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なぜ結末も決めずに文章(物語)が書けるのか?

1 : たけくま ★    2007/10/06(土) 19:40:33   ID:??? 
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_76b8.html

2 : 忍天丼    2007/10/06(土) 20:10:47   ID:d5a52e4f44 
演繹法と帰納法という事ですかね??

3 : たけくま ★    2007/10/06(土) 20:19:10   ID:??? 
大きく言えば演繹法なんですけど、僕は古語の「係り結びの法則」に
近いものじゃないかと思います。ある「物語素」には、それにくっつき
やすい性質を持った「物語素」があって、それによってあたかも
自動的に物語が書けていくように感じることがある。筒井が書いていたことも
そういったことではなかったかと。
まあ筒井の本が手元にないので引用ができないんですが。


4 : たけくま ★    2007/10/06(土) 20:23:46   ID:??? 
「係り結びの法則」は、ちょっと違うかな。どちらかというと
「枕詞」とそれに続く言葉の関係に近いかもしれません。
「たらちねの」と来れば「母」という言葉がくっつくような。

物語にも、そういう法則性があるということを筒井は言ってた
ような気がします。さっき慌ててアマゾンから注文したんですが、
俺の思い違いがあったらごめんなさい。


5 : 名無しさん    2007/10/06(土) 20:48:18   ID:0a1eb3cbd7 
人間の行動はすべて物理的、化学的な反応の集積として自動的に決まっていくもの。文章書くのも、創作することもまたしかり。

6 : ぷっく    2007/10/06(土) 20:57:53   ID:8bb2838d00 
気持ちを誰かに伝えたくて書いてるので
結末なんて考えてない


7 : あ〜    2007/10/06(土) 21:05:21   ID:f30fa41901 
むしろ、結末がないと進めないと考える理由がわかりませんです。

大仰なわりにはあんまり論議が広がっていかない話題になりそうですね。


8 : クラ    2007/10/06(土) 21:05:58   ID:0ad6cb5af5 
本棚から引っ張り出して斜め読みですが・・・
新潮文庫「着想の技術」では元々頭の中にある断片が無意識内の作業によって
着想に変わると言うような事を書いています。
それが一瞬にして起こる事もあると。

また、筒井は「書き出しから終わりまで計算して書き出すが、
無意識の力でアドリブ的に書いてしまう事も計算に入れておく」
みたいなことも書いていたような気がします。


9 : ぷっく    2007/10/06(土) 21:12:26   ID:8bb2838d00 
ディックとか絶対後付けってゆーか破綻してるんだけど
めちゃオモロイ


10 : ぷっく    2007/10/06(土) 21:50:34   ID:8bb2838d00 
書きながら頭の中整理するって場合もあるでしょ

11 : たけくま ★    2007/10/06(土) 21:57:57   ID:??? 
あ。もしかすると同じ筒井でも
「着想の技術」と混じっていたかもしれない<俺


12 : マンガ    2007/10/06(土) 22:00:37   ID:9846744884 
結論ってのは、書きたいことのひとつでしかないからじゃないですかね?

技術報告書なんか、それこそ、
すでにあるグラフやすでに出ている速報や
週報やブロック図を
切って貼って、結論に「うまくいったので、めでたしめでたし」って
書くのがフォーマットですね。

同様に僕が趣味で書いてるシナリオなんかも、書きたいシーンがつながってて、破綻がなければ、
結論/落ちはたいした問題じゃないことが多いですね。
ブツっと終わるのも演出のひとつと思えばALL OK みたいな

ブログなんかでも、元ネタのサイトや、データや写真が、不足なく貼ってあって
それに、賛成か反対かできれば変化球なんかが流れとしてつながってれば
結論なんかなくてもまあ、いいかな?とかそういうのが多いと思いますよ。
「それについては、あとで書く」みたいな。


13 : クラ    2007/10/06(土) 22:06:50   ID:0ad6cb5af5 
短篇小説講義の方も見つかったので・・・
筒井自身は結末を決めずには書けないようですが、
無計画な事を否定的に捉えてるのではなくむしろ憧れてる感じですね。
自分はそんなことの出来るような天才ではないが、
いい加減に書いてしまう事もありそういう部分も重要だと。


14 : セガ    2007/10/06(土) 22:33:00   ID:5829be6808 
小説家の保坂和志さんは、『書きあぐねている人の為の小説入門』で、
面白い小説はどこで終わっても面白いわけで、結末が重要ではないみたなことを
言っていて、自分も映画とかを観てる時に結末が重要ではなく、それまでの課程の
描き方が面白くなければしょうがないと思ってしまいます。


15 : next49    2007/10/06(土) 23:50:11   ID:a68ad914f2 
>> 7
> むしろ、結末がないと進めないと考える理由がわかりませんです。

上の方でも出ていますが、報告書や学術論文は、
基本的に報告と説得が目的なので、結末(結論)が一番伝えたい
事柄です。他の部分は結末を理解してもらうためにつける
補足でしかありません。読み手の背景知識を考慮して、
説明の詳細度を変えます。

ですので、報告書や学術論文は、結末「〜は***である」が
決まらなければ本来は一行も書けません。


16 : 西班牙美咲    2007/10/07(日) 02:11:14   ID:41e1c4ca32 
推理作家の内田康夫は行き当たりばったりで書くそうですね。
ダイイングメッセージも適当な言葉を並べて後から真相を考えるとか。
まぁ、2時間ドラマ作家なのでネタは概ねショボいですが、
たまに行き当たりばったりが意外性につながることがあるのが興味深い。


17 : おおた    2007/10/07(日) 02:25:15   ID:e0501f6fe4 
〆切があると書けると聞きましたが・・

18 : 結末と言えば    2007/10/07(日) 02:33:23   ID:64fc915bed 
カフカの「審判」は未完で中抜け状になっていますが、とても完成度の高い終章は書かれていますね。
下記のページによるとカフカはほとんどの作品は推敲せずに一直線に書いていったらしいですが。
http://www.sanseido-publ.co.jp/booklet/kafka_booklet.html#2


19 : nonbug    2007/10/07(日) 04:37:04   ID:b97838625b 
ソフトウェア・プログラムの手法なのですが
まずなんとなくカン、つまりいきあたりばったりで作り始めちゃって、
とりあえず動くものを作ると。

そうすると何が必要なのかや不備が分かるので、
完成したプログラムを破棄して設計段階からやりなおし、
新たに作り直す。というのがあります。
(往々にして時間がなくて試作でしかないものを運用することがあるのですが……余談)

オモシロイのは完全な論理性を求められるプログラムを作るのに、
まずはいきあたりばったりから始めるというところで、
結構、論理積み上げ式の発想法が得意なのではない人が多く、
また行き当たりばったりでも(効率や完全な無謬性はともかくとして)
とりあえずつじつまのあったものはできてしまうってことですね。


20 : 名無しさん    2007/10/07(日) 05:57:27   ID:e19384df28 
>>5さんの発言とかぶってますが、
人間だれしも先のことはわからないのに生きていけるじゃないですか。


21 : 湯宿    2007/10/07(日) 11:25:24   ID:8353f7eac9 
僕も創作を仕事にしてるはしくれですが、結末は考える時もあれば、
考えつかないまま初める時もあります。
ただ一貫してるのは、まず最初に、ほとんどアドリブで一気に最後まで書く。
そしてそれを叩き台として、後から徹底的に推敲して、二稿、三稿と
ブラッシュアップしてゆくやり方です。
その時に別の結末が思いつけば、変えてしまう。
それに合わせて序盤や中盤の展開も修正してゆく。
文章なんて後でいくらでも直せるっていう、典型的なワープロ世代の
書き方だと思います。
手書きやタイプライターなら、絶対にこんな書き方やりたくない。
ああ、昔の作家は実に偉大だったんだなあw

これはつまり演繹法で叩き台を作って、帰納法で修正してくやり方なんでしょうか。
一回目でちゃんと書けるとは、自分でも信じてないので、まずは叩き台を
つくるんだと、最初から割り切って演繹法で書いてます。
そして一稿目を推敲して、修正点を探す時は、徹底して読者の目、編集者の目で
客観的に見るように心がけてます。

長々と書きましたが、要するに結末を決めずに書けるのは、そんなもん後で
思いついたら文章をチャッチャと直せばいい。ワープロならそれが楽に出来る。
そう思ってるからですね。


22 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/07(日) 11:53:51   ID:a27a99d546 
話題がひろがって興味ぶかいことになってますな。

しかし、とにかく竹熊さんは本業というか、
作品の連載とか記事とかを優先した方がいいと思いますよ。

どうもこのところ、時間帯を問わずしょっちゅうここにいるように見えることがおおいし、
最初は「サルまん」がひと段落してからBBSにするとかいう話だったのが、
いきなりBBSがもうすでにたちあがってたりして、
しごとの優先順位はだいじょうぶなのかな……とか、
他人ごとながらフシギに思ってた。

オレは2chでもなんでもネット上のやりとりにおいては、
つねにオレさま都合「だけ」で書きこんだり落ちたりしますよ。
面談してるわけじゃないし、それがいちばん合理的じゃないかとおもうからです。
「これで落ちます」とか断るひとはおおいけど、
オレはそんな断りも一切なしの「オレさま都合」だけでやめることも、
それほどめずらしくないですよ。ネットでのやりとりはそれでいいともおもいます。

そういうものだとおもってこそ、
逆にネットの長所が生かせるんじゃないかともおもいます。
書きこんだ後はいつでもそこをみれば読めるわけですから、
時間に変更をうけないわけです。時間を超越する。
梅棹忠夫さんが『知的生産の技術』のなかで「過去の現在化」みたいなことをいってますが、
これはそれとおなじだとおもいます。何年まえのものでも現在のものになる。
「現在のもの」として検証なり、批判なり、評価なりができる。

オレはこれはヨーロッパでの神学論争のありかたの普遍化・一般化のように感じてます。

聖書は段落ごとに番号がついていて、番号だけでその内容の意味をあらわすことさえできるため、
猟奇殺人犯が犯行現場にその番号をのこすことで、
自分を捜査するオマワリとのあいだで一種のゆがんだコミュニケーションをとる、
みたいな話が映画やドラマでひろくみられるほどですが、つまり、
そのようにひじょうにひろく(しかも時間の経過を超越して)一般化できる条件を最初からそなえた書物・情報です。
しかも聖書は同一のものがキリスト教圏内でならきわめてひろくどこにでも分布しています。
そのうえ、それは大むかしからつづいているのです。距離も時間もこえてあまねく分布してる。

それらの物理的条件がととのってこそ、千年単位の長期にわたる学問(神学)が成立しているとおもう。
逆にいうと、それらの物理的条件がなければその長期にわたる広大な学問史はなかったとおもう。
ということは、したがって、聖書でなくても、どんな内容の情報でも、聖書とおなじ物理的条件さえととのえば、
だれにでもおなじ学問史が開始できるし、また、それを成立させる可能性をそなえたことにもなります。

で、まさに今のこうしたデジタル情報というかコンピューター通信網にのってる情報はすべて、
「神学における聖書」とおなじ条件をちゃんとそなえてる。だからそれを「現在のもの」としてとりあつかい、
検証し、批判し、評価できるようになった。どんなにくだらないコンニャク情報でも、
神学とおなじとりあつかいができるようになった。

つまり、ヨーロッパでの神学論争のありかたの普遍化・一般化だとおもうわけです。

それが、いまのネットというもののもたらしてるきわめて重要な側面のひとつだとおもいますが、
竹熊さんの最近のここにおける過去エントリーへのアクセスしやすさの件も、
本質はこのことだとオレはおもいます。

……というようにだな、オレがコザネをつかわないでダラダラ書いていくとだな、
最初とは何の関係もないヘンな話につながっていってですね、
やがて正反対の内容が同一の文章のなかで同居してたりしてですね、
つじつまがメチャクチャになっていくわけですよ。

だからコザネなしではちゃんとした文章がオレにはかけんのです。
しかし他方コザネなしだとつづるのがラクでしょーがないな。たしかにコザネ法は面倒くさい。


23 : よだれ    2007/10/07(日) 12:51:00   ID:0176f9745d 
どうも。ちょっとズレた発言になりますが、自分は「脱線」が好きです。
ブログで何かについて書いていて、いつのまにか別の話に至っていて、
なんで脱線したんだろうと考えて最初の話とあとの話をムリヤリ関連づけると、
あ、それが言いたかったのか、そういう事か、などと納得したりします。
ちょっと荒木飛呂彦に影響された考えだとも思うんですが、なんか運命とか、
単純に計れないものの力に脱線の方向を促されてるような、
要するにジャズとかセッションみたいなもので、音楽の偶然性に似てるとも思います。
まんが書いてるんですが帰納法では書けないですね。
自分も演繹法で書いて帰納でまとめるまさにそのタイプのようです。
オチよりもコマ重視というか、まんがの形で書かないとシーンの面白さが設定・確認できないというか
困ったりはしますがこれはこれで楽しいものです。


24 : ちゅどーん    ちゅどーん   ID:ちゅどーん 
ちゅどーん

25 : 長谷邦夫    2007/10/07(日) 13:12:49   ID:6700b07eee 
赤塚不二夫とのバカボンなどのアイデア会議では、
「結末」は、最初に一瞬にして思いつくことはタマにありました。
しかし、それを目指して構成してゆくのでは、スリリングな
ストーリーが出来ないことを、経験的に知ったわけです。

その最初に思いついてしまった「オチ」をどう超えていくかが
勝負どころですね。
ここに「気合」と「度胸」が必要です。これが、トシ老いて
くると発揮出来なくなるんですよ。

『がきデカ』で、最高にぶっとばしているころの
山上さんと、新宿の酒場で突然再会したことが
あったんですが〜、そのとき、開口一番彼は
「ギャグって気合ですね!長谷さん」と言ったんです。

あの慎重派の山上が、やはり精神的に変容を遂げていた。
ぼくにしてみれば、当然だよということなんですが…。
でも、ぼく自身もストーリーマンガから、ギャグへ行って
体験していたことです。

これを編集担当者で言いますと、
バカボンが「気合」のデガラシ記者。
現在、講談社役員の五十嵐さん。
ア太郎〜ニャロメ路線が、「アイデア」の
デカバナ武居記者。
定年退職の武居俊樹さん。

実にぴったりの担当記者にめぐまれる「幸運」が
赤塚不二夫にはあったんですよ。
もちろん、彼らを夢中にさせる面白い性格が
赤塚にあったんですが。
本来、赤塚はこのどちらかのタイプかといえば
ソノ中間なんですね。以外とマトモでリアル。

ぼくがそれを「ぶちこわす」役どころだったと思います。
ストーリー作家は、この3つの要素を自分でコントロール
していく必要があるから、大変ということになりますかね。

結末を考えずに進む、このやり方は「壊れる」という
恐怖との闘いを続けつつやるわけで、ある意味面白い。
まさに「センス」が問われ、一歩間違うと駄作になる
可能性も大きいと思います。
それを怖れていては「現在」の作家にはなれないと思いますが。


26 : たけくま ★    2007/10/07(日) 13:13:05   ID:??? 
レスつけたら失敗したので削除して書き直しました。これは管理人特権ですね(笑)
>よだれさん

僕は多摩美でマンガ史教えているんですが、学生の作品もよく見る
機会があります。これはこれでエントリにしたいと思っていたんですが、
「イメージ最優先」でマンガを描く人がいて、これは美大生に多いですね。

普段、絵を描いているのだから、これは当然なのですが、マンガとしては
困ってしまうことが多い。つまりイメージはどこまでもイメージなので、
ストーリーにはなりえないからです。
イメージは感覚的なものですが、ストーリーには論理性が必要になるでしょう。
絵画からマンガに入る人は、ここがわかってない人が多い気がします。

僕も演繹と帰納を織り交ぜて作品を作るやり方がバランスがいいと
思います。


27 : たけくま ★    2007/10/07(日) 13:22:52   ID:??? 
>「結末」は、最初に一瞬にして思いつくことはタマにありました。
>しかし、それを目指して構成してゆくのでは、スリリングな
>ストーリーが出来ないことを、経験的に知ったわけです。
>
>その最初に思いついてしまった「オチ」をどう超えていくかが
>勝負どころですね。

>長谷先生

僕も「サルまん」で同じ経験をしました。
まったく同感です。ギャグ作家として成功するには、最初に
思いついた「オチ」を捨てる度胸があるか?にかかってくると
思います。


28 : モリ    2007/10/07(日) 14:05:20   ID:554d8ff845 
テレビでVTRの構成を立てるときは
項目を書いたポストイットを壁に貼り付けて
並べ替えたりする方法がよく採られますね。
特にNHKでは。


29 : 長谷邦夫    2007/10/07(日) 14:06:14   ID:6700b07eee 
>たけくまさん
ね、そうですよね。

ぼくはいつも赤塚から「お前は理屈っぽい」と言われてました。
もちろん、それに恥じることは何もありません。
それを「壊す」「超える」ことで、苦しみ、また喜びを発見!
していったんですからね。
ぼくは「理屈っぽくなくなったらオシマイ」と思っていた。

美術系はイメージですか〜。う〜ん、これはまあ当然でしょうが。
専門学校系はこれが無い(笑)で、ストーリーも平凡ときちゃい
ます。

「言語」からのイメージ・想像力があればいいのですが、
彼らには「詩」に対する関心も読解力も、実に貧弱。
日本の国語教育の最大の問題のはずなのに<ゆとり>トホホ。

詩人・詩に対する勉強というか,感性を育てることは
日本のマンガの将来、アニメの将来、小説の将来を
育てることに繋がっていると思う。

そういえば、ブラッドベリが87歳で
『タンポポのお酒』の続編を出した〜との
記事が朝日に出ていました。


30 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/07(日) 14:34:45   ID:a27a99d546 
ブラッドベリってまだ存命中だったんですか……!
オレはまたてっきり……いやいや失礼千万だな……
いやあ、しかし個人的に今日いちばんの衝撃のニュースでした。(笑)



たしかにこれは「脱線」とかかわる話ですね。

「結末の有無」という点は場合によりけりで、
いろいろみたいですね、どうも。

コザネ法は最初にわざと意図的に脱線のすべてをやってしまっておいて、
でてきた脱線のすべてをひとつのこらず合理的・論理的につじつまがあうように配置する技法、
いろいろならべかえることで完結した配置を発見する技法という感じがする。

これって竹熊さんがよくいう「編集」とか、個々のものはだれかのマネにすぎないが、
そのあたらしい「くみあわせ」は無限にできる……というときの「くみあわせ」とかの話と関連するとおもうなあ。

しかしシャーマン型のひとは(結末はともかく)物語のさなかではブレないということのようで、
ようするに「脱線しない」というふうにきこえる。これっておなじ人間のような感じがしない。
どんな精神状態かよく理解できない。1どそんな体験してみたいですね。なんかうらやましいですね。

しかし結末の有無は脱線とは無関係かもしれませんね。上のみんなの書きこみをよむと。
脱線しても、しなくても、どっちにしても、結末もまた、あったり、なかったり、
ということみたいに読める。

いちばん信じがたいのは、題さえビシッときまれば結末までキッチリでてくるとかいう話。
人間ワザとおもえない。たとえじゃなくてホンモノのシャーマンってことなんじゃないのかな、
ひょっとして。あたまを解剖してみたいような。


31 : 渡辺裕    2007/10/07(日) 14:44:07   ID:240ca77115 
 若い子はワーキングプアで大忙しですから、中長期的な展望が必要な感性よりも、
目先の判断でビビッと来るか否かの感性を磨いた方がお得なんじゃないですかね?

 多分そういう判断力は「得か損か」みたいな俗なレベルじゃなくて、
感性に刷り込んでるくらいのレベルで「常識」でしょうから、

>詩人・詩に対する勉強というか,感性を育てることは
>日本のマンガの将来、アニメの将来、小説の将来を
>育てることに繋がっていると思う。

 ここに期待するのは止めといた方がいいと思います。


32 : 渡辺裕    2007/10/07(日) 14:51:05   ID:240ca77115 
>いちばん信じがたいのは、題さえビシッときまれば結末までキッチリでてくるとかいう話。人間ワザとおもえない。

 これについては、漫画や小説などストーリー作りがお仕事の場合だけじゃなく、
 雑誌や新聞の記事を作るときだって「いい見出しが出来ればその記事は売れたも同然」という意見がありますよ。
 漫画や小説の場合は書き込みが膨大かつ緻密なのでその部分に惑わされる(?)という感じかもしれませんけど、
 およそ表現物の作成に関わる業種の人であれば、チラシや広告から美術芸術に至るまで、そういうセンスの存在を認めるのは普通かなぁ。

 あと、逆に「始めに物語を自分で勝手に書き上げて、後から題名を考えてくっつける」手法もあると思うんですけど、
 多分「題さえビシッときまれば結末までキッチリでてくる」タイプの人は、後から考えて表題決めるやり方だと何も決められないと思います。


33 : 渡辺裕    2007/10/07(日) 15:00:39   ID:240ca77115 
 芸術家肌の人って、>>31,>>32の文章じゃないけど、
「なんでお前は”思います”とか”ありますよ”みたいな断定口調で仕切ってるかのような物言いをするんだよ!? そもそもお前は管理人でも何でも無いだろ」
 みたいな傾向があるように見えます。
 自分の世界みたいなのが結構強烈にあって、それを伝えることに直截的ですから。
 実力があって周囲に認められれば芸術家なんでしょうけど、それが無ければただの天然自己中でしょうね。


34 : メルヘンひじきごはん    2007/10/07(日) 15:28:10   ID:0cd40e7959 
断定出来ぬ者男にあらず。蔭間でもやって俺。

…だから俺じゃねえだろうIME。お前つこうとると単独まむざヰがでける。


35 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/07(日) 15:50:12   ID:a27a99d546 
>>32
なんというか、オレの考えは単純素朴で、
題と中身なんて本質的に無関係みたいな感じがするわけですよ。
なんというか、どんな題にしようと作者の自由だろ、みたいのもふくめて。

たとえば『小学2年生』という名まえの雑誌で犯罪心理学の最先端の成果を特集しても、
極論すれば自由だろうとおもうわけです。そうしますと、くだんの話でいいますと、
「小学2年生」という誌名さえビシッときまれば、中身の犯罪心理学の記事もキッチリきまるんだ、
というようにきこえるわけです。

単純素朴に「そんなのありえないだろ……」という感じがオレはするわけです。
雑誌そのものの名まえと、文章や記事の表題とはちがうだろ、という話はわかるにしても、です。
「それとこれはべつじゃないのか……」という。だから人間ワザにおもえない。

どんな心のしくみがはたらいてるんでしょうね。


36 : めたろう    2007/10/07(日) 15:57:41   ID:e78b9cc0c0 
ちょっと話がずれるかもですが。

「駄洒落」ってとても大切なものじゃないのかなぁ、と思ってるのですが如何でしょう?

