(笑))
-
108 :
◆ OZCI/VVVB2
2007/10/10(水) 17:02:02
ID:39b9987e76
-
>>100
あなたのかきこみで興味ぶかかったことのひとつに、まさにその
┃『本来言葉や文章は正確に情報を伝達するためのツールであって、
┃その方法以外の使い方をしないわけです』
の部分があります。あなたはこの内容をくりかえしのべてますね。
ところが、オレはこれとは反対のような内容を感じているのです。
ことばはもちろん「正確に情報を伝達するためのツール」としても使えますが、
そのために必要となる条件や側面などはものすごく小さい部分にすぎず、
ことばの大半はそんなものとしては使われていない、というふうな印象をオレはもちます。
だから、あなたのその部分をよんだときはもちろんつよい違和感がありましたが、
それ以上にとても興味ぶかくおもいました。
あなたはことばというものを、
「正確な情報伝達」とはちがう目的のためにつかうことで苦労してる。その苦労が、
あなたにそれをいわせるのではないか、とおもったのです。他方、
オレはあなたとは反対あるいはおおきくちがう目的のために言葉をつかおうとしているから、
そのあなたのことば観と反対かおおきくちがうことば観をもつようになってる。
そういうことなのではないかと、とても興味ぶかく読んだしだいです。
-
109 :
メルヘンひじきごはん
2007/10/10(水) 20:19:38
ID:5d889cbe75
-
ああ。不可知論への導入部として申し分ないが、それで「論破」して戦争の指揮を執ると原爆が降ってくることは実
証済みである。
-
110 :
湯宿
2007/10/10(水) 20:23:28
ID:97ac49cac9
-
>議論・論争は、つかう武器がコトバだというだけで、イクサそのものだとおもいます。
新ワイルド7のクロスというキャラの、「俺にとっては犯罪者との戦いは戦争だ、
GUNを抜いたらそこは戦場」というセリフを思い出しましたw
戦争&戦場ととらえるかどうかっていうのは、大きいですね。
戦争なのに何も準備しないのは、さすがにただのバカだと思いますから。
>その議論屋・論争屋としてのオレという人間を、無意識でかどうかはわかりませんが、
>あなたはおそらくオレのかきこみから感じとったんだとおもいます。
ああ、それはそのとおりですね。
文章に殺気がありますもん。もう、竹熊さんと議論を始めた初っ端から。
別に相手を批判したり否定してるわけではないのに、殺気があるのが凄い。
まあ殺気っていうより、攻撃的なオーラとでもいうのかな?
相手を叩くような文章なら誰だってそういうオーラを出せると思うけど、
そうじゃないのにそういうオーラを出せるのは、なんだかカッコいいなぁ。
>「書いてるうちになんとかなる」というのが具体的にどんな状態や現象をさすのか
>想像できません。
なんでしょうねえ、言葉で説明すると難しいけど、人間、50年後はともかく、
1日後や2日後なら、なんとなく無事に生きてるだろうって思えるじゃないですか。
本当はいつ事故や災害で死ぬかわからないのに。
それと同じで、まあ俺なら出きるんじゃないかっていう、根拠の無い自信みたいな
ものですね。
それも、非論理や詭弁になったら、後で直せばいいっていう、いい加減なスタンスで。
>「後で書き直せば」というのは、おおやけに発表したあとでも訂正・撤回などで対処すればいい、
>という意味でしょうか。
いや、なるべくなら発表前にちゃんと見直して、間違いがあるならそれに気付いて
修正するように・・・まあ、発表後でもそうしたい時はそうするかと。
-
111 :
湯宿
2007/10/10(水) 20:28:10
ID:97ac49cac9
-
>自作文章に自分で批判・反論するというのも、
>一種の「後で書き直」しにあたるんじゃないかとおもいますが、ちがうでしょうか。
ああ、そうですね。
最後に書き直すときは、第三者になったつもりで、自分の文章を批判・反論して、
それを元に書き直します。
ただ、その批判や反論がいつも正しいとは限らず、かえって直す事によって
文章がダメになる事もあるんですよねえ。
-
112 :
湯宿
2007/10/10(水) 20:38:24
ID:97ac49cac9
-
ダウンタウンの松ちゃんが、ガキの使いのトークの事を、
「毎回、手ぶらで戦場にいくようなもん」って言ってたんですよね。
それから、トークに赴く前も、これから企画を作るぞって時も、
特に頭に前もってつくっておいたネタやプランがなくても、
自分で「松本人志ならなんとかしてくれる」って、思っているらしいです。
ノリで書く人っていうのは、なんとなくシャーマン的な
もう一人の自分の存在を客観的に感じていて、そいつが
敵をやっつけてくれる(作品を創ってくれる)って信頼してるんじゃ
ないですかね?
信頼が裏切られる事も場合によっては多々あるだろうけどw
◆ OZCI/VVVB2さんの場合、そんな非論理的な奴などいない。
俺は一人で戦場に赴いて、一人で考えて、一人で戦うっていう
徹底したリアリストタイプだと思うんですけど、いかがでしょうか。
-
113 :
zwei
2007/10/11(木) 07:46:34
ID:c721ef6205
-
OZCI/VVVB2さんに一つお尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?
OZCI/VVVB2さんが書きたい文章というのは、「物語」ですか? それとも「論文」ですか?
文章の感じを見るに、小説や物語のような仮想のものでなく、どちらかといえば論文の方の
気がします。もし、小説を書いている方だったら、的外れでごめんなさい。
論文で例えるなら、結末を決めて書いていくタイプは「実験データから仮説を作る人」です。
そして、シャーマンタイプは「閃きから仮説を立てていく人です」出来上がるものは同じです。
ただ、取っ掛かりのつけ方が違うだけです。
どっちが劣ってる、優れているというものでなく、目的地に右から行くか、左から行くかの違いですね
-
114 :
ケイン濃すぎ
2007/10/11(木) 14:44:32
ID:3cb266b2c2
-
※昨日書き込み失敗したものを貼ります。
>zweiさん
こんばんわ。
確かに最新のTRPGのトレンドは知りませんから、色々調べてみま
した。
ロールプレイ(演出)支援システムやプレイ前のキャラクターおよび
世界観を説明するテキストの読み合わせ、あとはロールプレイする
ことでもらえるヒーローポイント(能力ボーナスポイント)ですか。
これらがルールに入ることでたしかにプレイヤーはキャラの演出を
求められます。つまりゲーム的利益の追求だけでプレイするのではなく、
物語の登場人物としての行為や言動を演出(ロールプレイそのもの)
することをルールとして推奨していますね。
しかし、この範囲ではまだまだ「味付け」でしかないですよ。
まだ物語作りの本質にせまるシステムじゃない(だからこのルール
をうとましく感じ、外して遊ぶプレイヤーもいるそうですね。←
ウィキペディアの解説より。 外しても成立するのはそのゲームの
デザインとしてそこが本質となっていないからですよ)。
もう一度説明を貼るけど、やはりこの部分に限界があります。
『RPGにおける「キャラクターのスキにさせる」は、本当の意味での
キャラの一人歩きなんですね。
プレイヤーはその担当する一人のキャラクターの代弁者として
行動や発言を行いますが、それが「物語り全体を通して面白い
ことかどうか」などの判断によって行いや発言が決定することは
ありません。
つまり一人のキャラクターとしては生き生きしますが、物語という
大局とは全く違う視点なんです』
『これはプレイヤーキャラクターが複数いた場合、キャラクター間
の連携(物語的な連携のこと。主役、脇役、メガネ君みたいな)に
ついても同様で、プレイヤーはキャラクター同士の人間関係を
「物語を面白くする」という目標を持って操作することはなく、
あくまで「そのキャラクターの思いに準じた」振る舞いをします。』
たとえば具体的に言うと、配る事前資料をプレイヤーが書く場合、
物語全体の構成を考えて書かれはしないと思います。
だいたいは「自分の扱うキャラクター」だけがいかに魅力的かという
基準での「キャラクター的自分史」の列挙になりがちだと思う。
自分史って、たいてい他人が読んでもつまらないものです。
よほどエンターティンメトを理解した人の設定なら面白いと思い
ますが(つまり作家性を持ったプレイヤー、「面白み」を外側に
持ち出せる能力のある人間)、「設定を書く権利」だけを与えた
ってなかなか出来るものじゃないです。
このように、TRPGはゲームゆえに物語を生むということに関して
は「半分の演出」に特化している。
つまり「積極的に悲劇、喜劇、敗北などキャラにとって不利益な
行動や演出」をプレイヤーが積極的に選択できるようにはなって
いないのです(たとえそれが物語の中でベストな選択だとしても)。
あえて敗北するという選択肢を選び、それにボーナスが加算される
ような前提ではないです。してもよいのでしょうが(あえてボーナス
を使って自ら「失敗するよ」と宣言する)、基本的にそれはルール上
想定外の行動でしょう。
しかし素晴らしい物語を生むことにシステムが直結していたのなら、
ヒーローポイントを使って全力の必殺技を使うが、俺のキャラは
敗れて死ぬ」という選択が出来るべきでしょう。
勝つ、うまくゆく、何かを得る、人助けに成功する、恋愛がうまく
ゆく、奇跡が起きる、それだけでは物語全体を通してみた時の
「演出の選択肢」としては足りなすぎるし、話の面白さを追い求め
たらそういう選択肢も積極的にチョイスできるでしょう。
キャラクラスもいまだに戦士や魔法使いや技能なんかで分類されて
いるけれど、この点からもゲームであることにしばられています。
ゲームだから当たり前なんだけど。
ちなみにこういうルールなら、本当の意味での物語作りのシミュ
レータになるでしょう。
俺が大昔(十七年位前)にゲーム会社に持ち込んだTRPGは(別名
「修羅の門システム」と呼んでいた)、キャラクタークラスは
「主役」「ライバル」「ヒロイン」「解説役」など、物語上の
「役割(ロール)」で分類されていました。
歌舞伎や狂言で言う一枚目二枚目三枚目狂言回し・・・をキャラの
クラスにしたのね。戦士とか魔法使いとかは関係なく、主人公は
主人公的なロールプレイを、脇役は脇役的なロールプレイを求め
られる。そしてキャラの行い自体の成功失敗は問わず、物語内
でのロールの良し悪しで「次のロールプレイがより自由に出来る
ための」ポイントが得られてゆきます(これを「カットイン」シス
テムという。ためたポイントを使うと他のプレイヤーの演出に割り
込みをかけられる。他プレイヤーの戦闘でオイシイ展開をした時、
ポイントを使うと「あの技は・・・昔受けたことがある」とか、
「ヤツを知っているのか雷電」とか強制的に絡むことが可能)。
そしてクラスチェンジもあります。脇役やライバルがゲームの中で
輝き、キャラが主役より立ってしまった時には、プレイヤーの合議
によって主役が交代し、ストーリーはスピンオフに突入します
(主役はゲーム全体の「タイトル決定権」があり、脇役には「サブ
タイトル決定権」がある。たとえば主役がアムロなら「機動戦士
ガンダム」とタイトルをつけることが出来、たとえばライバルキャラ
のガルマが「ガルマ散る」とサブタイトルをつけてよい。ちなみに
ガルマが主人公になると「英霊ガルマの追憶」などにメインタイトル
変更可能)。
死んで主役になった場合、回想シーン100%のゲームになったり、
あるキャラの背後霊としてレギュラー化したり、恋人との子供に
転生して「あの人に生き写しね」みたいなこともやれます。
ちと話がそれましたが。
こういったRPGなら本当の意味で物語を作る過程を体験することが
可能でしょうね。
もしよろしかったら、意識してプレイを試して見たら面白いと思い
ますよ。物語を作るときの作家の意識活動が垣間見れると思います。
たぶん。
-
115 :
ケイン濃すぎ
2007/10/11(木) 14:49:25
ID:3cb266b2c2
-
※前回書き込もうとしたものを貼りますA
>>103
>>106
(>>98に書いた)ホセの話も同じ。
ホセをマスターがやるなら現行のRPGでも成立しますが、そうで
ないと成立しないのであれば、やはり「物語を意識してプレイヤー
間の連携が出来るような作りではない」ということです。
「本当の意味でのキャラの一人歩き(テーブルトークで言う「キャラ
の思うように自由にさせてあげる)」で表現できるのは、シングル
プレイヤーにマスターの二人きりでやるTRPGだけでしょう。
複数のプレイヤーが「ゲームで言うキャラの一人歩き」をはじめ
たら、本当に物語として深みが生まれるかは疑問です。
物語構築主体で考えるなら、「こうしたら物語が面白くなる」と
ホセのプレイヤーが判断し、威厳のある演出から次第に壊れてゆく
演出に恣意的に切り替え、ジョーのプレイヤーもそれと同じ観点
で「俺ヒットポイントゼロになっても立ち続けるから」と宣言し、
もう死んでるはずなのにまだ戦うのか!という物語もルールに
則った形でつむぎだすことが出来るでしょう。
そしてこれこそが「物語創作中に起こるキャラの一人歩き」だと
俺は思っています。
しばしば作者にその気はなかったのに「悪人になって止められ
なかった」「死ぬ予定だったのに生き残ってしまった」「死ぬ予定は
なかったのにあいつが勝手に死に場所を見つけてしまった」「俺は
死ぬなと心で祈ったが、あいつは事故に逢う道を選んでしまった」
という現象が発生するわけです。
これらはキャラの利益不利益を超越したもので、「キャラのやり
たいことをさせる」「キャラの好きにさせる」なんてことだけでは
ありません。そこに「運命」を加味して物語を見渡したときはじめて
「このキャラは動いた」「このキャラが立った」といえるはずです。
うーん、テーブルトークをやってみないと分からないかもしれませんね。
ちなみにいま現在のゲームで言うと、俺はマジックザギャザリング
のようなトレーディングカードゲームに「自動物語発生器」のような
印象を持っています。
アイデア製作法とかコザネ法というんですか?
