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なぜ結末も決めずに文章(物語)が書けるのか?

1 : たけくま ★    2007/10/06(土) 19:40:33   ID:??? 
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_76b8.html

2 : 忍天丼    2007/10/06(土) 20:10:47   ID:d5a52e4f44 
演繹法と帰納法という事ですかね??

3 : たけくま ★    2007/10/06(土) 20:19:10   ID:??? 
大きく言えば演繹法なんですけど、僕は古語の「係り結びの法則」に
近いものじゃないかと思います。ある「物語素」には、それにくっつき
やすい性質を持った「物語素」があって、それによってあたかも
自動的に物語が書けていくように感じることがある。筒井が書いていたことも
そういったことではなかったかと。
まあ筒井の本が手元にないので引用ができないんですが。


4 : たけくま ★    2007/10/06(土) 20:23:46   ID:??? 
「係り結びの法則」は、ちょっと違うかな。どちらかというと
「枕詞」とそれに続く言葉の関係に近いかもしれません。
「たらちねの」と来れば「母」という言葉がくっつくような。

物語にも、そういう法則性があるということを筒井は言ってた
ような気がします。さっき慌ててアマゾンから注文したんですが、
俺の思い違いがあったらごめんなさい。


5 : 名無しさん    2007/10/06(土) 20:48:18   ID:0a1eb3cbd7 
人間の行動はすべて物理的、化学的な反応の集積として自動的に決まっていくもの。文章書くのも、創作することもまたしかり。

6 : ぷっく    2007/10/06(土) 20:57:53   ID:8bb2838d00 
気持ちを誰かに伝えたくて書いてるので
結末なんて考えてない


7 : あ〜    2007/10/06(土) 21:05:21   ID:f30fa41901 
むしろ、結末がないと進めないと考える理由がわかりませんです。

大仰なわりにはあんまり論議が広がっていかない話題になりそうですね。


8 : クラ    2007/10/06(土) 21:05:58   ID:0ad6cb5af5 
本棚から引っ張り出して斜め読みですが・・・
新潮文庫「着想の技術」では元々頭の中にある断片が無意識内の作業によって
着想に変わると言うような事を書いています。
それが一瞬にして起こる事もあると。

また、筒井は「書き出しから終わりまで計算して書き出すが、
無意識の力でアドリブ的に書いてしまう事も計算に入れておく」
みたいなことも書いていたような気がします。


9 : ぷっく    2007/10/06(土) 21:12:26   ID:8bb2838d00 
ディックとか絶対後付けってゆーか破綻してるんだけど
めちゃオモロイ


10 : ぷっく    2007/10/06(土) 21:50:34   ID:8bb2838d00 
書きながら頭の中整理するって場合もあるでしょ

11 : たけくま ★    2007/10/06(土) 21:57:57   ID:??? 
あ。もしかすると同じ筒井でも
「着想の技術」と混じっていたかもしれない<俺


12 : マンガ    2007/10/06(土) 22:00:37   ID:9846744884 
結論ってのは、書きたいことのひとつでしかないからじゃないですかね?

技術報告書なんか、それこそ、
すでにあるグラフやすでに出ている速報や
週報やブロック図を
切って貼って、結論に「うまくいったので、めでたしめでたし」って
書くのがフォーマットですね。

同様に僕が趣味で書いてるシナリオなんかも、書きたいシーンがつながってて、破綻がなければ、
結論/落ちはたいした問題じゃないことが多いですね。
ブツっと終わるのも演出のひとつと思えばALL OK みたいな

ブログなんかでも、元ネタのサイトや、データや写真が、不足なく貼ってあって
それに、賛成か反対かできれば変化球なんかが流れとしてつながってれば
結論なんかなくてもまあ、いいかな?とかそういうのが多いと思いますよ。
「それについては、あとで書く」みたいな。


13 : クラ    2007/10/06(土) 22:06:50   ID:0ad6cb5af5 
短篇小説講義の方も見つかったので・・・
筒井自身は結末を決めずには書けないようですが、
無計画な事を否定的に捉えてるのではなくむしろ憧れてる感じですね。
自分はそんなことの出来るような天才ではないが、
いい加減に書いてしまう事もありそういう部分も重要だと。


14 : セガ    2007/10/06(土) 22:33:00   ID:5829be6808 
小説家の保坂和志さんは、『書きあぐねている人の為の小説入門』で、
面白い小説はどこで終わっても面白いわけで、結末が重要ではないみたなことを
言っていて、自分も映画とかを観てる時に結末が重要ではなく、それまでの課程の
描き方が面白くなければしょうがないと思ってしまいます。


15 : next49    2007/10/06(土) 23:50:11   ID:a68ad914f2 
>> 7
> むしろ、結末がないと進めないと考える理由がわかりませんです。

上の方でも出ていますが、報告書や学術論文は、
基本的に報告と説得が目的なので、結末(結論)が一番伝えたい
事柄です。他の部分は結末を理解してもらうためにつける
補足でしかありません。読み手の背景知識を考慮して、
説明の詳細度を変えます。

ですので、報告書や学術論文は、結末「〜は***である」が
決まらなければ本来は一行も書けません。


16 : 西班牙美咲    2007/10/07(日) 02:11:14   ID:41e1c4ca32 
推理作家の内田康夫は行き当たりばったりで書くそうですね。
ダイイングメッセージも適当な言葉を並べて後から真相を考えるとか。
まぁ、2時間ドラマ作家なのでネタは概ねショボいですが、
たまに行き当たりばったりが意外性につながることがあるのが興味深い。


17 : おおた    2007/10/07(日) 02:25:15   ID:e0501f6fe4 
〆切があると書けると聞きましたが・・

18 : 結末と言えば    2007/10/07(日) 02:33:23   ID:64fc915bed 
カフカの「審判」は未完で中抜け状になっていますが、とても完成度の高い終章は書かれていますね。
下記のページによるとカフカはほとんどの作品は推敲せずに一直線に書いていったらしいですが。
http://www.sanseido-publ.co.jp/booklet/kafka_booklet.html#2


19 : nonbug    2007/10/07(日) 04:37:04   ID:b97838625b 
ソフトウェア・プログラムの手法なのですが
まずなんとなくカン、つまりいきあたりばったりで作り始めちゃって、
とりあえず動くものを作ると。

そうすると何が必要なのかや不備が分かるので、
完成したプログラムを破棄して設計段階からやりなおし、
新たに作り直す。というのがあります。
(往々にして時間がなくて試作でしかないものを運用することがあるのですが……余談)

オモシロイのは完全な論理性を求められるプログラムを作るのに、
まずはいきあたりばったりから始めるというところで、
結構、論理積み上げ式の発想法が得意なのではない人が多く、
また行き当たりばったりでも(効率や完全な無謬性はともかくとして)
とりあえずつじつまのあったものはできてしまうってことですね。


20 : 名無しさん    2007/10/07(日) 05:57:27   ID:e19384df28 
>>5さんの発言とかぶってますが、
人間だれしも先のことはわからないのに生きていけるじゃないですか。


21 : 湯宿    2007/10/07(日) 11:25:24   ID:8353f7eac9 
僕も創作を仕事にしてるはしくれですが、結末は考える時もあれば、
考えつかないまま初める時もあります。
ただ一貫してるのは、まず最初に、ほとんどアドリブで一気に最後まで書く。
そしてそれを叩き台として、後から徹底的に推敲して、二稿、三稿と
ブラッシュアップしてゆくやり方です。
その時に別の結末が思いつけば、変えてしまう。
それに合わせて序盤や中盤の展開も修正してゆく。
文章なんて後でいくらでも直せるっていう、典型的なワープロ世代の
書き方だと思います。
手書きやタイプライターなら、絶対にこんな書き方やりたくない。
ああ、昔の作家は実に偉大だったんだなあw

これはつまり演繹法で叩き台を作って、帰納法で修正してくやり方なんでしょうか。
一回目でちゃんと書けるとは、自分でも信じてないので、まずは叩き台を
つくるんだと、最初から割り切って演繹法で書いてます。
そして一稿目を推敲して、修正点を探す時は、徹底して読者の目、編集者の目で
客観的に見るように心がけてます。

長々と書きましたが、要するに結末を決めずに書けるのは、そんなもん後で
思いついたら文章をチャッチャと直せばいい。ワープロならそれが楽に出来る。
そう思ってるからですね。


22 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/07(日) 11:53:51   ID:a27a99d546 
話題がひろがって興味ぶかいことになってますな。

しかし、とにかく竹熊さんは本業というか、
作品の連載とか記事とかを優先した方がいいと思いますよ。

どうもこのところ、時間帯を問わずしょっちゅうここにいるように見えることがおおいし、
最初は「サルまん」がひと段落してからBBSにするとかいう話だったのが、
いきなりBBSがもうすでにたちあがってたりして、
しごとの優先順位はだいじょうぶなのかな……とか、
他人ごとながらフシギに思ってた。

オレは2chでもなんでもネット上のやりとりにおいては、
つねにオレさま都合「だけ」で書きこんだり落ちたりしますよ。
面談してるわけじゃないし、それがいちばん合理的じゃないかとおもうからです。
「これで落ちます」とか断るひとはおおいけど、
オレはそんな断りも一切なしの「オレさま都合」だけでやめることも、
それほどめずらしくないですよ。ネットでのやりとりはそれでいいともおもいます。

そういうものだとおもってこそ、
逆にネットの長所が生かせるんじゃないかともおもいます。
書きこんだ後はいつでもそこをみれば読めるわけですから、
時間に変更をうけないわけです。時間を超越する。
梅棹忠夫さんが『知的生産の技術』のなかで「過去の現在化」みたいなことをいってますが、
これはそれとおなじだとおもいます。何年まえのものでも現在のものになる。
「現在のもの」として検証なり、批判なり、評価なりができる。