最小限の「意味」で、物事の相似点を見つけ出し、「論理の飛躍」を生み出せる。

「〇〇つながり」で思いも寄らぬ要素を引っ張って来て組み合わせたり。

「駄洒落」は、相似点で呼び出される物事の距離がかけ離れたものが大きく、ギャップを楽しめると思うのです。


37 : メルヘンひじきごはん    2007/10/07(日) 15:58:29   ID:0cd40e7959 
実際俺が餓鬼の頃は『小学3年生』あたりから「別冊探偵推理クイズブック・きみはこのなぞが解けるか!?」
みてーなのは5656山田ゴロ。


38 : メルヘンひじきごはん    2007/10/07(日) 16:07:19   ID:0cd40e7959 
「眩いと不平を云うよりも
すヽんで灯りを点けましょう
するとをふくろ消しに来る」


39 : めたろう    2007/10/07(日) 16:12:43   ID:e78b9cc0c0 
題名と内容の話ですけども。

題名が決まると内容が瞬時に出てくる、のではなくて、
題名と内容が不可分に同時発生するのだろう、と思われます。
正確には、やはりまず内容が、
その思想ですとか、ディテイルとかあらゆるレベルで
「降りてきて」
そのディテイルの一部として題名もあらかじめ決まっているのかなぁ、
と思います。

昔、素人役者をやっていた頃ですけども、
脚本を最初に本読みする時に、
「この読み方しかない」という感覚を持つ事はありました。

但しこれは、長期に渡って内容を崩したり再構成したり、ブレストを体を使いながら行い、
更に集団芸術である芝居においては邪魔になるだけの感覚でありましたが。


40 : 名無しさん    2007/10/07(日) 16:13:30   ID:e7a2503a8e 
駄洒落の天才 唐沢俊一

41 : 渡辺裕    2007/10/07(日) 16:16:50   ID:ae6ceaf7dc 
>>35
 『小学2年生』の話は面白かったですね。

 そこまで発想の幅を広げたら、そりゃ誰だって出来ないとは思います。
 作家さんは、皆が皆そういうレベルで発想をしてるわけじゃないですよ。
 多分、OZCI/VVVB2さんの言う「素朴な考え」のままに作家として大成したら、そりゃ私も神様だと思います。凄すぎます。

 もうちょっと卑近に「取っ掛かりが欲しいだけ」だったりしますけどね。実際は。
 見出しや表題に込める意味って、その程度のもんでしょ。

 あと、味のある作家さんって、子供の頃の思い出を、もの凄く大事にしますよ。
 その時感じた気持ちやセンス。そういうのをずーっと大事に持ってて、いい見出しやいい表題は、
 そういう「心の奥底の扉を開ける鍵」みたいなもんなんですよ。そんな感じ。


42 : メルヘンひじきごはん    2007/10/07(日) 16:18:10   ID:0cd40e7959 
俺の演繹法帰納法の概念把握ってなー

前者:答・結末決め付け
後者:論理整合性を確かめつつ到達

ですし昭和作法じゃ紛れも無くそうっすから それに挑戦してる自覚と世代間齟齬を生む覚悟は
持っていただきたい。


43 : メルヘンひじきごはん    2007/10/07(日) 16:23:41   ID:0cd40e7959 
しかし

確かに字面だけ追うと

誤ってたのは本多御大ってことがありうる。ってことは

またであるか。しかも高性能になってやあがる。


44 : 渡辺裕    2007/10/07(日) 16:30:38   ID:ae6ceaf7dc 
 心の扉をカチャッと開けたらドバッと飛び出す。そんなもんですよね。

>題名が決まると内容が瞬時に出てくる、のではなくて、
>題名と内容が不可分に同時発生するのだろう、と思われます。(めたろうさん)

 私も、それに近いと思います。自分で文章を書いたり話を書いたりするときは、まずそういう感じですね。
内容が先にあって(経験談・体験談含む)、それを体感してる最中に、ふっと「これって要するに(表題)だよね?」的に見ちゃうというか。
幽体離脱(笑)に近いセンスって、どっかしらあると思いますね。
 当事者として自分の目の高さで見る視点と鳥瞰して全体像を見る視点が、3Dのワイヤーフレームみたいな感じで
パーッと脳内に展開するんですわ。後は、それをどこまで丹念に描写できるか。
 そんな感じです。


45 : めたろう    2007/10/07(日) 16:31:45   ID:e78b9cc0c0 
「取っ掛かり」も大きな要素だと思います。演繹、妄想のトリガー。
さすがにその場合にはゴールが見えてるって事ぁないでしょうが。

「題名と内容が同時に」というのはやはり希な例なんだろなぁ。
良い喩えか判んないけど、
「ショートホールのホールインワン」だと思うのです。
そういうことも有り得る。けれども、
実現可能性のハードルが低い。ゴールまでの構成要素が少ない。
という前提で希に起こりうる事で、
殆どの場合はロングホールで、ありとあらゆる不確定要素で揺らぐ。
で、揺らげば揺らぐ程面白くなる、と。


46 : 渡辺裕    2007/10/07(日) 16:40:35   ID:ae6ceaf7dc 
 作家さんが表題から内容から、全部自分で考えてる場合は↑のような感じになると思いますけど、
中には目暗滅法で遮二無二突撃して、途中で溺れたらそれまでよってタイプの人も居ますから(本宮ひろし先生みたいなの)、
そういう人にとっての「表題」は、灯台みたいなもんですよ。
 無いと難破しちゃうんですよね。自分の立ち位置分からなくなっちゃうから。

 灯台も何も無い大海原を漂流して知らん間に目的地着きました、みたいなタイプはそうそう居ないし、居たら早めに死んでます。
 灯台とか海図とか潮目の読みとか、そういった独自の知識や技量やセンスが、どっかしらあるんでしょうね。
 山の中に入っても迷子にならないか、迷子になっても無事抜け出す方法みたいなのがあるんですけど、それに近い感覚を既に持ってる。


47 : 渡辺裕    2007/10/07(日) 16:45:40   ID:ae6ceaf7dc 
 ゴルフで喩えるなら「ショートホールのホールインワン」より「ロングホールのアルバトロス」なんじゃないですかね? と思った次第。

 それか、数百数千ホール延々続くのを、ひたすらパー&バーディーで上がり続けてる状態。
 ボギーやダブルボギーとか叩いたら打ち切りなんですよ。富樫先生みたいなのは稀で。


48 : 渡辺裕    2007/10/07(日) 16:47:07   ID:ae6ceaf7dc 
 毎回毎回パーばっかりだと、そのうち「ホンマもんのパー」とか言われるんですわ。

49 : メルヘンひじきごはん    2007/10/07(日) 17:03:43   ID:0cd40e7959 
多弁である。

50 : @@@    2007/10/07(日) 17:05:05   ID:bb0e9e277b 
作家はシャーマンでもなんでもなく
今まで読んで蓄積した数多の作品をデータベース
に自らの作品を生み出してるんじゃないですかね?
傍から見ればそれが神業に見えるだけで。
それをシャーマン的などというのは思考停止もいいところですね。


51 : メルヘンひじきごはん    2007/10/07(日) 17:07:59   ID:0cd40e7959 
じゃああんたは物語停止である。

52 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/07(日) 19:19:09   ID:a27a99d546 
まあ悪意と憎悪の面は意図的にぬきにして見ないことにし、
純粋に「ことば」「文字」だけにあらわれてるものをフルイにかけてえらびぬき、
それにたいしてだけと意図してお返事してみますとですね、
このばあい、脳内の蓄積で作品をうみだしているのか、
それとも、そうではなくて、脳外のどこかからテレパシー(か何か)を受信して、
その情報を自分のことばで作品にかえてうみだしているのか、
はたしてそのどっちなのか、いずれなのか、
という話から「シャーマン」という語がでてきたわけじゃないんですよ。

ことばのつむぎだし方がコザネ法かそうでないかというちがいの話から、
もののたとえとして「シャーマン」という語がでてきたのでして。

おわかりでしょうか?


53 : たけくま ★    2007/10/07(日) 19:43:53   ID:??? 
梅棹の「こざね法」は川喜多二郎の「KJ法」と通じるものがあって、
いずれも「頭の中のモヤモヤしたイメージ」を断片に分けて整理する
ことで、アイデアや作品を生成する技法ですよね。

「こざね法」が個人の手法だとすると、それをグループワークに
拡張したものがKJ法だといえなくもない。梅棹も川喜多ももとは
京都大学の今西錦司門下で、共同で民族学のフィールドワークを
していた仲間ですね。その中から「知的生産」という発想が出てきた。

ただ文学作品や芸術作品を生み出すためには、おそらく頭の中の
「整理」だけでは不十分で、あえて非論理的な混沌を残しておく必要が
あるわけなんですね。そこを「シャーマン」にたとえるのは、
僕は言い得て妙だなと思ったわけです。


54 : 渡辺裕    2007/10/07(日) 19:45:56   ID:434c9df81b 
>脳内の蓄積で作品をうみだしている

 基本的には、これでしょう。ただ、性格的に雑か引き出し方が分からないか引き出したときに何がどれだけ出るのか予測が付かない的なところがあるから、(誰しも)大抵の場合、自分の知識の累積って勝手に封印するんですよね。溜め込む一方で片付けないの。
 コザネ法とかシャーマンとか心の奥底の扉を開ける鍵とか取っ掛かりとかホールインワンとか、そういうのは、結局その人なりの表現というか視点というかノウハウというか、そういうもんなんで。
 別に人それぞれでいんじゃね? と思いますが。
 自分が発見したんじゃないノウハウが、ふと何か別の「きっかけ」になることは、往々にしてありますけどね。
 だから別に、誰が何言ってもいいとは思いますが。

 でも難しいんですよね。そのへんの兼ね合いが。誰しも「悪意と憎悪の面」←これを感じたら嫌になりますよ。そりゃ。
 私も嫌ですし、たけくまさんも「嫌」って言ってますし。w
 で。その「嫌」が鍵だったりする人もいるから、世の中侮れない。そんな感じです。


55 : メルヘンひじきごはん    2007/10/07(日) 20:32:40   ID:0cd40e7959 
ほう。俺は寧ろ愛・善性が鍵だったときのが「嫌」である。

だがえり好みしとるヒマ無いんでな。立ってるものは愛でも使う。あとはボケ田吾作どもとの差別化である。


56 : 長谷邦夫    2007/10/07(日) 20:36:05   ID:6700b07eee 
>詩への期待
渡辺格さん、ぼくはまあ期待はしていません。
絶望に近い、教育環境ですから。

一人か二人でいい。ぼくのあと短い人生で読んだり見たり
する作家はね。
今年は(昨年もでしたが)五十嵐大介さんの詩心に
注目しています。

自分がマンガ家なんだから、てめえで描け!って
言われちゃいますもんね。
詩誌にミニ短編描いたりはしたけれど、
マンガって言えるほどのものじゃなかったし。

いつ描けるんだか〜トホホ。


57 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/07(日) 20:42:04   ID:a27a99d546 
いや、>>50のひとは「悪意と憎悪」があるといったって、
短文だし、意見のかかれたマトモな文章なわけで。
むかし2chでよくあった巨大AAとか連続コピペとかの、
それこそ何百もダーッとたてつづけの無限レスみたいなのとは意味が全然ちがいますからね。
よめばカチンとはくるけど、べつにただそれだけのことであって、
余裕シャクシャクで許容範囲内だとおもうよ、オレは。
つまり悪意と憎悪があるといっても、それ自体がイケナイわけではない、と。
巨大AAの連続とか、個人情報さらしなどの犯罪とか、そういうのはダメだけど。
悪意と憎悪がゼロの人間なんて、この世にひとりもいないわけだしな。
……とおもって悪意コミでだがまともに相手してみた。
ああいう書きこみをむやみに排除するようになっても、
なんというか、それこそ緊張感ゼロのナレアイになっちゃう気がするしな。
ミクシーにでも逝けよカスとかいわれるのがオチなんじゃないか。(←ミクシー差別すまそ)
かといって、悪意と憎悪の文をよんでもカチンとこなくなったら、
それはそれでヤバイとおもうが。


58 : メルヘンひじきごはん    2007/10/07(日) 21:02:14   ID:0cd40e7959 
偽装が何重で、そこに核があるか否か、短時に叩き直せるか田舎は常に意識している。

59 : メルヘンひじきごはん    2007/10/07(日) 22:07:19   ID:0cd40e7959 
つまり…偽装を多重にしてそれをきっちり自己管理できてるやつ(ダブルフェイクに痺れる類)ってなー

概してプライドが高い。それが知性の証系。

そすっとにゃかにゃかこんにゃ文体でゎ自意識が邪魔して書けないンだぷち〜☆ミ ふぐふぐしたいよぅ♪

※あくまで傾向です ただ調査によれば、この傾向を超越してるやつぁ

※予想外に極めて少数。


60 : 名無しさん    2007/10/07(日) 23:07:52   ID:b80e185dca 
パァーンと見えたヴィジュアルを一言で表わしたのが、「タイトル」
それを説明してゆくのが、「内容」
みたいな


61 : ぷっく    2007/10/07(日) 23:29:00   ID:b80e185dca 
↑名前ぬけた
要約つーか、凝縮ってゆーか
盛る技術と削ぐ技術ってのはあるんじゃないか


62 : 渡辺裕    2007/10/08(月) 01:05:41   ID:35af6b2313 
盛る技術ってのはエンドレス多弁(駄洒落や連想や知識の蓄積なんかで逐次補強)
削る技術ってのは例え話や四字熟語で表現(経験談なんかも入るかも)

 って感じですかね。凄く低レベルに言えば。
 より高度に洗練されれば、そこにはまた行き着く先ってものがあるんでしょうけど。
 私は低レベルな人なんで、よく分かりませんね。


63 : よだれ    2007/10/08(月) 03:57:00   ID:7c2c26c781 
曖昧な意見かもしれませんがいわゆるシャーマン的な書き方が成立する人・しない人っていうのは、
作品に対する美意識とか価値を信じれる人・信じられない人 って気がしました。
長谷先生の
>結末を考えずに進む、このやり方は「壊れる」という
>恐怖との闘いを続けつつやるわけで、ある意味面白い。
>まさに「センス」が問われ、
というのがすごく納得いって感動したんですが、
このセンスってのがはなっから存在してない場合は不可能だしそういう事だと思います。


64 : 名無しさん    2007/10/08(月) 04:50:21   ID:5b5d8891d3 
>・「ノリに任せてダーっと」←ありえない。かならず話が破綻したり穴があく。
>・「出だしの一枚を書くのに、何時間も、ときには何日も苦しむ」←ありえない。長考が人間ばなれしすぎ。
>・「いいタイトルが決まれば、作品全体のイメージが最後まで出来てしまう」←ありえない。シャーマンに転職しろ。
>・「まさに『恐山のイタコ状態』になる」←ありえない+衝撃+シャーマンに転職

>とくにこの4点は想像をぜっしてますね。おなじ人間のような感じがしない。

自分の想像からかけ離れた存在をありえないとか信じられないなんて
考えちゃうのは簡単なことだよな。


65 : 渡辺裕    2007/10/08(月) 08:10:12   ID:ca6ba9db39 
 作家や作者じゃないのに迂闊に「信じる」のもどうかと思うんですよ。
 作家や作者さんとか、迂闊に作品世界にのめり込んで創作活動やってるうちに、自分自身が少しづつ世間の潮流から乗り遅れて軽く浦島太郎状態になったりしますからねぇ。
 それはそれで悲劇なんで「簡単なこと」が簡単に出来るのは却って羨ましいことだ、とも言うんですけどね。
 そこを、さ。何の根拠もなしに「それって簡単だよね、フフン」とか言っちゃったら、おたくなんだろなと思いました。

 そう考えると作家さんって因果な仕事で、ある時期急に時代の最先端になったりするんだけど、その瞬間から確実に退歩が始まって、一定の期間が過ぎたら夢から醒めて、ひとりポツーンと取り残されたりするわけですよ。

 長谷先生の
>結末を考えずに進む、このやり方は「壊れる」という
>恐怖との闘いを続けつつやるわけで、ある意味面白い。
>まさに「センス」が問われ、
↑コレなんかは、単純に作品世界を作りこむ「内側」の話としても面白いですけど、作者を取り巻く環境の変化的な「外側の話」として見ても面白いです。
「壊れる」って、意外と外的要因なんですよね。


66 : メルヘンひじきごはん    2007/10/08(月) 12:42:09   ID:dd16c11a34 
おお。お主もおたくであったか。


(・α・)人(・β・)丶


67 : たけくま ★    2007/10/08(月) 13:35:38   ID:??? 
※筒井の「物語素」についての話は、「短篇小説講義」ではなく
「着想の技術」の可能性があります。俺が勘違いしていたかもしれ
ません。両方とも今、手元にないのでアマゾンで取り寄せ中です。
はっきりわかったら次回のエントリで書きます。でも
「短篇小説講義」もとてもいい本なので、読んで損はありません。


68 : 湯宿    2007/10/08(月) 13:44:19   ID:ec7fe771e6 
なんか話がどんどん広がってるんですが・・・
まず単純にひとつお聞きしたいのは、◆ OZCI/VVVB2さんが、
「ノリに任せてダーッと書く」的な事を、これまでやった事があるのかって
事が知りたいです。
やったことあるにしても、これまで何回くらい失敗したのか、など。

やる前から絶対不可能、自分にはそんな能力はないって思い込まれるのではなく、
まずは兎にも角にもやってみたらと思うんです。
数回程度の失敗なら、たまたまその題材では出来なかっただけで、
他の題材ならあんがいスンナリ出来ちゃうかもしれないし・・・

確かにアドリブで書くのって、やる前は勇気がちょっといります。
これまで何回か成功しているのに、今回はダメかもしれないって思う時も
多々あります。
ただ、やってみたら意外と出来ちゃった。
自分でも書く前は思いもつかなかった結論が出たって事も、かなりあるんですよね。
それはやっぱり、超常的な現象でなくて、過去の経験や知識の蓄積が無意識下から
働きかけてるっていう事なんでしょうけど。

だから熱血少年漫画のセリフのごとく、
『何もしていないうちから自分の限界を決めるな!』
『自分を信じるんだ!』
『君なら出来る!』
等々言いたいですねw


69 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/08(月) 15:25:15   ID:1c2a348926 
>>68
さっき読んで返事かきかけたんですけど、
やっぱりまとめるのに時間がかかりそうなので、あとで書きこみます。

このスレッドは読みかえしてるといろいろ考えさせられるカキコミがすごい多くて、
考えながら読んでると時間がすぎてキリがないです。
その頭にうかぶこと全部うまくまとめて、
そのうちここに書きこんでみたいような気持ちが昨日からわいてますわ。

だいたいマンガなんて部外者のオレからすると「絵のこと」というふうにおもうのに、
長谷先生は「詩」が大事だとかおっしゃって、オレには意味がよく理解できないぐらいだけど、
ものすごい興味ぶかい発言におもえたりしてですね。

とにかく今はちょっと昨日ぐらいから用事が全然とどこーっておってですね、
早いとこ片づけなきゃならんことがいくつかあって、いま返事をかいとれんのですよ。
いまもうすでに夕方3時半で、日ぐれまであと数時間ですよ。人生のムダづかいもいいとこですよ。
でもそれが楽しいんですよねえ。とかいったりして。(笑)

そんなわけで今はすいません。


70 : よだれ    2007/10/08(月) 17:01:01   ID:7c2c26c781 
詩は実は自分は書けないと思ってるんです。
ただまんがの形でならギリギリ書けるかもという思いがあります。
詩はたぶん表現でしかないし、センスでしかない、
厳密にそうでなくてもそれにもっとも近いもの かなーと思っています
絵とストーリーもひっくるめて詩として見るまんが、
ある種のまんが読んでると、それ以外に受け取り方・読み取り方がないものもありますし
あんまり思いつくわけじゃないですがますむらひろし、岡田史子、丸尾末広なんかの作品には
ときどきそういうのがあったと思います。


71 : メルヘンひじきごはん    2007/10/08(月) 17:19:20   ID:dd16c11a34 
石森章太郎先生の本領ってえのが「おかしなおかしなおかしなあのこ」で発揮されてるのを読むと
詩情に。俺は「JUN」よりかこっちである。アニメ化時タイトゥ「さるとびエッちゃん」である。

的なウンチク垂れ原稿を御大版青騎士についてものし編集者さんにこれはダメされた二十歳そこそこ。


72 : メルヘンひじきごはん    2007/10/08(月) 17:39:28   ID:dd16c11a34 
虹色の龍が駆ける朝
陽炎が笑う

わたしは砂を心に晒しながら 歩く 歩く 歩く鼓動と歩く
皮袋の水 干乾びさせた腐らぬししむらは堅い

かみしめて かみしめて かみしめて旨味をむさぼる己があさましい などと 心地る隙間は ないことにしないと

けれど独りだから 独りで盛り上げなければ 挫けてしまう
だから小さな声で
歌を歌う。

後に去ったくにの緑 忘れられぬ山々
うこん色の花とりどり 野の小さな白い花


龍は笑うこちらへ来い不敵なその白いお髭
騙されそう 玉虫色 目眩がする気温の中わたしの肢が砕ける


…。

滴。え?

「オアシスって知らないで 旅してるのじゃ ないよね。」

わたしはその青年が 龍の化身と思ってしまったことは 恋に墜ちたと いうことなのでしょうか。


73 : 長谷邦夫    2007/10/09(火) 01:04:09   ID:e48f000626 
「詩」のことは、あいまいな領域なんで、むずかしいですね。
でも、これがすべて「言語」のことばかりではないんですよ。
シュールな絵という方向も忘れてはいけない。
ただ、ここでは物語の話が中心ですから、詩については余談的に
認識しておいて下さい。

ただ物語を考え書いていく際に、それこそ詩の<センス>が無いと
最近大量に書かれている、表面的面白ゴッコ、仕掛けやネタの
クオリティばかりになってしまいませんか。
ゲーム的というか、良く出来た工業製品を読まされているような
気分にさせられます。物語商品としてはいいでしょう。

しかし、真に新しいものは、そこには無いような気がします。

マンガ専門学校の学生の作品に即していえば、まずノッペリ
していて、それこそ物語の表面しかない。
だから、当然人間の面白さが出ていない。その結果、その
人間が見つめる「風景」にさっぱり『詩』が感じられない。
当然、平凡な風景しか描けていないわけです。
背景画のつまんないマンガって、つまんない(笑)です。

ないないずくしで、どうもうまく言えないんですがね。
スイマセン…。


74 : 渡辺裕    2007/10/09(火) 02:30:30   ID:cae9cb5beb 
 見た目命は昨今の風潮ですから。内容求めてもしょうがないです。
 あと、結局は漫画にしろゲームにしろ、それをツールにして友達を作ったり繋がったり群れたりしてる方に多大な価値がありますから、下手に内容が充実して狭い印象を受けても与えても困りますしね。
 取っ掛かりとしては、それでいいの? くらいあっさりしてる方がいいんでしょ。

 ある程度古い世代にとって漫画は「宝物」かもしれませんけど、新しい世代にとってはアイドルかツールで。
 そんなに価値高くないんですよね。


75 : メルヘンひじきごはん    2007/10/09(火) 04:17:01   ID:74b86d5df3 
やっぱり首尾一貫しておたくである!!その発言が「フッ」でねくてなんである。

俺は「いかに大量に金を稼ぐか」が念頭に溢れると詩情が枯れる法則に従っている。


76 : ケイン濃すぎ    2007/10/09(火) 12:12:50   ID:be6505320d 
こんにちわ。
自分も仕事でライトノベルやゲームのシナリオを書いた経験があり、
現在もゲームデザイナーをしています。
そんな自分も「ある程度の方針」以外は考えずにノリで書き始める
タイプなのですが、なぜそうするのか自分なりに回答してみようと
思います。

やはり物語というのはフィクションなので、事実をありのままに
書き記すものとは違うと思います。
事実を書き記す、というのは論文で言えば論理的に思考を構成
して、それを系統立てて書き記すということと同じ脳内作業
なのですが、この書き方で基準となるものは「論理的整合性」
だけです。
目的は正しい思考を正しく正確に他人に伝えることであり、
内容が湾曲して伝わったり、読み手に伝えるべき意図が正確に
理解されなければ意味がありません。
つまりそのような目的で書かれるものは「論理的整合性」と
「意図の正確な伝達」が求められるもので、ノリでかけるもの
ではありません。
言葉や文章という意思の伝達手段は、(発信もと、書き手の)事実
をありのままに、正確に伝えられるように精度を高められた伝達
方法ですから、日常一般にそれらを使う人はやはりその本質に
のっとって書いたり話したりするわけで、それ以外の「使い方」に
は理解が及びにくいのは仕方のないことだと思います。

前置きが長くなりましたが、物語や物語性のあるものを作ろうと
した時、「それ以外の用法」で言葉や文章は利用されることが
あります。いや、俺はあると思っています。
それは単純な言葉で言えば「面白み」という基準です。
フィクションという事実無根の、送り手の脳内でのみ生まれた
「面白み」という不可思議な基準は、正確さも事実性も何も超越
したもので、言葉や文章の本質である意思伝達の論理で考えると
破綻してしまうことが多々あります。
筒井先生の言う物語素ですか。これは俺の言う「面白み」と同じ
フィーリングだと思います。おそらく。

事実無根の「面白み」の創作物である物語は、意思伝達の正確性
(論理性、整合性)が第一ではありません。
もちろん「面白いことを面白いように伝える」という意味では論理性
を求められるのですが、正確に伝わることを不正確に、鮮明な意図
を不鮮明に伝えることで「面白み」があるのならそうするわけで、
その点で言うと言葉や文章の意思伝達の本質からは逸脱したもの
です。
そして通常の意思伝達の論理で考えれば、伝達するからには伝達
すべきものが「確定」してから伝達を開始するものです(そうでない
と伝えるべきものが正確に伝えられないし、その基準から外れた
ものはよい言葉遣い、よい文章とは言えない)が、物語などの
「面白み」を基準とした場合、「伝達しながら面白みを探る」という
ことも起きてきます。
たとえば外側で言えば文章の美しさ(正確性や論理性、つまり機能性
とは違う価値基準)、抑揚の気持ちよさ、そして内側で言えば伝達
すべき要素が伝達中に変化、追加されることによる「面白み」の増加
(その結果伝達の正確性、整合性は破綻するとしても)があるならば
伝えるべきことが完結していなくても言葉や文章は物語として生産
されてゆきます。
「面白み」というものは伝達中にも増減するものなので、その基準に
従って作者は調節を加えていかなくてはなりません。
その結果調節に失敗し、「物語をとじる」のに失敗した作品はつまら
ないものになり、単に論理性、整合性の破綻という言葉や文章の
本質に照らした印象しか(受ける側には)残りません。
また「面白み」というのは作者の内部から外に出る際に「急速に
減衰する」性質も持っているので、言葉や文章に起こした際に定着
せず、やはり失敗することがあります。
これをうまく定着させるには言葉や文章の本質を理解することが
必要であったりします(道具の使い方を上達させる必要性)。