はからずしもあの手のカードゲームって、プレイするとすごくドラマ
性があったりするんですよ。
遊戯王なんてそこに注目して漫画にしたものでしょうし。
けっこうそういう意味では、ゲームはインタラクティブで「経過を
楽しむ」ものだから、結末も考えずに物語を何故書けるのか」の
フィーリングを知るのにはよい方法かもしれませんよ。
て、これ前にも書きましたね。
-
116 :
◆ OZCI/VVVB2
2007/10/11(木) 18:17:48
ID:7a18d4f90b
-
>>110
文に殺気とは初めていわれましたわ。ちょっといやですね。カッコわるいですよ。
竹熊さんと「議論」ですか。ますますイヤになります。(笑) オレは議論したつもりなかったですよ。
それと、議論屋・論争屋は最初から1人で以外はできないとおもいますよ。実際のイクサとはちがって。
>>113
物語とか論文とか決めてないです。それ以前に物語をつくる能力ないです。
オレの場合は出来事でも意見でも本でも何でも、見聞していろいろ感じることがあると、
それがもとになることばっかりですね。そのことも何か論争的というか批評的というか、
そっち系ですよね。なにかにたいする「反応」が最初にあるわけですから。
いきなり何かがうまれるのとはちがいます。その点でシャーマン型はイキナリ生まれるようにみえます。
「なにかへの反応」というのではないようにみえる。
>>109
あのう、そのかきこみをよんで、ひょっとして>>108がケインさんへの攻撃にみえたのかな、
などと想像したのですが……そうだとしたら誤解です>ケインさん、メルヘンさん。
書き方が悪くてすいませんでしたね。不可知論ではなくて、
言葉にはどちらの顔もあるという前提でかいたつもりでした。
つまり両方とも事実だとおもうのです。「アレかコレか」ではなくて「アレもコレも」が本当だろうと。
だからケインさんのことば観に興味ぶかくおもえたのです。言葉は意味を定めてつかおうとしても、
すぐにスリぬけてしまい、こちらの意図どおりにはなってくれないので、それをふせごうとおもって苦労します。
この問題には、それこそ詩人たちが敏感だったような気がしますね。「ことばのあやうさ」みたいな議論で。
●
シャーマン型の創作方法は「技術化」ってことはできるんですかね。ムリですかね。
もし技術化できるなら、それは具体的にどういうやり方になるんですかね。
それと『アイデアのつくり方』の方法でシャーマン型の小説なりスジガキを創作することはできるのか、
っていうのも知りたい気がしますね。あるいは「絵」をともなうマンガやアニメならどうか、とか。
-
117 :
メルヘンひじきごはん
2007/10/11(木) 18:37:27
ID:879d9c5e79
-
俺は「絶対が求められる場面が誰にでも訪れる」と考えている。
-
118 :
渡辺裕
2007/10/11(木) 19:42:45
ID:40d86dcdcf
-
↑ひじきごはん先生は全体的に「てにをはの使い方」がおかしいんで、
そこんとこを「なぜ間違うのか」「なぜそれでいいと思って書き進めるのか」
的に突き詰めていけば、シャーマン型発想法の糸口くらいは掴めるんじゃないかと思います。
誤字脱字や不明文に対する嫌悪感がある人ってシャーマン型の文章は書けないと思うんですね。
そこで心理的なロックが掛かっちゃって、そこから先の領域へ進めないんじゃないかと。
そんな感じです。
-
119 :
渡辺裕
2007/10/11(木) 19:56:49
ID:40d86dcdcf
-
性格の問題にもなるのかもしれませんけど、「間違い」という認識を持っているか、いないか。
漫才で言うところの「ボケ」状態を、常に保ってるか否か。
ツッコミ役というか「他で見ているもう1人の自分」ってのは、普通に誰しも持ってんですよ。
というか、「他で見ているもう1人の自分」が素の自分なわけですから。
ボケてる状態(可視できる面)を自分と捉えて「他で見ているもう1人の自分」を幽体離脱的に考えるんじゃなくて、
「他で見ているもう1人の自分」がやっぱり素の自分で、ボケてるのは「こんなに間違っちゃったら俺絶対ツッこむ」
と思いつつ誰も間違ってくれないから自分で間違っちゃった〜、みたいな。
「わざと」とは、また別種なんですよね。そういう感覚。
誰かに見られることを想定してたら「わざと」なんでしょうけど、そこを意識しないで「自分だけが観客主義」に徹してひとり芝居をしてるようなもので。
そういう意味で、徹底したナルシスト性も必要なんじゃないかと思いますが。技法以前の問題ってのも、あるかと。
ネットでの表現は、そういう意味でナルシスト化しやすいですよね。意図するしないに関係なく。
可視的に確認できる特定の誰か相手に何かを伝えてるわけじゃないでしょ。
どちらかというと、自問自答的に話を書き連ねていく傾向が強いと思いますよ。
誰かと話が「繋がって」からだと自問自答的な要素は減ると思いますけど。
どうなんでしょうね?
-
120 :
ケイン濃すぎ
2007/10/12(金) 04:06:12
ID:eb7c136296
-
>◆ OZCI/VVVB2 さん
>渡辺さん
こんばんわ。
色々とお返事したいのですが、三日前に目の治療をしまして、ちと
視界がまだ不便です。
週末に時間が取れると思いますので、また書きますね。
掲示板の文字が、まだよく読めない・・・
-
121 :
zwei
2007/10/12(金) 11:44:53
ID:54fdbaac4d
-
>OZCI/VVVB2 さん
なるほど、シャーマン型をそういう風に考えているわけですね。
いくらシャーマン型でも、何も無いところからはかけませんよ。
シャーマン型は取っ掛かりが必要なんです。「あなたの家族」に
ついて書く場合、そんなに大掛かりなプロットなんていらない
じゃないですか。
シャーマン型の人は複数ストーリーのテンプレートを持っていて、
それに日常的なエピソードだったり、何か思いついたことだったり
を組み込んでいけば自然に出来上がるってことだと思います。
二つの違いはそれを無意識に出来るか、意識的にやって作ってるかの差だと思います。
>渡辺さん
別にシャーマン型でも誤字脱字を気にしないって訳じゃありませんよ。
当然のことながら、終わった後推敲は何度もやりますし。
シャーマン型についての考え方だったら、前にも紹介したけど、
「五代ゆう&榊一郎の小説指南」に詳しく書いてありますよ。
シャーマン型で書きたいのでしたら、先ほど言ったストーリテンプレート
を増やすことと、そのテンプレートに埋め込むイベントをストックすること
の二つだと思います。あと、シャーマン型は理解していることしか
述べることは出来ません。知っていることでは無く理解していることです。
俺みたいな半端なシャーマン型が書くと、こんな風に意見が二転三転してしまうんですけどね
-
122 :
めたろう
2007/10/12(金) 12:17:00
ID:6337e10b3d
-
あああ。凄く面白そうな話をしてるのに参加できない、、、。
風邪引きなので、寝ます、、、。
復帰できたら、元芝居者としては、作家と演出家と役者の話をしたいです、、。
うーんと、文章書きの作業においての「虚構内演技」の話です。
TRPGの話がとても面白いのですが、
この話、今回のサルまん2.0のような「読者参加企画」においても、
とても重要な要素になると思うのです。
-
123 :
ケイン濃すぎ
2007/10/12(金) 13:46:03
ID:0870a61493
-
すみません、
>>114
ここの文章がおかしいので修正します。
誤字などについてはご容赦ください。よく見えていません・・・
>>勝つ、うまくゆく、何かを得る、人助けに成功する、恋愛がうまく
ゆく、奇跡が起きる、それだけでは物語全体を通してみた時の
「演出の選択肢」としては足りなすぎるし、話の面白さを追い求め
たらそういう選択肢も積極的にチョイスできるでしょう。
この文章の終わりの方ですが、
話の面白さを追い求めたら、そういうポジティブな選択肢
以外も積極的にチョイスできるように作るべきでしょう。
に意味を変更してください。
つまり恣意的にプレイヤーキャラクターのやりたいことや
考えを失敗させたり、苦悩を生んだり挫折したりするような
プレイをしてもよい(ゲームとしても正解と判断されて
ポイントが得られる)はずだという考え方です。
-
124 :
メルヘンひじきごはん
2007/10/12(金) 16:44:51
ID:e50c4c137e
-
俺は人一倍誤字誤用法に五月蠅いっすよ。確か中学時代から大野晋さんの愛読者でしたから。
「戻れる用法を堅持した上でのロータリー」。なぜなら、紋切り型は容易に退屈を招来するからである。短文を
採用しがちなのもその理由に拠る。
-
125 :
渡辺裕
2007/10/13(土) 04:16:28
ID:7171708b01
-
大した考えもなく適当に書いてるんで、無駄な撹乱や変な決め付けがあったら御免なさいね。
私が文章を書くときは、まず「体験」しますね。日記かレポート書くような感覚です。
まず何事かやってみて、その状態を思い出しながら書き連ねるんです。
箇条書きにして全体像を把握しませんね。兎に角、頭の中に入った情報を、思い出した傍からダーッと書きます。
何千字と書いていると、そのうち辻褄が合わなくなったり時間軸がおかしくなったりするんですね。
そうなってから忘れた箇所を加筆訂正するんですけど、先に書いた文章がテキトーに狂ってて面白いときは、
そのままそれを事実のように捉えて書き続けますね。「あったこと」にしてしまいます。
「先に書いた文章がテキトーに狂ってて面白いとき」←この状態のまま迷うことなく書き切ったときは、
いわゆるシャーマン型の文章に「なっている」という状態です。
最初からシャーマン志向で書こうとしても書けないので、
間違ったら間違ったままでいいからとりあえず文章書こうと思う気力がある限りひたすら書き続けるよう、心掛けています。
そういう鍛錬を何度か積むと自分なりのテンプレートやイベントストックが出来ますので、
次回以降「実際に何か体験する」段階で、通常・常識とはかけ離れた体験をしやすくなるんですよね。
「別の感覚」でモノを見られるようになってきます。
あとは…パソコンで文章書くようになってから増えた傾向ですけど、変換間違いをそのまま活かすとか。
先日の書き込みで「ケイン濃すぎ」さんと打ち込んだら変換ミスで「気印濃すぎ」さんになりまして。
そこからまた変にいじってたら「毛陰濃すぎ」さんになりました。(イタズラしてすみませんでした)
そういった寄り道的な書き方をしていると、ふっと別の閃きが出て文章の流れが変わったりしますね。
やりすぎるとグチャグチャになって駄目なんですけど、ある程度そういった要素を容認していると、多少の幅が出るように感じます。
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126 :
◆ OZCI/VVVB2
2007/10/14(日) 17:11:36
ID:7897189dda
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>>120
そうでしたか。おだいじに。
ワシは上のワシの文が批判じゃないとわかってくれればそれでいいです。
この掲示板で議論・論争を自分からしかけるつもりはワシにはないです。
返事もゆっくりでいいです。遅レスでも気にしません。
ケインさんの「面白み」というくくりはシャーマン型の特徴の説明としてオレにはわかりやすく、
いろいろ説明するのにも便利につかえそうな感じがします。
>>121
なるほど。複数のテンプレートですか。なんというか、
具体的な描写の中身がカラになってるおおまかなすじがきの回路、みたいな抽象的妄想がうかびました。
zweiさんのそのご意見をよむと、上のほうの、題と中身が同時に……とかの人たちとは、
またちょっと異なるところがあるみたいに感じます。ひょっとすると、シャーマン的性質の強弱などによって、
その人ごとにいろんな点でちがいがでる、というようなことがあるのかな、などとおもえてきます。
まあオレの勝手な妄想ですけどね。
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127 :
◆ OZCI/VVVB2
2007/10/14(日) 17:23:18
ID:7897189dda
-
ものかきとかではないが、シャーマン型の極端な例かもしれないひとをおもいだした。
ここでの参考になるかどうか不明だが、一応おぼえがき的に。
シュリニヴァーサ・ラマヌジャンという数学者。世界的に有名で「ラマヌジャン」をキーワードに検索すれば、
その業績や評価などは各サイトがあってわかる。ワシはつぎの本でしった。
『天才の栄光と挫折──数学者列伝』。藤原 正彦(ふじわら まさひこ)(著)。
叶V潮社(刊)。新潮選書。2002年5月15日(水)発行、2006年5月20日(土)15刷。
単行本。ソフトカバー。定価1100円(税別)。ISBN4-10-603511-1。
(以下にある引用はすべて本書から。)
ラマヌジャンは生前に3000個以上の公式だか定理だかをのこしたそうだ。異常なのは、
その(結論としての)公式だか定理だけが彼の脳内に「わいて」くるらしいことだ。
それをひたすら帖面などにかきとめていく。ただそれだけ。それがラマヌジャンの「研究」。
結論にいたる過程というか、かんじんの「証明」の部分はラマヌジャンにはない。
スッポリぬけている。だから、だれかべつの有能な数学者が、
あとからその「証明」をかんがえて組みあげるという段どりだったらしい。
────────────────────
ラマヌジャンの思考プロセスはよく論議されることである。彼自身は、
「自然に答えが浮かんだ」とか「夢の中でナーマギリ女神が教えてくれた」などと言ったこともある。
────────────────────169ページ
そのようにして
────────────────────
「ラマヌジャンは毎朝半ダースほどの新定理を持って現われた」とハーディは後に語った
────────────────────169ページ
ラマヌジャンはシャーマン型の極端な典型なのではないか。
-
128 :
◆ OZCI/VVVB2
2007/10/14(日) 17:25:29
ID:7897189dda
-
ラマヌジャンの脳内の特徴にかかわるのでは……とワシがおもう箇所を、
同書からほかにも(順不同で)いくつか以下に。
────────────────────
なぜそのような真理に想到したかが理解できないと、
その真理自体を理解した気に少なくとも私はなれないのである。それは誰かが、
我が家の柿の木の根元に金塊が埋まっていると予言し、それが事実だった時の気分である。
事実は認めても、予言の必然性や脈絡をたどれぬ限り苛立つ。
────────────────────170ページ
無知にも驚かされた。
十九世紀数学の宝物とも言える素数定理やテータ関数の関数等式を独力で発見する、
という離れ業をした同じ人物が、数学科の学生なら誰でも知っている、
最も基本的なコーシーの積分定理を知らなかった
────────────────────
彼は証明とは何かの概念さえ、ほとんど持ち合わせていなかった。
────────────────────169ページ
ラマヌジャンは「我々の百倍も頭がよい」という天才ではない。
「なぜそんな公式を思い付いたのか見当がつかない」という天才なのである。
────────────────────170ページ
ラマヌジャンは1920年に没したそうだが、それから80年あまり後のいま現在でも、
のこされた公式だか定理だかの証明・解明などがまだ全部までは完了していないらしい。
ラマヌジャンの精神構造とかかわりがあるかも……とワシがおもう同書中のほかの記述としては、
かなりのマザコンだったらしいことと、
生まれてから死ぬまできびしい菜食主義だったこととの2つがあるが、関係ないかな。(笑)
-
129 :
◆ OZCI/VVVB2
2007/10/14(日) 17:36:02
ID:7897189dda
-
ケインさんの「面白み」にあたるものが、
ラマヌジャンのばあいは「数学的真理」にあたるということなのかもしれない。
また>>126で zweiさん に書いたなかで、その人のシャーマン的性質の強弱などの相違が、
発想や着想の型にも反映して、人それぞれになるのでは……という意味のことをかいたのも、
このラマヌジャンの例が念頭にあったからでもある。
ついでながら、
ラマヌジャンの数式発見を「はたしてオカルトか否か?」と問うてみるのはおもしろいかもしれない。
数学的真理をまさかオカルトとはいえないからだ。
この問いかけは「オカルトとはなにか?」の本質論というか原論にもつながるとおもう。
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130 :
1729
2007/10/14(日) 20:01:28
ID:7ae99185c5
-
> ラマヌジャン
文字通りの「孤高の人」であって、逆に言うと数学史上いても
いなくても関係ない人物です。
誰にも真似が出来ないのは事実ですが、とりもなおさず
誰にも影響を与えていないということになります。
彼の、(多くの場合の)証明抜きの具体的な数式の提示というスタイルでは
どうしても数学的には枝葉末節の結果しかもたらさないのです。
玄人受けはよくない(より抽象的な、本質的議論からほど遠い)一方で、
目に見える「具体的な数式」であるので素人受けはするでしょう。
後年、証明の重要性を認識したとかいう話も聞いたことがあるので、
もし彼がもっと長く生きていられたらその独特の才能で数学の当時の
本流に対して何らかの影響を与える結果を得たかもしれないけど…。
-
131 :
ケイン濃すぎ
2007/10/15(月) 02:04:08
ID:9c4a3453f5
-
まだ細かく書くことは出来ませんが。
>1729さん
このスレの話題はラマヌジャンの数学的功績に価値があるかどうか
という論点ではさっぱりありませんから、どうかご安心ください。
話の筋とは無関係に知識の披露をされてもね・・・
>◆ OZCI/VVVB2さん
自分は「意味のある論争」はよいと思いますよ。思考を磨くために
時には論議も必要です。
ただし、「単に潰し合いのための論議はしない」←絶対建設的に
話す必然もないけど
「意見の批判はしても個人の尊厳を否定(人間批判)するようなこと
はしない」くらいのルールがあれば。
ラマヌジャンの話は興味深いですね。
ただ、「面白み」というフィーリングだけなら誰にでも備わっている
ものなのです。当たり前ですが、だれでも何かを夢想して、ひとり
笑ったりする経験はあるはずです。
すごく自分的には面白いんだけど、人には言葉で説明できないし、
脳内の映像も見せられないから歯がゆい、そんなことは誰にでも
あります。
しかしそれを「具体的に取り出せるか」というところが「作家性」の
あるなし、「芸術性」のあるなしです。
ここで新たに芸術性と作家性という独自の基準を出しましたが、
「面白み」を取り出す方法には二種類あると思います。
いつでも狙ったように、意図して面白みを取り出せる。それが
「作家性」だと思うんですよ。つまり面白みの技術的抽出ですね。
これは食べ物で言うと加工食品であり、漬物みたいなもので、
作家が意識内に「面白み」として貯蔵しているものですね。
もっと分かりやすく言うと「ネタ(もっと漠然としたレベルだと
イメージの蓄積)」という奴です。
この手の面白みというのは意識内で作られてから意識の中で分析
され、「何でこれが面白いのか」ということを解釈した後に貯蔵
されます。
この時点でタグがついてるので、思考している時に連想で引っ張り
出され、再び加工されて貯蔵・・・を繰り返すので、意識的にやれ
ばやるほど埋蔵量が増えます。
これは完全に訓練と技術とによって伸びるものです。
もう一方で沸いてきたイメージをそのまま救い上げるように取り
出す方法もあります。直感的、主観的にひっかったものをそのまま
書き出す「脳内模写」的な面白みの抽出が「芸術性」です。
これは食べ物で言えば刺身、生きたままの踊り食いのような状態の
ものまであるでしょう。
これの扱いはきわめて難しく、普通は「加工されていないものなぞ
食えない」ワケですが、天性ですぐれている人は「手を加えなくても
食べられる」のですよ。そして理屈は分からないがおいしい。
出した本人も面白いことは分かるが説明は出来ません。
ラマヌジャン的な書き方があるとすれば、芸術性100%だと思います。
起承転結とか、人間配置とか、展開とか、まったく道具の使い方が
不条理かもしれないけどなぜか面白い。
漫画で言うとネジ式みたいな。でもネジ式は刺身をちゃんと飾って
醤油と薬味も用意した加工食(複合食)ですけどね・・・
うほ、細かく書けないといいながら書いてしまった。
よく字が見えてない変換なので、間違い文字はお許しを。
-
132 :
1729
2007/10/15(月) 12:58:48
ID:bf82644f89
-
>このスレの話題はラマヌジャンの数学的功績に価値があるかどうか
> という論点ではさっぱりありませんから、
じゃあその分野で専ら無価値なものを生み出すシャーマニズムに関する話でもしてるんでしょうか。
> 話の筋とは無関係に知識の披露をされてもね・・・
何の前置きもしなかったのは(話の関連性を見出せない人には)悪いとは思ってますが、
唐突なのはむしろラマヌジャンです。ラマヌジャンは例として避けた方が良いという話です。
-
133 :
ケイン濃すぎ
2007/10/15(月) 13:49:28
ID:c41ee2b912
-
>1729
??