オレはこれはヨーロッパでの神学論争のありかたの普遍化・一般化のように感じてます。

聖書は段落ごとに番号がついていて、番号だけでその内容の意味をあらわすことさえできるため、
猟奇殺人犯が犯行現場にその番号をのこすことで、
自分を捜査するオマワリとのあいだで一種のゆがんだコミュニケーションをとる、
みたいな話が映画やドラマでひろくみられるほどですが、つまり、
そのようにひじょうにひろく(しかも時間の経過を超越して)一般化できる条件を最初からそなえた書物・情報です。
しかも聖書は同一のものがキリスト教圏内でならきわめてひろくどこにでも分布しています。
そのうえ、それは大むかしからつづいているのです。距離も時間もこえてあまねく分布してる。

それらの物理的条件がととのってこそ、千年単位の長期にわたる学問(神学)が成立しているとおもう。
逆にいうと、それらの物理的条件がなければその長期にわたる広大な学問史はなかったとおもう。
ということは、したがって、聖書でなくても、どんな内容の情報でも、聖書とおなじ物理的条件さえととのえば、
だれにでもおなじ学問史が開始できるし、また、それを成立させる可能性をそなえたことにもなります。

で、まさに今のこうしたデジタル情報というかコンピューター通信網にのってる情報はすべて、
「神学における聖書」とおなじ条件をちゃんとそなえてる。だからそれを「現在のもの」としてとりあつかい、
検証し、批判し、評価できるようになった。どんなにくだらないコンニャク情報でも、
神学とおなじとりあつかいができるようになった。

つまり、ヨーロッパでの神学論争のありかたの普遍化・一般化だとおもうわけです。

それが、いまのネットというもののもたらしてるきわめて重要な側面のひとつだとおもいますが、
竹熊さんの最近のここにおける過去エントリーへのアクセスしやすさの件も、
本質はこのことだとオレはおもいます。

……というようにだな、オレがコザネをつかわないでダラダラ書いていくとだな、
最初とは何の関係もないヘンな話につながっていってですね、
やがて正反対の内容が同一の文章のなかで同居してたりしてですね、
つじつまがメチャクチャになっていくわけですよ。

だからコザネなしではちゃんとした文章がオレにはかけんのです。
しかし他方コザネなしだとつづるのがラクでしょーがないな。たしかにコザネ法は面倒くさい。


23 : よだれ    2007/10/07(日) 12:51:00   ID:0176f9745d 
どうも。ちょっとズレた発言になりますが、自分は「脱線」が好きです。
ブログで何かについて書いていて、いつのまにか別の話に至っていて、
なんで脱線したんだろうと考えて最初の話とあとの話をムリヤリ関連づけると、
あ、それが言いたかったのか、そういう事か、などと納得したりします。
ちょっと荒木飛呂彦に影響された考えだとも思うんですが、なんか運命とか、
単純に計れないものの力に脱線の方向を促されてるような、
要するにジャズとかセッションみたいなもので、音楽の偶然性に似てるとも思います。
まんが書いてるんですが帰納法では書けないですね。
自分も演繹法で書いて帰納でまとめるまさにそのタイプのようです。
オチよりもコマ重視というか、まんがの形で書かないとシーンの面白さが設定・確認できないというか
困ったりはしますがこれはこれで楽しいものです。


24 : ちゅどーん    ちゅどーん   ID:ちゅどーん 
ちゅどーん

25 : 長谷邦夫    2007/10/07(日) 13:12:49   ID:6700b07eee 
赤塚不二夫とのバカボンなどのアイデア会議では、
「結末」は、最初に一瞬にして思いつくことはタマにありました。
しかし、それを目指して構成してゆくのでは、スリリングな
ストーリーが出来ないことを、経験的に知ったわけです。

その最初に思いついてしまった「オチ」をどう超えていくかが
勝負どころですね。
ここに「気合」と「度胸」が必要です。これが、トシ老いて
くると発揮出来なくなるんですよ。

『がきデカ』で、最高にぶっとばしているころの
山上さんと、新宿の酒場で突然再会したことが
あったんですが〜、そのとき、開口一番彼は
「ギャグって気合ですね!長谷さん」と言ったんです。

あの慎重派の山上が、やはり精神的に変容を遂げていた。
ぼくにしてみれば、当然だよということなんですが…。
でも、ぼく自身もストーリーマンガから、ギャグへ行って
体験していたことです。

これを編集担当者で言いますと、
バカボンが「気合」のデガラシ記者。
現在、講談社役員の五十嵐さん。
ア太郎〜ニャロメ路線が、「アイデア」の
デカバナ武居記者。
定年退職の武居俊樹さん。

実にぴったりの担当記者にめぐまれる「幸運」が
赤塚不二夫にはあったんですよ。
もちろん、彼らを夢中にさせる面白い性格が
赤塚にあったんですが。
本来、赤塚はこのどちらかのタイプかといえば
ソノ中間なんですね。以外とマトモでリアル。

ぼくがそれを「ぶちこわす」役どころだったと思います。
ストーリー作家は、この3つの要素を自分でコントロール
していく必要があるから、大変ということになりますかね。

結末を考えずに進む、このやり方は「壊れる」という
恐怖との闘いを続けつつやるわけで、ある意味面白い。
まさに「センス」が問われ、一歩間違うと駄作になる
可能性も大きいと思います。
それを怖れていては「現在」の作家にはなれないと思いますが。


26 : たけくま ★    2007/10/07(日) 13:13:05   ID:??? 
レスつけたら失敗したので削除して書き直しました。これは管理人特権ですね(笑)
>よだれさん

僕は多摩美でマンガ史教えているんですが、学生の作品もよく見る
機会があります。これはこれでエントリにしたいと思っていたんですが、
「イメージ最優先」でマンガを描く人がいて、これは美大生に多いですね。

普段、絵を描いているのだから、これは当然なのですが、マンガとしては
困ってしまうことが多い。つまりイメージはどこまでもイメージなので、
ストーリーにはなりえないからです。
イメージは感覚的なものですが、ストーリーには論理性が必要になるでしょう。
絵画からマンガに入る人は、ここがわかってない人が多い気がします。

僕も演繹と帰納を織り交ぜて作品を作るやり方がバランスがいいと
思います。


27 : たけくま ★    2007/10/07(日) 13:22:52   ID:??? 
>「結末」は、最初に一瞬にして思いつくことはタマにありました。
>しかし、それを目指して構成してゆくのでは、スリリングな
>ストーリーが出来ないことを、経験的に知ったわけです。
>
>その最初に思いついてしまった「オチ」をどう超えていくかが
>勝負どころですね。

>長谷先生

僕も「サルまん」で同じ経験をしました。
まったく同感です。ギャグ作家として成功するには、最初に
思いついた「オチ」を捨てる度胸があるか?にかかってくると
思います。


28 : モリ    2007/10/07(日) 14:05:20   ID:554d8ff845 
テレビでVTRの構成を立てるときは
項目を書いたポストイットを壁に貼り付けて
並べ替えたりする方法がよく採られますね。
特にNHKでは。


29 : 長谷邦夫    2007/10/07(日) 14:06:14   ID:6700b07eee 
>たけくまさん
ね、そうですよね。

ぼくはいつも赤塚から「お前は理屈っぽい」と言われてました。
もちろん、それに恥じることは何もありません。
それを「壊す」「超える」ことで、苦しみ、また喜びを発見!
していったんですからね。
ぼくは「理屈っぽくなくなったらオシマイ」と思っていた。

美術系はイメージですか〜。う〜ん、これはまあ当然でしょうが。
専門学校系はこれが無い(笑)で、ストーリーも平凡ときちゃい
ます。

「言語」からのイメージ・想像力があればいいのですが、
彼らには「詩」に対する関心も読解力も、実に貧弱。
日本の国語教育の最大の問題のはずなのに<ゆとり>トホホ。

詩人・詩に対する勉強というか,感性を育てることは
日本のマンガの将来、アニメの将来、小説の将来を
育てることに繋がっていると思う。

そういえば、ブラッドベリが87歳で
『タンポポのお酒』の続編を出した〜との
記事が朝日に出ていました。


30 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/07(日) 14:34:45   ID:a27a99d546 
ブラッドベリってまだ存命中だったんですか……!
オレはまたてっきり……いやいや失礼千万だな……
いやあ、しかし個人的に今日いちばんの衝撃のニュースでした。(笑)



たしかにこれは「脱線」とかかわる話ですね。

「結末の有無」という点は場合によりけりで、
いろいろみたいですね、どうも。

コザネ法は最初にわざと意図的に脱線のすべてをやってしまっておいて、
でてきた脱線のすべてをひとつのこらず合理的・論理的につじつまがあうように配置する技法、
いろいろならべかえることで完結した配置を発見する技法という感じがする。

これって竹熊さんがよくいう「編集」とか、個々のものはだれかのマネにすぎないが、
そのあたらしい「くみあわせ」は無限にできる……というときの「くみあわせ」とかの話と関連するとおもうなあ。

しかしシャーマン型のひとは(結末はともかく)物語のさなかではブレないということのようで、
ようするに「脱線しない」というふうにきこえる。これっておなじ人間のような感じがしない。
どんな精神状態かよく理解できない。1どそんな体験してみたいですね。なんかうらやましいですね。

しかし結末の有無は脱線とは無関係かもしれませんね。上のみんなの書きこみをよむと。
脱線しても、しなくても、どっちにしても、結末もまた、あったり、なかったり、
ということみたいに読める。

いちばん信じがたいのは、題さえビシッときまれば結末までキッチリでてくるとかいう話。
人間ワザとおもえない。たとえじゃなくてホンモノのシャーマンってことなんじゃないのかな、
ひょっとして。あたまを解剖してみたいような。


31 : 渡辺裕    2007/10/07(日) 14:44:07   ID:240ca77115 
 若い子はワーキングプアで大忙しですから、中長期的な展望が必要な感性よりも、
目先の判断でビビッと来るか否かの感性を磨いた方がお得なんじゃないですかね?