長々と書きましたが、これもまた「面白み」を伝えようとしたもの
ですので、破綻していたら申し訳ありません。
このフィーリングが参考になればよいなあ。


77 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/09(火) 12:39:09   ID:ed7e354c0f 
>>68
┃「ノリに任せてダーッと書く」的な事を、これまでやった事があるのかって
┃事が知りたいです。

上にかきこんだ>>22がほんのちょっとですがそんな感じのですけど、
ああいうふうに話題があっちこっちデタラメにとぶので、
とてもマトモな文章にはならんです。>>22にしたって、
ここに書きこむのにいくらか手をくわえて改変し、よみやすくしたつもりですし。
そのままナマのを書きこんだらふつうに悪文ですよ。(笑)

で、無際限にどこまでもダーッとっていうのは今までやったことないし、
それをやろうと考えたことすらないです。湯宿さんのその書きこみを昨日よんではじめて、
頭にうかんでくることのすべてを際限なく書きだしていったら最後にどうなるのか、
どんな境地がまっているのか、というあたりのナゾに考え至ったぐらいのことです。
ですから失敗も何もはじめからそういうのはオレはないです。
あるとすればそれは今後ってことになりますね。

だけど、プロの小説家でもそれをやった人っているんですかね。
なんか、誰であれ不可能なような気がしますけどね。それに、もしそれを実行したら、
最後は発狂するんじゃないですかね、なんとなく直感でですけど。


78 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/09(火) 12:40:53   ID:ed7e354c0f 
>>68
ただ、ここでシャーマン型といわれてるような、なんというか、
スイッチがはいるとダーッとかけるようになる、みたいな経験はオレには1どもないですよ。
それがどういう心理状態なのか、想像がつかないです。

ただ、もしかするとこういうことかな、と思いあたることもないわけではなくて、
それはどういうことかといいますと、こざね法であたまを整理していくと、
自分でもかんがえたことのない発想というか何というか、
ああいう考えのまとまりのようなもののことを何とよべばいいのかわかりませんけど、
いきなり電光石火みたいにスイッチがはいって「あっ、わかった!」となって、その瞬間から、
それまでならべてきたいろんな事実や考えの断片が、
急激にひとつのまとまりをもって関連しあってることがわかるようになるってことがよくあって、
ひょっとすると、それがシャーマン型の小説家の「かきだし」とおなじ心理現象なのではないか、
というような感じはひじょうに強くします。

しかしオレの場合はですね、そのときでも、あたまにうかんでくるのはやっぱり
「ひとつのまとまった文」では全然ないんですよ。それについての物事の理解が急激にすすみ、
なんというか、あかるくなったみたいな感じになるというだけのことです。
それについて作文をかくということは、
それはそれでまた全然べつの「作文」という大工か建築みたいな作業が必要になります。
ただ、「ああ、わかった!」のあとは作文がかなりスムーズにやれるようになることが多いです。

そんなしだいで、題とともに内容までパッとでてくる、
なんていうのは本当に想像を絶します。竹熊さんだけでなく、
ほかのひともそういう創作者の存在をあたりまえの前提としてここに書きこんでますので、
これはもう、ある種のひとたちに共通する一般的な心理現象ってことなんでしょうね。
ああ、オレとはちがうんだな、という感じがします。
だからオレとしてはシャーマンのタトエはすごく的確な感じがするんですけどね、マジで。
悪意のひとにまたつつかれるかもしれないですけど。(笑)


79 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/09(火) 12:43:08   ID:ed7e354c0f 
>>68
「こざね」を知る以前の作文はただひたすら何ども書きなおしていただけです。
だからワープロができてからは紙とインクがよほどムダにならなくなりました。(笑)
その意味でも「ノリに任せてダーッと」なんてのは、これまで1ども経験がないですね。
まあ、オレはもともとプロでも何でもありませんので、
仕事や義務でながい文章をかく必要にせまられたことがないから、
そんなむりやり絞りだすみたいな境遇においこまれてないからかもしれません。


80 : 1026    2007/10/09(火) 13:23:41   ID:07c2a414af 
シャーマン型の書き方には瞬発的な集中力と独特のリズムというか、
テンションが必要な気がするのですがいかがでしょう?


81 : ケイン濃すぎ    2007/10/09(火) 14:12:49   ID:be6505320d 
面白みを全編に渡って持続させるには、「シチュエーション」と
いうものがとても大切です。
その発端としては「タイトル」というものはとても大切です。
また、書き出しというものもその後のシチュエーションを
決定付ける要素ですのでとても大切です。
ひとによっては「面白みのあるオチ」を先に決定(というか発案
出来てしまった結果である場合が多い)し、そこに至るシチュ
エーションを逆算して書く人もいます。
それ(シチュエーション)が面白いかどうかを検証しながら書く、
ということをお試しになれば、なんとなくシャーマニズムの
フィーリングが伝わるのではないでしょうか。

物語というのは彫刻や絵のようなもので、全体の形(文章構成、
抑揚テンポ、言い回し。文体だけではなく、内容にもこの要素は
ある)も大切になってきます。
これは機能性のことを主に指すのではなく、気持ちよさ的な形の
よさのことです(たとえば俺が思うに、新井素子先生の書くものは
意思伝達という文章の本質から逸脱しているが、あの文章は異様
な気持ちよさによって成立している。物語全体にしてもそう)。
詩などは全体を見渡して描くことがかんたんではないですが、
比較的そういった全体の形、概観の美を見渡して作り上げること
が大切な表現だと思います。
しかし物語となると全体を完全に把握してから作り出すという事
はとても難しくなってきます(できる人もいます)。
物語という彫刻が大きくなれば細部から作り出すこともあり、完成
するまで全体がわからない(目指すものはあるにせよ)ことはまま
ありますね。

最初から計画だてて作り上げたものは、大量生産の規格品のような
精密かつひずみのないインダストリアルな美はあっても、手作りの
ぬくもりが消えてしまうことがあります。
しかし「使う」ということに関して言えば、前者のほうが優れている
ワケで、論文などはそうやってた論理で書かれるべきでしょう。
物語はいびつで伝わりにくく、多少使いにくくても「よいもの」
であったりします。


82 : ケイン濃すぎ    2007/10/09(火) 14:21:04   ID:be6505320d 
シチュエーションは起爆剤であり、物語の燃料です。
良質のシチュエーション(タイトルや書き出し、設定、オチなど)
さえあれば、それを燃焼させることで物語はどんどん成立、進行
してゆきます。
そして物語自体も燃えたときに燃料であるシチュエーションを生産
してゆくので、倍倍ゲームのように加速します(良質な燃料と燃や
す力が作者にあれば)。
そしてそれは石油の源泉みたいなものなので、掘り当てても正確な
埋蔵量は「燃やしてみないと」分からなかったりします。
推量することは出来ますが、燃やしてみたら意外と燃えなかったり、
核爆発を起こしたりもします。

へんなたとえですみません。


83 : 渡辺裕    2007/10/09(火) 17:54:58   ID:efe85efbcd 
 ケイン濃すぎさんと>>77以降の◆ OZCI/VVVB2さんの文章は、
とりあえず「ノリに任せてダーッと書く」「シャーマン型」的な文章に見えますね。


84 : 渡辺裕    2007/10/09(火) 18:06:17   ID:efe85efbcd 
>>毛陰濃すぎ さん

 物語性と現実の融合度や分離度なんかを調整すれば、
現実に経験したり体感したことでも夢心地のような内容に
書き換えられると思いますよ。
 あとまあ、人によるんでしょうけど、
肌感覚で掴まないと物語を構築できないタイプの人(体験型)と、
物語を読んだり絵を見たり、目と脳で得た方が効率いいタイプってのも、あると思うんですね。
 んで、どっちか一方に極端に偏るケースは稀で、肌感覚と想像力って、
ある程度どっちもこなしたほうが、いいんじゃないかな? と。

 漫画家さんや物語作家で、煮詰まったときに散歩や掃除をしたら
気が晴れて筆が進むケースって多々ありますけど、つまり、そういうことかなぁ? と。


85 : 湯宿    2007/10/09(火) 21:47:45   ID:ad86b52377 
うーむ、みなさんの論理、仮説の発展の仕方が凄まじすぎて、
本質的にパッパラパーな俺にはついてこれなくなってきたな〜

◆ OZCI/VVVB2さんレスありがとうございます。
うーむ、おっしゃってる事は、分かるような、分かんないようなw
いや俺がアホで理解力が無いからなんですが、アホなりの直感で言わせてもらうと、
なんか、こう、文章を書く時、めっちゃ特別な儀式のように思われてるというか、
要するに強烈に「今から俺は文章書いたるぞー!」「書くからには天下の名文にしたるぞー」
って、大変に力まれてる感じがしますね。
確かにこういう方は、ノリで書くタイプには向いてないと思いますw
何も準備しないで、丸腰で危険な戦場に行くかのごとく、
とんでもなく無謀な行為のような気がするでしょうし・・・。

えー、たぶん、ノリでやれる人って、技術や才能などよりもその人の性格そのものって
気がしますね。
(あ、ちなみに「この性格が大きい気がしますね」っていうのも、
今書いてて思いついたものですw)
その性格っていうのは、まあカンタンに言えば、己の右脳を、
『ま、書いてるうちになんとかなるっしょ』って信じたり、
『たかが文章、失敗したら後で書き直せばええねん』
って思える、楽天的な性格ではないでしょうか。


86 : 湯宿    2007/10/09(火) 21:56:21   ID:ad86b52377 
えー、>>85は完全にアドリブで書いたんですが、読み返してみると、
ひどい文章だ・・・・
というわけでアホなりに、某作品のパロディでカッコつけさせてください。

「まさか、お前の能力は「楽天的」だけじゃあるまい」
「あとは、勇気だけだ」


87 : ケイン濃すぎ    2007/10/10(水) 02:50:21   ID:4f03e5f5df 
>渡辺さん

今回は、さほどノリに任せてダーッと書いたわけではありません。
ただ、正確に伝えるための語彙が俺の中になかったので、色々な
言葉に変換して説明したような部分はあります。
そのぶん、不鮮明であったかもしれませんね。

しかし、俺の言っている事とあなたのおっしゃる「物語性の話」は
ちっとも関連のない話です。
そういうことを捉えて述べたわけではないのですが・・・

俺の語った話の中心は、作家というものは「面白み」としか言い
ようのない(客観的には不合理な)不思議な判断基準でもって文章
や言葉や絵を取捨選択してつむぐという考えの話です。
作家の中にある「面白み」によって判断され、取り上げられるもの
はたとえば実体験に根ざしたものであったり、人づてに聞いたもの
であったり、見た写真、キーワード、音楽、そして昨日見た夢で
あるかもしれませんが、それらは作者の内部で「面白み」という
他人にははかりようのない基準でもって取り出され、自然と組み
上がって表出します(たとえば物語であればプロットとして、
たとえば絵であればワンシーン、キャラクターとして)。

重ねての話になりますが、本来言葉や文章は正確に情報を伝達する
ためのツールであって、その方法以外の使い方をしないわけです。
たとえば愛の告白というのはみなさん苦手だと思うのですが、
それは「好意を持っている」ということを相手に直接的に伝達する
だけでは不十分であることによります。
もっと気の利いた、ロマンチックな、雰囲気のある言葉で意思を
伝えなければならないわけで、これには苦労するでしょう。
また、普通の人は絵日記を書くことは出来ると思います。
あることをあるように描けばよい。
そこに感想や思い込みやちょっとした空想が入ってきたりする
かもしれませんが、なに、頭の中にあるものをあるようにトレス
するだけです。
しかしこれが漫画のように物語性を要求されればとたんに描けなく
なるでしょう。
それは面白みという判断基準でものを構築しなければならないから
です。それはできない人にはとても難しい。
我々は日常正確に物事を伝達することの経験値は積んでいても、
面白みという基準で表現や伝達をすることはないわけです。

※中世フランスでは誰でも日常から詩のように意思伝達をしていた
かもしれません。そんな世界ならまた話は違うでしょうがそれは
また別の話。映画シラノ・ド・ベルジュラック的なね・・・

「面白み」という判断基準によって事実は事実のままに書かれたり、
曲げて描かれたり、夢のままに取り出されたり、現実的に修正されて
使われることがありますよ。


88 : ケイン濃すぎ    2007/10/10(水) 03:02:59   ID:4f03e5f5df 
いま読んだのですが、
週刊少年マガジン2207年45号のエアギア(つまり10/10発売号)
で「センシビリティ」「概念」の伝達という話が出てきますね。
このフィーリングが、俺の話したいフィーリングと近いですね。
よけい意味不明になるかなあ・・・

ちなみに作者は天才という捉え方はナシにしてください。


89 : ぷっく    2007/10/10(水) 06:44:24   ID:e785eec024 
トーナメント表のような膨大な展開分岐の枝分かれから
バシッと一本の道筋が見える瞬間がある
って感じなのかなあ


90 : メルヘンひじきごはん    2007/10/10(水) 10:59:07   ID:5d889cbe75 
おっおれも…平成二百十九年のマガジン…読んで…みたいィっ

大暮はん長生きされて何より。おれも負けんあるムッふー


91 : zwei    2007/10/10(水) 11:41:28   ID:f280bb8397 
小説もちゃんと書き上げたことのない人間ですが、少し戯言に付き合ってください。
私の場合はTRPG畑の人間なので、少しずれているのかもしれませんが、結末を決めずに物語を書く事なら
そんなに難しくはないと思います。
そう感じる理由としては、書き始めるまではそのキャラとは初対面だからです。そのキャラが、どんな行動や
考え方をするのかも未知ですし、キャラクターの性格を無視して予定通りの展開を進めようとすると、物語は
破綻してしまいます。もしくは、邪気眼のような薄っぺらい設定へと変わってしまいます。
ならばどうするか? キャラの好きにさせればいいんです。決めておくのは、その作品の中で起きる事件さえ
決まっていればいいんです。その犯人とかも決めておくと尚いいです。後は、キャラクター達に任せるだけです。
その分、キャラクターはしっかり作りこんでおく必要がありますけど。
俺とか見たいな、プロットよりも電波中心に描く人の説明については、「五代ゆう&榊一郎の小説指南」という本が、
でてるので、コイツを読んでもらった方が分りやすいと思います。
俺の基本スタンスは「始まりからはじめて、終わりになったらやめればいい」って感じです。
落ちるところはキャラクターが落としてくれる。ってところですか。
文章畑ではないので的外れかもしれませんが、以上です


92 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/10(水) 12:40:06   ID:39b9987e76 
>>83
そうですか。むしろ逆ですけどね。たしかに、紙キレとしての実際のコザネはつかいませんでした。

こざね法を長期にわたって日常的に利用するようになりますと、やがて、あの程度の短文なら、
アタマのなかだけでコザネ法みたいにできるようになります。
湯宿さんのかきこみをよんだあと>>77-79をかきだすまでに時間があり、
いろいろ他のことをやっているときにも、この件は脳内に去来して、そのたびにあれこれ考えとったんです。
それで、いわばコザネ法が暗算である程度できていたわけです。そのうえで書きはじめた。
書きはじめてからも段落を2〜3削除したりと、「大工か建築みたいな作業」をメモ帖でやってます。

もしシャーマン型にみえるなら、オレのそうみせるダマシ方にまんまとだまされてるんです。(笑)
自然な流れにみえるように文をととのえますからね。

>>85
┃なんか、こう、文章を書く時、めっちゃ特別な儀式のように思われてるというか、
┃要するに強烈に「今から俺は文章書いたるぞー!」「書くからには天下の名文にしたるぞー」
┃って、大変に力まれてる感じがしますね。

そうですか。すくなくとも主観的にはこれは全然ないです。
自分でも気づかない無意識にはあるのかもしれません。それが文章にあらわれてて、
他人からはよみとれる、みたいな。


93 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/10(水) 12:42:35   ID:39b9987e76 
>>85
┃ノリで書くタイプには向いてないと思いますw

この点は、オレのタイプがどうというより、
オレ自身がかなり明確に「文章はノリでかいてはならない」という気もちでいます。

たとえば>>22には非論理的な部分がいくつもあるとおもいますが、オレがノリだけでかくとああなります。
で、そのことに自分自身できづきます。>>22をここにかきこむときに、自分でそのことにハッキリきづいていましたが、
「タレ流すとこうなる」という見本の意味もあったので、そのままでかきこみました。いわば、
自分で自分の文章のおかしさに気づいて、それに自分自身で批判・反論をしてしまうわけです。
で、その自作文章の矛盾点なり納得いかない点がきえないかぎり、気になって作文完成にならんのです。




ついでに脱線しますと、竹熊さんの作文がコザネ法をつかってるか否かとナゾにおもっていた理由は、
結末の有無ではなくて、文章の論理性です。

最近のエントリーでは「blog考」につよくそれを感じました。公刊するための文章だそうなので、
ふだんのほかのエントリーでの作文とはちがい、冗漫な点などがはぶかれているせいで、
その論理性がよりムキ出しになっているからでもあろうか、などとその理由を想像しています。

こざねをつかわずにあのような論理的な文章をあのようにながくつづることが、オレにはまったくできません。
だからオレはコザネをつかうわけですが、こざね法だと文体にある種の特徴がでるとおもうわけです。
ところが竹熊さんの文にはその特徴が感じられない。だから「どっちかな?」とフシギだったのです。


94 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/10(水) 12:46:58   ID:39b9987e76 
>>85
┃何も準備しないで、丸腰で危険な戦場に行くかのごとく、
┃とんでもなく無謀な行為のような気がするでしょうし・・・。

この点はあなたをするどいとオレはおもいました。「するどい」というのは、
「とんでもなく無謀な行為のような気がする」という感情をオレは自分ではおぼえないとおもいますが、
「戦場」という単語があるあたりのことで、ようするにオレはもともと議論屋・論争屋なのです。

議論・論争は、つかう武器がコトバだというだけで、イクサそのものだとおもいます。
だから兵法の基本的なこころがまえなどは論争でもタトエでなくそのまま通用するだろうとオレはおもいます。
議論屋・論争屋とは、そういう、ふつうとはちがう種類のイクサにおける兵隊・軍人だとおもいます。
精神構造が兵隊・軍人なのだと。血はながれない。矢もタマもとばない。体もうごかさない。爆弾も飛行機もない。
そういう種類の毛色のちがうイクサです。梅棹忠夫さんにとても興味ぶかい作文で「武と文」というのがありますが、
議論屋・論争屋の精神構造は文人ではなくて武人だとおもいます。ことばをもっぱら武器としてつかう連中です
(ことばは武器としても花としてもつかうことができるとおもいます)。

その議論屋・論争屋としてのオレという人間を、無意識でかどうかはわかりませんが、
あなたはおそらくオレのかきこみから感じとったんだとおもいます。
それが「戦場」という言葉であらわれたのではないかと。だからオレは「するどい」とおもったのです。

そして、自分がそのように議論屋・論争屋だからこそ、つい自分がかいてしまう非論理・没論理・詭弁をも、
自分自身で批判・反論してしまうし、気なってしまうし……ということだろうとおもいます。


95 : メルヘンひじきごはん    2007/10/10(水) 12:51:12   ID:5d889cbe75 
・俺のイラスト手順

−題材決定 真面目・ギャグ・萌え・えっち・メカ・燃え 主体目的重視
−「不足分は何か」基本
−「これどっかで観たことある」、という感想の後に、嘲笑がくるのを回避
−すると、「みんなが何を忘れているか」が重要
−たがイン種検索くんをしない
−人生が短い場合も考慮する。あとはシャープペンシルが勝手にやってくれる。


96 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/10(水) 12:51:38   ID:39b9987e76 
>>85
┃『ま、書いてるうちになんとかなるっしょ』って信じたり、
┃『たかが文章、失敗したら後で書き直せばええねん』
┃って思える、楽天的な性格ではないでしょうか。

長文をかくと自動的に非論理的・詭弁になってしまう者としては、
「書いてるうちになんとかなる」というのが具体的にどんな状態や現象をさすのか想像できません。
まさか、ドンドンかいているうちに、前述した非論理・詭弁がきえていくわけじゃないとおもいますが……

「後で書き直せば」というのは、おおやけに発表したあとでも訂正・撤回などで対処すればいい、
という意味でしょうか。もしもそうだとすれば、オレのかき方による文章でもあてはまります。

「後」というのが具体的にどの時点なのかもよくわかりません。
あとの訂正などはいかなる時点でも可能なことなんじゃないかとおもいます。
キリスト教が歴史的にいろんな戦争などの原因になり、
世界じゅうで悲惨なできごとを無数にひきおこしてきたことを、
何年かまえにローマ法王庁が謝罪しましたが、そのことをついおもいだしました。(笑)

自作文章に自分で批判・反論するというのも、
一種の「後で書き直」しにあたるんじゃないかとおもいますが、ちがうでしょうか。


97 : メルヘンひじきごはん    2007/10/10(水) 12:55:18   ID:5d889cbe75 
コヴァはよしりんに呼称戻れるンかいなが感想である。

98 : ケイン濃すぎ    2007/10/10(水) 14:43:49   ID:2c4117558c 
>zweiさん

こんにちわ。
俺はいまコンシューマのゲームデザイナーですが、もともと高校〜
20代前半まではTRPGに熱狂し、未翻訳TRPGのテストプレイに参加
したり、プレイバイメイルと呼ばれるスタイルの、郵便利用TRPG
サービスの会社に居たこともあります(某漫画家のプロアシと
二足のわらじで)。

したがってTRPGにも詳しい方だと思うのですが、ひとつ言わせて
もらおうかと思います。
TRPGとはテーブルトークロールプレイングゲームという和製英語です。
※どんな遊びかわからない方はウィキの遊び方をご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AFRPG

基本的にゲームマスターは世界観とシチュエーションの説明をリアル
タイムでプレイヤーに行いつつ、ときおり様々な「判断」を下します。
プレイヤーキャラクターの行いによって怒る様々な結果の是非を、
サイコロ振ったりカードを引いたりして決定するわけです。
これがプレイヤーとキャラクターにとっては「ハプニング」となり、
一方的に相手(ゲームマスター)から読み聞かされるお話ではない、
予想外の展開をはらんだ双方向の遊びになるわけですね。

たしかにTRPGの遊びの仕組みというのは、作家が物語を構築する
過程を遊びにしたような部分がありますが、本物の物語創作に
照らし合わせるとzweiさんの説明では少し足りないのです。
TRPGにおける「キャラクターのスキにさせる」は、本当の意味での
キャラの一人歩きなんですね。
プレイヤーはその担当する一人のキャラクターの代弁者として
行動や発言を行いますが、それが「物語り全体を通して面白い
ことかどうか」などの判断によって行いや発言が決定することは
ありません。
つまり一人のキャラクターとしては生き生きしますが、物語という
大局とは全く違う視点なんです(プレイヤーはゲームシステム上、
経験値や財宝の取得など、キャラクターの利益も追求しなくては
ならないからね、あえてルールから逸脱しない限り)。
これはプレイヤーキャラクターが複数いた場合、キャラクター間
の連携(物語的な連携のこと。主役、脇役、メガネ君みたいな)に
ついても同様で、プレイヤーはキャラクター同士の人間関係を
「物語を面白くする」という目標を持って操作することはなく、
あくまで「そのキャラクターの思いに準じた」振る舞いをします。
たとえば女好きのキャラクターという設定ならば、そのキャラ
クター単体として生き生きとするような振る舞いをプレイヤーは
演じますが、それはプレイ後の出来上がった物語全体を見越して
の行動ではありません。

物語というのは、
そういうTRPGでいう意味でのキャラクターの一人歩きでは説明
できない判断が必要になってきます。
TRPGはアドリブによって面白さ、ゲーム性を持たせていますから、
そこに触れることは多くのプレイヤーが嫌います。
しかし物語作りということを説明するなら、この視点ははずせ
ません。
TRPGに照らして説明すれば「ゲームマスターの視点」での判断
です。つまりハプニング要素のコントロール、「どうなったら
この物語は面白いのか」という「神の視点」です。
物語を作る人間は、プレイヤーとマスターを同時にしている
わけです。
その結果、そのキャラクターを「物語の中で生かす」ために、
キャラクターにとってのしたくないこと、言いたくないことを
言わせ、不利益を与えます(ゲームであれば「失敗」を与える)。
それが結果としてキャラを引き立たせ、物語を盛り上げ、素晴ら
しい展開を生みます。