俺はさっぱりあなたの発言の根拠を見出せない人ですが、具体的
にナニがどう唐突で例に適さないのか、「具体的に」説いていただけ
なければ分からないですよ。
理由を書いてから結論付けてください。
それこそあなたの言うことは突然答えだけ沸いてきたラマヌジャン
的書き込みです。
ラマヌジャンの話は「神が降りてくるように物語を書く」という
作家の証言としてよくある物語の執筆法の話の流れ(それをシャー
マン的書き方と仮称)から出てきたものです。
ラマヌジャンの「証明はできないが数学の公式だけ頭にわいてくる」
という話は物語を生む作家の精神状態(思考のメカニズム)と近いもの
があるのではないか、という話の流れから説かれたわけです。
その対比が正しいかどうかはともかく、引用している事柄について
はちゃんと共通点も見出せるし、ポッと唐突に話が始まったわけ
でもないですよ。
引用の意図は明確かつ的確です。
これは別にシャーマニズム的書き方の話だけが本論と言う意味では
ありませんが、少なくともスレの流れのひとつには沿ってます。
むしろそれに対して「ラマヌジャンの数学的功績には価値がない」
という、さっぱり引用の主旨とは無関係な理由で引用を避けたほうが
よいと言う主張の論理をぜひお聞きかせ願いたいと思います。
できればいわゆる結論だけ出るシャーマン的な書きこみ方ではなく、
論理的にお願いします。
誰もが話の関連性を見出せるように。
-
134 :
ケイン濃すぎ
2007/10/15(月) 14:19:37
ID:c41ee2b912
-
ああ、少し気づいたのは、
1729さんは「ラマヌジャンは思いついた公式が合っていても、
彼自身では思いついた公式の証明ができないのだから数学者として
価値(功績)はない」という論理から「シャーマン的な物語抽出法
によって神が降りてくるように物語を書く作家は自身の作劇として
具体的に説明できない(キャラが勝手に動いたなど)から作家として
価値がない」という風な話がしたかった?
どちらにせよ、
ラマヌジャンの公式が未発見で、「正しく使える公式」ならば、
それがたとえ霊によってもたらされようと宇宙人の洗脳やモノリス
に触ったことで得ようと「導き出された公式そのものには価値が
ある」という事実は変わらない。
それを否定するのは自分で努力して公式を生み出すしかない、普通
の数学者のねたみであって。方法はともかくその公式は現に生まれた
のだから価値は否定できないでしょう。
物語も同じで、感動的な物語が生まれるなら「その方法論は問わ
ない」でしょう。楳図センセの神の左手悪魔の右手「黒い絵本」の
ように殺人しないと物語が書けないとかそういう話でもなし。
そして霊として宇宙人とかモノリスとか突飛なことを言いましたが、
ラマヌジャンについては「なぜ突然公式を思いついたのか」は想像の
域を出ない(というか想像を絶する)わけで、彼の思考のメカニズム
を解明する事はあたかも突然答えだけ浮かんで来たように見えた
「公式の発明方法」を理解できるかもしれない。
それと同じで、物語のシャーマン的発想法のメカニズムを解明する
ことで色々なものが解釈されるでしょう。ブラックボックスだった
ものが解明されれば「何でそうなるのか分かる」わけで、「
物語の結末も考えずになぜ書き出せるのか」という研究にはとても
役立つ話になっていますよ。
空からのたまわりモノとして作品を書いている先生はすべて否定の
立場なのかなあ・・・
ひらめきが人間である「特権」なのに。
-
135 :
1729
2007/10/15(月) 16:09:20
ID:bf82644f89
-
乗りかかった船なので反論めいたことを書きますが、
シャーマニズム的作劇法が(天才以外でも可能な)*ありふれたもの*だとして、
先ず第一に「ラマヌジャンの業績はかなりニッチなものである」→「作劇一般に敷衍していいの?」
次に「ラマヌジャンは異才である」→「そんじょそこらの作家に当てはまるの?」
くらいは疑問としてありますね。
これは今の議論でどうこうという話ではないですが、
ついでに言えば
彼の業績は彼単独でなし得たものではありません。
折角の神秘的な数式群も証明の裏づけがないと意味をなさないので、
彼の優秀な同僚が証明を肩代わりしてました。
つまり優秀なスタッフがいなければ発表に至らなかったのです。
以下は本文(>>134)に対する反論
> 「ラマヌジャンは思いついた公式が合っていても、
> 彼自身では思いついた公式の証明ができないのだから数学者として
> 価値(功績)はない」
上述のように、そう言う話ではないです。
> ラマヌジャンの公式が未発見で、「正しく使える公式」ならば、
> それがたとえ霊によってもたらされようと宇宙人の洗脳やモノリス
> に触ったことで得ようと「導き出された公式そのものには価値が
> ある」という事実は変わらない。
数学の定理は誰が発見しようが価値とは無関係ですよ。
それに人工物だろうと自然物だろうと、あるいは宇宙人が生み出そうと、価値は人間が決めるものです。
だから「価値がないかもしれない」とはどんな物に対してでもいえますよ。
ちゃんと(?)数学にだって価値のない定理がありますよ。
> 物語も同じで、感動的な物語が生まれるなら「その方法論は問わない」でしょう。
そうですよ。
だから「面白くない物語」だってどんな手段を使って生み出されたのかとは無関係に面白くないだけです。
つまらない物語の製作過程を知りたいとは思いません。
> 彼の思考のメカニズムを解明する事
それは不可能でしょう。検証するのに十分な資料など残ってはないですし。
若干のノートが残ってるらしいですがそのノートから頭の中のことがわかるとは思えない。
> 物語のシャーマン的発想法のメカニズムを解明する
> ことで色々なものが解釈されるでしょう。ブラックボックスだった
> ものが解明されれば
それは皆が望むところでしょうが、
結局は「シャーマン的発想法」というブラックボックスに押し込むのがせいぜいな訳ですよ。
将来的にもそれが解明されるとは全然思えないんですけど。
> 空からのたまわりモノとして作品を書いている先生はすべて否定の
> 立場なのかなあ・・・
正反対ですよ。
「論理的に着想の経緯を説明できない思いつき」=「空からのたまわりモノ」
って位のことなら別にフツーにあることでしょう。
> ひらめきが人間である「特権」なのに。
それは異議あり。人間にわかるような表現力(もしくは表現方法)がないだけで、
ひらめきは人間以外にもあるかもよ。尤も可能性があるよ、というだけのハナシだけど。
-
136 :
zwei
2007/10/15(月) 19:30:38
ID:2a3196c624
-
なんか、揚げ足取りだなと思いつつもレスをつけときます。
>結局は「シャーマン的発想法」というブラックボックスに押し込むのがせいぜいな訳ですよ。
>将来的にもそれが解明されるとは全然思えないんですけど。
実際そうだと思いますよ。多分全員そのことは分っていると思いますよ。
そのブラックボックスをどうやって、分りやすく説明するかという話をしてると思うんですが。
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137 :
1729
2007/10/15(月) 20:15:29
ID:bf82644f89
-
> 揚げ足取りだなと思いつつ
枝葉末節といえばそうですが、
まあ一旦書いたことに関しては何なりとどうぞ。
おかしかったら考え直しもしますし。
> ブラックボックスをどうやって、分りやすく説明するか
そのブラックボックス自体を解明しないとわかりやすくも何もないと思うのですが。
で、解明なんて(所詮)ムリだよ、というのが私の見解です。
ずっとブラックボックスのまま扱うしかない。
だからこのままの形でわかり易くというのは、説明上の都合でしかないんです。
でも(全然そうなるとは思ってませんが)、
もし解明できたとたらシャーマン型という分類それ自体がなくなって、
別の要素に還元されることになるはずですよ、きっと。
-
138 :
1729
2007/10/15(月) 20:34:45
ID:bf82644f89
-
ちょっと上記(>>137)の論旨がおかしくなってるので訂正。
えーと、ブラックボックスなのはあくまで天才・奇才・異才に関してです。
凡人の思考過程になぞらえても意味を為さないでしょう。
だから、「凡人のシャーマン型云々」はきっと解明可能でしょうね。
それに関してはそうとわからないような書き方だったので訂正します。
一貫してワタシが言い張ってるコトは
ラマヌジャンのごとき異才のやり方は
ラマヌジャン本人にしかわからないし、
また、通用しない…ということなので。
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139 :
◆ OZCI/VVVB2
2007/10/15(月) 21:06:42
ID:44c06d0a42
-
ラマヌジャンは、むしろ「解明できない極端な例」の典型としてあげました。
だから解明されたらこまります。(笑) とにかく、そういう一方の極なのではないかとおもい、
おぼえがき的にかきこみました。
それと正反対の極としてコザネの発想法があるんじゃないかと今は一応かんがえてます。
そうしますと、コザネ型とラマヌジャン型とを両極とする直線が妄想できます。
この直線をたとえばまアここだけのたわむれコミで「シャーマン度直線」とでも名づけます。
シャーマン度がひくいとコザネ型の発想法になり、たかいとラマヌジャン型の神がかりにちかづきます。
人間にはだれでもシャーマン性がそれぞれにあるとして、ひとによってシャーマン度に強弱や、
あるいは着想のあらわれる(あらわれやすい)分野がちがったり、また、あらわれ方などなど、
いろいろ個性があるとします。
ようするに、発想法は、その人のシャーマン度の大小におうじて段階的に対応するんじゃないか、
というトンデモ仮説を妄想しとるわけです。(笑)
このスレッドのかきこみをよんでいても、発想法なり、あたまのなかの状態の説明なりをよんでいても、
人によってちがいがあります。でも、人それぞれではあっても、まったくテンデンバラバラな「それぞれ」
ではないように感じます。
たとえば zweiさん の「テンプレート」は、筒井康隆さんの「物語素」やケインさんの「漬物」あるいは
「イメージの蓄積」というのと、ちょっとちかいものかもしれない、みたいな。
あるいはマンガ家には一般的らしい「かってにうごきまわるキャラ」がそれかもしれない、みたいな。
なにかそこに共通性があるような種類の「それぞれ」のような気がするわけです。で、もしもそうなら、
それはその人のシャーマン度に段階的に対応しているものなのかもしれない。だから、
なにかの理由で突然そのひとがラマヌジャンなみにシャーマン度がハネあがったら、
そのひとはもう「物語素」のようなシロモノを脳内でつかわなくても、
「題」さえきまれば中身までパッときまるように変化するかもしれない。
……などとトンデモ仮説をかんがえとるわけです。でも、これがもしトンデモではなかったら、
創作家は自分のその時々のシャーマン度をすこし念頭においておくことで、
発想法をそのつど変えてみるなり、いろいろためしてみるなりできるでしょうし、
これから創作家になろうとしている人たちにも、シャーマン度と発想法の対応という話があるとあらかじめ
知っておいてもらえれば、しらないよりはいいかもしれないじゃないですか。
ようするに「技術化」ということであり、ひいては「おしえる」「そだてる」つまり教育の話だとおもいます。
ま、これが実証されるなり、実効性がたしかめられれば、という前提での話ですがね。(笑)
ちょっと話がズレましたが、したがって、このトンデモ仮説からしますと、
「物語素」とか「かってにうごきまわるキャラ」というような脳内のシロモノによるスジガキの創作方法は、
かんがえようによっては、そのひとのシャーマン度におうじた「省略コザネ法」である、
ということもいえるかもしれません。
まあ、くだらないトンデモ仮説とおわらいください。(笑) >一同
(すいません、さっきここをよんでどうしても書きこみたくなり、上だけかきましたが、いいたりないことや、
まだほかに考えてることもあっての、あくまで「とりあえず」の内容にすぎません。いまから出かけたりしたいので、
今夜も長々とはつきあえなくてすみませんが、ガマンできなくなりました……とかいってるうちに
もう21:00すぎてたり……)
-
140 :
1729
2007/10/15(月) 22:04:40
ID:bf82644f89
-
>>139
なるほど、ただラマヌジャンの名前を使いたいと言うことですか。
それなら不承不承ではありますが、
ひとつの印象的な名づけ方として認めるしかないですね。
とくに反論する意味もない。
-
141 :
めたろう
2007/10/16(火) 01:18:44
ID:bf9e7955d2
-
改めて読み直して青息吐息、、、。ついていけるかな、、、。
えーと。>131のケイン様のコメントが、概ねのまとめになるかしら?