 多分そういう判断力は「得か損か」みたいな俗なレベルじゃなくて、
感性に刷り込んでるくらいのレベルで「常識」でしょうから、

>詩人・詩に対する勉強というか,感性を育てることは
>日本のマンガの将来、アニメの将来、小説の将来を
>育てることに繋がっていると思う。

 ここに期待するのは止めといた方がいいと思います。


32 : 渡辺裕    2007/10/07(日) 14:51:05   ID:240ca77115 
>いちばん信じがたいのは、題さえビシッときまれば結末までキッチリでてくるとかいう話。人間ワザとおもえない。

 これについては、漫画や小説などストーリー作りがお仕事の場合だけじゃなく、
 雑誌や新聞の記事を作るときだって「いい見出しが出来ればその記事は売れたも同然」という意見がありますよ。
 漫画や小説の場合は書き込みが膨大かつ緻密なのでその部分に惑わされる(?)という感じかもしれませんけど、
 およそ表現物の作成に関わる業種の人であれば、チラシや広告から美術芸術に至るまで、そういうセンスの存在を認めるのは普通かなぁ。

 あと、逆に「始めに物語を自分で勝手に書き上げて、後から題名を考えてくっつける」手法もあると思うんですけど、
 多分「題さえビシッときまれば結末までキッチリでてくる」タイプの人は、後から考えて表題決めるやり方だと何も決められないと思います。


33 : 渡辺裕    2007/10/07(日) 15:00:39   ID:240ca77115 
 芸術家肌の人って、>>31,>>32の文章じゃないけど、
「なんでお前は”思います”とか”ありますよ”みたいな断定口調で仕切ってるかのような物言いをするんだよ!? そもそもお前は管理人でも何でも無いだろ」
 みたいな傾向があるように見えます。
 自分の世界みたいなのが結構強烈にあって、それを伝えることに直截的ですから。
 実力があって周囲に認められれば芸術家なんでしょうけど、それが無ければただの天然自己中でしょうね。


34 : メルヘンひじきごはん    2007/10/07(日) 15:28:10   ID:0cd40e7959 
断定出来ぬ者男にあらず。蔭間でもやって俺。

…だから俺じゃねえだろうIME。お前つこうとると単独まむざヰがでける。


35 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/07(日) 15:50:12   ID:a27a99d546 
>>32
なんというか、オレの考えは単純素朴で、
題と中身なんて本質的に無関係みたいな感じがするわけですよ。
なんというか、どんな題にしようと作者の自由だろ、みたいのもふくめて。

たとえば『小学2年生』という名まえの雑誌で犯罪心理学の最先端の成果を特集しても、
極論すれば自由だろうとおもうわけです。そうしますと、くだんの話でいいますと、
「小学2年生」という誌名さえビシッときまれば、中身の犯罪心理学の記事もキッチリきまるんだ、
というようにきこえるわけです。

単純素朴に「そんなのありえないだろ……」という感じがオレはするわけです。
雑誌そのものの名まえと、文章や記事の表題とはちがうだろ、という話はわかるにしても、です。
「それとこれはべつじゃないのか……」という。だから人間ワザにおもえない。

どんな心のしくみがはたらいてるんでしょうね。


36 : めたろう    2007/10/07(日) 15:57:41   ID:e78b9cc0c0 
ちょっと話がずれるかもですが。

「駄洒落」ってとても大切なものじゃないのかなぁ、と思ってるのですが如何でしょう?

最小限の「意味」で、物事の相似点を見つけ出し、「論理の飛躍」を生み出せる。

「〇〇つながり」で思いも寄らぬ要素を引っ張って来て組み合わせたり。

「駄洒落」は、相似点で呼び出される物事の距離がかけ離れたものが大きく、ギャップを楽しめると思うのです。


37 : メルヘンひじきごはん    2007/10/07(日) 15:58:29   ID:0cd40e7959 
実際俺が餓鬼の頃は『小学3年生』あたりから「別冊探偵推理クイズブック・きみはこのなぞが解けるか!?」
みてーなのは5656山田ゴロ。


38 : メルヘンひじきごはん    2007/10/07(日) 16:07:19   ID:0cd40e7959 
「眩いと不平を云うよりも
すヽんで灯りを点けましょう
するとをふくろ消しに来る」


39 : めたろう    2007/10/07(日) 16:12:43   ID:e78b9cc0c0 
題名と内容の話ですけども。

題名が決まると内容が瞬時に出てくる、のではなくて、
題名と内容が不可分に同時発生するのだろう、と思われます。
正確には、やはりまず内容が、
その思想ですとか、ディテイルとかあらゆるレベルで
「降りてきて」
そのディテイルの一部として題名もあらかじめ決まっているのかなぁ、
と思います。

昔、素人役者をやっていた頃ですけども、
脚本を最初に本読みする時に、
「この読み方しかない」という感覚を持つ事はありました。

但しこれは、長期に渡って内容を崩したり再構成したり、ブレストを体を使いながら行い、
更に集団芸術である芝居においては邪魔になるだけの感覚でありましたが。


40 : 名無しさん    2007/10/07(日) 16:13:30   ID:e7a2503a8e 
駄洒落の天才 唐沢俊一

41 : 渡辺裕    2007/10/07(日) 16:16:50   ID:ae6ceaf7dc 
>>35
 『小学2年生』の話は面白かったですね。

 そこまで発想の幅を広げたら、そりゃ誰だって出来ないとは思います。
 作家さんは、皆が皆そういうレベルで発想をしてるわけじゃないですよ。
 多分、OZCI/VVVB2さんの言う「素朴な考え」のままに作家として大成したら、そりゃ私も神様だと思います。凄すぎます。

 もうちょっと卑近に「取っ掛かりが欲しいだけ」だったりしますけどね。実際は。
 見出しや表題に込める意味って、その程度のもんでしょ。

 あと、味のある作家さんって、子供の頃の思い出を、もの凄く大事にしますよ。
 その時感じた気持ちやセンス。そういうのをずーっと大事に持ってて、いい見出しやいい表題は、
 そういう「心の奥底の扉を開ける鍵」みたいなもんなんですよ。そんな感じ。


42 : メルヘンひじきごはん    2007/10/07(日) 16:18:10   ID:0cd40e7959 
俺の演繹法帰納法の概念把握ってなー

前者:答・結末決め付け
後者:論理整合性を確かめつつ到達

ですし昭和作法じゃ紛れも無くそうっすから それに挑戦してる自覚と世代間齟齬を生む覚悟は
持っていただきたい。


43 : メルヘンひじきごはん    2007/10/07(日) 16:23:41   ID:0cd40e7959 
しかし

確かに字面だけ追うと

誤ってたのは本多御大ってことがありうる。ってことは

またであるか。しかも高性能になってやあがる。


44 : 渡辺裕    2007/10/07(日) 16:30:38   ID:ae6ceaf7dc 
 心の扉をカチャッと開けたらドバッと飛び出す。そんなもんですよね。

>題名が決まると内容が瞬時に出てくる、のではなくて、
>題名と内容が不可分に同時発生するのだろう、と思われます。(めたろうさん)

 私も、それに近いと思います。自分で文章を書いたり話を書いたりするときは、まずそういう感じですね。
内容が先にあって(経験談・体験談含む)、それを体感してる最中に、ふっと「これって要するに(表題)だよね?」的に見ちゃうというか。
幽体離脱(笑)に近いセンスって、どっかしらあると思いますね。
 当事者として自分の目の高さで見る視点と鳥瞰して全体像を見る視点が、3Dのワイヤーフレームみたいな感じで
パーッと脳内に展開するんですわ。後は、それをどこまで丹念に描写できるか。
 そんな感じです。


45 : めたろう    2007/10/07(日) 16:31:45   ID:e78b9cc0c0 
「取っ掛かり」も大きな要素だと思います。演繹、妄想のトリガー。
さすがにその場合にはゴールが見えてるって事ぁないでしょうが。

「題名と内容が同時に」というのはやはり希な例なんだろなぁ。
良い喩えか判んないけど、
「ショートホールのホールインワン」だと思うのです。
そういうことも有り得る。けれども、
実現可能性のハードルが低い。ゴールまでの構成要素が少ない。
という前提で希に起こりうる事で、
殆どの場合はロングホールで、ありとあらゆる不確定要素で揺らぐ。
で、揺らげば揺らぐ程面白くなる、と。


46 : 渡辺裕    2007/10/07(日) 16:40:35   ID:ae6ceaf7dc 
 作家さんが表題から内容から、全部自分で考えてる場合は↑のような感じになると思いますけど、
中には目暗滅法で遮二無二突撃して、途中で溺れたらそれまでよってタイプの人も居ますから(本宮ひろし先生みたいなの)、
そういう人にとっての「表題」は、灯台みたいなもんですよ。
 無いと難破しちゃうんですよね。自分の立ち位置分からなくなっちゃうから。

 灯台も何も無い大海原を漂流して知らん間に目的地着きました、みたいなタイプはそうそう居ないし、居たら早めに死んでます。
 灯台とか海図とか潮目の読みとか、そういった独自の知識や技量やセンスが、どっかしらあるんでしょうね。
 山の中に入っても迷子にならないか、迷子になっても無事抜け出す方法みたいなのがあるんですけど、それに近い感覚を既に持ってる。


47 : 渡辺裕    2007/10/07(日) 16:45:40   ID:ae6ceaf7dc 
 ゴルフで喩えるなら「ショートホールのホールインワン」より「ロングホールのアルバトロス」なんじゃないですかね? と思った次第。

 それか、数百数千ホール延々続くのを、ひたすらパー&バーディーで上がり続けてる状態。
 ボギーやダブルボギーとか叩いたら打ち切りなんですよ。富樫先生みたいなのは稀で。