たとえばこれは俺がTRPGをやっていた頃によく話したたとえ話です。
TRPGであしたのジョーをプレイするとします。
ジョーの対戦相手はホセ・メンドーサ、最強の敵です。
ジョーのプレイヤーはなんとかジョーを奮い立たせるような演技を
し、戦いを継続します。サイコロが必要ならそれを振り、ダメージ
をホセに与えるわけですね。
ホセのプレイヤーはジョーを倒すために同じくダメージを与え、
チャンピオンホセらしい、威厳のある演出をします。
これはRPGとしてはまっとうですが、果たして「あしたのジョー」
なのか。いや、ちょっと足りないですよね。
TRPGのルールでは体力ゼロというのは不利益で、それを目指して
プレイするなんてことはありません。しかし「矢吹ジョー」を
考えたとき、「矢吹ジョーならばHP0でも立ち続けるだろう」と
思うわけですよ。
一方ホセはどうか。能力値と経験値で圧倒的にジョーを上回り、
コークスクリューパンチはジョーの体力を根こそぎ奪います。
干せとしては当然圧勝、ジョーを踏み台にしてさらなる栄光の人生
を歩む、という演出をプレイヤーはするでしょう。
しかしジョーが体力ゼロでも立ち続けたとしたら、その展開を
面白くするとしたら「恐怖に駆られ、完璧なボクサーが次第に
精神を破壊されてゆく」という演出を選択するでしょう。
しかしゲームで考えたらそれは不利益以外の何者でもありません。
最終ラウンドが終わり、ジョーは敗れます。
ジョーは敗北したために経験値はもらえず、体力ゼロのために死亡
です。、ゲームオーバーです。
一方の干せはジョーに勝利し、チャンピオンとして防衛。経験値と
栄光を得ます。
しかし、これではあしたのジョーをプレイしたことにはなりま
せんよね。
あしたのジョーという物語で言えば、死んだジョーこそが勝利者
であり、経験値をもらえてレベルアップした側なのです。
干せは勝ちはしたものの精神を破壊され、恐怖によって白髪になり、
ゲーム的には勝利条件を満たしますが、こちらも勝者とは言えない
状態です。
しかし物語としての視点で見れば「ホセの存在によってジョーの
物語は感動的に仕上がった」わけで、ホセの廃人と化した結末は
「キャラクターがよく動いた」成功例といえます。

このような観点を踏まえた上でTRPGのプレイ経過を「なぜ結末も
決めずに物語を書き始めることが出来るのか」という研究の材料に
するのはよいと思います。


99 : メルヘンひじきごはん    2007/10/10(水) 15:02:10   ID:5d889cbe75 
ところでさっきからおふくろが国会中継の自民党に利する不快なタイプの民謡歌唱中。

社会党支持をフェイクとするスリーパーと解釈。


100 : ケイン濃すぎ    2007/10/10(水) 15:05:49   ID:2c4117558c 
>◆ OZCI/VVVB2さん

94を読ませていただいて、やはり「面白み」という基準で何かを
書くという観点はない人なのかなと思いました。

『本来言葉や文章は正確に情報を伝達するためのツールであって、
その方法以外の使い方をしないわけです』

よい悪いではなくて、それが論理的にものを考える人の理屈だと
思いますね。ディベートや論文は、即時対応があるにせよ、言う
べきことも決まらないのに書き始めたり話し始めたりなど出来
ませんからね。伝達すべきものが確定しなければ伝達することに
不安を覚えるでしょう。


101 : メルヘンひじきごはん    2007/10/10(水) 15:08:26   ID:5d889cbe75 
んー。ここでアメリカンジョークはむつかしいが挑んでみるか。

102 : メルヘンひじきごはん    2007/10/10(水) 15:14:57   ID:5d889cbe75 
「今年離婚ブームだとか煽られちゃっておふくろが穏やかじゃないんだ」
「あー。うちじゃ姉貴だよ。」
「えっ?あのセンスのいい。あれでも海外だろ関係ナインじゃん?」
「四年前仏人とご結婚なされたことをひどく悔いておられる」


103 : zwei    2007/10/10(水) 15:23:15   ID:1183d1e555 
>ケインさん
意見ありがとうございます。
少し気になったのは、TRPGに関する認識の齟齬があるのかなと感じました。
D&Dやソードワールドだと、導入で依頼を受けてダンジョンハックや化物退治です。(乱暴な言い方ですいません)
でも、今の俗に言うFEARゲー物になると、個別導入が導入されてPL自身にメタな情報が与えられます。
それによって、PL自体に行動指針が与えられるようになっています。つまりPL自身が話に沿った行動をとりやすくなります。
当然、行動に制限も入りますが、その代わり物語に入りやすくなるという利点も発生します。
だから、PLがメタで行動するのでより物語らしさが生まれると思います。

あと、明日のジョーの例えですけど、ホセをGMが用意したボスだと考えるとそんなに理不尽に感じないのは私だけでしょうか?
最近はPL経験点になった制で鈍感になっているだけかも知れませんが、その場に感動を与えれれば、経験点はどうでもいいと
感じたりもしてしまいます。


104 : メルヘンひじきごはん    2007/10/10(水) 15:28:04   ID:5d889cbe75 
今の日本国は砂漠をずーーーーーーーーーっとあてどなく歩いててもう…てとこに突如蜃気楼てとこかもしれまへんなある。

105 : メルヘンひじきごはん    2007/10/10(水) 15:30:44   ID:5d889cbe75 
で理学徒として言わせていただくなら「存在しないオアシスの蜃気楼が発生することは皆無である」。

「ガリレオ」第一話チェキりまする。


106 : zwei    2007/10/10(水) 15:46:59   ID:1183d1e555 
>ケインさん
TRPGに関してはさておき、でもみんなキャラクターが勝手に動いた経験って有りませんか?
以前書いてた恋愛物では、主人公とケンカしたヒロインが元カレとくっついてしまった事もありますけど
そういうときは、キャラクターの好きにさせるしかないと思うんですよ。無理して用意した結末へ
行こうとすると、キャラが薄っぺらくなってしまいます。この辺が私が結末を決めない理由なのかな。


107 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/10(水) 16:58:44   ID:39b9987e76 
>>100
┃やはり「面白み」という基準で何かを
┃書くという観点はない人なのかなと思いました。

シャーマン型かコザネ型かで、あたかも精神構造だか人種だかが異なるようだと大げさにいうオレの意見を、
オレとは反対のシャーマン側から証明してくれてるような内容のあなたのかきこみ、興味ぶかくよんでました。

「面白み」という単語ですが、これは通常ならゲラゲラ笑う意味の「おもしろい」の系統の単語です。
しかし、オレがよんだかぎりでの解釈ですが、あなたのいう「面白み」はそういう意味ではないとおもいます。
ではどんな意味かとオレが勝手におもうに、ようするに、そのモノカキが「世に『いいたい』『あらわしたい』
と感じること」というような意味ではないか、などとおもいました。

つまり、通常の意味でならけっしてゲラゲラ笑わない面白くないできごとや妄想や意見だったとしても、
あなたのいう「面白み」にはあてはまる場合がふつうにある単語なのだろう、と。
喜怒哀楽のいずれであってもその「面白み」はつかえる、そういう単語のようにオレはおもいました。
そして、それは「面白み」としかいいようのないものだ、ということをあなたはおっしゃってます。

このオレの「面白み」の解釈がもしちがってたら指摘してください。とりあえずオレはこの解釈として以下のべます。

そういう「面白み」というのは、もしかすると、あなたのおっしゃるとおり、オレにはないかもしれません。
それでおもいあたったのはつぎのことです。

じつは数年まえぐらいから個人的に2chがはてしなくつまらなくなっていて、
そのつまらなさがオレの限度をたぶんこえたからだろうとおもいますのは、
ネットが何かもっとおもしろいことにならんものかとおもい、去年の秋にブログを何ヶ所かで開設しました。
ブログになにかを書きたくなったらいつでも始動できるようにと、はやめの準備としてもそうしたわけです。
ところが、これがいままで全然かく気になれなかったわけです。けっきょく1文字もかいてない。

しかし依然として2chでなら、いくらでもかきこめるわけです。(笑) いまでもさんざん書きこんでます。
しかし、ブログはサッパリ。2chはあいかわらず昔よりクソつまらんのに、です。

ブログで文章を発表することをかんがえるとき、なんというか、あたかも、
はてしない宇宙空間にむかって水をまいて芽がでるのをまつみたいな印象をオレはおぼえます。つまり、
どうも何かむなしいわけですね。で、たぶんそれが理由でブログに文をかく気がおこらんのだとおもいます。
なんというか、くだらないの極致みたいな感情をちょっとですがアタマの片すみにおぼえるのですよ。
これが2chだとタネまき後のウネに水をまく春の農夫の気分というべきなのかどうなのか、
依然としてかきこめるわけです。末期症状の2ch中毒でしょうか。

あなたのそのかきこみをよんで、このブログをめぐる件をおもいだしました。
2chはかならず相手がいますからね、かりに論争や批判をしかけるわけでなくても、です。

(いやいや、しかしこのたびはおそれおおくも竹熊健太郎陛下におかれてはこのような場所をご開設あそばされ、
なんというか、まったくもって足をむけてねむれんであります。(笑))


108 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/10(水) 17:02:02   ID:39b9987e76 
>>100
あなたのかきこみで興味ぶかかったことのひとつに、まさにその

┃『本来言葉や文章は正確に情報を伝達するためのツールであって、
┃その方法以外の使い方をしないわけです』

の部分があります。あなたはこの内容をくりかえしのべてますね。

ところが、オレはこれとは反対のような内容を感じているのです。
ことばはもちろん「正確に情報を伝達するためのツール」としても使えますが、
そのために必要となる条件や側面などはものすごく小さい部分にすぎず、
ことばの大半はそんなものとしては使われていない、というふうな印象をオレはもちます。
だから、あなたのその部分をよんだときはもちろんつよい違和感がありましたが、
それ以上にとても興味ぶかくおもいました。

あなたはことばというものを、
「正確な情報伝達」とはちがう目的のためにつかうことで苦労してる。その苦労が、
あなたにそれをいわせるのではないか、とおもったのです。他方、
オレはあなたとは反対あるいはおおきくちがう目的のために言葉をつかおうとしているから、
そのあなたのことば観と反対かおおきくちがうことば観をもつようになってる。

そういうことなのではないかと、とても興味ぶかく読んだしだいです。


109 : メルヘンひじきごはん    2007/10/10(水) 20:19:38   ID:5d889cbe75 
ああ。不可知論への導入部として申し分ないが、それで「論破」して戦争の指揮を執ると原爆が降ってくることは実
証済みである。


110 : 湯宿    2007/10/10(水) 20:23:28   ID:97ac49cac9 
>議論・論争は、つかう武器がコトバだというだけで、イクサそのものだとおもいます。

新ワイルド7のクロスというキャラの、「俺にとっては犯罪者との戦いは戦争だ、
GUNを抜いたらそこは戦場」というセリフを思い出しましたw
戦争&戦場ととらえるかどうかっていうのは、大きいですね。
戦争なのに何も準備しないのは、さすがにただのバカだと思いますから。

>その議論屋・論争屋としてのオレという人間を、無意識でかどうかはわかりませんが、
>あなたはおそらくオレのかきこみから感じとったんだとおもいます。

ああ、それはそのとおりですね。
文章に殺気がありますもん。もう、竹熊さんと議論を始めた初っ端から。
別に相手を批判したり否定してるわけではないのに、殺気があるのが凄い。
まあ殺気っていうより、攻撃的なオーラとでもいうのかな?
相手を叩くような文章なら誰だってそういうオーラを出せると思うけど、
そうじゃないのにそういうオーラを出せるのは、なんだかカッコいいなぁ。


>「書いてるうちになんとかなる」というのが具体的にどんな状態や現象をさすのか
>想像できません。

なんでしょうねえ、言葉で説明すると難しいけど、人間、50年後はともかく、
1日後や2日後なら、なんとなく無事に生きてるだろうって思えるじゃないですか。
本当はいつ事故や災害で死ぬかわからないのに。
それと同じで、まあ俺なら出きるんじゃないかっていう、根拠の無い自信みたいな
ものですね。
それも、非論理や詭弁になったら、後で直せばいいっていう、いい加減なスタンスで。

>「後で書き直せば」というのは、おおやけに発表したあとでも訂正・撤回などで対処すればいい、
>という意味でしょうか。

いや、なるべくなら発表前にちゃんと見直して、間違いがあるならそれに気付いて
修正するように・・・まあ、発表後でもそうしたい時はそうするかと。


111 : 湯宿    2007/10/10(水) 20:28:10   ID:97ac49cac9 
>自作文章に自分で批判・反論するというのも、
>一種の「後で書き直」しにあたるんじゃないかとおもいますが、ちがうでしょうか。

ああ、そうですね。
最後に書き直すときは、第三者になったつもりで、自分の文章を批判・反論して、
それを元に書き直します。
ただ、その批判や反論がいつも正しいとは限らず、かえって直す事によって
文章がダメになる事もあるんですよねえ。


112 : 湯宿    2007/10/10(水) 20:38:24   ID:97ac49cac9 
ダウンタウンの松ちゃんが、ガキの使いのトークの事を、
「毎回、手ぶらで戦場にいくようなもん」って言ってたんですよね。
それから、トークに赴く前も、これから企画を作るぞって時も、
特に頭に前もってつくっておいたネタやプランがなくても、
自分で「松本人志ならなんとかしてくれる」って、思っているらしいです。
ノリで書く人っていうのは、なんとなくシャーマン的な
もう一人の自分の存在を客観的に感じていて、そいつが
敵をやっつけてくれる(作品を創ってくれる)って信頼してるんじゃ
ないですかね?
信頼が裏切られる事も場合によっては多々あるだろうけどw

◆ OZCI/VVVB2さんの場合、そんな非論理的な奴などいない。
俺は一人で戦場に赴いて、一人で考えて、一人で戦うっていう
徹底したリアリストタイプだと思うんですけど、いかがでしょうか。


113 : zwei    2007/10/11(木) 07:46:34   ID:c721ef6205 
OZCI/VVVB2さんに一つお尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?
OZCI/VVVB2さんが書きたい文章というのは、「物語」ですか? それとも「論文」ですか?
文章の感じを見るに、小説や物語のような仮想のものでなく、どちらかといえば論文の方の
気がします。もし、小説を書いている方だったら、的外れでごめんなさい。
論文で例えるなら、結末を決めて書いていくタイプは「実験データから仮説を作る人」です。
そして、シャーマンタイプは「閃きから仮説を立てていく人です」出来上がるものは同じです。
ただ、取っ掛かりのつけ方が違うだけです。
どっちが劣ってる、優れているというものでなく、目的地に右から行くか、左から行くかの違いですね


114 : ケイン濃すぎ    2007/10/11(木) 14:44:32   ID:3cb266b2c2 
※昨日書き込み失敗したものを貼ります。
>zweiさん

こんばんわ。
確かに最新のTRPGのトレンドは知りませんから、色々調べてみま
した。
ロールプレイ(演出)支援システムやプレイ前のキャラクターおよび
世界観を説明するテキストの読み合わせ、あとはロールプレイする
ことでもらえるヒーローポイント(能力ボーナスポイント)ですか。

これらがルールに入ることでたしかにプレイヤーはキャラの演出を
求められます。つまりゲーム的利益の追求だけでプレイするのではなく、
物語の登場人物としての行為や言動を演出(ロールプレイそのもの)
することをルールとして推奨していますね。
しかし、この範囲ではまだまだ「味付け」でしかないですよ。
まだ物語作りの本質にせまるシステムじゃない(だからこのルール
をうとましく感じ、外して遊ぶプレイヤーもいるそうですね。←
ウィキペディアの解説より。 外しても成立するのはそのゲームの
デザインとしてそこが本質となっていないからですよ)。
もう一度説明を貼るけど、やはりこの部分に限界があります。

『RPGにおける「キャラクターのスキにさせる」は、本当の意味での
キャラの一人歩きなんですね。
プレイヤーはその担当する一人のキャラクターの代弁者として
行動や発言を行いますが、それが「物語り全体を通して面白い
ことかどうか」などの判断によって行いや発言が決定することは
ありません。
つまり一人のキャラクターとしては生き生きしますが、物語という
大局とは全く違う視点なんです』

『これはプレイヤーキャラクターが複数いた場合、キャラクター間
の連携(物語的な連携のこと。主役、脇役、メガネ君みたいな)に
ついても同様で、プレイヤーはキャラクター同士の人間関係を
「物語を面白くする」という目標を持って操作することはなく、
あくまで「そのキャラクターの思いに準じた」振る舞いをします。』

たとえば具体的に言うと、配る事前資料をプレイヤーが書く場合、
物語全体の構成を考えて書かれはしないと思います。
だいたいは「自分の扱うキャラクター」だけがいかに魅力的かという
基準での「キャラクター的自分史」の列挙になりがちだと思う。
自分史って、たいてい他人が読んでもつまらないものです。
よほどエンターティンメトを理解した人の設定なら面白いと思い
ますが(つまり作家性を持ったプレイヤー、「面白み」を外側に
持ち出せる能力のある人間)、「設定を書く権利」だけを与えた
ってなかなか出来るものじゃないです。

このように、TRPGはゲームゆえに物語を生むということに関して
は「半分の演出」に特化している。
つまり「積極的に悲劇、喜劇、敗北などキャラにとって不利益な
行動や演出」をプレイヤーが積極的に選択できるようにはなって
いないのです(たとえそれが物語の中でベストな選択だとしても)。
あえて敗北するという選択肢を選び、それにボーナスが加算される
ような前提ではないです。してもよいのでしょうが(あえてボーナス
を使って自ら「失敗するよ」と宣言する)、基本的にそれはルール上
想定外の行動でしょう。
しかし素晴らしい物語を生むことにシステムが直結していたのなら、
ヒーローポイントを使って全力の必殺技を使うが、俺のキャラは
敗れて死ぬ」という選択が出来るべきでしょう。
勝つ、うまくゆく、何かを得る、人助けに成功する、恋愛がうまく
ゆく、奇跡が起きる、それだけでは物語全体を通してみた時の
「演出の選択肢」としては足りなすぎるし、話の面白さを追い求め
たらそういう選択肢も積極的にチョイスできるでしょう。

キャラクラスもいまだに戦士や魔法使いや技能なんかで分類されて
いるけれど、この点からもゲームであることにしばられています。
ゲームだから当たり前なんだけど。
ちなみにこういうルールなら、本当の意味での物語作りのシミュ
レータになるでしょう。
俺が大昔(十七年位前)にゲーム会社に持ち込んだTRPGは(別名
「修羅の門システム」と呼んでいた)、キャラクタークラスは
「主役」「ライバル」「ヒロイン」「解説役」など、物語上の
「役割(ロール)」で分類されていました。
歌舞伎や狂言で言う一枚目二枚目三枚目狂言回し・・・をキャラの
クラスにしたのね。戦士とか魔法使いとかは関係なく、主人公は
主人公的なロールプレイを、脇役は脇役的なロールプレイを求め
られる。そしてキャラの行い自体の成功失敗は問わず、物語内
でのロールの良し悪しで「次のロールプレイがより自由に出来る
ための」ポイントが得られてゆきます(これを「カットイン」シス
テムという。ためたポイントを使うと他のプレイヤーの演出に割り
込みをかけられる。他プレイヤーの戦闘でオイシイ展開をした時、
ポイントを使うと「あの技は・・・昔受けたことがある」とか、
「ヤツを知っているのか雷電」とか強制的に絡むことが可能)。
そしてクラスチェンジもあります。脇役やライバルがゲームの中で
輝き、キャラが主役より立ってしまった時には、プレイヤーの合議
によって主役が交代し、ストーリーはスピンオフに突入します
(主役はゲーム全体の「タイトル決定権」があり、脇役には「サブ
タイトル決定権」がある。たとえば主役がアムロなら「機動戦士
ガンダム」とタイトルをつけることが出来、たとえばライバルキャラ
のガルマが「ガルマ散る」とサブタイトルをつけてよい。ちなみに
ガルマが主人公になると「英霊ガルマの追憶」などにメインタイトル
変更可能)。
死んで主役になった場合、回想シーン100%のゲームになったり、
あるキャラの背後霊としてレギュラー化したり、恋人との子供に
転生して「あの人に生き写しね」みたいなこともやれます。

ちと話がそれましたが。
こういったRPGなら本当の意味で物語を作る過程を体験することが
可能でしょうね。
もしよろしかったら、意識してプレイを試して見たら面白いと思い
ますよ。物語を作るときの作家の意識活動が垣間見れると思います。
たぶん。


115 : ケイン濃すぎ    2007/10/11(木) 14:49:25   ID:3cb266b2c2 
※前回書き込もうとしたものを貼りますA
>>103
>>106

(>>98に書いた)ホセの話も同じ。
ホセをマスターがやるなら現行のRPGでも成立しますが、そうで
ないと成立しないのであれば、やはり「物語を意識してプレイヤー
間の連携が出来るような作りではない」ということです。
「本当の意味でのキャラの一人歩き(テーブルトークで言う「キャラ
の思うように自由にさせてあげる)」で表現できるのは、シングル
プレイヤーにマスターの二人きりでやるTRPGだけでしょう。
複数のプレイヤーが「ゲームで言うキャラの一人歩き」をはじめ
たら、本当に物語として深みが生まれるかは疑問です。
物語構築主体で考えるなら、「こうしたら物語が面白くなる」と
ホセのプレイヤーが判断し、威厳のある演出から次第に壊れてゆく
演出に恣意的に切り替え、ジョーのプレイヤーもそれと同じ観点
で「俺ヒットポイントゼロになっても立ち続けるから」と宣言し、
もう死んでるはずなのにまだ戦うのか!という物語もルールに
則った形でつむぎだすことが出来るでしょう。

そしてこれこそが「物語創作中に起こるキャラの一人歩き」だと
俺は思っています。
しばしば作者にその気はなかったのに「悪人になって止められ
なかった」「死ぬ予定だったのに生き残ってしまった」「死ぬ予定は
なかったのにあいつが勝手に死に場所を見つけてしまった」「俺は
死ぬなと心で祈ったが、あいつは事故に逢う道を選んでしまった」
という現象が発生するわけです。
これらはキャラの利益不利益を超越したもので、「キャラのやり
たいことをさせる」「キャラの好きにさせる」なんてことだけでは
ありません。そこに「運命」を加味して物語を見渡したときはじめて
「このキャラは動いた」「このキャラが立った」といえるはずです。

うーん、テーブルトークをやってみないと分からないかもしれませんね。
ちなみにいま現在のゲームで言うと、俺はマジックザギャザリング
のようなトレーディングカードゲームに「自動物語発生器」のような
印象を持っています。
アイデア製作法とかコザネ法というんですか?
はからずしもあの手のカードゲームって、プレイするとすごくドラマ
性があったりするんですよ。
遊戯王なんてそこに注目して漫画にしたものでしょうし。

けっこうそういう意味では、ゲームはインタラクティブで「経過を
楽しむ」ものだから、結末も考えずに物語を何故書けるのか」の
フィーリングを知るのにはよい方法かもしれませんよ。
て、これ前にも書きましたね。


116 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/11(木) 18:17:48   ID:7a18d4f90b 
>>110
文に殺気とは初めていわれましたわ。ちょっといやですね。カッコわるいですよ。
竹熊さんと「議論」ですか。ますますイヤになります。(笑) オレは議論したつもりなかったですよ。
それと、議論屋・論争屋は最初から1人で以外はできないとおもいますよ。実際のイクサとはちがって。

>>113
物語とか論文とか決めてないです。それ以前に物語をつくる能力ないです。
オレの場合は出来事でも意見でも本でも何でも、見聞していろいろ感じることがあると、
それがもとになることばっかりですね。そのことも何か論争的というか批評的というか、
そっち系ですよね。なにかにたいする「反応」が最初にあるわけですから。
いきなり何かがうまれるのとはちがいます。その点でシャーマン型はイキナリ生まれるようにみえます。
「なにかへの反応」というのではないようにみえる。

>>109
あのう、そのかきこみをよんで、ひょっとして>>108がケインさんへの攻撃にみえたのかな、
などと想像したのですが……そうだとしたら誤解です>ケインさん、メルヘンさん。
書き方が悪くてすいませんでしたね。不可知論ではなくて、
言葉にはどちらの顔もあるという前提でかいたつもりでした。
つまり両方とも事実だとおもうのです。「アレかコレか」ではなくて「アレもコレも」が本当だろうと。
だからケインさんのことば観に興味ぶかくおもえたのです。言葉は意味を定めてつかおうとしても、
すぐにスリぬけてしまい、こちらの意図どおりにはなってくれないので、それをふせごうとおもって苦労します。

この問題には、それこそ詩人たちが敏感だったような気がしますね。「ことばのあやうさ」みたいな議論で。



シャーマン型の創作方法は「技術化」ってことはできるんですかね。ムリですかね。
もし技術化できるなら、それは具体的にどういうやり方になるんですかね。

それと『アイデアのつくり方』の方法でシャーマン型の小説なりスジガキを創作することはできるのか、
っていうのも知りたい気がしますね。あるいは「絵」をともなうマンガやアニメならどうか、とか。


117 : メルヘンひじきごはん    2007/10/11(木) 18:37:27   ID:879d9c5e79 
俺は「絶対が求められる場面が誰にでも訪れる」と考えている。

118 : 渡辺裕    2007/10/11(木) 19:42:45   ID:40d86dcdcf 
↑ひじきごはん先生は全体的に「てにをはの使い方」がおかしいんで、
そこんとこを「なぜ間違うのか」「なぜそれでいいと思って書き進めるのか」
的に突き詰めていけば、シャーマン型発想法の糸口くらいは掴めるんじゃないかと思います。

 誤字脱字や不明文に対する嫌悪感がある人ってシャーマン型の文章は書けないと思うんですね。
 そこで心理的なロックが掛かっちゃって、そこから先の領域へ進めないんじゃないかと。
 そんな感じです。


119 : 渡辺裕    2007/10/11(木) 19:56:49   ID:40d86dcdcf 
 性格の問題にもなるのかもしれませんけど、「間違い」という認識を持っているか、いないか。
 漫才で言うところの「ボケ」状態を、常に保ってるか否か。
 ツッコミ役というか「他で見ているもう1人の自分」ってのは、普通に誰しも持ってんですよ。
 というか、「他で見ているもう1人の自分」が素の自分なわけですから。

 ボケてる状態(可視できる面)を自分と捉えて「他で見ているもう1人の自分」を幽体離脱的に考えるんじゃなくて、
「他で見ているもう1人の自分」がやっぱり素の自分で、ボケてるのは「こんなに間違っちゃったら俺絶対ツッこむ」
と思いつつ誰も間違ってくれないから自分で間違っちゃった〜、みたいな。
 「わざと」とは、また別種なんですよね。そういう感覚。
 誰かに見られることを想定してたら「わざと」なんでしょうけど、そこを意識しないで「自分だけが観客主義」に徹してひとり芝居をしてるようなもので。

 そういう意味で、徹底したナルシスト性も必要なんじゃないかと思いますが。技法以前の問題ってのも、あるかと。

 ネットでの表現は、そういう意味でナルシスト化しやすいですよね。意図するしないに関係なく。
 可視的に確認できる特定の誰か相手に何かを伝えてるわけじゃないでしょ。
 どちらかというと、自問自答的に話を書き連ねていく傾向が強いと思いますよ。
 誰かと話が「繋がって」からだと自問自答的な要素は減ると思いますけど。

 どうなんでしょうね?