まず発想段階でシャーマン型とこざね型があると。
でもって、それを整形し、作品に落とし込む技術的な段階で、
アドリブ重視と、大局を重視する側面がある、
といったとこで宜しいでしょうか?
発想段階の話と、作品化製品化の話はまた別になってくるのではないでしょうか?
仮にシャーマン型での発想を起点にしても、
作品に落とし込むには、作品化の作業が必要になってきます。
ラマヌジャンの「数式」は、物語の「オチ」に相当するものであり、
物語の全体像では無いのでは?
以前、ゴルフのショートホールとロングホール、そしてホールインワンの喩えを出したのですが、
ラマヌジャンのエピソードはホールインワンを連発する男の話と言えましょう。
凄い男ではありますが、ゴルフの要素や面白さとはまた別の話になってくると思われます。
-
142 :
めたろう
2007/10/16(火) 02:09:33
ID:bf9e7955d2
-
次に、製品化作品化の過程について、脚本家と演出家と役者の話。
芝居においてはまず「脚本」があります。これは全ての起点になります。
脚本家の書いた台詞は、観客に物語を伝え、状況説明を行うに当たっての重要な情報であり、まず、ポイントになる台詞を確実に客に届ける事が求められます。
一方役者は「役を膨らます」作業を行います。
脚本を読むにあたって、その「読み方」は無数に発生し、正解と言うものがありません。
自分の演じるキャラクターに肉付けし、
観客に「どの様な役回りであるか」認識してもらう為に。
また、他の登場人物との間で、
その芝居の世界観や、状況の空気を生み出す為に。
その「読み方」には多くの「ノイズ」、ケイン濃すぎ 様仰るところの「面白み」と言うべき「何か」を加えて行かねばなりません。
演出家は、より脚本家に近い立場で、役者達の「面白み」が暴走して物語や世界観から逸脱せぬよう、統制、調整を行います。
逆に「面白み」が足りないなら、役者から、あるいは登場人物の遣り取り、アンサンブルから引き出す作業が求められます。
このへんはTRPGでのゲームマスターにも通じますでしょうか。
(芝居の現場では、加えて、劇場の使い方、音響、装置の使い方etc、考慮すべき要素は多岐に渡るのですが、、、、。)
さて、芝居の世界では、恐ろしい事に、上記の脚本家:役者:演出家を全てこなせる人材が珍しくありません。
少し前なら野田秀樹さん、最近で言ったら松尾スズキさんあたりが良い例です。
で、実はすべての作家は、文章を書く上で、脚本家:役者:演出家を兼ねているのでは無いか、と考える訳ですが、ここで注目すべきは「役者」の部分だと思われます。
文章を書く上で、「文体の上での演技」と言うべきものがある、と私は考えています。
筒井康隆さんは「虚構内演技者」「虚構内役者」という言葉で説明しておりました。
上記の脚本化:演出家:役者の要素は、作家の脳内においては二つの側面に整理されましょう。すなわち、
神の視点をもって世界を、時空間を構成し、俯瞰し、キャラクターを演出する、
「作:演出家」の側面。
そして、
自ら形成した「キャラクター」に感情移入し、役を生きる「役者」の側面です。
(息切れしたので今宵はここまで、、、)
-
143 :
ケイン濃すぎ
2007/10/16(火) 02:25:48
ID:45f0ff9d42
-
>>140
>1729さん
おおむねあなた以外の人は「ラマヌジャン」の扱いについては
一定の理解がありました。
◆ OZCI/VVVB2さんがうまくまとめて下さいましたが、最初から
「そういう話だった」のです。
ただ名前だけ使いたいのではなく、ラマヌジャンの思考法の謎と
作家のシャーマニズム的発想法の共通点や特性について比較検討
しているのですが。
ここにきて1729さんもようやく引用について理解が及んできたよう
ですが、それでもちょっと対応がおかしいですよ。
何故そのようにあなたは上から目線なのでしょうか。
ラマヌジャンの例を引用するのに、あなたに不承不承認めていただく
必要はありませんし、そもそもあなたは彼の代理人なのでしょうか?
それともラマヌジャン研究をした経験のある数学者なのでしょうか?
何故引用するのにあなたの許可が必要なのですか。
最初からとくに反論すべき理由もなく、些末について反論し続けた
挙句にそんな上からの物言いはないでしょう。
あなたはぶっちゃけて言えば
「話の内容をよく理解してないのに勘違いで反論し続けちゃった」
訳ですよ。
ただまあ、その奇妙な反論をきっかけに、みんなの思考がより明確
に洗練されたことは事実なのですが。功罪あります。
そして話の読み違えだけなら誰にでも当たり前にあることです。
「あっ、そういうことか、やっと分かった」という受け方なら何も
言わないですよ。
しかし、
>>139の「サルでも分かるこのスレの話の流れ教室」に対する応答
として1729さんのあの高飛車な対応はないよね。
あの丁寧な解説は、ほとんどあなたの為に書かれているんですよ?
また細かい反論がきそうですが、この件については俺の方からは
終了にします。
-
144 :
ケイン濃すぎ
2007/10/16(火) 03:43:47
ID:45f0ff9d42
-
>>141
>>142
めたろうさん、お加減はもうよろしいのでしょうか。
よいお話ですね。
製品化という言葉、分かりやすいですね。
俺は「面白み」は誰の心の中にもあるものだと説明しましたが、
「それを外に取り出す能力」のあるなしが作家とそうでない人
の差であるというような話をしたつもりです。
つまり、「面白み」と言うものは現実世界に取り出す際に急速
に減衰します。つまり「面白くなくなってしまう」「何が面白
かったのか分からなくなってしまう」のですね。
そして個人の持つ面白さにも「価値の違い」があります。
才能のある、または修行や経験を積んだ人間の「面白み」という
ものは、多少取り出すのに失敗してもとても他人の心をひきつける
魔力を持っています。
何も鍛えていない凡庸な人は、100%の面白みを抽出できたとしても
輝きが不足していることもあります。
すなわち技術面以前に「製品化不能」ということも残念ながらある
でしょう。見込みのないネタと言うやつですね。
芝居の話もよく理解できます。
知らない方もいるかもしれませんから、脚本を少し説明します。
芝居(映画・アニメも)の脚本は、基本的にいわゆる「心理描写」は
してはいけません(行動とセリフのみが羅列。たまに表情やしぐさ
について書かれたり、モノローグセリフが入ったりもするが、
基本的にはそれを避け、細かい情動については触れず、すべて行動
と状況で内容を説明する必要がある)。
その理由は脚本はあくまで芝居の設計図であり、めたろうさんが
言うように「キャラの情動」の解釈は役者の領域なのです。
そして全体の情動を操るのが演出家。
脚本家は書く時に「こうなったらいいな」と思いながら書くのがせい
ぜいで、心情は明け渡さなくてはならない。
「役者が演じてはじめて成り立つ」から、完全に分業なのですね。
TRPGは分業化されていますが、分け方が不十分であったり、ゲーム
の都合によって省略や限定されていたりします。
マスターは世界観の演出については100%理想を追求できますが、
芝居の演出家と違ってプレイヤー同士の演出については直接干渉
することは出来ません。
とはいえ、これらを考えると作家の脳内でどういった分業が行われ
ているのかよく分かりますね。
脳内役者というのは、やはりそのキャラクター設定に忠実に行動
させるため、作者は無意識のうちにAI制御のロボットのように
そのキャラを動かすのでしょう(空想で人格を生み出す)。
そのキャラの置かれた状況でやりたいこと、やるべきことを性格
付けというアルゴリズムをもとにシミュレートする。
RPGでいう「やりたいことをやらせる」段階。
芝居で言う「役者の情動表現(立ち振る舞い)」の段階。
しかしこれでは足りない。
本当に物語を生み、キャラクターを生かすためには、俺が前に説明
した要素を加えなくてはならない。
それがまさしく「運命」ではないかな。
芝居で言えば「演出家の采配」
TRPGでいえば「ライブによるハプニング」
その時たいていキャラクターは変貌します。
AI的、シミュレート的な振る舞いがベースだったものが、突然
別のものになったり、基本は同じでも極端になったり激しい変化を
迎える。
その結果によってそのキャラは「生きている」のか「死んでいた」のか
作家にも分かる気がします。
ふり幅が大きいほどキャラが立つ気がしますね。
この辺はまだうまく説明できませんが・・・
恐らくです。
キャラクター設定した時、作家は表向きの性格付けや行動パターン
の裏に、「真の行動」という裏AIを仕込んでいるのです。
それは表の行動AIでは処理できない状況になったとき、突如
キャラを支配して活動を開始します。
表の行動は設定できても、裏の行動はあらかじめ作者の意識的には
設定できない気がします。
まったく、ここはバクチというか、ブラックボックスですね。
確かに・・・
俺の書き方では、そうとしかいえません。
裏行動を最初から意識して設定すると、それは第二の表行動なの
ですよねえ・・・
だから自分で考えるんだけど、考えない。
具体的には思い描かないよう、考えた後に意識的に忘れておく。
・・・そんな部分があると思います。
最後はグダグダに・・・すみません。
-
145 :
ケイン濃すぎ
2007/10/16(火) 04:02:39
ID:45f0ff9d42
-
そういえば、あれだけ乗り気だったたけくまさんの降臨がありません
が・・・
俺とかでしゃばって知った口を利きすぎましたかね。
出来たらそろそろたけくまさんのご意見もいただきたいという気が
します。ご無理を言うようですが。
-
146 :
メルヘンひじきごはん
2007/10/16(火) 06:08:30
ID:cf20258689
-
俺は「シャーマン式創造力の科学的把握」を制止する者ではありません。流行りだと「〜という脳内物質が云々」
となるのでしょうが、俺はそういう解明を受けてなお、語り辺はすり抜けてゆくと思うので。
-
147 :
たけくま ★
2007/10/16(火) 12:30:02
ID:???
-
>145
あ、いやここんところ多忙でロムだけしていました。
気楽に口出せる展開でもなかったので。議論は有意義なものだと
思います。
この件については、近日中に俺なりのまとめエントリ立てます。
ちょっと考えねばならんので、少し時間がかかるかも。
-
148 :
ケイン濃すぎ
2007/10/16(火) 12:51:31
ID:321b8af00c
-
>メルヘンひじきごはんさん
確かに何らかのドーパミンの作用の影響はあるでしょうね。
あえて「酔う」というか。強烈なイメージ力を持つ人によっては
幻覚に近いものすら見えてしまうのかもしれない。
まあ、それは「なぜ物語の結末を考えずに書き始められるのか」
というテーマとはまた別のテーマかもしれませんが。
この脳内物質が作家に「創造性」を与える!
とか解明されたら、みんなこぞって医学的にネタ作りを始めるのか
なあ・・・煮詰まると苦しいんだよね。
注射してネタが出るなら俺も使うか・・・なあ?
その時、人類は強化人間ならぬ強化作家誕生の時代に・・・
ニューロライターとか誰か書いてください。
原稿書いたら締め切り後に死んじゃう人造人間とそれを追う武装
した編集者の話とか。
強化作家は電気羊の夢を見るか
あ、いま俺ちょっと麻薬でました。
-
149 :
ケイン濃すぎ
2007/10/16(火) 12:57:38
ID:321b8af00c
-
>たけくまさん
いや、おいそがしいところご返答ありがとうございます。
お仕事に加え他のスレへの対応などもあるでしょうし、せかして
いるワケではありません。
たけくまさんのお時間の許すときにても話を聞かせていただければ
と思っております。
-
150 :
メルヘンひじきごはん
2007/10/16(火) 12:58:10
ID:cf20258689
-
そうですそうです!ロザ公にギュネ公です!
とくしんとくしん。えこころえごころ。
-
151 :
1729
2007/10/16(火) 13:00:21
ID:81f37cf5e1
-
>>143 (ケイン濃すぎ)
> ラマヌジャンの例を引用する
結局ラマヌジャンのことは論旨に全然関係ないじゃありませんか。
ブラックボックスの中身の解明を試みるではないし(そりゃ、無理だとは思うけど)。
> 引用について理解
逆です。だからラマヌジャン云々はただの権威付けと理解しました。せいぜい、「マイナスイオン」や「ゲーム脳」並みの。
> あなたに不承不承認めていただく必要はありません
で、実際それはどうかと思うわけですが、
別にラマヌジャンの名前の使用権を持ってる訳でなし不承不承なわけです。
> そもそもあなたは彼の代理人なのでしょうか?
> それともラマヌジャン研究をした経験のある数学者なのでしょうか?
> 何故引用するのにあなたの許可が必要なのですか。
まあ、ただの筆のスベリに反論してもしょうがないですけど(許可云々は言いがかりでしょう)。
上述の理由で、そのような引用をしても議論に即してない(と思う)からです。
>>141 (めたろう) にあるように、
ラマヌジャンをラベルとしてでなく内容そのものと捉えた場合、全然意味がないことがわかりませんかねえ。
確かに一貫して言い方は悪かったのかもしれないが、内容をもっと見てくださいよ。
その内容がないってか。目が悪いのにわざわざ反論させてすまんね。
>>146 (メルヘンひじきごはん)
> 脳内物質
検証が必要だけど、その検証は土台、自分たちで出来ない(=手に負えない)わけです。
そんな自分で証拠(これ自体は他人の検証でもOK)を提示できないようなことを
議論の俎上に載せてはいけないというのがワタシの立場です。
-
152 :
メルヘンひじきごはん
2007/10/16(火) 13:00:41
ID:cf20258689
-
にしても
御大の「むつかしい時代人の類型化」がありがとーてたまらんちゃる。
-
153 :
メルヘンひじきごはん
2007/10/16(火) 13:05:57
ID:cf20258689
-
えっ
俺 マジでやろーと思えば検証リヤルでできる懸念。俺の理系頭脳とオレコの獣医学部卒もってすれぱ。
オレコと再邂逅の折第一声は「よっさど先生」予定。供に佐藤姓なのでふる。
-
154 :
ケイン濃すぎ
2007/10/16(火) 13:23:07
ID:321b8af00c
-
これについては終わりにすると書きましたが。
ここまでくるとなんだか面白いなあ。
-
155 :
1729
2007/10/16(火) 13:36:56
ID:81f37cf5e1
-
>>154 (ケイン濃すぎ)
ただ単に、この議論にラマヌジャンが出る幕はない、という意見なんです。
あなたは(多分)ラマヌジャンのコトなんてどうでも良いと思っているはずで、
結局は同じ結論(ラマヌジャンなぞ抜きでOK)だと思うのですが。
ワタシの書き方に(感情的に)反発しただけでしょう。
-
156 :
ケイン濃すぎ
2007/10/16(火) 14:50:04
ID:321b8af00c
-
>1729さん
いや、他の皆さんも書き込んでいる通り、「ラマヌジャンの公式の
発想法」と「作家の神が降りてくるように物語を書く作劇法」の比較
には意味がありましたよ。
あなたはさっぱり意味が分かっていないようですが。
>>136
>>139
この件に関しては
俺以外にはお二人の意見が出ていますが、あなたの言うことに同調
していますか? また、俺の言うことに反発した内容ですか?