48 : 渡辺裕    2007/10/07(日) 16:47:07   ID:ae6ceaf7dc 
 毎回毎回パーばっかりだと、そのうち「ホンマもんのパー」とか言われるんですわ。

49 : メルヘンひじきごはん    2007/10/07(日) 17:03:43   ID:0cd40e7959 
多弁である。

50 : @@@    2007/10/07(日) 17:05:05   ID:bb0e9e277b 
作家はシャーマンでもなんでもなく
今まで読んで蓄積した数多の作品をデータベース
に自らの作品を生み出してるんじゃないですかね?
傍から見ればそれが神業に見えるだけで。
それをシャーマン的などというのは思考停止もいいところですね。


51 : メルヘンひじきごはん    2007/10/07(日) 17:07:59   ID:0cd40e7959 
じゃああんたは物語停止である。

52 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/07(日) 19:19:09   ID:a27a99d546 
まあ悪意と憎悪の面は意図的にぬきにして見ないことにし、
純粋に「ことば」「文字」だけにあらわれてるものをフルイにかけてえらびぬき、
それにたいしてだけと意図してお返事してみますとですね、
このばあい、脳内の蓄積で作品をうみだしているのか、
それとも、そうではなくて、脳外のどこかからテレパシー(か何か)を受信して、
その情報を自分のことばで作品にかえてうみだしているのか、
はたしてそのどっちなのか、いずれなのか、
という話から「シャーマン」という語がでてきたわけじゃないんですよ。

ことばのつむぎだし方がコザネ法かそうでないかというちがいの話から、
もののたとえとして「シャーマン」という語がでてきたのでして。

おわかりでしょうか?


53 : たけくま ★    2007/10/07(日) 19:43:53   ID:??? 
梅棹の「こざね法」は川喜多二郎の「KJ法」と通じるものがあって、
いずれも「頭の中のモヤモヤしたイメージ」を断片に分けて整理する
ことで、アイデアや作品を生成する技法ですよね。

「こざね法」が個人の手法だとすると、それをグループワークに
拡張したものがKJ法だといえなくもない。梅棹も川喜多ももとは
京都大学の今西錦司門下で、共同で民族学のフィールドワークを
していた仲間ですね。その中から「知的生産」という発想が出てきた。

ただ文学作品や芸術作品を生み出すためには、おそらく頭の中の
「整理」だけでは不十分で、あえて非論理的な混沌を残しておく必要が
あるわけなんですね。そこを「シャーマン」にたとえるのは、
僕は言い得て妙だなと思ったわけです。


54 : 渡辺裕    2007/10/07(日) 19:45:56   ID:434c9df81b 
>脳内の蓄積で作品をうみだしている

 基本的には、これでしょう。ただ、性格的に雑か引き出し方が分からないか引き出したときに何がどれだけ出るのか予測が付かない的なところがあるから、(誰しも)大抵の場合、自分の知識の累積って勝手に封印するんですよね。溜め込む一方で片付けないの。
 コザネ法とかシャーマンとか心の奥底の扉を開ける鍵とか取っ掛かりとかホールインワンとか、そういうのは、結局その人なりの表現というか視点というかノウハウというか、そういうもんなんで。
 別に人それぞれでいんじゃね? と思いますが。
 自分が発見したんじゃないノウハウが、ふと何か別の「きっかけ」になることは、往々にしてありますけどね。
 だから別に、誰が何言ってもいいとは思いますが。

 でも難しいんですよね。そのへんの兼ね合いが。誰しも「悪意と憎悪の面」←これを感じたら嫌になりますよ。そりゃ。
 私も嫌ですし、たけくまさんも「嫌」って言ってますし。w
 で。その「嫌」が鍵だったりする人もいるから、世の中侮れない。そんな感じです。


55 : メルヘンひじきごはん    2007/10/07(日) 20:32:40   ID:0cd40e7959 
ほう。俺は寧ろ愛・善性が鍵だったときのが「嫌」である。

だがえり好みしとるヒマ無いんでな。立ってるものは愛でも使う。あとはボケ田吾作どもとの差別化である。


56 : 長谷邦夫    2007/10/07(日) 20:36:05   ID:6700b07eee 
>詩への期待
渡辺格さん、ぼくはまあ期待はしていません。
絶望に近い、教育環境ですから。

一人か二人でいい。ぼくのあと短い人生で読んだり見たり
する作家はね。
今年は(昨年もでしたが)五十嵐大介さんの詩心に
注目しています。

自分がマンガ家なんだから、てめえで描け!って
言われちゃいますもんね。
詩誌にミニ短編描いたりはしたけれど、
マンガって言えるほどのものじゃなかったし。

いつ描けるんだか〜トホホ。


57 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/07(日) 20:42:04   ID:a27a99d546 
いや、>>50のひとは「悪意と憎悪」があるといったって、
短文だし、意見のかかれたマトモな文章なわけで。
むかし2chでよくあった巨大AAとか連続コピペとかの、
それこそ何百もダーッとたてつづけの無限レスみたいなのとは意味が全然ちがいますからね。
よめばカチンとはくるけど、べつにただそれだけのことであって、
余裕シャクシャクで許容範囲内だとおもうよ、オレは。
つまり悪意と憎悪があるといっても、それ自体がイケナイわけではない、と。
巨大AAの連続とか、個人情報さらしなどの犯罪とか、そういうのはダメだけど。
悪意と憎悪がゼロの人間なんて、この世にひとりもいないわけだしな。
……とおもって悪意コミでだがまともに相手してみた。
ああいう書きこみをむやみに排除するようになっても、
なんというか、それこそ緊張感ゼロのナレアイになっちゃう気がするしな。
ミクシーにでも逝けよカスとかいわれるのがオチなんじゃないか。(←ミクシー差別すまそ)
かといって、悪意と憎悪の文をよんでもカチンとこなくなったら、
それはそれでヤバイとおもうが。


58 : メルヘンひじきごはん    2007/10/07(日) 21:02:14   ID:0cd40e7959 
偽装が何重で、そこに核があるか否か、短時に叩き直せるか田舎は常に意識している。

59 : メルヘンひじきごはん    2007/10/07(日) 22:07:19   ID:0cd40e7959 
つまり…偽装を多重にしてそれをきっちり自己管理できてるやつ(ダブルフェイクに痺れる類)ってなー

概してプライドが高い。それが知性の証系。

そすっとにゃかにゃかこんにゃ文体でゎ自意識が邪魔して書けないンだぷち〜☆ミ ふぐふぐしたいよぅ♪

※あくまで傾向です ただ調査によれば、この傾向を超越してるやつぁ

※予想外に極めて少数。


60 : 名無しさん    2007/10/07(日) 23:07:52   ID:b80e185dca 
パァーンと見えたヴィジュアルを一言で表わしたのが、「タイトル」
それを説明してゆくのが、「内容」
みたいな


61 : ぷっく    2007/10/07(日) 23:29:00   ID:b80e185dca 
↑名前ぬけた
要約つーか、凝縮ってゆーか
盛る技術と削ぐ技術ってのはあるんじゃないか


62 : 渡辺裕    2007/10/08(月) 01:05:41   ID:35af6b2313 
盛る技術ってのはエンドレス多弁(駄洒落や連想や知識の蓄積なんかで逐次補強)
削る技術ってのは例え話や四字熟語で表現(経験談なんかも入るかも)

 って感じですかね。凄く低レベルに言えば。
 より高度に洗練されれば、そこにはまた行き着く先ってものがあるんでしょうけど。
 私は低レベルな人なんで、よく分かりませんね。


63 : よだれ    2007/10/08(月) 03:57:00   ID:7c2c26c781 
曖昧な意見かもしれませんがいわゆるシャーマン的な書き方が成立する人・しない人っていうのは、
作品に対する美意識とか価値を信じれる人・信じられない人 って気がしました。
長谷先生の
>結末を考えずに進む、このやり方は「壊れる」という
>恐怖との闘いを続けつつやるわけで、ある意味面白い。
>まさに「センス」が問われ、
というのがすごく納得いって感動したんですが、
このセンスってのがはなっから存在してない場合は不可能だしそういう事だと思います。


64 : 名無しさん    2007/10/08(月) 04:50:21   ID:5b5d8891d3 
>・「ノリに任せてダーっと」←ありえない。かならず話が破綻したり穴があく。
>・「出だしの一枚を書くのに、何時間も、ときには何日も苦しむ」←ありえない。長考が人間ばなれしすぎ。
>・「いいタイトルが決まれば、作品全体のイメージが最後まで出来てしまう」←ありえない。シャーマンに転職しろ。
>・「まさに『恐山のイタコ状態』になる」←ありえない+衝撃+シャーマンに転職

>とくにこの4点は想像をぜっしてますね。おなじ人間のような感じがしない。

自分の想像からかけ離れた存在をありえないとか信じられないなんて
考えちゃうのは簡単なことだよな。


65 : 渡辺裕    2007/10/08(月) 08:10:12   ID:ca6ba9db39 
 作家や作者じゃないのに迂闊に「信じる」のもどうかと思うんですよ。
 作家や作者さんとか、迂闊に作品世界にのめり込んで創作活動やってるうちに、自分自身が少しづつ世間の潮流から乗り遅れて軽く浦島太郎状態になったりしますからねぇ。
 それはそれで悲劇なんで「簡単なこと」が簡単に出来るのは却って羨ましいことだ、とも言うんですけどね。
 そこを、さ。何の根拠もなしに「それって簡単だよね、フフン」とか言っちゃったら、おたくなんだろなと思いました。

 そう考えると作家さんって因果な仕事で、ある時期急に時代の最先端になったりするんだけど、その瞬間から確実に退歩が始まって、一定の期間が過ぎたら夢から醒めて、ひとりポツーンと取り残されたりするわけですよ。