120 : ケイン濃すぎ    2007/10/12(金) 04:06:12   ID:eb7c136296 
>◆ OZCI/VVVB2 さん
>渡辺さん

こんばんわ。
色々とお返事したいのですが、三日前に目の治療をしまして、ちと
視界がまだ不便です。
週末に時間が取れると思いますので、また書きますね。
掲示板の文字が、まだよく読めない・・・


121 : zwei    2007/10/12(金) 11:44:53   ID:54fdbaac4d 
>OZCI/VVVB2 さん
なるほど、シャーマン型をそういう風に考えているわけですね。

いくらシャーマン型でも、何も無いところからはかけませんよ。
シャーマン型は取っ掛かりが必要なんです。「あなたの家族」に
ついて書く場合、そんなに大掛かりなプロットなんていらない
じゃないですか。
シャーマン型の人は複数ストーリーのテンプレートを持っていて、
それに日常的なエピソードだったり、何か思いついたことだったり
を組み込んでいけば自然に出来上がるってことだと思います。
二つの違いはそれを無意識に出来るか、意識的にやって作ってるかの差だと思います。

>渡辺さん
別にシャーマン型でも誤字脱字を気にしないって訳じゃありませんよ。
当然のことながら、終わった後推敲は何度もやりますし。
シャーマン型についての考え方だったら、前にも紹介したけど、
「五代ゆう&榊一郎の小説指南」に詳しく書いてありますよ。
シャーマン型で書きたいのでしたら、先ほど言ったストーリテンプレート
を増やすことと、そのテンプレートに埋め込むイベントをストックすること
の二つだと思います。あと、シャーマン型は理解していることしか
述べることは出来ません。知っていることでは無く理解していることです。
俺みたいな半端なシャーマン型が書くと、こんな風に意見が二転三転してしまうんですけどね


122 : めたろう    2007/10/12(金) 12:17:00   ID:6337e10b3d 
あああ。凄く面白そうな話をしてるのに参加できない、、、。
風邪引きなので、寝ます、、、。

復帰できたら、元芝居者としては、作家と演出家と役者の話をしたいです、、。

うーんと、文章書きの作業においての「虚構内演技」の話です。

TRPGの話がとても面白いのですが、
この話、今回のサルまん2.0のような「読者参加企画」においても、
とても重要な要素になると思うのです。


123 : ケイン濃すぎ    2007/10/12(金) 13:46:03   ID:0870a61493 
すみません、
>>114
ここの文章がおかしいので修正します。
誤字などについてはご容赦ください。よく見えていません・・・

>>勝つ、うまくゆく、何かを得る、人助けに成功する、恋愛がうまく
ゆく、奇跡が起きる、それだけでは物語全体を通してみた時の
「演出の選択肢」としては足りなすぎるし、話の面白さを追い求め
たらそういう選択肢も積極的にチョイスできるでしょう。

この文章の終わりの方ですが、

話の面白さを追い求めたら、そういうポジティブな選択肢
以外も積極的にチョイスできるように作るべきでしょう。

に意味を変更してください。
つまり恣意的にプレイヤーキャラクターのやりたいことや
考えを失敗させたり、苦悩を生んだり挫折したりするような
プレイをしてもよい(ゲームとしても正解と判断されて
ポイントが得られる)はずだという考え方です。


124 : メルヘンひじきごはん    2007/10/12(金) 16:44:51   ID:e50c4c137e 
俺は人一倍誤字誤用法に五月蠅いっすよ。確か中学時代から大野晋さんの愛読者でしたから。

「戻れる用法を堅持した上でのロータリー」。なぜなら、紋切り型は容易に退屈を招来するからである。短文を
採用しがちなのもその理由に拠る。


125 : 渡辺裕    2007/10/13(土) 04:16:28   ID:7171708b01 
 大した考えもなく適当に書いてるんで、無駄な撹乱や変な決め付けがあったら御免なさいね。

 私が文章を書くときは、まず「体験」しますね。日記かレポート書くような感覚です。
 まず何事かやってみて、その状態を思い出しながら書き連ねるんです。
 箇条書きにして全体像を把握しませんね。兎に角、頭の中に入った情報を、思い出した傍からダーッと書きます。
 何千字と書いていると、そのうち辻褄が合わなくなったり時間軸がおかしくなったりするんですね。
 そうなってから忘れた箇所を加筆訂正するんですけど、先に書いた文章がテキトーに狂ってて面白いときは、
 そのままそれを事実のように捉えて書き続けますね。「あったこと」にしてしまいます。
「先に書いた文章がテキトーに狂ってて面白いとき」←この状態のまま迷うことなく書き切ったときは、
 いわゆるシャーマン型の文章に「なっている」という状態です。
 最初からシャーマン志向で書こうとしても書けないので、
 間違ったら間違ったままでいいからとりあえず文章書こうと思う気力がある限りひたすら書き続けるよう、心掛けています。

 そういう鍛錬を何度か積むと自分なりのテンプレートやイベントストックが出来ますので、
 次回以降「実際に何か体験する」段階で、通常・常識とはかけ離れた体験をしやすくなるんですよね。
「別の感覚」でモノを見られるようになってきます。
 あとは…パソコンで文章書くようになってから増えた傾向ですけど、変換間違いをそのまま活かすとか。
 先日の書き込みで「ケイン濃すぎ」さんと打ち込んだら変換ミスで「気印濃すぎ」さんになりまして。
 そこからまた変にいじってたら「毛陰濃すぎ」さんになりました。(イタズラしてすみませんでした)

 そういった寄り道的な書き方をしていると、ふっと別の閃きが出て文章の流れが変わったりしますね。
 やりすぎるとグチャグチャになって駄目なんですけど、ある程度そういった要素を容認していると、多少の幅が出るように感じます。


126 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/14(日) 17:11:36   ID:7897189dda 
>>120
そうでしたか。おだいじに。
ワシは上のワシの文が批判じゃないとわかってくれればそれでいいです。
この掲示板で議論・論争を自分からしかけるつもりはワシにはないです。
返事もゆっくりでいいです。遅レスでも気にしません。
ケインさんの「面白み」というくくりはシャーマン型の特徴の説明としてオレにはわかりやすく、
いろいろ説明するのにも便利につかえそうな感じがします。

>>121
なるほど。複数のテンプレートですか。なんというか、
具体的な描写の中身がカラになってるおおまかなすじがきの回路、みたいな抽象的妄想がうかびました。
zweiさんのそのご意見をよむと、上のほうの、題と中身が同時に……とかの人たちとは、
またちょっと異なるところがあるみたいに感じます。ひょっとすると、シャーマン的性質の強弱などによって、
その人ごとにいろんな点でちがいがでる、というようなことがあるのかな、などとおもえてきます。
まあオレの勝手な妄想ですけどね。


127 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/14(日) 17:23:18   ID:7897189dda 
ものかきとかではないが、シャーマン型の極端な例かもしれないひとをおもいだした。
ここでの参考になるかどうか不明だが、一応おぼえがき的に。

シュリニヴァーサ・ラマヌジャンという数学者。世界的に有名で「ラマヌジャン」をキーワードに検索すれば、
その業績や評価などは各サイトがあってわかる。ワシはつぎの本でしった。

『天才の栄光と挫折──数学者列伝』。藤原 正彦(ふじわら まさひこ)(著)。
叶V潮社(刊)。新潮選書。2002年5月15日(水)発行、2006年5月20日(土)15刷。
単行本。ソフトカバー。定価1100円(税別)。ISBN4-10-603511-1。
(以下にある引用はすべて本書から。)

ラマヌジャンは生前に3000個以上の公式だか定理だかをのこしたそうだ。異常なのは、
その(結論としての)公式だか定理だけが彼の脳内に「わいて」くるらしいことだ。
それをひたすら帖面などにかきとめていく。ただそれだけ。それがラマヌジャンの「研究」。
結論にいたる過程というか、かんじんの「証明」の部分はラマヌジャンにはない。
スッポリぬけている。だから、だれかべつの有能な数学者が、
あとからその「証明」をかんがえて組みあげるという段どりだったらしい。
────────────────────
    ラマヌジャンの思考プロセスはよく論議されることである。彼自身は、
「自然に答えが浮かんだ」とか「夢の中でナーマギリ女神が教えてくれた」などと言ったこともある。
────────────────────169ページ

そのようにして
────────────────────
「ラマヌジャンは毎朝半ダースほどの新定理を持って現われた」とハーディは後に語った
────────────────────169ページ

ラマヌジャンはシャーマン型の極端な典型なのではないか。


128 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/14(日) 17:25:29   ID:7897189dda 
ラマヌジャンの脳内の特徴にかかわるのでは……とワシがおもう箇所を、
同書からほかにも(順不同で)いくつか以下に。
────────────────────
なぜそのような真理に想到したかが理解できないと、
その真理自体を理解した気に少なくとも私はなれないのである。それは誰かが、
我が家の柿の木の根元に金塊が埋まっていると予言し、それが事実だった時の気分である。
事実は認めても、予言の必然性や脈絡をたどれぬ限り苛立つ。
────────────────────170ページ
無知にも驚かされた。
十九世紀数学の宝物とも言える素数定理やテータ関数の関数等式を独力で発見する、
という離れ業をした同じ人物が、数学科の学生なら誰でも知っている、
最も基本的なコーシーの積分定理を知らなかった
────────────────────
彼は証明とは何かの概念さえ、ほとんど持ち合わせていなかった。
────────────────────169ページ
ラマヌジャンは「我々の百倍も頭がよい」という天才ではない。
「なぜそんな公式を思い付いたのか見当がつかない」という天才なのである。
────────────────────170ページ

ラマヌジャンは1920年に没したそうだが、それから80年あまり後のいま現在でも、
のこされた公式だか定理だかの証明・解明などがまだ全部までは完了していないらしい。

ラマヌジャンの精神構造とかかわりがあるかも……とワシがおもう同書中のほかの記述としては、
かなりのマザコンだったらしいことと、
生まれてから死ぬまできびしい菜食主義だったこととの2つがあるが、関係ないかな。(笑)


129 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/14(日) 17:36:02   ID:7897189dda 
ケインさんの「面白み」にあたるものが、
ラマヌジャンのばあいは「数学的真理」にあたるということなのかもしれない。

また>>126で zweiさん に書いたなかで、その人のシャーマン的性質の強弱などの相違が、
発想や着想の型にも反映して、人それぞれになるのでは……という意味のことをかいたのも、
このラマヌジャンの例が念頭にあったからでもある。

ついでながら、
ラマヌジャンの数式発見を「はたしてオカルトか否か?」と問うてみるのはおもしろいかもしれない。
数学的真理をまさかオカルトとはいえないからだ。
この問いかけは「オカルトとはなにか?」の本質論というか原論にもつながるとおもう。


130 : 1729    2007/10/14(日) 20:01:28   ID:7ae99185c5 
> ラマヌジャン
文字通りの「孤高の人」であって、逆に言うと数学史上いても
いなくても関係ない人物です。
誰にも真似が出来ないのは事実ですが、とりもなおさず
誰にも影響を与えていないということになります。

彼の、(多くの場合の)証明抜きの具体的な数式の提示というスタイルでは
どうしても数学的には枝葉末節の結果しかもたらさないのです。
玄人受けはよくない(より抽象的な、本質的議論からほど遠い)一方で、
目に見える「具体的な数式」であるので素人受けはするでしょう。

後年、証明の重要性を認識したとかいう話も聞いたことがあるので、
もし彼がもっと長く生きていられたらその独特の才能で数学の当時の
本流に対して何らかの影響を与える結果を得たかもしれないけど…。


131 : ケイン濃すぎ    2007/10/15(月) 02:04:08   ID:9c4a3453f5 
まだ細かく書くことは出来ませんが。

>1729さん
このスレの話題はラマヌジャンの数学的功績に価値があるかどうか
という論点ではさっぱりありませんから、どうかご安心ください。
話の筋とは無関係に知識の披露をされてもね・・・

>◆ OZCI/VVVB2さん
自分は「意味のある論争」はよいと思いますよ。思考を磨くために
時には論議も必要です。
ただし、「単に潰し合いのための論議はしない」←絶対建設的に
話す必然もないけど
「意見の批判はしても個人の尊厳を否定(人間批判)するようなこと
はしない」くらいのルールがあれば。

ラマヌジャンの話は興味深いですね。
ただ、「面白み」というフィーリングだけなら誰にでも備わっている
ものなのです。当たり前ですが、だれでも何かを夢想して、ひとり
笑ったりする経験はあるはずです。
すごく自分的には面白いんだけど、人には言葉で説明できないし、
脳内の映像も見せられないから歯がゆい、そんなことは誰にでも
あります。

しかしそれを「具体的に取り出せるか」というところが「作家性」の
あるなし、「芸術性」のあるなしです。

ここで新たに芸術性と作家性という独自の基準を出しましたが、
「面白み」を取り出す方法には二種類あると思います。
いつでも狙ったように、意図して面白みを取り出せる。それが
「作家性」だと思うんですよ。つまり面白みの技術的抽出ですね。
これは食べ物で言うと加工食品であり、漬物みたいなもので、
作家が意識内に「面白み」として貯蔵しているものですね。
もっと分かりやすく言うと「ネタ(もっと漠然としたレベルだと
イメージの蓄積)」という奴です。
この手の面白みというのは意識内で作られてから意識の中で分析
され、「何でこれが面白いのか」ということを解釈した後に貯蔵
されます。
この時点でタグがついてるので、思考している時に連想で引っ張り
出され、再び加工されて貯蔵・・・を繰り返すので、意識的にやれ
ばやるほど埋蔵量が増えます。
これは完全に訓練と技術とによって伸びるものです。

もう一方で沸いてきたイメージをそのまま救い上げるように取り
出す方法もあります。直感的、主観的にひっかったものをそのまま
書き出す「脳内模写」的な面白みの抽出が「芸術性」です。
これは食べ物で言えば刺身、生きたままの踊り食いのような状態の
ものまであるでしょう。
これの扱いはきわめて難しく、普通は「加工されていないものなぞ
食えない」ワケですが、天性ですぐれている人は「手を加えなくても
食べられる」のですよ。そして理屈は分からないがおいしい。
出した本人も面白いことは分かるが説明は出来ません。

ラマヌジャン的な書き方があるとすれば、芸術性100%だと思います。
起承転結とか、人間配置とか、展開とか、まったく道具の使い方が
不条理かもしれないけどなぜか面白い。
漫画で言うとネジ式みたいな。でもネジ式は刺身をちゃんと飾って
醤油と薬味も用意した加工食(複合食)ですけどね・・・

うほ、細かく書けないといいながら書いてしまった。
よく字が見えてない変換なので、間違い文字はお許しを。


132 : 1729    2007/10/15(月) 12:58:48   ID:bf82644f89 
>このスレの話題はラマヌジャンの数学的功績に価値があるかどうか
> という論点ではさっぱりありませんから、
じゃあその分野で専ら無価値なものを生み出すシャーマニズムに関する話でもしてるんでしょうか。

> 話の筋とは無関係に知識の披露をされてもね・・・
何の前置きもしなかったのは(話の関連性を見出せない人には)悪いとは思ってますが、
唐突なのはむしろラマヌジャンです。ラマヌジャンは例として避けた方が良いという話です。


133 : ケイン濃すぎ    2007/10/15(月) 13:49:28   ID:c41ee2b912 
>1729
??
俺はさっぱりあなたの発言の根拠を見出せない人ですが、具体的
にナニがどう唐突で例に適さないのか、「具体的に」説いていただけ
なければ分からないですよ。
理由を書いてから結論付けてください。
それこそあなたの言うことは突然答えだけ沸いてきたラマヌジャン
的書き込みです。

ラマヌジャンの話は「神が降りてくるように物語を書く」という
作家の証言としてよくある物語の執筆法の話の流れ(それをシャー
マン的書き方と仮称)から出てきたものです。
ラマヌジャンの「証明はできないが数学の公式だけ頭にわいてくる」
という話は物語を生む作家の精神状態(思考のメカニズム)と近いもの
があるのではないか、という話の流れから説かれたわけです。
その対比が正しいかどうかはともかく、引用している事柄について
はちゃんと共通点も見出せるし、ポッと唐突に話が始まったわけ
でもないですよ。
引用の意図は明確かつ的確です。
これは別にシャーマニズム的書き方の話だけが本論と言う意味では
ありませんが、少なくともスレの流れのひとつには沿ってます。

むしろそれに対して「ラマヌジャンの数学的功績には価値がない」
という、さっぱり引用の主旨とは無関係な理由で引用を避けたほうが
よいと言う主張の論理をぜひお聞きかせ願いたいと思います。

できればいわゆる結論だけ出るシャーマン的な書きこみ方ではなく、
論理的にお願いします。
誰もが話の関連性を見出せるように。


134 : ケイン濃すぎ    2007/10/15(月) 14:19:37   ID:c41ee2b912 
ああ、少し気づいたのは、
1729さんは「ラマヌジャンは思いついた公式が合っていても、
彼自身では思いついた公式の証明ができないのだから数学者として
価値(功績)はない」という論理から「シャーマン的な物語抽出法
によって神が降りてくるように物語を書く作家は自身の作劇として
具体的に説明できない(キャラが勝手に動いたなど)から作家として
価値がない」という風な話がしたかった?

どちらにせよ、
ラマヌジャンの公式が未発見で、「正しく使える公式」ならば、
それがたとえ霊によってもたらされようと宇宙人の洗脳やモノリス
に触ったことで得ようと「導き出された公式そのものには価値が
ある」という事実は変わらない。
それを否定するのは自分で努力して公式を生み出すしかない、普通
の数学者のねたみであって。方法はともかくその公式は現に生まれた
のだから価値は否定できないでしょう。
物語も同じで、感動的な物語が生まれるなら「その方法論は問わ
ない」でしょう。楳図センセの神の左手悪魔の右手「黒い絵本」の
ように殺人しないと物語が書けないとかそういう話でもなし。

そして霊として宇宙人とかモノリスとか突飛なことを言いましたが、
ラマヌジャンについては「なぜ突然公式を思いついたのか」は想像の
域を出ない(というか想像を絶する)わけで、彼の思考のメカニズム
を解明する事はあたかも突然答えだけ浮かんで来たように見えた
「公式の発明方法」を理解できるかもしれない。
それと同じで、物語のシャーマン的発想法のメカニズムを解明する
ことで色々なものが解釈されるでしょう。ブラックボックスだった
ものが解明されれば「何でそうなるのか分かる」わけで、「
物語の結末も考えずになぜ書き出せるのか」という研究にはとても
役立つ話になっていますよ。

空からのたまわりモノとして作品を書いている先生はすべて否定の
立場なのかなあ・・・
ひらめきが人間である「特権」なのに。


135 : 1729    2007/10/15(月) 16:09:20   ID:bf82644f89 
乗りかかった船なので反論めいたことを書きますが、

シャーマニズム的作劇法が(天才以外でも可能な)*ありふれたもの*だとして、
先ず第一に「ラマヌジャンの業績はかなりニッチなものである」→「作劇一般に敷衍していいの?」
次に「ラマヌジャンは異才である」→「そんじょそこらの作家に当てはまるの?」
くらいは疑問としてありますね。

これは今の議論でどうこうという話ではないですが、
ついでに言えば
彼の業績は彼単独でなし得たものではありません。
折角の神秘的な数式群も証明の裏づけがないと意味をなさないので、
彼の優秀な同僚が証明を肩代わりしてました。
つまり優秀なスタッフがいなければ発表に至らなかったのです。

以下は本文(>>134)に対する反論

> 「ラマヌジャンは思いついた公式が合っていても、
>  彼自身では思いついた公式の証明ができないのだから数学者として
>  価値(功績)はない」
上述のように、そう言う話ではないです。

> ラマヌジャンの公式が未発見で、「正しく使える公式」ならば、
> それがたとえ霊によってもたらされようと宇宙人の洗脳やモノリス
> に触ったことで得ようと「導き出された公式そのものには価値が
> ある」という事実は変わらない。
数学の定理は誰が発見しようが価値とは無関係ですよ。
それに人工物だろうと自然物だろうと、あるいは宇宙人が生み出そうと、価値は人間が決めるものです。
だから「価値がないかもしれない」とはどんな物に対してでもいえますよ。
ちゃんと(?)数学にだって価値のない定理がありますよ。

> 物語も同じで、感動的な物語が生まれるなら「その方法論は問わない」でしょう。
そうですよ。
だから「面白くない物語」だってどんな手段を使って生み出されたのかとは無関係に面白くないだけです。
つまらない物語の製作過程を知りたいとは思いません。

> 彼の思考のメカニズムを解明する事
それは不可能でしょう。検証するのに十分な資料など残ってはないですし。
若干のノートが残ってるらしいですがそのノートから頭の中のことがわかるとは思えない。

> 物語のシャーマン的発想法のメカニズムを解明する
> ことで色々なものが解釈されるでしょう。ブラックボックスだった
> ものが解明されれば
それは皆が望むところでしょうが、
結局は「シャーマン的発想法」というブラックボックスに押し込むのがせいぜいな訳ですよ。
将来的にもそれが解明されるとは全然思えないんですけど。

> 空からのたまわりモノとして作品を書いている先生はすべて否定の
> 立場なのかなあ・・・
正反対ですよ。
「論理的に着想の経緯を説明できない思いつき」=「空からのたまわりモノ」
って位のことなら別にフツーにあることでしょう。

> ひらめきが人間である「特権」なのに。
それは異議あり。人間にわかるような表現力(もしくは表現方法)がないだけで、
ひらめきは人間以外にもあるかもよ。尤も可能性があるよ、というだけのハナシだけど。


136 : zwei    2007/10/15(月) 19:30:38   ID:2a3196c624 
なんか、揚げ足取りだなと思いつつもレスをつけときます。