お二人ともラマヌジャンの引用の意味を説明していますよ。
あなた風に言えば「ブラックボックスの仕組みの比較」には意味が
あるわけで、「他のジャンルだとこういった事例がある」という引用
は無意味ではありません。
ブラックボックスは解明できないからブラックボックスなのだと思考
停止するのはあなたの勝手ですが、人間はわからないものをいまある
条件から推測し、成り立ちを想像することが出来るのです。
またあなたの脳内で数学的異能者であるラマヌジャンは別格で、作家
とは比較できないと考えるのもまた勝手ですが、作家という職業が
世間に比較的ありふれているだけで、真の創造性を持った作家は
やはり普通人ではないのですよ(そもそも希少性の比較はしていない
けれどね)。
このスレは普通のことを語っているのではなく、「結末も決めずに
物語を書き始めることが出来る」という事例を「優れた作家に備わる
異能力なのではないか」と捉え、話し合っているのです。
そういう意味で他ジャンルの異能者の存在を事例に出す意味はあり
ます。結果的外れだとしてもね。
何度も言いますが、あなたが引用不要の根拠としている「ラマヌジャン
の経歴や功績などの詳細」は、最初からどうでもいいのです。
重要だったのは
「ラマヌジャンという突然公式だけ思いつき、証明は自分では出来ない
人間がいた。しかしその公式は(価値はともかく)正しいものだった」
という事例の報告なのです。
ここから「なるほど、そういう人間の思考メカニズムは作家と比較して
近いものがあるのだろうか」と比較検討する目的での引用ですよ。
比較推論するに必要十分なラマヌジャンの考察なども本から引用
して書き込んでもらえていたわけで(>>127 >>128)、あなたが
いう「彼の数学史的価値」を根拠にした引用不適切論(>>130)は最初
から的外れです。
事例があったということが大切なのであって、そんなことは誰も
さっぱり気にしていません(ラマヌジャンが空想上の人物だったと
いうのなら話は別ですがね)。
あなたがどう思っているかはブラックボックス過ぎて理解できま
せんが、ラマヌジャンの事例を出してもらったことで発想の仕組み
を考える手助けにはなりました。
少なくとも、あなたを除く三、四人は。
捉え方は三者三様で、言うことも少しずつ違っていますけれど、
それぞれ消化しています。その時点で価値、収穫はあったよ。
結論1729さん、あなただけがスレの話に対して自分の意見も出して
ないし、些末な反論以外になにも興味深い意見を生み出していない
ですよ。
色々な人の書き込みに対して文句しか言っていない。
まあ、あなたは「そんなことを考えても謎は謎のままだ」という立ち
位置のような気はしますが・・・
それならこのスレを読んでも不毛でしょうね。
ひじきごはんさんのいうむつかしい時代人・・・ですかね。
感情的に反発はしてないですよ。
していたらこんなに逐一かがみこんで諭すような書き方はしません。
出来ればスレタイにそった「何故物語の結末を考えずに書き始められ
るのか」について、あなたなりの考察を書き込んでください。
そんなことはわからない、以外の答えで。
-
157 :
メルヘンひじきごはん
2007/10/16(火) 14:54:44
ID:cf20258689
-
大麻が容易に創造性を刺激すんのはガチンコみたくある。俺はそこだけはコヴァサイドある。
-
158 :
1729
2007/10/16(火) 15:20:47
ID:81f37cf5e1
-
>>156 (ケイン濃すぎ)
> 感情的に反発はしてないですよ
そうでしたか。じゃあ別にいいですが。
> 結果的外れだとしてもね。
それが言いたいだけなのですが。
ただ、ラマヌジャン云々は議論自体というか、
そのバックヤードのハナシで、ワレワレのブレインストーミングを邪魔したのだ、
といわれればそのとおり。スマンこってすな。
なおも若干の言い訳をすれば
>>127-129 (◆ OZCI/VVVB2) のような書き込みを見て、
そんな方向性は間違ってるぞ、と思っただけです。
論拠はすでにいろいろ書いたからいいでしょう。
> 結論1729さん、あなただけがスレの話に対して自分の意見も出してないし、
> 些末な反論以外になにも興味深い意見を生み出していないですよ。
それは別にいいんじゃないですか? 変な(あるいはいい加減な)ことを
書いてる(と思ったら)文句くらい書いても。
個々の論拠が怪しいなら、全体として正しく議論できないんだから。
あと、特定の(知っている)例だから反応したのであって、
たとえば脳内物質に関してワタシは具体的な反論はできないし。
それぞれがよくわかっていることがあるんでしょうから、
それを持ち寄って議論すべきであって、
(評価に必要な専門知識がなくて)よくわからないものを
持ち出さなくたって立派に議論くらいできるだろう、ってハナシで。
で、今はそう思ってなくて、ブレインストーミングだったのに
勝手に議論と決め付けてしまって話の腰を折ってしまって、
ごめんあそばせと思ってますよ、ホント。
その上で、
> 出来ればスレタイにそった「何故物語の結末を考えずに書き始められるのか」について、
> あなたなりの考察を書き込んでください。そんなことはわからない、以外の答えで。
本筋に何か興味があればまたそれに関して書き込みたいとは思ってますよ。
ただ、ワタシにはその能力はないかも知れないですけどね。
-
159 :
めたろう
2007/10/17(水) 12:55:42
ID:ac2e8ce5d5
-
>ケイン様
ご配慮ありがとうございます。風邪が治りきりません、、、、(泣)。
「虚構内演技」の話の続きです。
作家が、脳内において「作・演出家」と「役者」の二つの側面を持つ、と仮定した場合。
「作・演出家」としての能力の強い人と、
「役者」としての能力の強い人がいる、と思われます。
通常、私達は、文章、小説などを読むにあたって、後者の能力、というものをあまり意識しません。書く側の人々もそうだと思います。けれども、
例えばノベルズで特定のキャラクターのシリーズを続けている人。
物語の構成よりも、文体、語り口に魅力がある人
等など、「役者」としての能力の強い方がいらっしゃるわけです。
SF畑の話ばかりで恐縮ですが、ここまで登場した中でいうと、
平井和正さん、新井素子さんあたりは、「役者」よりの人なのではないでしょうか?
本来、SFというのは、まず「作・演出家」側の能力が強くなければ成り立たない筈ですが、それでも幾多の「役者」よりの例はある筈です。
逆に、「作・演出家」側の能力の強い人の代表格は、小松左京さんでしょう。
そういう人は、「合作」という手段も取りうる訳です。
上記の「合作」は、漫画での作画と原作に喩えられると思うのですが、
文章における「役者」の能力は、漫画における作画作業の様に「発想の実体化」であり、それが「キャラクターとして生きる」事にもつながるのでしょう。
これには、発想能力以上に、スキルと訓練が必要になってくるのではないでしょうか。
-
160 :
渡辺裕
2007/10/17(水) 18:48:48
ID:547106d4b2
-
こういう流れになったとき、おもむろに「ハナクソ〜」とか言いながら
つ・ >>156
つ・ >>157
つ・ >>158
つ・ >>159
とか言えるような、そういう意味での悪戯心というか奔放さというか。
無いより、あったほうがいいと思いますね。あればあったで面倒くさいだけなんですけどね。
そういう面倒くささを予め放棄しちゃうか、せずに取って置くか。
そのへんにも、適性の差があるように感じます。
そこ「含めて」創作能力と認識できるかどうか。作ったものを自ら壊す的な発言が
以前のレスにあったように記憶していますが、そういうことかな? と。思いました。
-
161 :
めたろう
2007/10/17(水) 21:09:13
ID:5f998eca05
-
Q:上のAAを鼻くそ以外のナニかに見立ててみましょう。
回答例:「ドキッ!バニーだらけの水泳大会」背泳ぎ部門のスタート直前。
-
162 :
よだ(れ)
2007/10/18(木) 12:53:10
ID:15921fda93
-
>作家が、脳内において「作・演出家」と「役者」の二つの側面を持つ、と仮定した場合。
>「作・演出家」としての能力の強い人と、
>「役者」としての能力の強い人がいる、と思われます。
これいいですね。
漫画賞の発表なんかで詳細な評価がのる場合にも「役者」「演技力」と言葉はみかけませんが、
でも確かに、そういう形の才能はありえる、たくさんいると思いました。
(つい漫画に寄せちゃって申し訳ないです)
-
163 :
渡辺裕
2007/10/18(木) 20:23:30
ID:872b46e042
-
作品世界を「狭く深く」にするか「広く浅く」にするか、
どっちの志向性で捉えるかにもよると思います。
このスレだと狭く深くタイプの人が珍重されそうですから
私みたいなのは邪魔なゴミ虫でしかないんでしょうけど、
「広く浅く」的な要素を排除するか軽視するかしてると、
それを指して「センスが無い」「古臭い」って言われるんですよね。
なんでか知りませんけど。
ただ、狭く深くと広く浅くは中々両立できませんから、
どっかで折り合いを付けるか妥協する必要が、あるかもですね。
広く浅くタイプの人のほうが、シャーマン的な閃きに優れるような気もします。
-
164 :
渡辺裕
2007/10/18(木) 20:28:07
ID:872b46e042
-
でつ ←スヌーピー、とか。
私にはこういうセンスが絶対的に無いので、
ある人のシャーマン性(?)を凄いと感じますね。
「文章を書く」「物語を作る」という「縛り」に拘り過ぎると、
でつ は浮かばないですよね。
そもそも、文章を書いているの? 字を使って絵を描いてるんじゃないの? と。
そんな感じでもあります。
-
165 :
メルヘンひじきごはん
2007/10/19(金) 00:39:12
ID:c73f6bdd2e
-
にしこり
-
166 :
◆ OZCI/VVVB2
2007/10/19(金) 03:42:15
ID:980bd10b99
-
よみごたえのある面白いスレになってますね。でもまだ始まったばかりとおもいたい。(笑)
いろいろ思うことがあり、まとまったらそれぞれここに書きこみたいけれど、
いま『「知」のソフトウェア』をよみかけでもあり、とりあえず返事そのほかです。
>>121
いわれてみるとそうですね。いくらシャーマン型でも、
なんのキッカケもないというのは不自然なヘンな感じがしますね。
>>116のときは議論・論争のことがまずアタマにあり、
それとはちがうという意識があったのでああいう表現になりましたが、
このあたりのことはちょっと頭を整理してみる必要性を自分で感じました。
●
ケインさんは、オレがラマヌジャンをひきあいにだした意図を完全無欠に理解していますね。
脚本の説明はオレには勉強になりました。行動とセリフだけが基本とは初めてしりました。
なんかためしに読んでみたくなりました。
●
>めたろう さん
芝居のつくりになぞらえる話、いろいろおもしろいです。
オレの場合はむしろ逆に芝居のつくられ方の勉強にもなり、その意味でも興味ぶかいです。(笑)
●
>>160
渡辺さんはアレですか、ひょっとして議論屋・論争屋の素質がないですか?(笑)
上のほうの「みずからこわす」話はオレもよく理解できないながらも、
どういうことかと興味をおぼえますね。意味がいまいちよくわからないぐらいで。
-
167 :
ケイン濃すぎ
2007/10/19(金) 04:16:33
ID:5b4e2e3184
-
「神降ろし」やすいかどうかというか、「巨大な力を持った神」を
降ろせるのは間違いなく「深い」人だと思いますけどね。
面白みを内側から外へ抽出するには膨大な内側の力を必要とする
ので、「広い狭い」はともかく「浅い」人は大物を取り出せないん
ですよ。その浅さゆえに。
もっと分かりやすくたとえましょう。
精神を海だとすると、作家は自分の内海にダイブして「面白みという
神魚」を釣り上げてくるわけですよ。
海が広ければ広いほど吊り上げる確率は広がります。
無数に魚が生息するようになりますからね。よく開かれた海は生態
系が豊かになります。
しかし、一方で深さのない海は大きな魚が住みにくいんですよ。
魚は沢山釣ることができるでしょうが、深さがなければ小魚ばかり
になってしまう。
大きくて見た事もないような海の主ほど「海の底に深く潜っている」
もので、そこまで深く潜っていってそれを吊り上げるのは命を削る
に等しい。
そして深く潜れる海があってこそ、作家の心の中に「白鯨」のような
面白みが育つわけです。
この考えに照らすと、俺個人の志向としては広く浅くという作家に
はあまり食指が動きません。
コンスタントに消費されるものを生む職業作家さんに多いタイプ
ではないでしょうか。広く浅い人は。
どちらかというとスマートでなく不器用でもよいから、深い海を
持ち、そこへモリ一本で潜って壮絶に格闘し、自分の手足と引き
換えに巨大怪魚を釣り上げてくるような作家のほうが好きです。
時折自分の海の深さに溺れて生還できない作家もいたりして、それ
も含めて尊敬できる。
深く広い作家は・・・いたら最高の作家でしょうが、思い当たり
ませんねえ。
あれ、浅いほうがひらめく、というのに「いや、深い人のが激しく
ひらめくだろう」という話をしようと思ったのに全然違う話になって
もうた。
きっとこれは俺のうしろの百太郎が書いてます。
-
168 :
ケイン濃すぎ
2007/10/19(金) 04:27:48
ID:5b4e2e3184
-
>渡辺さん
>>167は>>163についてののお話でした。
忘れたので書き足します。
>◆ OZCI/VVVB2さん
脚本を書いた経験があるとはいえ、俺はゲーム畑でシナリオを
書いている人間です。
映画や演劇の脚本の本当のセオリーを間違えて捉えている部分も
あるかもしれませんから、話半分に聞いといてください。
一応、かつて特撮やテレビドラマの脚本の大御所先生(故人です)
に一時期師事して仕込まれたセオリーではおりますが・・・
-
169 :
めたろう
2007/10/19(金) 12:23:44
ID:a293029216
-
ケイン様
渡辺様の「深いと広い」の喩えは、専門性と学際性の事を言ってると思ったのですが。
知識の範囲を広く取った場合、より飛躍したバラバラな出来事の組合せを発生させうる、と言うことかと。
-
170 :
メルヘンひじきごはん
2007/10/19(金) 15:35:44
ID:c73f6bdd2e
-
interdesciplinary.