 長谷先生の
>結末を考えずに進む、このやり方は「壊れる」という
>恐怖との闘いを続けつつやるわけで、ある意味面白い。
>まさに「センス」が問われ、
↑コレなんかは、単純に作品世界を作りこむ「内側」の話としても面白いですけど、作者を取り巻く環境の変化的な「外側の話」として見ても面白いです。
「壊れる」って、意外と外的要因なんですよね。


66 : メルヘンひじきごはん    2007/10/08(月) 12:42:09   ID:dd16c11a34 
おお。お主もおたくであったか。


(・α・)人(・β・)丶


67 : たけくま ★    2007/10/08(月) 13:35:38   ID:??? 
※筒井の「物語素」についての話は、「短篇小説講義」ではなく
「着想の技術」の可能性があります。俺が勘違いしていたかもしれ
ません。両方とも今、手元にないのでアマゾンで取り寄せ中です。
はっきりわかったら次回のエントリで書きます。でも
「短篇小説講義」もとてもいい本なので、読んで損はありません。


68 : 湯宿    2007/10/08(月) 13:44:19   ID:ec7fe771e6 
なんか話がどんどん広がってるんですが・・・
まず単純にひとつお聞きしたいのは、◆ OZCI/VVVB2さんが、
「ノリに任せてダーッと書く」的な事を、これまでやった事があるのかって
事が知りたいです。
やったことあるにしても、これまで何回くらい失敗したのか、など。

やる前から絶対不可能、自分にはそんな能力はないって思い込まれるのではなく、
まずは兎にも角にもやってみたらと思うんです。
数回程度の失敗なら、たまたまその題材では出来なかっただけで、
他の題材ならあんがいスンナリ出来ちゃうかもしれないし・・・

確かにアドリブで書くのって、やる前は勇気がちょっといります。
これまで何回か成功しているのに、今回はダメかもしれないって思う時も
多々あります。
ただ、やってみたら意外と出来ちゃった。
自分でも書く前は思いもつかなかった結論が出たって事も、かなりあるんですよね。
それはやっぱり、超常的な現象でなくて、過去の経験や知識の蓄積が無意識下から
働きかけてるっていう事なんでしょうけど。

だから熱血少年漫画のセリフのごとく、
『何もしていないうちから自分の限界を決めるな!』
『自分を信じるんだ!』
『君なら出来る!』
等々言いたいですねw


69 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/08(月) 15:25:15   ID:1c2a348926 
>>68
さっき読んで返事かきかけたんですけど、
やっぱりまとめるのに時間がかかりそうなので、あとで書きこみます。

このスレッドは読みかえしてるといろいろ考えさせられるカキコミがすごい多くて、
考えながら読んでると時間がすぎてキリがないです。
その頭にうかぶこと全部うまくまとめて、
そのうちここに書きこんでみたいような気持ちが昨日からわいてますわ。

だいたいマンガなんて部外者のオレからすると「絵のこと」というふうにおもうのに、
長谷先生は「詩」が大事だとかおっしゃって、オレには意味がよく理解できないぐらいだけど、
ものすごい興味ぶかい発言におもえたりしてですね。

とにかく今はちょっと昨日ぐらいから用事が全然とどこーっておってですね、
早いとこ片づけなきゃならんことがいくつかあって、いま返事をかいとれんのですよ。
いまもうすでに夕方3時半で、日ぐれまであと数時間ですよ。人生のムダづかいもいいとこですよ。
でもそれが楽しいんですよねえ。とかいったりして。(笑)

そんなわけで今はすいません。


70 : よだれ    2007/10/08(月) 17:01:01   ID:7c2c26c781 
詩は実は自分は書けないと思ってるんです。
ただまんがの形でならギリギリ書けるかもという思いがあります。
詩はたぶん表現でしかないし、センスでしかない、
厳密にそうでなくてもそれにもっとも近いもの かなーと思っています
絵とストーリーもひっくるめて詩として見るまんが、
ある種のまんが読んでると、それ以外に受け取り方・読み取り方がないものもありますし
あんまり思いつくわけじゃないですがますむらひろし、岡田史子、丸尾末広なんかの作品には
ときどきそういうのがあったと思います。


71 : メルヘンひじきごはん    2007/10/08(月) 17:19:20   ID:dd16c11a34 
石森章太郎先生の本領ってえのが「おかしなおかしなおかしなあのこ」で発揮されてるのを読むと
詩情に。俺は「JUN」よりかこっちである。アニメ化時タイトゥ「さるとびエッちゃん」である。

的なウンチク垂れ原稿を御大版青騎士についてものし編集者さんにこれはダメされた二十歳そこそこ。


72 : メルヘンひじきごはん    2007/10/08(月) 17:39:28   ID:dd16c11a34 
虹色の龍が駆ける朝
陽炎が笑う

わたしは砂を心に晒しながら 歩く 歩く 歩く鼓動と歩く
皮袋の水 干乾びさせた腐らぬししむらは堅い

かみしめて かみしめて かみしめて旨味をむさぼる己があさましい などと 心地る隙間は ないことにしないと

けれど独りだから 独りで盛り上げなければ 挫けてしまう
だから小さな声で
歌を歌う。

後に去ったくにの緑 忘れられぬ山々
うこん色の花とりどり 野の小さな白い花


龍は笑うこちらへ来い不敵なその白いお髭
騙されそう 玉虫色 目眩がする気温の中わたしの肢が砕ける


…。

滴。え?

「オアシスって知らないで 旅してるのじゃ ないよね。」

わたしはその青年が 龍の化身と思ってしまったことは 恋に墜ちたと いうことなのでしょうか。


73 : 長谷邦夫    2007/10/09(火) 01:04:09   ID:e48f000626 
「詩」のことは、あいまいな領域なんで、むずかしいですね。
でも、これがすべて「言語」のことばかりではないんですよ。
シュールな絵という方向も忘れてはいけない。
ただ、ここでは物語の話が中心ですから、詩については余談的に
認識しておいて下さい。

ただ物語を考え書いていく際に、それこそ詩の<センス>が無いと
最近大量に書かれている、表面的面白ゴッコ、仕掛けやネタの
クオリティばかりになってしまいませんか。
ゲーム的というか、良く出来た工業製品を読まされているような
気分にさせられます。物語商品としてはいいでしょう。

しかし、真に新しいものは、そこには無いような気がします。

マンガ専門学校の学生の作品に即していえば、まずノッペリ
していて、それこそ物語の表面しかない。
だから、当然人間の面白さが出ていない。その結果、その
人間が見つめる「風景」にさっぱり『詩』が感じられない。
当然、平凡な風景しか描けていないわけです。
背景画のつまんないマンガって、つまんない(笑)です。

ないないずくしで、どうもうまく言えないんですがね。
スイマセン…。


74 : 渡辺裕    2007/10/09(火) 02:30:30   ID:cae9cb5beb 
 見た目命は昨今の風潮ですから。内容求めてもしょうがないです。
 あと、結局は漫画にしろゲームにしろ、それをツールにして友達を作ったり繋がったり群れたりしてる方に多大な価値がありますから、下手に内容が充実して狭い印象を受けても与えても困りますしね。
 取っ掛かりとしては、それでいいの? くらいあっさりしてる方がいいんでしょ。

 ある程度古い世代にとって漫画は「宝物」かもしれませんけど、新しい世代にとってはアイドルかツールで。
 そんなに価値高くないんですよね。


75 : メルヘンひじきごはん    2007/10/09(火) 04:17:01   ID:74b86d5df3 
やっぱり首尾一貫しておたくである!!その発言が「フッ」でねくてなんである。

俺は「いかに大量に金を稼ぐか」が念頭に溢れると詩情が枯れる法則に従っている。


76 : ケイン濃すぎ    2007/10/09(火) 12:12:50   ID:be6505320d 
こんにちわ。
自分も仕事でライトノベルやゲームのシナリオを書いた経験があり、
現在もゲームデザイナーをしています。
そんな自分も「ある程度の方針」以外は考えずにノリで書き始める
タイプなのですが、なぜそうするのか自分なりに回答してみようと
思います。

やはり物語というのはフィクションなので、事実をありのままに
書き記すものとは違うと思います。
事実を書き記す、というのは論文で言えば論理的に思考を構成
して、それを系統立てて書き記すということと同じ脳内作業
なのですが、この書き方で基準となるものは「論理的整合性」
だけです。
目的は正しい思考を正しく正確に他人に伝えることであり、
内容が湾曲して伝わったり、読み手に伝えるべき意図が正確に
理解されなければ意味がありません。
つまりそのような目的で書かれるものは「論理的整合性」と
「意図の正確な伝達」が求められるもので、ノリでかけるもの
ではありません。
言葉や文章という意思の伝達手段は、(発信もと、書き手の)事実
をありのままに、正確に伝えられるように精度を高められた伝達
方法ですから、日常一般にそれらを使う人はやはりその本質に
のっとって書いたり話したりするわけで、それ以外の「使い方」に
は理解が及びにくいのは仕方のないことだと思います。

前置きが長くなりましたが、物語や物語性のあるものを作ろうと
した時、「それ以外の用法」で言葉や文章は利用されることが
あります。いや、俺はあると思っています。
それは単純な言葉で言えば「面白み」という基準です。
フィクションという事実無根の、送り手の脳内でのみ生まれた
「面白み」という不可思議な基準は、正確さも事実性も何も超越
したもので、言葉や文章の本質である意思伝達の論理で考えると
破綻してしまうことが多々あります。
筒井先生の言う物語素ですか。これは俺の言う「面白み」と同じ
フィーリングだと思います。おそらく。