>結局は「シャーマン的発想法」というブラックボックスに押し込むのがせいぜいな訳ですよ。
>将来的にもそれが解明されるとは全然思えないんですけど。
実際そうだと思いますよ。多分全員そのことは分っていると思いますよ。
そのブラックボックスをどうやって、分りやすく説明するかという話をしてると思うんですが。


137 : 1729    2007/10/15(月) 20:15:29   ID:bf82644f89 
> 揚げ足取りだなと思いつつ
枝葉末節といえばそうですが、
まあ一旦書いたことに関しては何なりとどうぞ。
おかしかったら考え直しもしますし。

> ブラックボックスをどうやって、分りやすく説明するか
そのブラックボックス自体を解明しないとわかりやすくも何もないと思うのですが。
で、解明なんて(所詮)ムリだよ、というのが私の見解です。
ずっとブラックボックスのまま扱うしかない。
だからこのままの形でわかり易くというのは、説明上の都合でしかないんです。

でも(全然そうなるとは思ってませんが)、
もし解明できたとたらシャーマン型という分類それ自体がなくなって、
別の要素に還元されることになるはずですよ、きっと。


138 : 1729    2007/10/15(月) 20:34:45   ID:bf82644f89 
ちょっと上記(>>137)の論旨がおかしくなってるので訂正。

えーと、ブラックボックスなのはあくまで天才・奇才・異才に関してです。
凡人の思考過程になぞらえても意味を為さないでしょう。

だから、「凡人のシャーマン型云々」はきっと解明可能でしょうね。
それに関してはそうとわからないような書き方だったので訂正します。

一貫してワタシが言い張ってるコトは
ラマヌジャンのごとき異才のやり方は
ラマヌジャン本人にしかわからないし、
また、通用しない…ということなので。


139 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/15(月) 21:06:42   ID:44c06d0a42 
ラマヌジャンは、むしろ「解明できない極端な例」の典型としてあげました。
だから解明されたらこまります。(笑) とにかく、そういう一方の極なのではないかとおもい、
おぼえがき的にかきこみました。

それと正反対の極としてコザネの発想法があるんじゃないかと今は一応かんがえてます。

そうしますと、コザネ型とラマヌジャン型とを両極とする直線が妄想できます。
この直線をたとえばまアここだけのたわむれコミで「シャーマン度直線」とでも名づけます。

シャーマン度がひくいとコザネ型の発想法になり、たかいとラマヌジャン型の神がかりにちかづきます。

人間にはだれでもシャーマン性がそれぞれにあるとして、ひとによってシャーマン度に強弱や、
あるいは着想のあらわれる(あらわれやすい)分野がちがったり、また、あらわれ方などなど、
いろいろ個性があるとします。

ようするに、発想法は、その人のシャーマン度の大小におうじて段階的に対応するんじゃないか、
というトンデモ仮説を妄想しとるわけです。(笑)

このスレッドのかきこみをよんでいても、発想法なり、あたまのなかの状態の説明なりをよんでいても、
人によってちがいがあります。でも、人それぞれではあっても、まったくテンデンバラバラな「それぞれ」
ではないように感じます。

たとえば zweiさん の「テンプレート」は、筒井康隆さんの「物語素」やケインさんの「漬物」あるいは
「イメージの蓄積」というのと、ちょっとちかいものかもしれない、みたいな。
あるいはマンガ家には一般的らしい「かってにうごきまわるキャラ」がそれかもしれない、みたいな。

なにかそこに共通性があるような種類の「それぞれ」のような気がするわけです。で、もしもそうなら、
それはその人のシャーマン度に段階的に対応しているものなのかもしれない。だから、
なにかの理由で突然そのひとがラマヌジャンなみにシャーマン度がハネあがったら、
そのひとはもう「物語素」のようなシロモノを脳内でつかわなくても、
「題」さえきまれば中身までパッときまるように変化するかもしれない。

……などとトンデモ仮説をかんがえとるわけです。でも、これがもしトンデモではなかったら、
創作家は自分のその時々のシャーマン度をすこし念頭においておくことで、
発想法をそのつど変えてみるなり、いろいろためしてみるなりできるでしょうし、
これから創作家になろうとしている人たちにも、シャーマン度と発想法の対応という話があるとあらかじめ
知っておいてもらえれば、しらないよりはいいかもしれないじゃないですか。
ようするに「技術化」ということであり、ひいては「おしえる」「そだてる」つまり教育の話だとおもいます。

ま、これが実証されるなり、実効性がたしかめられれば、という前提での話ですがね。(笑)

ちょっと話がズレましたが、したがって、このトンデモ仮説からしますと、
「物語素」とか「かってにうごきまわるキャラ」というような脳内のシロモノによるスジガキの創作方法は、
かんがえようによっては、そのひとのシャーマン度におうじた「省略コザネ法」である、
ということもいえるかもしれません。

まあ、くだらないトンデモ仮説とおわらいください。(笑)  >一同

(すいません、さっきここをよんでどうしても書きこみたくなり、上だけかきましたが、いいたりないことや、
まだほかに考えてることもあっての、あくまで「とりあえず」の内容にすぎません。いまから出かけたりしたいので、
今夜も長々とはつきあえなくてすみませんが、ガマンできなくなりました……とかいってるうちに
もう21:00すぎてたり……)


140 : 1729    2007/10/15(月) 22:04:40   ID:bf82644f89 
>>139
なるほど、ただラマヌジャンの名前を使いたいと言うことですか。
それなら不承不承ではありますが、
ひとつの印象的な名づけ方として認めるしかないですね。
とくに反論する意味もない。


141 : めたろう    2007/10/16(火) 01:18:44   ID:bf9e7955d2 
改めて読み直して青息吐息、、、。ついていけるかな、、、。
えーと。>131のケイン様のコメントが、概ねのまとめになるかしら?

まず発想段階でシャーマン型とこざね型があると。
でもって、それを整形し、作品に落とし込む技術的な段階で、
アドリブ重視と、大局を重視する側面がある、
といったとこで宜しいでしょうか?

発想段階の話と、作品化製品化の話はまた別になってくるのではないでしょうか?

仮にシャーマン型での発想を起点にしても、
作品に落とし込むには、作品化の作業が必要になってきます。

ラマヌジャンの「数式」は、物語の「オチ」に相当するものであり、
物語の全体像では無いのでは?

以前、ゴルフのショートホールとロングホール、そしてホールインワンの喩えを出したのですが、
ラマヌジャンのエピソードはホールインワンを連発する男の話と言えましょう。

凄い男ではありますが、ゴルフの要素や面白さとはまた別の話になってくると思われます。


142 : めたろう    2007/10/16(火) 02:09:33   ID:bf9e7955d2 
次に、製品化作品化の過程について、脚本家と演出家と役者の話。

芝居においてはまず「脚本」があります。これは全ての起点になります。
脚本家の書いた台詞は、観客に物語を伝え、状況説明を行うに当たっての重要な情報であり、まず、ポイントになる台詞を確実に客に届ける事が求められます。

一方役者は「役を膨らます」作業を行います。
脚本を読むにあたって、その「読み方」は無数に発生し、正解と言うものがありません。
自分の演じるキャラクターに肉付けし、
観客に「どの様な役回りであるか」認識してもらう為に。
また、他の登場人物との間で、
その芝居の世界観や、状況の空気を生み出す為に。
その「読み方」には多くの「ノイズ」、ケイン濃すぎ 様仰るところの「面白み」と言うべき「何か」を加えて行かねばなりません。

演出家は、より脚本家に近い立場で、役者達の「面白み」が暴走して物語や世界観から逸脱せぬよう、統制、調整を行います。
逆に「面白み」が足りないなら、役者から、あるいは登場人物の遣り取り、アンサンブルから引き出す作業が求められます。
このへんはTRPGでのゲームマスターにも通じますでしょうか。
(芝居の現場では、加えて、劇場の使い方、音響、装置の使い方etc、考慮すべき要素は多岐に渡るのですが、、、、。)

さて、芝居の世界では、恐ろしい事に、上記の脚本家:役者:演出家を全てこなせる人材が珍しくありません。
少し前なら野田秀樹さん、最近で言ったら松尾スズキさんあたりが良い例です。

で、実はすべての作家は、文章を書く上で、脚本家:役者:演出家を兼ねているのでは無いか、と考える訳ですが、ここで注目すべきは「役者」の部分だと思われます。
文章を書く上で、「文体の上での演技」と言うべきものがある、と私は考えています。
筒井康隆さんは「虚構内演技者」「虚構内役者」という言葉で説明しておりました。

上記の脚本化:演出家:役者の要素は、作家の脳内においては二つの側面に整理されましょう。すなわち、
神の視点をもって世界を、時空間を構成し、俯瞰し、キャラクターを演出する、
「作:演出家」の側面。
そして、
自ら形成した「キャラクター」に感情移入し、役を生きる「役者」の側面です。
(息切れしたので今宵はここまで、、、)


143 : ケイン濃すぎ    2007/10/16(火) 02:25:48   ID:45f0ff9d42 
>>140

>1729さん
おおむねあなた以外の人は「ラマヌジャン」の扱いについては
一定の理解がありました。
◆ OZCI/VVVB2さんがうまくまとめて下さいましたが、最初から
「そういう話だった」のです。
ただ名前だけ使いたいのではなく、ラマヌジャンの思考法の謎と
作家のシャーマニズム的発想法の共通点や特性について比較検討
しているのですが。

ここにきて1729さんもようやく引用について理解が及んできたよう
ですが、それでもちょっと対応がおかしいですよ。
何故そのようにあなたは上から目線なのでしょうか。
ラマヌジャンの例を引用するのに、あなたに不承不承認めていただく
必要はありませんし、そもそもあなたは彼の代理人なのでしょうか?
それともラマヌジャン研究をした経験のある数学者なのでしょうか?
何故引用するのにあなたの許可が必要なのですか。

最初からとくに反論すべき理由もなく、些末について反論し続けた
挙句にそんな上からの物言いはないでしょう。
あなたはぶっちゃけて言えば
「話の内容をよく理解してないのに勘違いで反論し続けちゃった」
訳ですよ。
ただまあ、その奇妙な反論をきっかけに、みんなの思考がより明確
に洗練されたことは事実なのですが。功罪あります。
そして話の読み違えだけなら誰にでも当たり前にあることです。
「あっ、そういうことか、やっと分かった」という受け方なら何も
言わないですよ。
しかし、
>>139の「サルでも分かるこのスレの話の流れ教室」に対する応答
として1729さんのあの高飛車な対応はないよね。
あの丁寧な解説は、ほとんどあなたの為に書かれているんですよ?

また細かい反論がきそうですが、この件については俺の方からは
終了にします。


144 : ケイン濃すぎ    2007/10/16(火) 03:43:47   ID:45f0ff9d42 
>>141
>>142
めたろうさん、お加減はもうよろしいのでしょうか。

よいお話ですね。
製品化という言葉、分かりやすいですね。
俺は「面白み」は誰の心の中にもあるものだと説明しましたが、
「それを外に取り出す能力」のあるなしが作家とそうでない人
の差であるというような話をしたつもりです。
つまり、「面白み」と言うものは現実世界に取り出す際に急速
に減衰します。つまり「面白くなくなってしまう」「何が面白
かったのか分からなくなってしまう」のですね。
そして個人の持つ面白さにも「価値の違い」があります。
才能のある、または修行や経験を積んだ人間の「面白み」という
ものは、多少取り出すのに失敗してもとても他人の心をひきつける
魔力を持っています。
何も鍛えていない凡庸な人は、100%の面白みを抽出できたとしても
輝きが不足していることもあります。
すなわち技術面以前に「製品化不能」ということも残念ながらある
でしょう。見込みのないネタと言うやつですね。

芝居の話もよく理解できます。
知らない方もいるかもしれませんから、脚本を少し説明します。
芝居(映画・アニメも)の脚本は、基本的にいわゆる「心理描写」は
してはいけません(行動とセリフのみが羅列。たまに表情やしぐさ
について書かれたり、モノローグセリフが入ったりもするが、
基本的にはそれを避け、細かい情動については触れず、すべて行動
と状況で内容を説明する必要がある)。
その理由は脚本はあくまで芝居の設計図であり、めたろうさんが
言うように「キャラの情動」の解釈は役者の領域なのです。
そして全体の情動を操るのが演出家。
脚本家は書く時に「こうなったらいいな」と思いながら書くのがせい
ぜいで、心情は明け渡さなくてはならない。
「役者が演じてはじめて成り立つ」から、完全に分業なのですね。

TRPGは分業化されていますが、分け方が不十分であったり、ゲーム
の都合によって省略や限定されていたりします。
マスターは世界観の演出については100%理想を追求できますが、
芝居の演出家と違ってプレイヤー同士の演出については直接干渉
することは出来ません。

とはいえ、これらを考えると作家の脳内でどういった分業が行われ
ているのかよく分かりますね。
脳内役者というのは、やはりそのキャラクター設定に忠実に行動
させるため、作者は無意識のうちにAI制御のロボットのように
そのキャラを動かすのでしょう(空想で人格を生み出す)。
そのキャラの置かれた状況でやりたいこと、やるべきことを性格
付けというアルゴリズムをもとにシミュレートする。
RPGでいう「やりたいことをやらせる」段階。
芝居で言う「役者の情動表現(立ち振る舞い)」の段階。
しかしこれでは足りない。
本当に物語を生み、キャラクターを生かすためには、俺が前に説明
した要素を加えなくてはならない。
それがまさしく「運命」ではないかな。
芝居で言えば「演出家の采配」
TRPGでいえば「ライブによるハプニング」

その時たいていキャラクターは変貌します。
AI的、シミュレート的な振る舞いがベースだったものが、突然
別のものになったり、基本は同じでも極端になったり激しい変化を
迎える。
その結果によってそのキャラは「生きている」のか「死んでいた」のか
作家にも分かる気がします。
ふり幅が大きいほどキャラが立つ気がしますね。
この辺はまだうまく説明できませんが・・・

恐らくです。
キャラクター設定した時、作家は表向きの性格付けや行動パターン
の裏に、「真の行動」という裏AIを仕込んでいるのです。
それは表の行動AIでは処理できない状況になったとき、突如
キャラを支配して活動を開始します。
表の行動は設定できても、裏の行動はあらかじめ作者の意識的には
設定できない気がします。
まったく、ここはバクチというか、ブラックボックスですね。
確かに・・・
俺の書き方では、そうとしかいえません。
裏行動を最初から意識して設定すると、それは第二の表行動なの
ですよねえ・・・
だから自分で考えるんだけど、考えない。
具体的には思い描かないよう、考えた後に意識的に忘れておく。
・・・そんな部分があると思います。

最後はグダグダに・・・すみません。


145 : ケイン濃すぎ    2007/10/16(火) 04:02:39   ID:45f0ff9d42 
そういえば、あれだけ乗り気だったたけくまさんの降臨がありません
が・・・
俺とかでしゃばって知った口を利きすぎましたかね。
出来たらそろそろたけくまさんのご意見もいただきたいという気が
します。ご無理を言うようですが。


146 : メルヘンひじきごはん    2007/10/16(火) 06:08:30   ID:cf20258689 
俺は「シャーマン式創造力の科学的把握」を制止する者ではありません。流行りだと「〜という脳内物質が云々」
となるのでしょうが、俺はそういう解明を受けてなお、語り辺はすり抜けてゆくと思うので。


147 : たけくま ★    2007/10/16(火) 12:30:02   ID:??? 
>145

あ、いやここんところ多忙でロムだけしていました。
気楽に口出せる展開でもなかったので。議論は有意義なものだと
思います。
この件については、近日中に俺なりのまとめエントリ立てます。
ちょっと考えねばならんので、少し時間がかかるかも。


148 : ケイン濃すぎ    2007/10/16(火) 12:51:31   ID:321b8af00c 
>メルヘンひじきごはんさん
確かに何らかのドーパミンの作用の影響はあるでしょうね。
あえて「酔う」というか。強烈なイメージ力を持つ人によっては
幻覚に近いものすら見えてしまうのかもしれない。
まあ、それは「なぜ物語の結末を考えずに書き始められるのか」
というテーマとはまた別のテーマかもしれませんが。

この脳内物質が作家に「創造性」を与える!

とか解明されたら、みんなこぞって医学的にネタ作りを始めるのか
なあ・・・煮詰まると苦しいんだよね。
注射してネタが出るなら俺も使うか・・・なあ?

その時、人類は強化人間ならぬ強化作家誕生の時代に・・・
ニューロライターとか誰か書いてください。
原稿書いたら締め切り後に死んじゃう人造人間とそれを追う武装
した編集者の話とか。
強化作家は電気羊の夢を見るか

あ、いま俺ちょっと麻薬でました。


149 : ケイン濃すぎ    2007/10/16(火) 12:57:38   ID:321b8af00c 
>たけくまさん
いや、おいそがしいところご返答ありがとうございます。
お仕事に加え他のスレへの対応などもあるでしょうし、せかして
いるワケではありません。
たけくまさんのお時間の許すときにても話を聞かせていただければ
と思っております。


150 : メルヘンひじきごはん    2007/10/16(火) 12:58:10   ID:cf20258689 
そうですそうです!ロザ公にギュネ公です!

とくしんとくしん。えこころえごころ。


151 : 1729    2007/10/16(火) 13:00:21   ID:81f37cf5e1 
>>143 (ケイン濃すぎ)

> ラマヌジャンの例を引用する
結局ラマヌジャンのことは論旨に全然関係ないじゃありませんか。
ブラックボックスの中身の解明を試みるではないし(そりゃ、無理だとは思うけど)。

> 引用について理解
逆です。だからラマヌジャン云々はただの権威付けと理解しました。せいぜい、「マイナスイオン」や「ゲーム脳」並みの。

> あなたに不承不承認めていただく必要はありません
で、実際それはどうかと思うわけですが、
別にラマヌジャンの名前の使用権を持ってる訳でなし不承不承なわけです。

> そもそもあなたは彼の代理人なのでしょうか?
> それともラマヌジャン研究をした経験のある数学者なのでしょうか?
> 何故引用するのにあなたの許可が必要なのですか。
まあ、ただの筆のスベリに反論してもしょうがないですけど(許可云々は言いがかりでしょう)。
上述の理由で、そのような引用をしても議論に即してない(と思う)からです。

>>141 (めたろう) にあるように、
ラマヌジャンをラベルとしてでなく内容そのものと捉えた場合、全然意味がないことがわかりませんかねえ。

確かに一貫して言い方は悪かったのかもしれないが、内容をもっと見てくださいよ。
その内容がないってか。目が悪いのにわざわざ反論させてすまんね。

>>146 (メルヘンひじきごはん)
> 脳内物質
検証が必要だけど、その検証は土台、自分たちで出来ない(=手に負えない)わけです。
そんな自分で証拠(これ自体は他人の検証でもOK)を提示できないようなことを
議論の俎上に載せてはいけないというのがワタシの立場です。


152 : メルヘンひじきごはん    2007/10/16(火) 13:00:41   ID:cf20258689 
にしても

御大の「むつかしい時代人の類型化」がありがとーてたまらんちゃる。


153 : メルヘンひじきごはん    2007/10/16(火) 13:05:57   ID:cf20258689 
えっ

俺 マジでやろーと思えば検証リヤルでできる懸念。俺の理系頭脳とオレコの獣医学部卒もってすれぱ。

オレコと再邂逅の折第一声は「よっさど先生」予定。供に佐藤姓なのでふる。


154 : ケイン濃すぎ    2007/10/16(火) 13:23:07   ID:321b8af00c 
これについては終わりにすると書きましたが。

ここまでくるとなんだか面白いなあ。


155 : 1729    2007/10/16(火) 13:36:56   ID:81f37cf5e1 
>>154 (ケイン濃すぎ)
ただ単に、この議論にラマヌジャンが出る幕はない、という意見なんです。

あなたは(多分)ラマヌジャンのコトなんてどうでも良いと思っているはずで、
結局は同じ結論(ラマヌジャンなぞ抜きでOK)だと思うのですが。

ワタシの書き方に(感情的に)反発しただけでしょう。


156 : ケイン濃すぎ    2007/10/16(火) 14:50:04   ID:321b8af00c 
>1729さん
いや、他の皆さんも書き込んでいる通り、「ラマヌジャンの公式の
発想法」と「作家の神が降りてくるように物語を書く作劇法」の比較
には意味がありましたよ。
あなたはさっぱり意味が分かっていないようですが。
>>136
>>139
この件に関しては
俺以外にはお二人の意見が出ていますが、あなたの言うことに同調
していますか? また、俺の言うことに反発した内容ですか?
お二人ともラマヌジャンの引用の意味を説明していますよ。

あなた風に言えば「ブラックボックスの仕組みの比較」には意味が
あるわけで、「他のジャンルだとこういった事例がある」という引用
は無意味ではありません。
ブラックボックスは解明できないからブラックボックスなのだと思考
停止するのはあなたの勝手ですが、人間はわからないものをいまある
条件から推測し、成り立ちを想像することが出来るのです。
またあなたの脳内で数学的異能者であるラマヌジャンは別格で、作家
とは比較できないと考えるのもまた勝手ですが、作家という職業が
世間に比較的ありふれているだけで、真の創造性を持った作家は
やはり普通人ではないのですよ(そもそも希少性の比較はしていない
けれどね)。
このスレは普通のことを語っているのではなく、「結末も決めずに
物語を書き始めることが出来る」という事例を「優れた作家に備わる
異能力なのではないか」と捉え、話し合っているのです。
そういう意味で他ジャンルの異能者の存在を事例に出す意味はあり
ます。結果的外れだとしてもね。

何度も言いますが、あなたが引用不要の根拠としている「ラマヌジャン
の経歴や功績などの詳細」は、最初からどうでもいいのです。
重要だったのは
「ラマヌジャンという突然公式だけ思いつき、証明は自分では出来ない
人間がいた。しかしその公式は(価値はともかく)正しいものだった」
という事例の報告なのです。
ここから「なるほど、そういう人間の思考メカニズムは作家と比較して
近いものがあるのだろうか」と比較検討する目的での引用ですよ。
比較推論するに必要十分なラマヌジャンの考察なども本から引用
して書き込んでもらえていたわけで(>>127 >>128)、あなたが
いう「彼の数学史的価値」を根拠にした引用不適切論(>>130)は最初
から的外れです。
事例があったということが大切なのであって、そんなことは誰も
さっぱり気にしていません(ラマヌジャンが空想上の人物だったと
いうのなら話は別ですがね)。

あなたがどう思っているかはブラックボックス過ぎて理解できま
せんが、ラマヌジャンの事例を出してもらったことで発想の仕組み
を考える手助けにはなりました。
少なくとも、あなたを除く三、四人は。
捉え方は三者三様で、言うことも少しずつ違っていますけれど、
それぞれ消化しています。その時点で価値、収穫はあったよ。

結論1729さん、あなただけがスレの話に対して自分の意見も出して
ないし、些末な反論以外になにも興味深い意見を生み出していない
ですよ。
色々な人の書き込みに対して文句しか言っていない。
まあ、あなたは「そんなことを考えても謎は謎のままだ」という立ち
位置のような気はしますが・・・
それならこのスレを読んでも不毛でしょうね。

ひじきごはんさんのいうむつかしい時代人・・・ですかね。
感情的に反発はしてないですよ。
していたらこんなに逐一かがみこんで諭すような書き方はしません。
出来ればスレタイにそった「何故物語の結末を考えずに書き始められ
るのか」について、あなたなりの考察を書き込んでください。
そんなことはわからない、以外の答えで。


157 : メルヘンひじきごはん    2007/10/16(火) 14:54:44   ID:cf20258689 
大麻が容易に創造性を刺激すんのはガチンコみたくある。俺はそこだけはコヴァサイドある。

158 : 1729    2007/10/16(火) 15:20:47   ID:81f37cf5e1 
>>156 (ケイン濃すぎ)

> 感情的に反発はしてないですよ
そうでしたか。じゃあ別にいいですが。

> 結果的外れだとしてもね。
それが言いたいだけなのですが。

ただ、ラマヌジャン云々は議論自体というか、
そのバックヤードのハナシで、ワレワレのブレインストーミングを邪魔したのだ、
といわれればそのとおり。スマンこってすな。

なおも若干の言い訳をすれば
>>127-129 (◆ OZCI/VVVB2) のような書き込みを見て、
そんな方向性は間違ってるぞ、と思っただけです。
論拠はすでにいろいろ書いたからいいでしょう。

> 結論1729さん、あなただけがスレの話に対して自分の意見も出してないし、
> 些末な反論以外になにも興味深い意見を生み出していないですよ。
それは別にいいんじゃないですか? 変な(あるいはいい加減な)ことを
書いてる(と思ったら)文句くらい書いても。
個々の論拠が怪しいなら、全体として正しく議論できないんだから。