まだ実生活で使うチャンスに巡り会ったことがないすけども。「単語レモン」復活キヴォン。
-
171 :
渡辺裕
2007/10/19(金) 19:36:08
ID:ae66e6288a
-
濃すぎさんの見解(>>167)でもめたろうさんの指摘(>>169)でも、どっちでもいいんですよ。私としては。
どっちでもいいと言うと不遜な言い方ですかね? そだったら、すいません。
海の喩えで言えば、わざわざ深海まで潜って深海魚を獲らんでも珊瑚礁あたりでいいじゃない? とか。
そもそも「海中に潜る」という選択肢を採用しなくても、夕日に照らされてキラキラ光る水面を見てるだけでも美しいじゃない、とか。
そういう意味からの「浅さ」も考慮されたし? というか。
そんな感じでしょうか。
>より飛躍したバラバラな出来事の組合せを発生させうる
そですね。そっちのほうが近いです。でも別に>>167でも面白いと思います。
ある特定の質問設問に対して「正しく答えよう」という縛りを設けるのは却って害で、
勘違いでも何でもいいからピンと来た瞬間から突っ走って言い放題が、
広さ浅さ狭さ深さの相対・総体的なバランスがいいんじゃないかと思う次第。
議論によって先を詰める、の楽しみが薄れますけどね。
-
172 :
渡辺裕
2007/10/19(金) 19:38:52
ID:ae66e6288a
-
いずれにしても、自分の頭からひり出せない発想や知見や見識を得ることができるわけですから、「話」は面白いですよ。
…という意味合いくらいでゆったり構えてlet's暴言。とか。そんな感じです。
-
173 :
ケイン濃すぎ
2007/10/20(土) 03:39:59
ID:9a57e17521
-
>>169
>めたろうさん
同じことですよ。
自分の内海というのは知識や見識を含む、思考の器とそこにため
られたあらゆる内容物のことですから。意識のスープというかね。
海が広いとは知識の幅が広いことと同じ意味です。
だから、海が広ければそれだけたくさんの種類の魚がとれると
書いたわけです。
しかしやはり知識の幅が広くても、「それが何であるか」に対して
の考察が浅ければ、そこからひねり出されるアイデアというものも
軽いものになる。
パッとした思い付きだけで破綻してしまう話とかよくありますが、
ああいうのは基本的に浅瀬で釣った魚なんです。
やはり本物を釣ろうとしたら、ある程度の「深さ」は必要になる。
そして一生に一作品しか作る気がないであるとか、一生同じテーマ
で物語を産むとか言うことでなければ、深さだけはなくて広さが
必要になるということですよ。
やはり色々な種類の大物が釣るほうがよいはずです。
>>171
>渡辺さん
浅瀬で釣った小さな魚じゃたくさん釣れてもメインディッシュに
ならない、そういう考えなのですよ。
もちろん浅瀬の魚をたくさん釣るような作家もいると思いますが
・・・
小魚は食べさせても誰の心にも残らない。
心の水面をながめているだけで「人に食べてもらえる」サイズの魚
が釣れる作家がいたら、その人は天才ということだと思います。
そんな人が本気で海に潜って書いたら、えらいものを書くかも。
しかし散歩にでも行くような気軽さでいつでもポンポンキレのある
アイデアが出せたら、俺もこんなに悩まないわけですが・・・
たしかに、そんな日が作家の一生のうち全くないとは言いません。
しかしそんなアイデアは本当に長年熟してきたものが、何かの
トリガーによって一気に深海から急速浮上してくるのであって、
すべてはその人間の内海の蓄積(深さ)ナシには起こらないこと
だと思っています。
ちなみに俺は本当にこの答えを知りたいと思っているので、あまり
意図的な脱線や適当な物言いをすることは出来ないし、他人にされ
たいかといえばNOです。話の軸がブレるから。
ただ、やめろとも言いませんよ。暴言はどうかと思うけど。
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174 :
めたろう
2007/10/20(土) 04:07:32
ID:b483eca3de
-
さっき、脱線の話を芝居のエチュードに絡めて途中まで書きかけたんですが、
掲示板が自体フリーズしよりまして、、、、(泣)
やはり下書きは大切です。
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175 :
渡辺裕
2007/10/20(土) 11:08:25
ID:eec5fe3c7a
-
主食は米で魚は主食じゃない! とか言い出したら冒涜なんですかね?
軽いものが好まれる背景には、そういう思潮もあるかも。
それと、深いところにしか居ないってのもある種思い込みで、
漁に出る人や釣りに行ったりして見聞きする限りで言えば、鮪でも鰹でも秋刀魚や鰯でも、
水面近くに「浮く」んですよね。それを網でサーッと浚う、みたいな。
金魚掬いの超巨大版みたいなもんかと思います。
深いところまでわざわざ潜って深海魚獲っても、それはメインディッシュにはなりにくいと感じます。
普通、人の口に上る魚の大半は「上澄みを掬ったもの」ですから。
ある程度深いところに居る「上等な魚」は当然居ますから、それらを養成するのは浅瀬じゃ無理よね、とは思います。
その点に関して、深さを追求する発想は間違ってないと思うんですね。むしろ正しい。
また、深さはその人の創作意欲やバックボーンになりますから、決して否定するわけではないんですけど。
でも結局、人の口に上るものは「上澄み」ですよ、と。そんな感じでしょうか。
浮かなきゃ、意味ないよ。という感じです。
浅い・深いをどのレベルで捉えてるかにも、よりますね。
私は「浅い」は水面0メートルから100メートルくらいまで。
「深い」は100メートル以下深海海底まで。という具合に捉えてます。
ずいぶん大雑把ですね。
多分、ケイン濃すぎさんの言う「浅い」は、
潮干狩りできる程度から釣りなどで糸を垂らして自分で格闘して釣れる程度とか。
そのくらいの距離感かな? という感じ。
いかがでしょう?
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176 :
ケイン濃すぎ
2007/10/20(土) 12:56:20
ID:011c431d07
-
>>175
たとえ話なんで、主食は米でもかまわないですが。
田んぼと稲じゃうまくたとえられません。
深海魚はマスの口には合わないということはあります。
何しろ味わいが強烈過ぎたり、得体の知れない形のものであったり
もしますからね。味が理解できるまでに時間が必要だったり。
受け取る側の「舌が肥えている」必要もあるかもしれません。
そういう意味では純文学的志向でもないなら、エンターティメント
としてのものを求めるなら、「そこそこの深さに生息する魚」に
とどめる必要はあります。
その「そこそこ」をどこに規定するかという話はしません。
目指す漁場は作家によって違いますからね。
しかし水面近くにいる魚(釣りあげるのに苦労しない魚)っていう
のは、やっぱりありふれた、「誰にでも釣れる魚」なんですよ。
もしくは質の低い魚か。
そういう魚が大量に投網にかかっても、商品にはならないです。
確かにそういうものを釣るしかない作家もいるとは思いますよ。
誰でも思いつく、素人が書くような素人的な話を作るという。
仕方ないのかもしれませんが、ライトノベルや半分同人ソフトの
ようなアドベンチャーゲームのシナリオライターなどに多い・・・
(ライトノベルやAVGにも当然よい作家もいますが)
俺は深さを追求しているというより、「深さがないと上等な魚は
育たない」という渡辺さんもおっしゃるとおりのことを言っている
だけです。
ただ浅瀬の魚をすくうことで「ことが済む」なら、アイデアをどう
ひねり出すのかなんて誰も悩まないわけですよ。
あとはその人が「釣るか釣らないか」だけなので。
漫画「ハチワンダイバー」で将棋盤にダイブしないで勝てる相手
なら苦労はしないということですね・・・。
結局、作家というものは「とにかく多くの作品を生む」ということ
より「より面白い作品を生む」ということを普通は目指しますから、
その秘訣として「うわずみの魚をすくうような書き方」はやっぱり
ないと思うんですよね。
「結局一般人はうわずみの魚を食う」なんてシニカルな結論付けも
出来ませんし。
鉱山で言えば、掘らないで金が採れるならいいんだけどね。
広く浅く掘るより、深く広く掘るほうが当然金は出やすい。
しかし通常ムリなので、ある程度の広さで深く掘る。
そしてどちらかというと掘り下げる深さが必要でしょう。
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177 :
めたろう
2007/10/20(土) 22:07:22
ID:b483eca3de
-
えーと、お二人の話に加わるのは後回しにして、
やはり「虚構内演技」の続きに行きたいと思います。
「虚構内演技」、今度は読者の側のお話。
SF畑の作家さんを引き合いに出してきまして、
次はいよいよ、畏れ多くも我らが筒井康隆師についてでありますが。
師は、その出身もあって、「役者」としての能力が飛び抜けており、
且つその「作家の役者面」と言うべきモノに自覚的であった、稀有な方だと思います。
「感情移入」という役者的なメンタリティで文学に取り組む内に、
メタフィクションの領域に「キャラクターの自律」という側面から踏み込む事になったのだと思います。(最近、東浩紀さんと対談し、キャラクター小説に興味を持たれたりするのも、連続した流れであると思います)
しかし同時にそれは、それまで「虚構内演技者」としての圧倒的なパフォーマンスを示していた師が、
一歩引いた、「作・演出家」としての側面へシフトしてゆく事でもありました。
「虚人たち」等の、メタフィクションに傾倒していった頃から、
その難解さゆえか、「面と向かって作品を貶す読者達」がエッセイなどに登場し、
罵倒の対象となりました。同時に、
「彼らは本気でつまらないと思っている。ナゼダ。」と悩む師の姿が登場します。
今にして思えば、当時の筒井師の多くのファンは「虚構内演技者としての筒井師」のファンなのであって、文学史的に重要な作業であっても、登場人物に一線を引く傾向について行けなかったのだと思います。
また「感情移入」という、読者に求められるスキルの面では、格段にハードルが上がる事になりました。
それまでの「役者:ツツイヤスタカ」の分身たる「俺」や、魅力的な「七瀬」の一人称に比べて、
「虚人たち」での三人称の世界観、「虚航船団」の文房具、と言った物事への感情移入は、
そうした訓練を積んでいない、すなわち役者のスキルのない読者にとってはかなりの無茶フリだったのでは無いでしょうか。
閑話休題。
実は、「虚航船団」に関しては、当時中学生だった私にとって、「文房具への感情移入」はさほど難しいものではありませんでした。他の子ども達もそうだったと思います。
たしか「虚航船団の逆襲」で、中学生から多くの支持が来る、と師が驚いてみせるくだりがあったかと記憶していますが、多くの児童文学、漫画において「無機物の擬人化」というのはさほど珍しいものではありませんでしたから、子どもなりに楽しむ事が出来たはずです。
その代わり第二部の世界史のパロディは全く歯が立たず、とばして第一部と第三部だけしか読みませんでしたが。
第二部を楽しめたのは、受験勉強を経た大学生になってからです。
(第三部は「役者:俺」がめちゃくちゃやり放題のサービスを見せてくれるので、ゲラゲラ笑いながら読んでました。但し「作家の意識の流れ」といった難しい事までは理解してなかったと思います。)
この話、「朝のガスパール」に続けます。
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178 :
渡辺裕
2007/10/21(日) 01:38:13
ID:62153ac29e
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>>鉱山で言えば、掘らないで金が採れるならいいんだけどね。
大量採掘・大量消費を前提にしないなら、「砂金獲り」なんて技術で通用する時代もあったですよね。
日本全国どこの川へ行っても、大量生産さえ気にしなければ、砂金は獲れるんですよね。
「作り手」に属する人間がそれでいいと思うかどうかは別ですけど、ユーザーの嗜好は、もちょっと牧歌的かな。と思います。
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179 :
ケイン濃すぎ
2007/10/21(日) 04:29:59
ID:a6e45b9610
-
なぜ結末も決めずに文章(物語)が書けるのか?