事実無根の「面白み」の創作物である物語は、意思伝達の正確性
(論理性、整合性)が第一ではありません。
もちろん「面白いことを面白いように伝える」という意味では論理性
を求められるのですが、正確に伝わることを不正確に、鮮明な意図
を不鮮明に伝えることで「面白み」があるのならそうするわけで、
その点で言うと言葉や文章の意思伝達の本質からは逸脱したもの
です。
そして通常の意思伝達の論理で考えれば、伝達するからには伝達
すべきものが「確定」してから伝達を開始するものです(そうでない
と伝えるべきものが正確に伝えられないし、その基準から外れた
ものはよい言葉遣い、よい文章とは言えない)が、物語などの
「面白み」を基準とした場合、「伝達しながら面白みを探る」という
ことも起きてきます。
たとえば外側で言えば文章の美しさ(正確性や論理性、つまり機能性
とは違う価値基準)、抑揚の気持ちよさ、そして内側で言えば伝達
すべき要素が伝達中に変化、追加されることによる「面白み」の増加
(その結果伝達の正確性、整合性は破綻するとしても)があるならば
伝えるべきことが完結していなくても言葉や文章は物語として生産
されてゆきます。
「面白み」というものは伝達中にも増減するものなので、その基準に
従って作者は調節を加えていかなくてはなりません。
その結果調節に失敗し、「物語をとじる」のに失敗した作品はつまら
ないものになり、単に論理性、整合性の破綻という言葉や文章の
本質に照らした印象しか(受ける側には)残りません。
また「面白み」というのは作者の内部から外に出る際に「急速に
減衰する」性質も持っているので、言葉や文章に起こした際に定着
せず、やはり失敗することがあります。
これをうまく定着させるには言葉や文章の本質を理解することが
必要であったりします(道具の使い方を上達させる必要性)。

長々と書きましたが、これもまた「面白み」を伝えようとしたもの
ですので、破綻していたら申し訳ありません。
このフィーリングが参考になればよいなあ。


77 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/09(火) 12:39:09   ID:ed7e354c0f 
>>68
┃「ノリに任せてダーッと書く」的な事を、これまでやった事があるのかって
┃事が知りたいです。

上にかきこんだ>>22がほんのちょっとですがそんな感じのですけど、
ああいうふうに話題があっちこっちデタラメにとぶので、
とてもマトモな文章にはならんです。>>22にしたって、
ここに書きこむのにいくらか手をくわえて改変し、よみやすくしたつもりですし。
そのままナマのを書きこんだらふつうに悪文ですよ。(笑)

で、無際限にどこまでもダーッとっていうのは今までやったことないし、
それをやろうと考えたことすらないです。湯宿さんのその書きこみを昨日よんではじめて、
頭にうかんでくることのすべてを際限なく書きだしていったら最後にどうなるのか、
どんな境地がまっているのか、というあたりのナゾに考え至ったぐらいのことです。
ですから失敗も何もはじめからそういうのはオレはないです。
あるとすればそれは今後ってことになりますね。

だけど、プロの小説家でもそれをやった人っているんですかね。
なんか、誰であれ不可能なような気がしますけどね。それに、もしそれを実行したら、
最後は発狂するんじゃないですかね、なんとなく直感でですけど。


78 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/09(火) 12:40:53   ID:ed7e354c0f 
>>68
ただ、ここでシャーマン型といわれてるような、なんというか、
スイッチがはいるとダーッとかけるようになる、みたいな経験はオレには1どもないですよ。
それがどういう心理状態なのか、想像がつかないです。

ただ、もしかするとこういうことかな、と思いあたることもないわけではなくて、
それはどういうことかといいますと、こざね法であたまを整理していくと、
自分でもかんがえたことのない発想というか何というか、
ああいう考えのまとまりのようなもののことを何とよべばいいのかわかりませんけど、
いきなり電光石火みたいにスイッチがはいって「あっ、わかった!」となって、その瞬間から、
それまでならべてきたいろんな事実や考えの断片が、
急激にひとつのまとまりをもって関連しあってることがわかるようになるってことがよくあって、
ひょっとすると、それがシャーマン型の小説家の「かきだし」とおなじ心理現象なのではないか、
というような感じはひじょうに強くします。

しかしオレの場合はですね、そのときでも、あたまにうかんでくるのはやっぱり
「ひとつのまとまった文」では全然ないんですよ。それについての物事の理解が急激にすすみ、
なんというか、あかるくなったみたいな感じになるというだけのことです。
それについて作文をかくということは、
それはそれでまた全然べつの「作文」という大工か建築みたいな作業が必要になります。
ただ、「ああ、わかった!」のあとは作文がかなりスムーズにやれるようになることが多いです。

そんなしだいで、題とともに内容までパッとでてくる、
なんていうのは本当に想像を絶します。竹熊さんだけでなく、
ほかのひともそういう創作者の存在をあたりまえの前提としてここに書きこんでますので、
これはもう、ある種のひとたちに共通する一般的な心理現象ってことなんでしょうね。
ああ、オレとはちがうんだな、という感じがします。
だからオレとしてはシャーマンのタトエはすごく的確な感じがするんですけどね、マジで。
悪意のひとにまたつつかれるかもしれないですけど。(笑)


79 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/09(火) 12:43:08   ID:ed7e354c0f 
>>68
「こざね」を知る以前の作文はただひたすら何ども書きなおしていただけです。
だからワープロができてからは紙とインクがよほどムダにならなくなりました。(笑)
その意味でも「ノリに任せてダーッと」なんてのは、これまで1ども経験がないですね。
まあ、オレはもともとプロでも何でもありませんので、
仕事や義務でながい文章をかく必要にせまられたことがないから、
そんなむりやり絞りだすみたいな境遇においこまれてないからかもしれません。


80 : 1026    2007/10/09(火) 13:23:41   ID:07c2a414af 
シャーマン型の書き方には瞬発的な集中力と独特のリズムというか、
テンションが必要な気がするのですがいかがでしょう?


81 : ケイン濃すぎ    2007/10/09(火) 14:12:49   ID:be6505320d 
面白みを全編に渡って持続させるには、「シチュエーション」と
いうものがとても大切です。
その発端としては「タイトル」というものはとても大切です。
また、書き出しというものもその後のシチュエーションを
決定付ける要素ですのでとても大切です。
ひとによっては「面白みのあるオチ」を先に決定(というか発案
出来てしまった結果である場合が多い)し、そこに至るシチュ
エーションを逆算して書く人もいます。
それ(シチュエーション)が面白いかどうかを検証しながら書く、
ということをお試しになれば、なんとなくシャーマニズムの
フィーリングが伝わるのではないでしょうか。

物語というのは彫刻や絵のようなもので、全体の形(文章構成、
抑揚テンポ、言い回し。文体だけではなく、内容にもこの要素は
ある)も大切になってきます。
これは機能性のことを主に指すのではなく、気持ちよさ的な形の
よさのことです(たとえば俺が思うに、新井素子先生の書くものは
意思伝達という文章の本質から逸脱しているが、あの文章は異様
な気持ちよさによって成立している。物語全体にしてもそう)。
詩などは全体を見渡して描くことがかんたんではないですが、
比較的そういった全体の形、概観の美を見渡して作り上げること
が大切な表現だと思います。
しかし物語となると全体を完全に把握してから作り出すという事
はとても難しくなってきます(できる人もいます)。
物語という彫刻が大きくなれば細部から作り出すこともあり、完成
するまで全体がわからない(目指すものはあるにせよ)ことはまま
ありますね。

最初から計画だてて作り上げたものは、大量生産の規格品のような
精密かつひずみのないインダストリアルな美はあっても、手作りの
ぬくもりが消えてしまうことがあります。
しかし「使う」ということに関して言えば、前者のほうが優れている
ワケで、論文などはそうやってた論理で書かれるべきでしょう。
物語はいびつで伝わりにくく、多少使いにくくても「よいもの」
であったりします。


82 : ケイン濃すぎ    2007/10/09(火) 14:21:04   ID:be6505320d 
シチュエーションは起爆剤であり、物語の燃料です。
良質のシチュエーション(タイトルや書き出し、設定、オチなど)
さえあれば、それを燃焼させることで物語はどんどん成立、進行
してゆきます。
そして物語自体も燃えたときに燃料であるシチュエーションを生産
してゆくので、倍倍ゲームのように加速します(良質な燃料と燃や
す力が作者にあれば)。
そしてそれは石油の源泉みたいなものなので、掘り当てても正確な
埋蔵量は「燃やしてみないと」分からなかったりします。
推量することは出来ますが、燃やしてみたら意外と燃えなかったり、
核爆発を起こしたりもします。

へんなたとえですみません。


83 : 渡辺裕    2007/10/09(火) 17:54:58   ID:efe85efbcd 
 ケイン濃すぎさんと>>77以降の◆ OZCI/VVVB2さんの文章は、
とりあえず「ノリに任せてダーッと書く」「シャーマン型」的な文章に見えますね。


84 : 渡辺裕    2007/10/09(火) 18:06:17   ID:efe85efbcd 
>>毛陰濃すぎ さん

 物語性と現実の融合度や分離度なんかを調整すれば、
現実に経験したり体感したことでも夢心地のような内容に
書き換えられると思いますよ。
 あとまあ、人によるんでしょうけど、
肌感覚で掴まないと物語を構築できないタイプの人(体験型)と、
物語を読んだり絵を見たり、目と脳で得た方が効率いいタイプってのも、あると思うんですね。
 んで、どっちか一方に極端に偏るケースは稀で、肌感覚と想像力って、
ある程度どっちもこなしたほうが、いいんじゃないかな? と。

 漫画家さんや物語作家で、煮詰まったときに散歩や掃除をしたら
気が晴れて筆が進むケースって多々ありますけど、つまり、そういうことかなぁ? と。


85 : 湯宿    2007/10/09(火) 21:47:45   ID:ad86b52377 
うーむ、みなさんの論理、仮説の発展の仕方が凄まじすぎて、
本質的にパッパラパーな俺にはついてこれなくなってきたな〜