あと、特定の(知っている)例だから反応したのであって、
たとえば脳内物質に関してワタシは具体的な反論はできないし。
それぞれがよくわかっていることがあるんでしょうから、
それを持ち寄って議論すべきであって、
(評価に必要な専門知識がなくて)よくわからないものを
持ち出さなくたって立派に議論くらいできるだろう、ってハナシで。

で、今はそう思ってなくて、ブレインストーミングだったのに
勝手に議論と決め付けてしまって話の腰を折ってしまって、
ごめんあそばせと思ってますよ、ホント。

その上で、
> 出来ればスレタイにそった「何故物語の結末を考えずに書き始められるのか」について、
> あなたなりの考察を書き込んでください。そんなことはわからない、以外の答えで。
本筋に何か興味があればまたそれに関して書き込みたいとは思ってますよ。
ただ、ワタシにはその能力はないかも知れないですけどね。


159 : めたろう    2007/10/17(水) 12:55:42   ID:ac2e8ce5d5 
>ケイン様
ご配慮ありがとうございます。風邪が治りきりません、、、、(泣)。

「虚構内演技」の話の続きです。

作家が、脳内において「作・演出家」と「役者」の二つの側面を持つ、と仮定した場合。

「作・演出家」としての能力の強い人と、
「役者」としての能力の強い人がいる、と思われます。

通常、私達は、文章、小説などを読むにあたって、後者の能力、というものをあまり意識しません。書く側の人々もそうだと思います。けれども、

例えばノベルズで特定のキャラクターのシリーズを続けている人。
物語の構成よりも、文体、語り口に魅力がある人
等など、「役者」としての能力の強い方がいらっしゃるわけです。

SF畑の話ばかりで恐縮ですが、ここまで登場した中でいうと、
平井和正さん、新井素子さんあたりは、「役者」よりの人なのではないでしょうか?
本来、SFというのは、まず「作・演出家」側の能力が強くなければ成り立たない筈ですが、それでも幾多の「役者」よりの例はある筈です。

逆に、「作・演出家」側の能力の強い人の代表格は、小松左京さんでしょう。
そういう人は、「合作」という手段も取りうる訳です。

上記の「合作」は、漫画での作画と原作に喩えられると思うのですが、
文章における「役者」の能力は、漫画における作画作業の様に「発想の実体化」であり、それが「キャラクターとして生きる」事にもつながるのでしょう。
これには、発想能力以上に、スキルと訓練が必要になってくるのではないでしょうか。


160 : 渡辺裕    2007/10/17(水) 18:48:48   ID:547106d4b2 
 こういう流れになったとき、おもむろに「ハナクソ〜」とか言いながら
つ・ >>156
つ・ >>157
つ・ >>158
つ・ >>159
 とか言えるような、そういう意味での悪戯心というか奔放さというか。
 無いより、あったほうがいいと思いますね。あればあったで面倒くさいだけなんですけどね。
 そういう面倒くささを予め放棄しちゃうか、せずに取って置くか。
 そのへんにも、適性の差があるように感じます。
 そこ「含めて」創作能力と認識できるかどうか。作ったものを自ら壊す的な発言が
以前のレスにあったように記憶していますが、そういうことかな? と。思いました。


161 : めたろう    2007/10/17(水) 21:09:13   ID:5f998eca05 
Q:上のAAを鼻くそ以外のナニかに見立ててみましょう。

回答例:「ドキッ!バニーだらけの水泳大会」背泳ぎ部門のスタート直前。


162 : よだ(れ)    2007/10/18(木) 12:53:10   ID:15921fda93 
>作家が、脳内において「作・演出家」と「役者」の二つの側面を持つ、と仮定した場合。

>「作・演出家」としての能力の強い人と、
>「役者」としての能力の強い人がいる、と思われます。

これいいですね。
漫画賞の発表なんかで詳細な評価がのる場合にも「役者」「演技力」と言葉はみかけませんが、
でも確かに、そういう形の才能はありえる、たくさんいると思いました。
(つい漫画に寄せちゃって申し訳ないです)


163 : 渡辺裕    2007/10/18(木) 20:23:30   ID:872b46e042 
 作品世界を「狭く深く」にするか「広く浅く」にするか、
どっちの志向性で捉えるかにもよると思います。
 このスレだと狭く深くタイプの人が珍重されそうですから
私みたいなのは邪魔なゴミ虫でしかないんでしょうけど、
「広く浅く」的な要素を排除するか軽視するかしてると、
それを指して「センスが無い」「古臭い」って言われるんですよね。
 なんでか知りませんけど。

 ただ、狭く深くと広く浅くは中々両立できませんから、
どっかで折り合いを付けるか妥協する必要が、あるかもですね。

 広く浅くタイプの人のほうが、シャーマン的な閃きに優れるような気もします。


164 : 渡辺裕    2007/10/18(木) 20:28:07   ID:872b46e042 
 でつ ←スヌーピー、とか。

 私にはこういうセンスが絶対的に無いので、
ある人のシャーマン性(?)を凄いと感じますね。
「文章を書く」「物語を作る」という「縛り」に拘り過ぎると、
でつ は浮かばないですよね。
 そもそも、文章を書いているの? 字を使って絵を描いてるんじゃないの? と。
 そんな感じでもあります。


165 : メルヘンひじきごはん    2007/10/19(金) 00:39:12   ID:c73f6bdd2e 
にしこり

166 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/19(金) 03:42:15   ID:980bd10b99 
よみごたえのある面白いスレになってますね。でもまだ始まったばかりとおもいたい。(笑)
いろいろ思うことがあり、まとまったらそれぞれここに書きこみたいけれど、
いま『「知」のソフトウェア』をよみかけでもあり、とりあえず返事そのほかです。

>>121
いわれてみるとそうですね。いくらシャーマン型でも、
なんのキッカケもないというのは不自然なヘンな感じがしますね。
>>116のときは議論・論争のことがまずアタマにあり、
それとはちがうという意識があったのでああいう表現になりましたが、
このあたりのことはちょっと頭を整理してみる必要性を自分で感じました。

ケインさんは、オレがラマヌジャンをひきあいにだした意図を完全無欠に理解していますね。

脚本の説明はオレには勉強になりました。行動とセリフだけが基本とは初めてしりました。
なんかためしに読んでみたくなりました。

>めたろう さん
芝居のつくりになぞらえる話、いろいろおもしろいです。
オレの場合はむしろ逆に芝居のつくられ方の勉強にもなり、その意味でも興味ぶかいです。(笑)

>>160
渡辺さんはアレですか、ひょっとして議論屋・論争屋の素質がないですか?(笑)

上のほうの「みずからこわす」話はオレもよく理解できないながらも、
どういうことかと興味をおぼえますね。意味がいまいちよくわからないぐらいで。


167 : ケイン濃すぎ    2007/10/19(金) 04:16:33   ID:5b4e2e3184 
「神降ろし」やすいかどうかというか、「巨大な力を持った神」を
降ろせるのは間違いなく「深い」人だと思いますけどね。
面白みを内側から外へ抽出するには膨大な内側の力を必要とする
ので、「広い狭い」はともかく「浅い」人は大物を取り出せないん
ですよ。その浅さゆえに。

もっと分かりやすくたとえましょう。
精神を海だとすると、作家は自分の内海にダイブして「面白みという
神魚」を釣り上げてくるわけですよ。
海が広ければ広いほど吊り上げる確率は広がります。
無数に魚が生息するようになりますからね。よく開かれた海は生態
系が豊かになります。
しかし、一方で深さのない海は大きな魚が住みにくいんですよ。
魚は沢山釣ることができるでしょうが、深さがなければ小魚ばかり
になってしまう。
大きくて見た事もないような海の主ほど「海の底に深く潜っている」
もので、そこまで深く潜っていってそれを吊り上げるのは命を削る
に等しい。
そして深く潜れる海があってこそ、作家の心の中に「白鯨」のような
面白みが育つわけです。

この考えに照らすと、俺個人の志向としては広く浅くという作家に
はあまり食指が動きません。
コンスタントに消費されるものを生む職業作家さんに多いタイプ
ではないでしょうか。広く浅い人は。
どちらかというとスマートでなく不器用でもよいから、深い海を
持ち、そこへモリ一本で潜って壮絶に格闘し、自分の手足と引き
換えに巨大怪魚を釣り上げてくるような作家のほうが好きです。
時折自分の海の深さに溺れて生還できない作家もいたりして、それ
も含めて尊敬できる。

深く広い作家は・・・いたら最高の作家でしょうが、思い当たり
ませんねえ。

あれ、浅いほうがひらめく、というのに「いや、深い人のが激しく
ひらめくだろう」という話をしようと思ったのに全然違う話になって
もうた。
きっとこれは俺のうしろの百太郎が書いてます。


168 : ケイン濃すぎ    2007/10/19(金) 04:27:48   ID:5b4e2e3184 
>渡辺さん
>>167>>163についてののお話でした。
忘れたので書き足します。

>◆ OZCI/VVVB2さん
脚本を書いた経験があるとはいえ、俺はゲーム畑でシナリオを
書いている人間です。
映画や演劇の脚本の本当のセオリーを間違えて捉えている部分も
あるかもしれませんから、話半分に聞いといてください。
一応、かつて特撮やテレビドラマの脚本の大御所先生(故人です)
に一時期師事して仕込まれたセオリーではおりますが・・・


169 : めたろう    2007/10/19(金) 12:23:44   ID:a293029216 
ケイン様

渡辺様の「深いと広い」の喩えは、専門性と学際性の事を言ってると思ったのですが。
知識の範囲を広く取った場合、より飛躍したバラバラな出来事の組合せを発生させうる、と言うことかと。


170 : メルヘンひじきごはん    2007/10/19(金) 15:35:44   ID:c73f6bdd2e 
interdesciplinary.

まだ実生活で使うチャンスに巡り会ったことがないすけども。「単語レモン」復活キヴォン。


171 : 渡辺裕    2007/10/19(金) 19:36:08   ID:ae66e6288a 
 濃すぎさんの見解(>>167)でもめたろうさんの指摘(>>169)でも、どっちでもいいんですよ。私としては。
 どっちでもいいと言うと不遜な言い方ですかね? そだったら、すいません。

 海の喩えで言えば、わざわざ深海まで潜って深海魚を獲らんでも珊瑚礁あたりでいいじゃない? とか。
 そもそも「海中に潜る」という選択肢を採用しなくても、夕日に照らされてキラキラ光る水面を見てるだけでも美しいじゃない、とか。
 そういう意味からの「浅さ」も考慮されたし? というか。
 そんな感じでしょうか。

>より飛躍したバラバラな出来事の組合せを発生させうる

 そですね。そっちのほうが近いです。でも別に>>167でも面白いと思います。
 ある特定の質問設問に対して「正しく答えよう」という縛りを設けるのは却って害で、
 勘違いでも何でもいいからピンと来た瞬間から突っ走って言い放題が、
 広さ浅さ狭さ深さの相対・総体的なバランスがいいんじゃないかと思う次第。
 議論によって先を詰める、の楽しみが薄れますけどね。


172 : 渡辺裕    2007/10/19(金) 19:38:52   ID:ae66e6288a 
 いずれにしても、自分の頭からひり出せない発想や知見や見識を得ることができるわけですから、「話」は面白いですよ。

 …という意味合いくらいでゆったり構えてlet's暴言。とか。そんな感じです。


173 : ケイン濃すぎ    2007/10/20(土) 03:39:59   ID:9a57e17521 
>>169
>めたろうさん
同じことですよ。
自分の内海というのは知識や見識を含む、思考の器とそこにため
られたあらゆる内容物のことですから。意識のスープというかね。
海が広いとは知識の幅が広いことと同じ意味です。
だから、海が広ければそれだけたくさんの種類の魚がとれると
書いたわけです。
しかしやはり知識の幅が広くても、「それが何であるか」に対して
の考察が浅ければ、そこからひねり出されるアイデアというものも
軽いものになる。
パッとした思い付きだけで破綻してしまう話とかよくありますが、
ああいうのは基本的に浅瀬で釣った魚なんです。
やはり本物を釣ろうとしたら、ある程度の「深さ」は必要になる。
そして一生に一作品しか作る気がないであるとか、一生同じテーマ
で物語を産むとか言うことでなければ、深さだけはなくて広さが
必要になるということですよ。
やはり色々な種類の大物が釣るほうがよいはずです。

>>171
>渡辺さん
浅瀬で釣った小さな魚じゃたくさん釣れてもメインディッシュに
ならない、そういう考えなのですよ。
もちろん浅瀬の魚をたくさん釣るような作家もいると思いますが
・・・
小魚は食べさせても誰の心にも残らない。

心の水面をながめているだけで「人に食べてもらえる」サイズの魚
が釣れる作家がいたら、その人は天才ということだと思います。
そんな人が本気で海に潜って書いたら、えらいものを書くかも。
しかし散歩にでも行くような気軽さでいつでもポンポンキレのある
アイデアが出せたら、俺もこんなに悩まないわけですが・・・

たしかに、そんな日が作家の一生のうち全くないとは言いません。
しかしそんなアイデアは本当に長年熟してきたものが、何かの
トリガーによって一気に深海から急速浮上してくるのであって、
すべてはその人間の内海の蓄積(深さ)ナシには起こらないこと
だと思っています。

ちなみに俺は本当にこの答えを知りたいと思っているので、あまり
意図的な脱線や適当な物言いをすることは出来ないし、他人にされ
たいかといえばNOです。話の軸がブレるから。
ただ、やめろとも言いませんよ。暴言はどうかと思うけど。


174 : めたろう    2007/10/20(土) 04:07:32   ID:b483eca3de 
さっき、脱線の話を芝居のエチュードに絡めて途中まで書きかけたんですが、
掲示板が自体フリーズしよりまして、、、、(泣)
やはり下書きは大切です。


175 : 渡辺裕    2007/10/20(土) 11:08:25   ID:eec5fe3c7a 
 主食は米で魚は主食じゃない! とか言い出したら冒涜なんですかね?
 軽いものが好まれる背景には、そういう思潮もあるかも。

 それと、深いところにしか居ないってのもある種思い込みで、
 漁に出る人や釣りに行ったりして見聞きする限りで言えば、鮪でも鰹でも秋刀魚や鰯でも、
 水面近くに「浮く」んですよね。それを網でサーッと浚う、みたいな。
 金魚掬いの超巨大版みたいなもんかと思います。
 深いところまでわざわざ潜って深海魚獲っても、それはメインディッシュにはなりにくいと感じます。
 普通、人の口に上る魚の大半は「上澄みを掬ったもの」ですから。

 ある程度深いところに居る「上等な魚」は当然居ますから、それらを養成するのは浅瀬じゃ無理よね、とは思います。
 その点に関して、深さを追求する発想は間違ってないと思うんですね。むしろ正しい。
 また、深さはその人の創作意欲やバックボーンになりますから、決して否定するわけではないんですけど。
 でも結局、人の口に上るものは「上澄み」ですよ、と。そんな感じでしょうか。
 浮かなきゃ、意味ないよ。という感じです。

 浅い・深いをどのレベルで捉えてるかにも、よりますね。
 私は「浅い」は水面0メートルから100メートルくらいまで。
 「深い」は100メートル以下深海海底まで。という具合に捉えてます。
 ずいぶん大雑把ですね。
 多分、ケイン濃すぎさんの言う「浅い」は、
 潮干狩りできる程度から釣りなどで糸を垂らして自分で格闘して釣れる程度とか。
 そのくらいの距離感かな? という感じ。
 いかがでしょう?


176 : ケイン濃すぎ    2007/10/20(土) 12:56:20   ID:011c431d07 
>>175
たとえ話なんで、主食は米でもかまわないですが。
田んぼと稲じゃうまくたとえられません。

深海魚はマスの口には合わないということはあります。
何しろ味わいが強烈過ぎたり、得体の知れない形のものであったり
もしますからね。味が理解できるまでに時間が必要だったり。
受け取る側の「舌が肥えている」必要もあるかもしれません。
そういう意味では純文学的志向でもないなら、エンターティメント
としてのものを求めるなら、「そこそこの深さに生息する魚」に
とどめる必要はあります。
その「そこそこ」をどこに規定するかという話はしません。
目指す漁場は作家によって違いますからね。

しかし水面近くにいる魚(釣りあげるのに苦労しない魚)っていう
のは、やっぱりありふれた、「誰にでも釣れる魚」なんですよ。
もしくは質の低い魚か。
そういう魚が大量に投網にかかっても、商品にはならないです。
確かにそういうものを釣るしかない作家もいるとは思いますよ。
誰でも思いつく、素人が書くような素人的な話を作るという。
仕方ないのかもしれませんが、ライトノベルや半分同人ソフトの
ようなアドベンチャーゲームのシナリオライターなどに多い・・・
(ライトノベルやAVGにも当然よい作家もいますが)

俺は深さを追求しているというより、「深さがないと上等な魚は
育たない」という渡辺さんもおっしゃるとおりのことを言っている
だけです。
ただ浅瀬の魚をすくうことで「ことが済む」なら、アイデアをどう
ひねり出すのかなんて誰も悩まないわけですよ。
あとはその人が「釣るか釣らないか」だけなので。
漫画「ハチワンダイバー」で将棋盤にダイブしないで勝てる相手
なら苦労はしないということですね・・・。
結局、作家というものは「とにかく多くの作品を生む」ということ
より「より面白い作品を生む」ということを普通は目指しますから、
その秘訣として「うわずみの魚をすくうような書き方」はやっぱり
ないと思うんですよね。
「結局一般人はうわずみの魚を食う」なんてシニカルな結論付けも
出来ませんし。

鉱山で言えば、掘らないで金が採れるならいいんだけどね。
広く浅く掘るより、深く広く掘るほうが当然金は出やすい。
しかし通常ムリなので、ある程度の広さで深く掘る。
そしてどちらかというと掘り下げる深さが必要でしょう。


177 : めたろう    2007/10/20(土) 22:07:22   ID:b483eca3de 
えーと、お二人の話に加わるのは後回しにして、
やはり「虚構内演技」の続きに行きたいと思います。

「虚構内演技」、今度は読者の側のお話。

SF畑の作家さんを引き合いに出してきまして、
次はいよいよ、畏れ多くも我らが筒井康隆師についてでありますが。

師は、その出身もあって、「役者」としての能力が飛び抜けており、
且つその「作家の役者面」と言うべきモノに自覚的であった、稀有な方だと思います。
「感情移入」という役者的なメンタリティで文学に取り組む内に、
メタフィクションの領域に「キャラクターの自律」という側面から踏み込む事になったのだと思います。(最近、東浩紀さんと対談し、キャラクター小説に興味を持たれたりするのも、連続した流れであると思います)
しかし同時にそれは、それまで「虚構内演技者」としての圧倒的なパフォーマンスを示していた師が、
一歩引いた、「作・演出家」としての側面へシフトしてゆく事でもありました。

「虚人たち」等の、メタフィクションに傾倒していった頃から、
その難解さゆえか、「面と向かって作品を貶す読者達」がエッセイなどに登場し、
罵倒の対象となりました。同時に、
「彼らは本気でつまらないと思っている。ナゼダ。」と悩む師の姿が登場します。

今にして思えば、当時の筒井師の多くのファンは「虚構内演技者としての筒井師」のファンなのであって、文学史的に重要な作業であっても、登場人物に一線を引く傾向について行けなかったのだと思います。

また「感情移入」という、読者に求められるスキルの面では、格段にハードルが上がる事になりました。
それまでの「役者:ツツイヤスタカ」の分身たる「俺」や、魅力的な「七瀬」の一人称に比べて、
「虚人たち」での三人称の世界観、「虚航船団」の文房具、と言った物事への感情移入は、
そうした訓練を積んでいない、すなわち役者のスキルのない読者にとってはかなりの無茶フリだったのでは無いでしょうか。

閑話休題。
実は、「虚航船団」に関しては、当時中学生だった私にとって、「文房具への感情移入」はさほど難しいものではありませんでした。他の子ども達もそうだったと思います。
たしか「虚航船団の逆襲」で、中学生から多くの支持が来る、と師が驚いてみせるくだりがあったかと記憶していますが、多くの児童文学、漫画において「無機物の擬人化」というのはさほど珍しいものではありませんでしたから、子どもなりに楽しむ事が出来たはずです。
その代わり第二部の世界史のパロディは全く歯が立たず、とばして第一部と第三部だけしか読みませんでしたが。
第二部を楽しめたのは、受験勉強を経た大学生になってからです。
(第三部は「役者:俺」がめちゃくちゃやり放題のサービスを見せてくれるので、ゲラゲラ笑いながら読んでました。但し「作家の意識の流れ」といった難しい事までは理解してなかったと思います。)

この話、「朝のガスパール」に続けます。


178 : 渡辺裕    2007/10/21(日) 01:38:13   ID:62153ac29e 
>>鉱山で言えば、掘らないで金が採れるならいいんだけどね。

 大量採掘・大量消費を前提にしないなら、「砂金獲り」なんて技術で通用する時代もあったですよね。
 日本全国どこの川へ行っても、大量生産さえ気にしなければ、砂金は獲れるんですよね。
 「作り手」に属する人間がそれでいいと思うかどうかは別ですけど、ユーザーの嗜好は、もちょっと牧歌的かな。と思います。


179 : ケイン濃すぎ    2007/10/21(日) 04:29:59   ID:a6e45b9610 
なぜ結末も決めずに文章(物語)が書けるのか?
という話題は、そういう意味で言うと「牧歌的ではない」ですよね。
何しろ作家の持つ「秘訣(奥義)」を解明しようという試みですから、
答えはありふれたものではないわけです。
だから皆でああでもない、こうでもないと考えをこねくり回して
いるわけで。
ユーザーというのは一体どのあたりを指して言われているのか
分かりませんが、自分が仕事をしてきた感じで言うと、お客さん
は物凄く手厳しいしナメたらすぐに見抜かれるし、作る側には期間
とか戦力とか色々な言い訳が存在するわけですけれど、まったく
「そんなの関係ねぇ♩」です。おっぱっぴーですよ。
まあ当然、お客さん(読み手側)にこちら(書き手)の都合は関係ない
です。期待値以上は提供しなければならない。
そしてそんな重い責任を背負いつつ、結末も決めずに物語を生み
出し続ける、そしてちゃんと結末を付けられるというのは並みの
精神じゃないんですよ。
そういう感覚なので、ユーザーの志向が牧歌的かというと違うと
思うなあ。つまらんものにはお目こぼししてくれないもん。
どんなにそれを一生懸命に作ってもね。

もしかしてほのぼのした漫画やハートフルストーリーな小説は牧歌
的に生み出されているとお考えでしたら大間違いですよ。
読み手は「あははー」と気楽に肩の力を抜いて楽しんでいると思い
ますが、そういう作品のクォリティを保ち続けるために作家は白髪
になったり失踪したりするケースもありますからね。
たとえば漫画家だとあづまセンセとか有名ですけれど。

うーむ、余興でだいぶ話がそれてきたので、この辺で俺も本論に
戻ります。
というか、たけぐまさんのお話待ちですね。


180 : ケイン濃すぎ    2007/10/21(日) 05:09:48   ID:a6e45b9610 
>>177
めたろうさんの話はとても読み物として面白いですね。
子供って自我が確立していないじゃないですか。
それはつまり「何者でもない」精神状態であり、逆に言うと「何者
にでもなれる」精神状態ということがいえます。
自他未分化で壁がないんですよね。
子供って非常にスピリチュアルなメンタリティーなわけです。
伊達にまっくろくろすけが見えたり、要請さんとお話が出来たり
はしないわけですよ。まじめな話。
「自分が何者かを知った」大人からしたら、別の生き物です。

筒井先生の「メタ化」というのは、やはり純粋な精神というか、
心情を描きたかったのかなあと思います。個人的には。
何かにたとえることで、他の無駄な要素が削げ落ちて「見せたい
ものだけ浮き上がる」のではないかしら。

無機物の精神を描くというのは、俺はSF作家が「サイボーグ」を
題材にするのと近いフィーリングなのかなあと思ったり。
その筒井先生の作品を読んだことはないのですが。
サイボーグは精神以外は機械で、意識以外は「生き物ではない」
わけです。
無機物の容器に「精神だけを浮かべた」存在のサイボーグって、
肉体的な苦痛やら欲求やらあらゆる生理現象から開放されている。
サイボーグの中身を(攻殻で)「ゴースト」というのは、そういう
意味もあると俺は思っています。
ある意味何十年も修行して悟りを開いた坊さんのような境地に
サイボーグはあるわけで、純粋な精神そのものを描くには最適な
設定なんですよね。
そういった設定の「ミソ」を読み解くというのは確かに苦労する
かもしれない。
「何で筆箱なんだ」と正面から考えたら、大人は思考停止します
からね。「人間は筆箱とは違う」という結論で。