という話題は、そういう意味で言うと「牧歌的ではない」ですよね。
何しろ作家の持つ「秘訣(奥義)」を解明しようという試みですから、
答えはありふれたものではないわけです。
だから皆でああでもない、こうでもないと考えをこねくり回して
いるわけで。
ユーザーというのは一体どのあたりを指して言われているのか
分かりませんが、自分が仕事をしてきた感じで言うと、お客さん
は物凄く手厳しいしナメたらすぐに見抜かれるし、作る側には期間
とか戦力とか色々な言い訳が存在するわけですけれど、まったく
「そんなの関係ねぇ♩」です。おっぱっぴーですよ。
まあ当然、お客さん(読み手側)にこちら(書き手)の都合は関係ない
です。期待値以上は提供しなければならない。
そしてそんな重い責任を背負いつつ、結末も決めずに物語を生み
出し続ける、そしてちゃんと結末を付けられるというのは並みの
精神じゃないんですよ。
そういう感覚なので、ユーザーの志向が牧歌的かというと違うと
思うなあ。つまらんものにはお目こぼししてくれないもん。
どんなにそれを一生懸命に作ってもね。
もしかしてほのぼのした漫画やハートフルストーリーな小説は牧歌
的に生み出されているとお考えでしたら大間違いですよ。
読み手は「あははー」と気楽に肩の力を抜いて楽しんでいると思い
ますが、そういう作品のクォリティを保ち続けるために作家は白髪
になったり失踪したりするケースもありますからね。
たとえば漫画家だとあづまセンセとか有名ですけれど。
うーむ、余興でだいぶ話がそれてきたので、この辺で俺も本論に
戻ります。
というか、たけぐまさんのお話待ちですね。
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180 :
ケイン濃すぎ
2007/10/21(日) 05:09:48
ID:a6e45b9610
-
>>177
めたろうさんの話はとても読み物として面白いですね。
子供って自我が確立していないじゃないですか。
それはつまり「何者でもない」精神状態であり、逆に言うと「何者
にでもなれる」精神状態ということがいえます。
自他未分化で壁がないんですよね。
子供って非常にスピリチュアルなメンタリティーなわけです。
伊達にまっくろくろすけが見えたり、要請さんとお話が出来たり
はしないわけですよ。まじめな話。
「自分が何者かを知った」大人からしたら、別の生き物です。
筒井先生の「メタ化」というのは、やはり純粋な精神というか、
心情を描きたかったのかなあと思います。個人的には。
何かにたとえることで、他の無駄な要素が削げ落ちて「見せたい
ものだけ浮き上がる」のではないかしら。
無機物の精神を描くというのは、俺はSF作家が「サイボーグ」を
題材にするのと近いフィーリングなのかなあと思ったり。
その筒井先生の作品を読んだことはないのですが。
サイボーグは精神以外は機械で、意識以外は「生き物ではない」
わけです。
無機物の容器に「精神だけを浮かべた」存在のサイボーグって、
肉体的な苦痛やら欲求やらあらゆる生理現象から開放されている。
サイボーグの中身を(攻殻で)「ゴースト」というのは、そういう
意味もあると俺は思っています。
ある意味何十年も修行して悟りを開いた坊さんのような境地に
サイボーグはあるわけで、純粋な精神そのものを描くには最適な
設定なんですよね。
そういった設定の「ミソ」を読み解くというのは確かに苦労する
かもしれない。
「何で筆箱なんだ」と正面から考えたら、大人は思考停止します
からね。「人間は筆箱とは違う」という結論で。
-
181 :
渡辺裕
2007/10/21(日) 10:50:28
ID:c80c62f0cd
-
>ユーザーの嗜好は、もちょっと牧歌的かな
この言葉に対して
>ユーザーというのは一体どのあたりを指して言われているのか分かりませんが(以下略)
とくるから、あーなるほどねーと思いながら見てるんですけど。
双方、ズレてますよね。と思いました。
-
182 :
ケイン濃すぎ
2007/10/21(日) 17:22:01
ID:fd0147d80f
-
そのズレの内容が分かっているのなら、教えていただけると理解が
深まるやもしれませんね。
俺からすると渡辺さんの持論は難解で理解できていないというのが
本当のところです。「こんなことを言っているのかな」と推量で
書いていますからね。
腑に落ちていないんです。
-
183 :
名無しさん
2007/10/22(月) 00:37:51
ID:2a4e5d10bc
-
多分、仮に筒井先生本人がここに現れて
具体的にどうやって結末を決めずにお話を書いているか説明しても
あんたたちの誰も「腑に落ちない」だろうよ。
-
184 :
メルヘンひじきごはん
2007/10/22(月) 00:56:13
ID:800a666b39
-
ン。
俺ア筒井翁が大江翁が「結末なんて書いてるうちにダヨ」「シンジラレナ〜イ」とゆう大意の文章を書かれたのを
昭和散讀しただが
あれば夢ノ木分岐点での出来事だつたのだらうか。
さておき メルヴィル 白鯨 アメリカ清教徒 ポー ナントカのおーうづ(大渦)
あたりにリヤルありな 社会情勢になんじゃーねーすか。地道な方が今までより報われる状況。確かに天才は
減るかも。
パクりがほぼまづムリィな世界になりあンしたからテデスの遺言の回はよかったなあしみじみ。ある。
-
185 :
へよ
2007/10/22(月) 01:18:24
ID:3f4bfa30f3
-
>>渡辺さん
>>ケインさん
割り込み失礼いたします。
もしかして、ずれてるのは『ちょ、おま、無茶苦茶だ! ご都合主義だろ! だがそこが
いい!』みたいなタイプの傑作に対するカテゴリ分けなんではないでしょうか。
これは渡辺さんいうところの「浅瀬に浮いた大魚」の典型例なのだと思います。
浅瀬=一般(=「牧歌的なユーザー」)受けするジャンルに存在する大魚=傑作、ですね。
ケインさんのいう大魚はもうちょっと抽象的な、『無茶苦茶でご都合主義な展開であっても
“面白い”と思わせる力』とでもいうあたり…という気がしてきました。
小魚(=セオリーどおりの物語=>>29以降で長谷さんの言う「専門学校系」の「のっぺり
した物語」)では無茶苦茶さとご都合主義の壁を超えて“面白い”と思わせることが
できない、だからこそケインさんは、作家は大魚を求めなくてはいけないと考える。
この考え方で私が>>179を要約すると、「牧歌的なジャンルにも大魚はいる」ということに
なります。それに対して渡辺さんは「いや、君の言う大魚=傑作とは、通俗小説や読み捨て
マンガといった浅瀬には、存在しないものなんだろう?」と言っていた、と。
“傑作”にも種類があるんですよね…
これが話を難しくしている原因のような気がします。
私の中で、圧倒的な物語に打ちのめされる快感(これは長谷さんのいう「詩心」と通じるもの
だと思うのですが)は何にも替えがたいものがあります。ですが、私はおもいっきり軽い
ラブコメや特撮ヒーローや超能力バトルものでニヤニヤできるラノベ脳(あるいは小学生男子
脳)の持ち主でもあります。
渡辺さんの言う「浅瀬で小魚と戯れる」というのはまさにこの脳天気な楽しみ方のことで、
「牧歌的なユーザー」とは、この後者のようなタイプを指すのではないかな、と思います。
もう少し言うなら、前者がケインさん言うところの「白鯨のような物語」なのかな、と思って
います。
……さて、私はどこまで読めているやら。
-
186 :
ケイン濃すぎ
2007/10/22(月) 04:05:14
ID:3162071ca5
-
>>183
確かに、誰も筒井先生にはなれないという意味では、「腑に落ち
ない」ということになるでしょう。
あとは自分なりにどこまで「論理として」消化できるかです。
ま、当たり前のことを当たり前のように突っ込まれても、ちっとも
かしこくは見えませんよ。
>>185
なるほど。そういうかたむきでながめてみれば、一本スジが通る
ような気がしますね。ありがとうございます。
ラノベって不思議なものですからね。
あれは小説の形はしているけど、中身は絵のある漫画に近い表現
のジャンルという気がします。
文章物語だけでは成り立たず、挿絵(の出来)がとても重要だったり
もするじゃないですか。
言ってみれば文字の比率が極限まで高まった漫画だとも言える。
いままでになかった世界だから、古い枠は通用しないでしょうね。
そんな世界では浅いことに意義がある、たしかにそうかもしれま
せん。「必死すぎる」ということですね。
俺はちょっと苦手だから、認めたくなかったのか。
なるほど、ようやく腑に落ちました。
-
187 :
渡辺裕
2007/10/22(月) 22:55:58
ID:953da47450
-
なんか話がこんがらがる方向でばっかり物を言っててすいません。
基本的に、ケイン濃すぎさんの一連のお話も「>>185へよ」さんのまとめも、私が何か言うよりよっぽど面白いんで何も言わずに放っておこうかなと思ったんですけど。それはそれでアレなんで、何か言いますね。
海の魚について。
基本的に、海の魚は、浅いところ(水面0メートルから水深100メートルくらい)で獲れるもので上等だ、という感じ。
前の方で話題に上っていた「深海魚」は、学術的には必要だと思うし生態系としてあっていいと思いますけど、商品…というか「皆様の手元に届くもの」としては、必要ない。そうバッサリ切り捨てていいと思っています。
まず、食べられないから。異形で味も定かでないものは、基本的にオタク向けというか同人誌やエロゲー界隈で十分ですし、それ以上のテリトリーを有するべきじゃないと思うんですね。食べるための努力云々以前に、見た瞬間気持ち悪がって避けるに決まってますから、魚嫌いを促進することはあっても好奇心を刺激しないものだと思います。一般的に。オタクな人は好奇心が図抜けて凄いですから、(ある意味)何でもいいんでしょうけど。
んで、いわゆる「プロ」の人が読者さんに向けて創作物を発信するときって、どうやっても「ひとり以上複数(多数)向けに何か出す」じゃないと、ダメでしょ。俺のお客はひとりだけ、とは言えない。
俗な言い方だと「1冊500円の本を1万人に売ったら500万円。でもひとりに売ったら単価500万円」となるわけで。どんなに奇特な人でも一個人の作品に対して500万円は払わないわけですよ。1万円とか2万円とか、そのくらいだったら払うかも知れない客でも、500万円は、まずあり得ない。だから、いわゆる「プロ」は世間的に見て極小数が愛でるような創作物であっても絶対に「不特定多数に向けて発信している」という姿勢じゃないと何も出来ないと思うんですね。
なので、そもそも居るのか居ないのか分からない的な「深海魚」は、そもそもお呼びじゃないって感じです。「深海魚」が実は大漁に居て、漁法さえ開発すれば無尽に獲れると。そういうのであれば話は別なんですけど。
いわゆる一般的なお魚…鮪でも鰹でも秋刀魚や鰯でもいいですけど、その中で、より大勢の大衆に食べていただけるお魚を見つけ出して獲るのが、本道だと思います。
ケイン濃すぎさんのおしゃるところの「深海魚」は、そういう前提で私なりに解釈すると「本当に海底数千メートル界隈に居るようなゲテモノ」じゃなくて「マグロ漁船がマグロを獲りに行ったときに網に掛かった他の魚(外道魚)」とか、他の業者がだいたい100メートルくらいのところに網張って魚獲ってるけど濃すぎさんは300メートルくらいのところに網張って、(決してマグロ狙いじゃなく)そこで獲れる魚を獲ってると。
その程度に解釈しています。
それが、本当に字義通り「海底数千メートルでしか獲れない深海魚」をわざわざ狙っているのであれば、それは根本的に無駄だとしか言いようが無いんですね。調査船調達して学術技術に拘って何度も何度も調査しないと、そもそも深海には潜れませんよね。そういう条件下で、そこで獲れる魚を漁獲高がどの程度になるかも想定しないまま獲りに行って、何百万何千万という資金やそれに見合うだけの学術知識を動員して、結局2,3尾しか獲れませんでしたという場合、その魚を「世にも珍しいからお前ら1億出してでも買え。味は保障しないな」とか言っちゃったら、それは根本的にあり得ないわけですよ。
なので、ケインさんの喩えは字義通りの解釈じゃなく、自分なりの解釈で「いいんじゃね?」くらいに捉えさせていただきます。
そういう意味合いから、「深いと言ってもその程度」と。言い方が偉そうですけど、まぁそんな感じで捉えてますね。
本当に「深いもの」は、獲りに行くのはご勝手なんですけど、多分採算も何も合うもんじゃないですし、そもそも行ったところで「獲れるとは限らない」性質のものだと思っていますから、私は、気にしません。
んで、いわゆる下魚・雑魚の類ってのは鰹や鮪(上物)に対する秋刀魚や鰯のような大衆魚ということで納得してるんですけど、ケインさんのおっしゃる「上物」を鮪や鰹と規定して話を進めた場合、例えば「マグロのトロは超凄い! コレ食ったら雑魚なんか食べられない」と。そういう意味で「上物を狙え」なのかな、と思ってるんですね。
それに対して私は「いや、庶民の財布には限度ってもんがあるから。幾ら上物であっても、そもそも買えなければ買わないし、なんとなく買わないものというイメージが出来ちゃってるものは安く売り出しても買わないんだ」と。それよりは「今年の秋刀魚は脂が乗って超凄い!」とか「鰯が大漁で食卓が賑やかに!」のほうが、いんじゃね? と思っていると。
そんな感じでしょうか。
あと、水面で云々について言えば。
作品・商品を「魚」と限定する必要は別に無くて、例えば行楽シーズンになったら家族総出で潮干狩りに出掛けたりするし、カップルが車飛ばして海を見に行ったりするし、スキューバダイビングが好きな人は勝手に潜ったりするし、年端のいかない子供であれば海水浴に出掛けて波打ち際でチャプチャプやってるだけで、そこで小魚を見つけただけで十分嬉しいわけですよ。
そういう意味合いからの「浅さ」も考えてみては? という感じですね。
作品を「魚」と規定して「獲りに行くもの」という風に直線的に考えるだけじゃなく、もうちょっと広がりというか空間というか世界というか、そういう次元から考えたら、また違った見方が出来るんじゃないですかね? みたいな。
それはここのスレで言うところの「なぜ結末も決めずに文章(物語)が書けるのか?」←方法論、とは全然別物の話にもなるんで思いっきり場違いなんですけど。
提示された目標→方法論→議論→解決、みたいな直線的な発想を一旦捨てて、釣りキチ三平的に言うところの「どこがアタリか」「釣ることだけを考えるんじゃなくて釣りやすい場所探し・場所作り・撒き餌等おびき寄せの手口を工夫しよう」とか、そういう部分から総体的に考えてみることによって、何か別の閃きというかアプローチというか、そういうのがフッと湧くことがあるんでね? みたいな。
そんな意味合いですね。
私には「閃いたり思いついたり」するまでは出来るんですけど、そこから先、目標(?)が決まってから突撃する能力がありませんので。
その方法論を云々お話しするんであれば、ただの邪魔者なんですよ。んだけど、目標を見つけて突撃するのが上手な方は、往々に「そもそもの目標設定がアレで硬直的」だったりしますんで。
そこに一石投じることができるんであれば、まぁそれでいいかな…くらいの按配です。
そういう意味で、海の話。そんな感じです。
-
188 :
めたろう
2007/10/22(月) 23:36:19
ID:3245940203
-
うーむ。全体の話からは外れてしまう様に思えるものの、
「読者」「観客」「受け手」の話には向かっている筈なので、
「朝のガスパール」の話一回目、行ってみます。
この、読者参加企画で、筒井師はゲームマスターとして比較的明瞭にゲームのルールを提示して見せたと思います。
この作品は階層構造を持っていて、
@ネットワークゲームの世界
Aゲームの登場人物の「シャドウ」(特定のキャラを専有またはそれに準じる形で演じる)
になって楽しむ、管理職たちのオタクな世界と、その妻達が織り成すセレブの世界。
B @Aを「朝のガスパール」として新聞連載している、橡沢という作家の家庭の世界
C 筒井師自身や読者のいる現実世界
の大きく4段階に分かれ、作品中ではBを軸として、
概ね@、A、Bが回り舞台の様に順番に現れる構成になっていました。
(「電脳筒井線」の位置づけは、今日においては単純にC現実世界とする事は出来ないと思われますがここでは触れません)
@とAの関係、ゲームの登場人物と「シャドウ」達の関係は、
Bの現実世界や電脳筒井線の参加者達の、この小説への参加の仕方について説明する、
「あそびかたの例」になっていたと思います。
Aでの「シャドウ」たちの様に、お気に入りのキャラクターを選び、その役柄を演じる、
「感情移入」を求めるものである様に思われました。
しかし、この作品はその様には進みませんでした。
作品中で、橡沢が誤算だったとこぼしているのですが、読者参加で大きな戦力となるはずだった「電脳筒井線」の参加者達は、@の登場人物達に固執し、Aの世界の登場人物、特にセレブたちを嫌悪し、作品後半で、大量にいたセレブ達が、一気に事故死で粛清されるに到ります。
その原因としては
・周り舞台の様に世界が切り替わる為、階層構造という意図が伝わらず、また理解した人にも、そもそも階層構造という、「作家の自意識」をモデルとした概念が受け入れられなかった。(どちらかと言うと等価な並列世界の様に受け入れられたと思います)
そしてなにより
・セレブのパーティーという設定が反発を呼んだ。
というのがあると思います。
これは、当時郵便投稿で参加していた大学生の私にとってもそうでしたが、全く縁遠い世界だったのですね。
ところが作品中、最も数多く役柄が準備されていたのが、このパーティーシーンでありました。
(続く)
-
189 :
渡辺裕
2007/10/22(月) 23:46:00
ID:39137bf139
-
>>176 ケイン濃すぎさん
>鉱山で言えば、掘らないで金が採れるならいいんだけどね。
>広く浅く掘るより、深く広く掘るほうが当然金は出やすい。
>しかし通常ムリなので、ある程度の広さで深く掘る。
>そしてどちらかというと掘り下げる深さが必要でしょう。
の例え話に対して
>>178 渡辺裕
>大量採掘・大量消費を前提にしないなら、「砂金獲り」なんて技術で通用する時代もあったですよね。
>日本全国どこの川へ行っても、大量生産さえ気にしなければ、砂金は獲れるんですよね。
>「作り手」に属する人間がそれでいいと思うかどうかは別ですけど、ユーザーの嗜好は、もちょっと牧歌的かな。と思います。
こう来て、そんで時系列的に
>>たけくまさんのエントリー
>「ラブコメッサー」をみんなで見よう!