◆ OZCI/VVVB2さんレスありがとうございます。
うーむ、おっしゃってる事は、分かるような、分かんないようなw
いや俺がアホで理解力が無いからなんですが、アホなりの直感で言わせてもらうと、
なんか、こう、文章を書く時、めっちゃ特別な儀式のように思われてるというか、
要するに強烈に「今から俺は文章書いたるぞー!」「書くからには天下の名文にしたるぞー」
って、大変に力まれてる感じがしますね。
確かにこういう方は、ノリで書くタイプには向いてないと思いますw
何も準備しないで、丸腰で危険な戦場に行くかのごとく、
とんでもなく無謀な行為のような気がするでしょうし・・・。

えー、たぶん、ノリでやれる人って、技術や才能などよりもその人の性格そのものって
気がしますね。
(あ、ちなみに「この性格が大きい気がしますね」っていうのも、
今書いてて思いついたものですw)
その性格っていうのは、まあカンタンに言えば、己の右脳を、
『ま、書いてるうちになんとかなるっしょ』って信じたり、
『たかが文章、失敗したら後で書き直せばええねん』
って思える、楽天的な性格ではないでしょうか。


86 : 湯宿    2007/10/09(火) 21:56:21   ID:ad86b52377 
えー、>>85は完全にアドリブで書いたんですが、読み返してみると、
ひどい文章だ・・・・
というわけでアホなりに、某作品のパロディでカッコつけさせてください。

「まさか、お前の能力は「楽天的」だけじゃあるまい」
「あとは、勇気だけだ」


87 : ケイン濃すぎ    2007/10/10(水) 02:50:21   ID:4f03e5f5df 
>渡辺さん

今回は、さほどノリに任せてダーッと書いたわけではありません。
ただ、正確に伝えるための語彙が俺の中になかったので、色々な
言葉に変換して説明したような部分はあります。
そのぶん、不鮮明であったかもしれませんね。

しかし、俺の言っている事とあなたのおっしゃる「物語性の話」は
ちっとも関連のない話です。
そういうことを捉えて述べたわけではないのですが・・・

俺の語った話の中心は、作家というものは「面白み」としか言い
ようのない(客観的には不合理な)不思議な判断基準でもって文章
や言葉や絵を取捨選択してつむぐという考えの話です。
作家の中にある「面白み」によって判断され、取り上げられるもの
はたとえば実体験に根ざしたものであったり、人づてに聞いたもの
であったり、見た写真、キーワード、音楽、そして昨日見た夢で
あるかもしれませんが、それらは作者の内部で「面白み」という
他人にははかりようのない基準でもって取り出され、自然と組み
上がって表出します(たとえば物語であればプロットとして、
たとえば絵であればワンシーン、キャラクターとして)。

重ねての話になりますが、本来言葉や文章は正確に情報を伝達する
ためのツールであって、その方法以外の使い方をしないわけです。
たとえば愛の告白というのはみなさん苦手だと思うのですが、
それは「好意を持っている」ということを相手に直接的に伝達する
だけでは不十分であることによります。
もっと気の利いた、ロマンチックな、雰囲気のある言葉で意思を
伝えなければならないわけで、これには苦労するでしょう。
また、普通の人は絵日記を書くことは出来ると思います。
あることをあるように描けばよい。
そこに感想や思い込みやちょっとした空想が入ってきたりする
かもしれませんが、なに、頭の中にあるものをあるようにトレス
するだけです。
しかしこれが漫画のように物語性を要求されればとたんに描けなく
なるでしょう。
それは面白みという判断基準でものを構築しなければならないから
です。それはできない人にはとても難しい。
我々は日常正確に物事を伝達することの経験値は積んでいても、
面白みという基準で表現や伝達をすることはないわけです。

※中世フランスでは誰でも日常から詩のように意思伝達をしていた
かもしれません。そんな世界ならまた話は違うでしょうがそれは
また別の話。映画シラノ・ド・ベルジュラック的なね・・・

「面白み」という判断基準によって事実は事実のままに書かれたり、
曲げて描かれたり、夢のままに取り出されたり、現実的に修正されて
使われることがありますよ。


88 : ケイン濃すぎ    2007/10/10(水) 03:02:59   ID:4f03e5f5df 
いま読んだのですが、
週刊少年マガジン2207年45号のエアギア(つまり10/10発売号)
で「センシビリティ」「概念」の伝達という話が出てきますね。
このフィーリングが、俺の話したいフィーリングと近いですね。
よけい意味不明になるかなあ・・・

ちなみに作者は天才という捉え方はナシにしてください。


89 : ぷっく    2007/10/10(水) 06:44:24   ID:e785eec024 
トーナメント表のような膨大な展開分岐の枝分かれから
バシッと一本の道筋が見える瞬間がある
って感じなのかなあ


90 : メルヘンひじきごはん    2007/10/10(水) 10:59:07   ID:5d889cbe75 
おっおれも…平成二百十九年のマガジン…読んで…みたいィっ

大暮はん長生きされて何より。おれも負けんあるムッふー


91 : zwei    2007/10/10(水) 11:41:28   ID:f280bb8397 
小説もちゃんと書き上げたことのない人間ですが、少し戯言に付き合ってください。
私の場合はTRPG畑の人間なので、少しずれているのかもしれませんが、結末を決めずに物語を書く事なら
そんなに難しくはないと思います。
そう感じる理由としては、書き始めるまではそのキャラとは初対面だからです。そのキャラが、どんな行動や
考え方をするのかも未知ですし、キャラクターの性格を無視して予定通りの展開を進めようとすると、物語は
破綻してしまいます。もしくは、邪気眼のような薄っぺらい設定へと変わってしまいます。
ならばどうするか? キャラの好きにさせればいいんです。決めておくのは、その作品の中で起きる事件さえ
決まっていればいいんです。その犯人とかも決めておくと尚いいです。後は、キャラクター達に任せるだけです。
その分、キャラクターはしっかり作りこんでおく必要がありますけど。
俺とか見たいな、プロットよりも電波中心に描く人の説明については、「五代ゆう&榊一郎の小説指南」という本が、
でてるので、コイツを読んでもらった方が分りやすいと思います。
俺の基本スタンスは「始まりからはじめて、終わりになったらやめればいい」って感じです。
落ちるところはキャラクターが落としてくれる。ってところですか。
文章畑ではないので的外れかもしれませんが、以上です


92 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/10(水) 12:40:06   ID:39b9987e76 
>>83
そうですか。むしろ逆ですけどね。たしかに、紙キレとしての実際のコザネはつかいませんでした。

こざね法を長期にわたって日常的に利用するようになりますと、やがて、あの程度の短文なら、
アタマのなかだけでコザネ法みたいにできるようになります。
湯宿さんのかきこみをよんだあと>>77-79をかきだすまでに時間があり、
いろいろ他のことをやっているときにも、この件は脳内に去来して、そのたびにあれこれ考えとったんです。
それで、いわばコザネ法が暗算である程度できていたわけです。そのうえで書きはじめた。
書きはじめてからも段落を2〜3削除したりと、「大工か建築みたいな作業」をメモ帖でやってます。

もしシャーマン型にみえるなら、オレのそうみせるダマシ方にまんまとだまされてるんです。(笑)
自然な流れにみえるように文をととのえますからね。

>>85
┃なんか、こう、文章を書く時、めっちゃ特別な儀式のように思われてるというか、
┃要するに強烈に「今から俺は文章書いたるぞー!」「書くからには天下の名文にしたるぞー」
┃って、大変に力まれてる感じがしますね。

そうですか。すくなくとも主観的にはこれは全然ないです。
自分でも気づかない無意識にはあるのかもしれません。それが文章にあらわれてて、
他人からはよみとれる、みたいな。


93 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/10(水) 12:42:35   ID:39b9987e76 
>>85
┃ノリで書くタイプには向いてないと思いますw

この点は、オレのタイプがどうというより、
オレ自身がかなり明確に「文章はノリでかいてはならない」という気もちでいます。

たとえば>>22には非論理的な部分がいくつもあるとおもいますが、オレがノリだけでかくとああなります。
で、そのことに自分自身できづきます。>>22をここにかきこむときに、自分でそのことにハッキリきづいていましたが、
「タレ流すとこうなる」という見本の意味もあったので、そのままでかきこみました。いわば、
自分で自分の文章のおかしさに気づいて、それに自分自身で批判・反論をしてしまうわけです。
で、その自作文章の矛盾点なり納得いかない点がきえないかぎり、気になって作文完成にならんのです。




ついでに脱線しますと、竹熊さんの作文がコザネ法をつかってるか否かとナゾにおもっていた理由は、
結末の有無ではなくて、文章の論理性です。

最近のエントリーでは「blog考」につよくそれを感じました。公刊するための文章だそうなので、
ふだんのほかのエントリーでの作文とはちがい、冗漫な点などがはぶかれているせいで、
その論理性がよりムキ出しになっているからでもあろうか、などとその理由を想像しています。

こざねをつかわずにあのような論理的な文章をあのようにながくつづることが、オレにはまったくできません。
だからオレはコザネをつかうわけですが、こざね法だと文体にある種の特徴がでるとおもうわけです。
ところが竹熊さんの文にはその特徴が感じられない。だから「どっちかな?」とフシギだったのです。


94 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/10(水) 12:46:58   ID:39b9987e76 
>>85
┃何も準備しないで、丸腰で危険な戦場に行くかのごとく、
┃とんでもなく無謀な行為のような気がするでしょうし・・・。

この点はあなたをするどいとオレはおもいました。「するどい」というのは、
「とんでもなく無謀な行為のような気がする」という感情をオレは自分ではおぼえないとおもいますが、
「戦場」という単語があるあたりのことで、ようするにオレはもともと議論屋・論争屋なのです。