こう来てるんで、嗚呼面白い流れだな〜と思いながら見てるんですけど。
砂金の話。
いっこ前(>>187)のレスでもちょっと触れましたけど、
>俗な言い方だと「1冊500円の本を1万人に売ったら500万円。でもひとりに売ったら単価500万円」となるわけで。どんなに奇特な人でも一個人の作品に対して500万円は払わないわけですよ。1万円とか2万円とか、そのくらいだったら払うかも知れない客でも、500万円は、まずあり得ない。だから、いわゆる「プロ」は世間的に見て極小数が愛でるような創作物であっても絶対に「不特定多数に向けて発信している」という姿勢じゃないと何も出来ないと思うんですね。
↑ここの部分から超疑って懸かってみると、また面白いと思うんです。
私とか安直に「1冊500円の本を1万人に売ったら500万円。でもひとりに売ったら単価500万円」←こんなこと言ってますけど、別に「でもひとりに売ったら単価500万円」←こうである必然性は、無いんですよね。別に。1冊500円の本をひとりに売っても1万円とかで止まっちゃってね。プロ視点だと採算合わないから絶対にあり得ないんですけど、「なんかやっちゃってるよこの人」的にマグナム面白い。ヤバいくらい号砲。そんな感じでしょうか。
奇しくも「大量採掘・大量消費を前提にしないなら「砂金獲り」なんて技術で通用する時代もあったですよね」←こんな感じ。
ユーザー的には、こういったレベルのほのぼのさというか…まぁ別に実態がどんなもんやら知りませんけど、往年の技術(多分いまどき廃れちゃってあり得ない)を今さら活かしちゃった系の痛快さというか。
そういうのを求めてる側面も、あるんじゃないかな? と思う次第です。そういう意味で「牧歌的」という言葉を使ってみました。
プロにやれって言うのは無茶なんですよ。無理すぎ。
んでも、そういう部分が
>>185 へよさん
>もしかして、ずれてるのは『ちょ、おま、無茶苦茶だ! ご都合主義だろ! だがそこがいい!』みたいなタイプの傑作に対するカテゴリ分けなんではないでしょうか。これは渡辺さんいうところの「浅瀬に浮いた大魚」の典型例なのだと思います。
↑コレだったりして。侮れない。そんな感じでもあります。
別に制作手法を見直せとかどうとかそういう意味じゃないんですけど、発想の内側に、こういったセンスを内包しているかいないか。そこいらへんも、いわゆる「シャーマン型」になれるかなれないかの境目だと思いますよ。
私はあんまり興味ないんで詳しくは知りませんけど、魔法・呪術と現代文明・近未来文明(ロボットとか?)の融合って、割と古くからあるパターンですよね。
最近で言えば『ちびまる子ちゃん』『あずまんが』『ハリーポッター』なんかそうですけど、実際にあった話(ありそうな話? 経験談?)をモチーフに、適当に与太話や妄想話や幽体離脱視点を混ぜ込んでいったらいつの間にやら亜空間、とか。
方法論的に、随分似通っているような気もするんですね。
魚の話と混ぜこぜになりますけど、それはそれで「浅瀬に浮いた大魚の典型例」だと思うんですよ。
いかがなもんでしょうか?
「んだからそれを見つけ出す方法論を議論によって導き出そうとしてんじゃねぇのかゴルァ」とか言われると私も困っちゃうんですけど。
私は「あくまで話の上」と割り切ってるから暴言込みで色々言い合って、面白ければそれでいいじゃないスタイルなんで。
閃きと継ぎ接ぎと脊髄反射でモノを言ってますんで、かみ合わないところがあるようでしたら、申し訳ないです。
プロの人はいろんな制約があるわけで、その中でも特に「毎回決まったペースで安定した作風を提供し続けなければならない」というのが、物凄い負担になるんですよね。
ここは、私も何年か前に雑誌の記事を連載してたんでよく分かるんですけど(現役の創作作家さんに比べれば微々たる苦労でしかないですけど)、
そういう状況で凝り固まってしまうと、どうしても直線的に考えてしまいがち。
その点、プロじゃない人にはそういう負担がありませんから。無い分、勝手気ままなんですよね。
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190 :
渡辺裕
2007/10/23(火) 00:10:32
ID:5deb943002
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プロは負担という土台(舞台)の上で動いてる。
素人やユーザーは負担という土台がそもそもない。
こういった立場の差から、発想の差が出たり広がったりすると思うんですね。
どちらの立場から出る「閃き」や「シャーマンセンス」も、質の差はあれど、私にはどちらも等質のように思えます。
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191 :
zwei
2007/10/23(火) 01:08:56
ID:a3730075d5
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某数学者の辺りで、一通り自分の中で決着が付いたので、書き込みを控えてました。
二人の論点がずれているのか、自分の考えがずれているのか確認の為にレスします。
ケインさんの言う広いっていうのは、知識の量、
深いって言うのは情報の純度の話だと考えています。
釣りに例えると混乱しそうな気がするものの、一番しっくり来るので
こいつでいかせて貰います。
広く浅い 海でも川でも、何所で何が釣れるかは分かる
狭く深い 他の魚は知らんが、○○釣りなら任せろ
っていう話だと俺の中では思ってるんですよ。
広く浅い人は○○という魚については詳しく分からないけど、
ターゲットにするなら調べる事によって深くなることができる。
逆に、狭く深い人はその経験を応用できるかもしれないけど、
逆にとらわれすぎる可能性がある。
どっちも調べればいいという話ではあるんですが、
狭く深い人は何が分からないか分からない、
という状況に陥りやすいって話だと私は思ってるんですが、どうでしょうか?
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192 :
ケイン濃すぎ
2007/10/23(火) 01:30:02
ID:e42aed7be7
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やはり渡辺さんはたとえ話を誤解していますね。
というか、湾曲して解釈しておられる。
あとで詳しく説明しますが、「ラブコメッサー」はまごうことなき
「深海魚」なんですよ。
それを容易に釣り上げる才能というのが評価されているのです。
そして深海魚というのは作家のイドそのものだから、他人が買う
ものじゃない。そもそも他人のために釣り上げてない。
渡辺さんのたとえに沿うなら、「500万円でも作者本人が買う」
つくりの本ということですね。
それでも人が共感する「深海魚」ということがすごいわけです。
つまり芸術、芸術家と同じなんですよ。
深海魚に他人が勝手に価値を付けたのであって、本人が売ろうと
計算して釣り上げたものではないでしょう。
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193 :
ケイン濃すぎ
2007/10/23(火) 01:36:08
ID:e42aed7be7
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>>191
そのような解釈で捉えていただければだいたいスジが通ると思い
ます。
いま「アイデアのつくり方」を読み始めまして、はからずしも俺の
言いたいことが書かれてありましたので、今度抜き出して説明
させていただきます。
今夜中に出来たらしますが・・・
めたろうさんのお話も面白いので、続きをお待ちしております。
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194 :
zwei
2007/10/23(火) 02:38:36
ID:70d0826f0a
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>ケインさん
レスありがとうございます
そして、深海魚というのは迷宮の中の財宝って所でしょうか?
テーマとその他の設定という迷宮を四苦八苦しながら財宝を探してく。
最新部まで潜らないでも、ある程度の作品は作れる。
でも、読者の記憶に残る作品を作るのだったら、最深部のお宝をゲットしたいという所ですかね?
渡辺さんが言っているのは、途中で手に入る財宝でもそれなりの評価は得られる、
深くまで行く時間で他の遺跡に潜る、って感じですかね。
個人的な意見としては、どちらもプロとしてアリだと思います。
オレのような素人の一学生にはこんな感じで写っているんですが、どうでしょうか?
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195 :
◆ OZCI/VVVB2
2007/10/23(火) 03:33:10
ID:eca306ddf0
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>>183
上のほうのレスの >>13 には
「筒井自身は結末を決めずには書けないようですが」
とかかれていますが、
あなたのかきこみでは筒井先生は「結末を決めずに書いてる」ともよめますね。
どっちがホントでしょうか。オレは筒井ヲタでもないし、
筒井氏の本をたくさんよんでもいないしで、わからない。
というか、オレも筒井氏の『短篇小説講義』と『着想の技術』をよみたくなってるが、
いま本をそんな無制限にどんどん買ってる余裕もないので、なんともままならんのだ。
うーむ……
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196 :
◆ OZCI/VVVB2
2007/10/23(火) 03:40:34
ID:eca306ddf0
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めたろうさんの読んでると筒井康隆がいろいろよみたくなってしょうがねえ(笑)
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197 :
ケイン濃すぎ
2007/10/23(火) 06:45:44
ID:e42aed7be7
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渡辺さんの意見に事細かに答えようと思ったのですが、内容が錯綜
していてそれに反駁してもなんだかアラ探しっぽくなるだけなので、
ここは持論を補強する形で行こうかと思います。
俺がなぜ海の話をしたのか、「アイデアのつくり方」の説明に照ら
してお話します。
そしてそういった考えがある上で、「必死すぎない良作」もあると
いう認識を新たに加えたいと思います。
こういう意味なら、俺も「浅瀬の魚のよさ」が分かるという感じ。
以下、ちょっと引用が長くなります。
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198 :
めたろう
2007/10/23(火) 07:07:05
ID:c9cc935f45
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「朝のガスパール」は建前は「結末を決めずに書く」という事で始まりましたが、
思ったより「キャラクターが自律」せず、話が脱線も広がりもしなかった事例と言う事かと思いますし、
その結末は、概ね作者の初期構想のそれであったと思われます。
皆様過分のお褒めありがとう御座います。
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199 :
ケイン濃すぎ
2007/10/23(火) 07:28:59
ID:e42aed7be7
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【アイデアのつくり方】より抜粋。
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『アイデアは新しい組み合わせである』
(前略)アイデアはひとつの新しい組み合わせであるという原理と、
新しい組み合わせを作り出す才能は事物の関連性を見つけ出す才能
によって高められるという原理を心に留めて、いよいよこれから
アイデアを作る実際的な方法あるいは手順といったものをみていく
としよう。
(中略)
第一の段階は資料を収集することである。
(中略)
集めてこなければならない資料には二種類ある。特殊資料と一般的
資料とである。広告で特殊資料というのは、製品と、それを諸君が
売りたいと想定する人々についての資料である。
私たちは製品と消費者について身近な知識をもつことの重要性を
たえず九日するけれども実際にはめったにこの仕事をやっていない。
(中略)
私たちは大抵この知識を収集する過程であまりにも早く中止して
しまう。
表面的な相違がほとんど目立たないような場合、そこには何ら相違
点がないとすぐきめてしまう。しかし、十分深く、あるいは遠く
まで掘り下げていけばほとんどあらゆる場合、すべての製品とある
種の消費者との間に、アイデアを生むかもしれない「関係の特殊性」
が見つかるものなのだ。
(中略)
特殊資料を収集することの意味はこういうことである。
一般的資料を集めるという継続的過程もまたこの特殊資料を集める
のと同じように大切である。
私がこれまでに知り合った真にすぐれた創造的広告マンはみんな
きまって二つの顕著な特徴をもっている。
第一は、例えばエジプトの埋葬習慣からモダン・アートに至るまで、
彼らが容易に興味を感じることのできないテーマはこの太陽の下
には一つも存在しないということ。
(中略)
第二に彼らはあらゆる方面のどんな知識でもむさぼり食う人間で
あったこと。広告マンはその点、牛と同じである。食べなければ
ミルクは出ない。
さて、この一般的資料を収集するのが大切であるというわけは、
私が先にいった原理つまりアイデアとは要素の新しい組み合わせ
以外の何ものでもないという原理がここへ入りこんでくるからで
ある。
広告のアイデアは、製品と消費者に関する「特殊知識」と、人生と
この世の種々様々な出来事についての「一般的知識」との新しい組み
合わせから生まれてくるものなのである。
(中略)
一つの広告を構成するということはつまり私たちが住んでいるこの
万華鏡的世界に一つの新しいパターンを構成するということである。
このパターン製造機である心の中に貯えられる世界の要素が多く
なればなるほど、新しい目のさめるような組み合わせ、
即ちアイデアが生まれるチャンスもそれだけ多くなる。
------------------------------------------------------------
上の説明に俺のたとえ話は符合するわけです。
つまり海の深さというのは「特殊資料」のことを指しており、物語
を書く者にとっての「製品と消費者」とは、大雑把に言って題材と
読者と言い換えられると思います。
ただ物語作りは広告という「完全に第三者へ向けたもの」とは違い、
「作家自身という読者」「作者の使いたい題材」の存在も肯定され
ます。
物語は自己表現でもあるから、完全に客観が正義ではない。
だから物語という作品は商品であると同時に「私物」でもあり、その
視点があることは注意しないといけません。
「潜らなければよい魚は捕れない」というたとえは、つまり「関係の
特殊性」を見い出す作業を指しています。それは情報を単純に洗うと
いうだけではなく、自分が一体何を訴えたいのか、何を言いたいのか
を深く探る作業です。自分の心の裏側を見つめなくてはならない。
これには非常な精神的重圧が伴います。まさしく溺れ死ぬ寸前でよう
やく答えを導き出すようなこともしばしばです。
そこまでやって、かなりの大物がとりだせるわけです。
以上が海の深さが必要だという話と、潜るのは命がけで、潜らな
ければ大物は釣れないという話です。
そして「アイデアのつくり方」でいう一般的知識というものが、
まさしく海の広さですよ。
ただ「アイデアのつくり方」の方がはるかに明快な解説になって
います。深海から釣り上げたような斬新で一見とっつきにくそうな
物を、ある程度食べやすくする効果があるという話ですよね。
つまり作家独自の視点、斬新なアイデアを、一般的な知識をまぶす
ことによって普通の人々にも理解が及ぶようにできるということを
言っている訳ですね。
ただ先にも述べたように、作家の生み出す物語というものは表現で
ある以上、作家の主観から離れすぎるとその価値が失われます(特に
作家にとって)。
作家の求めるところによっては深海魚なんだけど近海マグロの姿を
していたりもしますが、作家の本性によってはレバイアサンみたいな
ものからクトゥルフみたいなものまで色々あります。
そこは常に作家にとって戦いです。
商売なのか、自己表現なのか。
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200 :
ケイン濃すぎ
2007/10/23(火) 07:45:28
ID:e42aed7be7
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長くなりすぎてしまい、申し訳ありませんでした。
「濃すぎ」というのは自嘲を含めたハンドルなのです。
よく仲間にも議論好きだなといわれます。
そうそう、上のような考え方がある上で作家が深さを拒絶して、
浅瀬の魚を釣るというスタイルがいまはあるという認識が俺にも
生まれました。
「分かっていてやる」ということですかね。
書くほうも読むほうも。
読むほうもいかに浅瀬の魚かに期待しているので、マジネタが
入ってくると興ざめみたいな。
そうなるとお約束の知識、かなり広い浅瀬が求められるわけで、
それはそれで一朝一夕にはできない才能って言う感じはします。
へんな言葉ですが、浅瀬に深海魚を飼うって言うのはどんな
精神なのか、俺の理解を超えています・・・
これまた余談ですが、大昔、たぶん浅瀬の王様だと思うんですが、
作家の築地俊彦先生(まぶらほの作者)と同じ会社でバイトして
いましたよ。新井輝とかも社員でいましたが。
築地さん、当時はブラックユーモアな人だったんだけどなあ・・・