議論・論争は、つかう武器がコトバだというだけで、イクサそのものだとおもいます。
だから兵法の基本的なこころがまえなどは論争でもタトエでなくそのまま通用するだろうとオレはおもいます。
議論屋・論争屋とは、そういう、ふつうとはちがう種類のイクサにおける兵隊・軍人だとおもいます。
精神構造が兵隊・軍人なのだと。血はながれない。矢もタマもとばない。体もうごかさない。爆弾も飛行機もない。
そういう種類の毛色のちがうイクサです。梅棹忠夫さんにとても興味ぶかい作文で「武と文」というのがありますが、
議論屋・論争屋の精神構造は文人ではなくて武人だとおもいます。ことばをもっぱら武器としてつかう連中です
(ことばは武器としても花としてもつかうことができるとおもいます)。

その議論屋・論争屋としてのオレという人間を、無意識でかどうかはわかりませんが、
あなたはおそらくオレのかきこみから感じとったんだとおもいます。
それが「戦場」という言葉であらわれたのではないかと。だからオレは「するどい」とおもったのです。

そして、自分がそのように議論屋・論争屋だからこそ、つい自分がかいてしまう非論理・没論理・詭弁をも、
自分自身で批判・反論してしまうし、気なってしまうし……ということだろうとおもいます。


95 : メルヘンひじきごはん    2007/10/10(水) 12:51:12   ID:5d889cbe75 
・俺のイラスト手順

−題材決定 真面目・ギャグ・萌え・えっち・メカ・燃え 主体目的重視
−「不足分は何か」基本
−「これどっかで観たことある」、という感想の後に、嘲笑がくるのを回避
−すると、「みんなが何を忘れているか」が重要
−たがイン種検索くんをしない
−人生が短い場合も考慮する。あとはシャープペンシルが勝手にやってくれる。


96 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/10(水) 12:51:38   ID:39b9987e76 
>>85
┃『ま、書いてるうちになんとかなるっしょ』って信じたり、
┃『たかが文章、失敗したら後で書き直せばええねん』
┃って思える、楽天的な性格ではないでしょうか。

長文をかくと自動的に非論理的・詭弁になってしまう者としては、
「書いてるうちになんとかなる」というのが具体的にどんな状態や現象をさすのか想像できません。
まさか、ドンドンかいているうちに、前述した非論理・詭弁がきえていくわけじゃないとおもいますが……

「後で書き直せば」というのは、おおやけに発表したあとでも訂正・撤回などで対処すればいい、
という意味でしょうか。もしもそうだとすれば、オレのかき方による文章でもあてはまります。

「後」というのが具体的にどの時点なのかもよくわかりません。
あとの訂正などはいかなる時点でも可能なことなんじゃないかとおもいます。
キリスト教が歴史的にいろんな戦争などの原因になり、
世界じゅうで悲惨なできごとを無数にひきおこしてきたことを、
何年かまえにローマ法王庁が謝罪しましたが、そのことをついおもいだしました。(笑)

自作文章に自分で批判・反論するというのも、
一種の「後で書き直」しにあたるんじゃないかとおもいますが、ちがうでしょうか。


97 : メルヘンひじきごはん    2007/10/10(水) 12:55:18   ID:5d889cbe75 
コヴァはよしりんに呼称戻れるンかいなが感想である。

98 : ケイン濃すぎ    2007/10/10(水) 14:43:49   ID:2c4117558c 
>zweiさん

こんにちわ。
俺はいまコンシューマのゲームデザイナーですが、もともと高校〜
20代前半まではTRPGに熱狂し、未翻訳TRPGのテストプレイに参加
したり、プレイバイメイルと呼ばれるスタイルの、郵便利用TRPG
サービスの会社に居たこともあります(某漫画家のプロアシと
二足のわらじで)。

したがってTRPGにも詳しい方だと思うのですが、ひとつ言わせて
もらおうかと思います。
TRPGとはテーブルトークロールプレイングゲームという和製英語です。
※どんな遊びかわからない方はウィキの遊び方をご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AFRPG

基本的にゲームマスターは世界観とシチュエーションの説明をリアル
タイムでプレイヤーに行いつつ、ときおり様々な「判断」を下します。
プレイヤーキャラクターの行いによって怒る様々な結果の是非を、
サイコロ振ったりカードを引いたりして決定するわけです。
これがプレイヤーとキャラクターにとっては「ハプニング」となり、
一方的に相手(ゲームマスター)から読み聞かされるお話ではない、
予想外の展開をはらんだ双方向の遊びになるわけですね。

たしかにTRPGの遊びの仕組みというのは、作家が物語を構築する
過程を遊びにしたような部分がありますが、本物の物語創作に
照らし合わせるとzweiさんの説明では少し足りないのです。
TRPGにおける「キャラクターのスキにさせる」は、本当の意味での
キャラの一人歩きなんですね。
プレイヤーはその担当する一人のキャラクターの代弁者として
行動や発言を行いますが、それが「物語り全体を通して面白い
ことかどうか」などの判断によって行いや発言が決定することは
ありません。
つまり一人のキャラクターとしては生き生きしますが、物語という
大局とは全く違う視点なんです(プレイヤーはゲームシステム上、
経験値や財宝の取得など、キャラクターの利益も追求しなくては
ならないからね、あえてルールから逸脱しない限り)。
これはプレイヤーキャラクターが複数いた場合、キャラクター間
の連携(物語的な連携のこと。主役、脇役、メガネ君みたいな)に
ついても同様で、プレイヤーはキャラクター同士の人間関係を
「物語を面白くする」という目標を持って操作することはなく、
あくまで「そのキャラクターの思いに準じた」振る舞いをします。
たとえば女好きのキャラクターという設定ならば、そのキャラ
クター単体として生き生きとするような振る舞いをプレイヤーは
演じますが、それはプレイ後の出来上がった物語全体を見越して
の行動ではありません。

物語というのは、
そういうTRPGでいう意味でのキャラクターの一人歩きでは説明
できない判断が必要になってきます。
TRPGはアドリブによって面白さ、ゲーム性を持たせていますから、
そこに触れることは多くのプレイヤーが嫌います。
しかし物語作りということを説明するなら、この視点ははずせ
ません。
TRPGに照らして説明すれば「ゲームマスターの視点」での判断
です。つまりハプニング要素のコントロール、「どうなったら
この物語は面白いのか」という「神の視点」です。
物語を作る人間は、プレイヤーとマスターを同時にしている
わけです。
その結果、そのキャラクターを「物語の中で生かす」ために、
キャラクターにとってのしたくないこと、言いたくないことを
言わせ、不利益を与えます(ゲームであれば「失敗」を与える)。
それが結果としてキャラを引き立たせ、物語を盛り上げ、素晴ら
しい展開を生みます。

たとえばこれは俺がTRPGをやっていた頃によく話したたとえ話です。
TRPGであしたのジョーをプレイするとします。
ジョーの対戦相手はホセ・メンドーサ、最強の敵です。
ジョーのプレイヤーはなんとかジョーを奮い立たせるような演技を
し、戦いを継続します。サイコロが必要ならそれを振り、ダメージ
をホセに与えるわけですね。
ホセのプレイヤーはジョーを倒すために同じくダメージを与え、
チャンピオンホセらしい、威厳のある演出をします。
これはRPGとしてはまっとうですが、果たして「あしたのジョー」
なのか。いや、ちょっと足りないですよね。
TRPGのルールでは体力ゼロというのは不利益で、それを目指して
プレイするなんてことはありません。しかし「矢吹ジョー」を
考えたとき、「矢吹ジョーならばHP0でも立ち続けるだろう」と
思うわけですよ。
一方ホセはどうか。能力値と経験値で圧倒的にジョーを上回り、
コークスクリューパンチはジョーの体力を根こそぎ奪います。
干せとしては当然圧勝、ジョーを踏み台にしてさらなる栄光の人生
を歩む、という演出をプレイヤーはするでしょう。
しかしジョーが体力ゼロでも立ち続けたとしたら、その展開を
面白くするとしたら「恐怖に駆られ、完璧なボクサーが次第に
精神を破壊されてゆく」という演出を選択するでしょう。
しかしゲームで考えたらそれは不利益以外の何者でもありません。
最終ラウンドが終わり、ジョーは敗れます。
ジョーは敗北したために経験値はもらえず、体力ゼロのために死亡
です。、ゲームオーバーです。
一方の干せはジョーに勝利し、チャンピオンとして防衛。経験値と
栄光を得ます。
しかし、これではあしたのジョーをプレイしたことにはなりま
せんよね。
あしたのジョーという物語で言えば、死んだジョーこそが勝利者
であり、経験値をもらえてレベルアップした側なのです。
干せは勝ちはしたものの精神を破壊され、恐怖によって白髪になり、
ゲーム的には勝利条件を満たしますが、こちらも勝者とは言えない
状態です。
しかし物語としての視点で見れば「ホセの存在によってジョーの
物語は感動的に仕上がった」わけで、ホセの廃人と化した結末は
「キャラクターがよく動いた」成功例といえます。

このような観点を踏まえた上でTRPGのプレイ経過を「なぜ結末も
決めずに物語を書き始めることが出来るのか」という研究の材料に
するのはよいと思います。


99 : メルヘンひじきごはん    2007/10/10(水) 15:02:10   ID:5d889cbe75 
ところでさっきからおふくろが国会中継の自民党に利する不快なタイプの民謡歌唱中。

社会党支持をフェイクとするスリーパーと解釈。


100 : ケイン濃すぎ    2007/10/10(水) 15:05:49   ID:2c4117558c 
>◆ OZCI/VVVB2さん

94を読ませていただいて、やはり「面白み」という基準で何かを
書くという観点はない人なのかなと思いました。

『本来言葉や文章は正確に情報を伝達するためのツールであって、
その方法以外の使い方をしないわけです』

よい悪いではなくて、それが論理的にものを考える人の理屈だと
思いますね。ディベートや論文は、即時対応があるにせよ、言う
べきことも決まらないのに書き始めたり話し始めたりなど出来
ませんからね。伝達すべきものが確定しなければ伝達することに
不安を覚えるでしょう。






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