181 : 渡辺裕    2007/10/21(日) 10:50:28   ID:c80c62f0cd 
>ユーザーの嗜好は、もちょっと牧歌的かな

 この言葉に対して

>ユーザーというのは一体どのあたりを指して言われているのか分かりませんが(以下略)

 とくるから、あーなるほどねーと思いながら見てるんですけど。
 双方、ズレてますよね。と思いました。


182 : ケイン濃すぎ    2007/10/21(日) 17:22:01   ID:fd0147d80f 
そのズレの内容が分かっているのなら、教えていただけると理解が
深まるやもしれませんね。
俺からすると渡辺さんの持論は難解で理解できていないというのが
本当のところです。「こんなことを言っているのかな」と推量で
書いていますからね。
腑に落ちていないんです。


183 : 名無しさん    2007/10/22(月) 00:37:51   ID:2a4e5d10bc 
多分、仮に筒井先生本人がここに現れて
具体的にどうやって結末を決めずにお話を書いているか説明しても
あんたたちの誰も「腑に落ちない」だろうよ。


184 : メルヘンひじきごはん    2007/10/22(月) 00:56:13   ID:800a666b39 
ン。

俺ア筒井翁が大江翁が「結末なんて書いてるうちにダヨ」「シンジラレナ〜イ」とゆう大意の文章を書かれたのを
昭和散讀しただが

あれば夢ノ木分岐点での出来事だつたのだらうか。

さておき メルヴィル 白鯨 アメリカ清教徒 ポー ナントカのおーうづ(大渦)

あたりにリヤルありな 社会情勢になんじゃーねーすか。地道な方が今までより報われる状況。確かに天才は
減るかも。

パクりがほぼまづムリィな世界になりあンしたからテデスの遺言の回はよかったなあしみじみ。ある。


185 : へよ    2007/10/22(月) 01:18:24   ID:3f4bfa30f3 
>>渡辺さん
>>ケインさん
割り込み失礼いたします。

もしかして、ずれてるのは『ちょ、おま、無茶苦茶だ! ご都合主義だろ! だがそこが
いい!』みたいなタイプの傑作に対するカテゴリ分けなんではないでしょうか。
これは渡辺さんいうところの「浅瀬に浮いた大魚」の典型例なのだと思います。
浅瀬=一般(=「牧歌的なユーザー」)受けするジャンルに存在する大魚=傑作、ですね。
ケインさんのいう大魚はもうちょっと抽象的な、『無茶苦茶でご都合主義な展開であっても
“面白い”と思わせる力』とでもいうあたり…という気がしてきました。
小魚(=セオリーどおりの物語=>>29以降で長谷さんの言う「専門学校系」の「のっぺり
した物語」)では無茶苦茶さとご都合主義の壁を超えて“面白い”と思わせることが
できない、だからこそケインさんは、作家は大魚を求めなくてはいけないと考える。
この考え方で私が>>179を要約すると、「牧歌的なジャンルにも大魚はいる」ということに
なります。それに対して渡辺さんは「いや、君の言う大魚=傑作とは、通俗小説や読み捨て
マンガといった浅瀬には、存在しないものなんだろう?」と言っていた、と。

“傑作”にも種類があるんですよね…
これが話を難しくしている原因のような気がします。
私の中で、圧倒的な物語に打ちのめされる快感(これは長谷さんのいう「詩心」と通じるもの
だと思うのですが)は何にも替えがたいものがあります。ですが、私はおもいっきり軽い
ラブコメや特撮ヒーローや超能力バトルものでニヤニヤできるラノベ脳(あるいは小学生男子
脳)の持ち主でもあります。
渡辺さんの言う「浅瀬で小魚と戯れる」というのはまさにこの脳天気な楽しみ方のことで、
「牧歌的なユーザー」とは、この後者のようなタイプを指すのではないかな、と思います。
もう少し言うなら、前者がケインさん言うところの「白鯨のような物語」なのかな、と思って
います。

……さて、私はどこまで読めているやら。


186 : ケイン濃すぎ    2007/10/22(月) 04:05:14   ID:3162071ca5 
>>183
確かに、誰も筒井先生にはなれないという意味では、「腑に落ち
ない」ということになるでしょう。
あとは自分なりにどこまで「論理として」消化できるかです。
ま、当たり前のことを当たり前のように突っ込まれても、ちっとも
かしこくは見えませんよ。

>>185
なるほど。そういうかたむきでながめてみれば、一本スジが通る
ような気がしますね。ありがとうございます。
ラノベって不思議なものですからね。
あれは小説の形はしているけど、中身は絵のある漫画に近い表現
のジャンルという気がします。
文章物語だけでは成り立たず、挿絵(の出来)がとても重要だったり
もするじゃないですか。
言ってみれば文字の比率が極限まで高まった漫画だとも言える。
いままでになかった世界だから、古い枠は通用しないでしょうね。

そんな世界では浅いことに意義がある、たしかにそうかもしれま
せん。「必死すぎる」ということですね。
俺はちょっと苦手だから、認めたくなかったのか。
なるほど、ようやく腑に落ちました。


187 : 渡辺裕    2007/10/22(月) 22:55:58   ID:953da47450 
 なんか話がこんがらがる方向でばっかり物を言っててすいません。
 基本的に、ケイン濃すぎさんの一連のお話も「>>185へよ」さんのまとめも、私が何か言うよりよっぽど面白いんで何も言わずに放っておこうかなと思ったんですけど。それはそれでアレなんで、何か言いますね。

 海の魚について。

 基本的に、海の魚は、浅いところ(水面0メートルから水深100メートルくらい)で獲れるもので上等だ、という感じ。
 前の方で話題に上っていた「深海魚」は、学術的には必要だと思うし生態系としてあっていいと思いますけど、商品…というか「皆様の手元に届くもの」としては、必要ない。そうバッサリ切り捨てていいと思っています。
 まず、食べられないから。異形で味も定かでないものは、基本的にオタク向けというか同人誌やエロゲー界隈で十分ですし、それ以上のテリトリーを有するべきじゃないと思うんですね。食べるための努力云々以前に、見た瞬間気持ち悪がって避けるに決まってますから、魚嫌いを促進することはあっても好奇心を刺激しないものだと思います。一般的に。オタクな人は好奇心が図抜けて凄いですから、(ある意味)何でもいいんでしょうけど。
 んで、いわゆる「プロ」の人が読者さんに向けて創作物を発信するときって、どうやっても「ひとり以上複数(多数)向けに何か出す」じゃないと、ダメでしょ。俺のお客はひとりだけ、とは言えない。
 俗な言い方だと「1冊500円の本を1万人に売ったら500万円。でもひとりに売ったら単価500万円」となるわけで。どんなに奇特な人でも一個人の作品に対して500万円は払わないわけですよ。1万円とか2万円とか、そのくらいだったら払うかも知れない客でも、500万円は、まずあり得ない。だから、いわゆる「プロ」は世間的に見て極小数が愛でるような創作物であっても絶対に「不特定多数に向けて発信している」という姿勢じゃないと何も出来ないと思うんですね。
 なので、そもそも居るのか居ないのか分からない的な「深海魚」は、そもそもお呼びじゃないって感じです。「深海魚」が実は大漁に居て、漁法さえ開発すれば無尽に獲れると。そういうのであれば話は別なんですけど。

 いわゆる一般的なお魚…鮪でも鰹でも秋刀魚や鰯でもいいですけど、その中で、より大勢の大衆に食べていただけるお魚を見つけ出して獲るのが、本道だと思います。
 ケイン濃すぎさんのおしゃるところの「深海魚」は、そういう前提で私なりに解釈すると「本当に海底数千メートル界隈に居るようなゲテモノ」じゃなくて「マグロ漁船がマグロを獲りに行ったときに網に掛かった他の魚(外道魚)」とか、他の業者がだいたい100メートルくらいのところに網張って魚獲ってるけど濃すぎさんは300メートルくらいのところに網張って、(決してマグロ狙いじゃなく)そこで獲れる魚を獲ってると。
 その程度に解釈しています。
 それが、本当に字義通り「海底数千メートルでしか獲れない深海魚」をわざわざ狙っているのであれば、それは根本的に無駄だとしか言いようが無いんですね。調査船調達して学術技術に拘って何度も何度も調査しないと、そもそも深海には潜れませんよね。そういう条件下で、そこで獲れる魚を漁獲高がどの程度になるかも想定しないまま獲りに行って、何百万何千万という資金やそれに見合うだけの学術知識を動員して、結局2,3尾しか獲れませんでしたという場合、その魚を「世にも珍しいからお前ら1億出してでも買え。味は保障しないな」とか言っちゃったら、それは根本的にあり得ないわけですよ。
 なので、ケインさんの喩えは字義通りの解釈じゃなく、自分なりの解釈で「いいんじゃね?」くらいに捉えさせていただきます。
 そういう意味合いから、「深いと言ってもその程度」と。言い方が偉そうですけど、まぁそんな感じで捉えてますね。
 本当に「深いもの」は、獲りに行くのはご勝手なんですけど、多分採算も何も合うもんじゃないですし、そもそも行ったところで「獲れるとは限らない」性質のものだと思っていますから、私は、気にしません。

 んで、いわゆる下魚・雑魚の類ってのは鰹や鮪(上物)に対する秋刀魚や鰯のような大衆魚ということで納得してるんですけど、ケインさんのおっしゃる「上物」を鮪や鰹と規定して話を進めた場合、例えば「マグロのトロは超凄い! コレ食ったら雑魚なんか食べられない」と。そういう意味で「上物を狙え」なのかな、と思ってるんですね。
 それに対して私は「いや、庶民の財布には限度ってもんがあるから。幾ら上物であっても、そもそも買えなければ買わないし、なんとなく買わないものというイメージが出来ちゃってるものは安く売り出しても買わないんだ」と。それよりは「今年の秋刀魚は脂が乗って超凄い!」とか「鰯が大漁で食卓が賑やかに!」のほうが、いんじゃね? と思っていると。
 そんな感じでしょうか。

 あと、水面で云々について言えば。
 作品・商品を「魚」と限定する必要は別に無くて、例えば行楽シーズンになったら家族総出で潮干狩りに出掛けたりするし、カップルが車飛ばして海を見に行ったりするし、スキューバダイビングが好きな人は勝手に潜ったりするし、年端のいかない子供であれば海水浴に出掛けて波打ち際でチャプチャプやってるだけで、そこで小魚を見つけただけで十分嬉しいわけですよ。
 そういう意味合いからの「浅さ」も考えてみては? という感じですね。
 作品を「魚」と規定して「獲りに行くもの」という風に直線的に考えるだけじゃなく、もうちょっと広がりというか空間というか世界というか、そういう次元から考えたら、また違った見方が出来るんじゃないですかね? みたいな。
 それはここのスレで言うところの「なぜ結末も決めずに文章(物語)が書けるのか?」←方法論、とは全然別物の話にもなるんで思いっきり場違いなんですけど。
 提示された目標→方法論→議論→解決、みたいな直線的な発想を一旦捨てて、釣りキチ三平的に言うところの「どこがアタリか」「釣ることだけを考えるんじゃなくて釣りやすい場所探し・場所作り・撒き餌等おびき寄せの手口を工夫しよう」とか、そういう部分から総体的に考えてみることによって、何か別の閃きというかアプローチというか、そういうのがフッと湧くことがあるんでね? みたいな。
 そんな意味合いですね。

 私には「閃いたり思いついたり」するまでは出来るんですけど、そこから先、目標(?)が決まってから突撃する能力がありませんので。
 その方法論を云々お話しするんであれば、ただの邪魔者なんですよ。んだけど、目標を見つけて突撃するのが上手な方は、往々に「そもそもの目標設定がアレで硬直的」だったりしますんで。
 そこに一石投じることができるんであれば、まぁそれでいいかな…くらいの按配です。

 そういう意味で、海の話。そんな感じです。


188 : めたろう    2007/10/22(月) 23:36:19   ID:3245940203 
うーむ。全体の話からは外れてしまう様に思えるものの、
「読者」「観客」「受け手」の話には向かっている筈なので、
「朝のガスパール」の話一回目、行ってみます。

この、読者参加企画で、筒井師はゲームマスターとして比較的明瞭にゲームのルールを提示して見せたと思います。
この作品は階層構造を持っていて、

@ネットワークゲームの世界
Aゲームの登場人物の「シャドウ」(特定のキャラを専有またはそれに準じる形で演じる)
になって楽しむ、管理職たちのオタクな世界と、その妻達が織り成すセレブの世界。
B @Aを「朝のガスパール」として新聞連載している、橡沢という作家の家庭の世界
C 筒井師自身や読者のいる現実世界

の大きく4段階に分かれ、作品中ではBを軸として、
概ね@、A、Bが回り舞台の様に順番に現れる構成になっていました。
(「電脳筒井線」の位置づけは、今日においては単純にC現実世界とする事は出来ないと思われますがここでは触れません)

@とAの関係、ゲームの登場人物と「シャドウ」達の関係は、
Bの現実世界や電脳筒井線の参加者達の、この小説への参加の仕方について説明する、
「あそびかたの例」になっていたと思います。
Aでの「シャドウ」たちの様に、お気に入りのキャラクターを選び、その役柄を演じる、
「感情移入」を求めるものである様に思われました。
しかし、この作品はその様には進みませんでした。

作品中で、橡沢が誤算だったとこぼしているのですが、読者参加で大きな戦力となるはずだった「電脳筒井線」の参加者達は、@の登場人物達に固執し、Aの世界の登場人物、特にセレブたちを嫌悪し、作品後半で、大量にいたセレブ達が、一気に事故死で粛清されるに到ります。
その原因としては
・周り舞台の様に世界が切り替わる為、階層構造という意図が伝わらず、また理解した人にも、そもそも階層構造という、「作家の自意識」をモデルとした概念が受け入れられなかった。(どちらかと言うと等価な並列世界の様に受け入れられたと思います)
そしてなにより
・セレブのパーティーという設定が反発を呼んだ。
というのがあると思います。
これは、当時郵便投稿で参加していた大学生の私にとってもそうでしたが、全く縁遠い世界だったのですね。
ところが作品中、最も数多く役柄が準備されていたのが、このパーティーシーンでありました。
(続く)


189 : 渡辺裕    2007/10/22(月) 23:46:00   ID:39137bf139 
>>176 ケイン濃すぎさん
>鉱山で言えば、掘らないで金が採れるならいいんだけどね。
>広く浅く掘るより、深く広く掘るほうが当然金は出やすい。
>しかし通常ムリなので、ある程度の広さで深く掘る。
>そしてどちらかというと掘り下げる深さが必要でしょう。

 の例え話に対して

>>178 渡辺裕
>大量採掘・大量消費を前提にしないなら、「砂金獲り」なんて技術で通用する時代もあったですよね。
>日本全国どこの川へ行っても、大量生産さえ気にしなければ、砂金は獲れるんですよね。
>「作り手」に属する人間がそれでいいと思うかどうかは別ですけど、ユーザーの嗜好は、もちょっと牧歌的かな。と思います。

 こう来て、そんで時系列的に

>>たけくまさんのエントリー
>「ラブコメッサー」をみんなで見よう!

 こう来てるんで、嗚呼面白い流れだな〜と思いながら見てるんですけど。

 砂金の話。
 いっこ前(>>187)のレスでもちょっと触れましたけど、
>俗な言い方だと「1冊500円の本を1万人に売ったら500万円。でもひとりに売ったら単価500万円」となるわけで。どんなに奇特な人でも一個人の作品に対して500万円は払わないわけですよ。1万円とか2万円とか、そのくらいだったら払うかも知れない客でも、500万円は、まずあり得ない。だから、いわゆる「プロ」は世間的に見て極小数が愛でるような創作物であっても絶対に「不特定多数に向けて発信している」という姿勢じゃないと何も出来ないと思うんですね。
↑ここの部分から超疑って懸かってみると、また面白いと思うんです。
 私とか安直に「1冊500円の本を1万人に売ったら500万円。でもひとりに売ったら単価500万円」←こんなこと言ってますけど、別に「でもひとりに売ったら単価500万円」←こうである必然性は、無いんですよね。別に。1冊500円の本をひとりに売っても1万円とかで止まっちゃってね。プロ視点だと採算合わないから絶対にあり得ないんですけど、「なんかやっちゃってるよこの人」的にマグナム面白い。ヤバいくらい号砲。そんな感じでしょうか。
 奇しくも「大量採掘・大量消費を前提にしないなら「砂金獲り」なんて技術で通用する時代もあったですよね」←こんな感じ。
 ユーザー的には、こういったレベルのほのぼのさというか…まぁ別に実態がどんなもんやら知りませんけど、往年の技術(多分いまどき廃れちゃってあり得ない)を今さら活かしちゃった系の痛快さというか。
 そういうのを求めてる側面も、あるんじゃないかな? と思う次第です。そういう意味で「牧歌的」という言葉を使ってみました。
 プロにやれって言うのは無茶なんですよ。無理すぎ。

 んでも、そういう部分が
>>185 へよさん
>もしかして、ずれてるのは『ちょ、おま、無茶苦茶だ! ご都合主義だろ! だがそこがいい!』みたいなタイプの傑作に対するカテゴリ分けなんではないでしょうか。これは渡辺さんいうところの「浅瀬に浮いた大魚」の典型例なのだと思います。
 ↑コレだったりして。侮れない。そんな感じでもあります。
 別に制作手法を見直せとかどうとかそういう意味じゃないんですけど、発想の内側に、こういったセンスを内包しているかいないか。そこいらへんも、いわゆる「シャーマン型」になれるかなれないかの境目だと思いますよ。

 私はあんまり興味ないんで詳しくは知りませんけど、魔法・呪術と現代文明・近未来文明(ロボットとか?)の融合って、割と古くからあるパターンですよね。
 最近で言えば『ちびまる子ちゃん』『あずまんが』『ハリーポッター』なんかそうですけど、実際にあった話(ありそうな話? 経験談?)をモチーフに、適当に与太話や妄想話や幽体離脱視点を混ぜ込んでいったらいつの間にやら亜空間、とか。
 方法論的に、随分似通っているような気もするんですね。

 魚の話と混ぜこぜになりますけど、それはそれで「浅瀬に浮いた大魚の典型例」だと思うんですよ。
 いかがなもんでしょうか?

 「んだからそれを見つけ出す方法論を議論によって導き出そうとしてんじゃねぇのかゴルァ」とか言われると私も困っちゃうんですけど。
 私は「あくまで話の上」と割り切ってるから暴言込みで色々言い合って、面白ければそれでいいじゃないスタイルなんで。
 閃きと継ぎ接ぎと脊髄反射でモノを言ってますんで、かみ合わないところがあるようでしたら、申し訳ないです。

 プロの人はいろんな制約があるわけで、その中でも特に「毎回決まったペースで安定した作風を提供し続けなければならない」というのが、物凄い負担になるんですよね。
 ここは、私も何年か前に雑誌の記事を連載してたんでよく分かるんですけど(現役の創作作家さんに比べれば微々たる苦労でしかないですけど)、
 そういう状況で凝り固まってしまうと、どうしても直線的に考えてしまいがち。
 その点、プロじゃない人にはそういう負担がありませんから。無い分、勝手気ままなんですよね。


190 : 渡辺裕    2007/10/23(火) 00:10:32   ID:5deb943002 
 プロは負担という土台(舞台)の上で動いてる。
 素人やユーザーは負担という土台がそもそもない。

 こういった立場の差から、発想の差が出たり広がったりすると思うんですね。
 どちらの立場から出る「閃き」や「シャーマンセンス」も、質の差はあれど、私にはどちらも等質のように思えます。


191 : zwei    2007/10/23(火) 01:08:56   ID:a3730075d5 
某数学者の辺りで、一通り自分の中で決着が付いたので、書き込みを控えてました。
二人の論点がずれているのか、自分の考えがずれているのか確認の為にレスします。

ケインさんの言う広いっていうのは、知識の量、
深いって言うのは情報の純度の話だと考えています。
釣りに例えると混乱しそうな気がするものの、一番しっくり来るので
こいつでいかせて貰います。

広く浅い   海でも川でも、何所で何が釣れるかは分かる
狭く深い   他の魚は知らんが、○○釣りなら任せろ

っていう話だと俺の中では思ってるんですよ。
広く浅い人は○○という魚については詳しく分からないけど、
ターゲットにするなら調べる事によって深くなることができる。
逆に、狭く深い人はその経験を応用できるかもしれないけど、
逆にとらわれすぎる可能性がある。
どっちも調べればいいという話ではあるんですが、
狭く深い人は何が分からないか分からない、
という状況に陥りやすいって話だと私は思ってるんですが、どうでしょうか?


192 : ケイン濃すぎ    2007/10/23(火) 01:30:02   ID:e42aed7be7 
やはり渡辺さんはたとえ話を誤解していますね。
というか、湾曲して解釈しておられる。
あとで詳しく説明しますが、「ラブコメッサー」はまごうことなき
「深海魚」なんですよ。
それを容易に釣り上げる才能というのが評価されているのです。
そして深海魚というのは作家のイドそのものだから、他人が買う
ものじゃない。そもそも他人のために釣り上げてない。
渡辺さんのたとえに沿うなら、「500万円でも作者本人が買う」
つくりの本ということですね。

それでも人が共感する「深海魚」ということがすごいわけです。
つまり芸術、芸術家と同じなんですよ。
深海魚に他人が勝手に価値を付けたのであって、本人が売ろうと
計算して釣り上げたものではないでしょう。


193 : ケイン濃すぎ    2007/10/23(火) 01:36:08   ID:e42aed7be7 
>>191
そのような解釈で捉えていただければだいたいスジが通ると思い
ます。
いま「アイデアのつくり方」を読み始めまして、はからずしも俺の
言いたいことが書かれてありましたので、今度抜き出して説明
させていただきます。
今夜中に出来たらしますが・・・

めたろうさんのお話も面白いので、続きをお待ちしております。


194 : zwei    2007/10/23(火) 02:38:36   ID:70d0826f0a 
>ケインさん
レスありがとうございます

そして、深海魚というのは迷宮の中の財宝って所でしょうか?
テーマとその他の設定という迷宮を四苦八苦しながら財宝を探してく。
最新部まで潜らないでも、ある程度の作品は作れる。
でも、読者の記憶に残る作品を作るのだったら、最深部のお宝をゲットしたいという所ですかね?

渡辺さんが言っているのは、途中で手に入る財宝でもそれなりの評価は得られる、
深くまで行く時間で他の遺跡に潜る、って感じですかね。

個人的な意見としては、どちらもプロとしてアリだと思います。
オレのような素人の一学生にはこんな感じで写っているんですが、どうでしょうか?


195 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/23(火) 03:33:10   ID:eca306ddf0 
>>183
上のほうのレスの >>13 には

「筒井自身は結末を決めずには書けないようですが」

とかかれていますが、
あなたのかきこみでは筒井先生は「結末を決めずに書いてる」ともよめますね。

どっちがホントでしょうか。オレは筒井ヲタでもないし、
筒井氏の本をたくさんよんでもいないしで、わからない。

というか、オレも筒井氏の『短篇小説講義』と『着想の技術』をよみたくなってるが、
いま本をそんな無制限にどんどん買ってる余裕もないので、なんともままならんのだ。
うーむ……


196 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/23(火) 03:40:34   ID:eca306ddf0 
めたろうさんの読んでると筒井康隆がいろいろよみたくなってしょうがねえ(笑)

197 : ケイン濃すぎ    2007/10/23(火) 06:45:44   ID:e42aed7be7 
渡辺さんの意見に事細かに答えようと思ったのですが、内容が錯綜
していてそれに反駁してもなんだかアラ探しっぽくなるだけなので、
ここは持論を補強する形で行こうかと思います。

俺がなぜ海の話をしたのか、「アイデアのつくり方」の説明に照ら
してお話します。
そしてそういった考えがある上で、「必死すぎない良作」もあると
いう認識を新たに加えたいと思います。
こういう意味なら、俺も「浅瀬の魚のよさ」が分かるという感じ。

以下、ちょっと引用が長くなります。


198 : めたろう    2007/10/23(火) 07:07:05   ID:c9cc935f45 
「朝のガスパール」は建前は「結末を決めずに書く」という事で始まりましたが、
思ったより「キャラクターが自律」せず、話が脱線も広がりもしなかった事例と言う事かと思いますし、
その結末は、概ね作者の初期構想のそれであったと思われます。

皆様過分のお褒めありがとう御座います。


199 : ケイン濃すぎ    2007/10/23(火) 07:28:59   ID:e42aed7be7 
【アイデアのつくり方】より抜粋。
-----------------------------------------------------------
『アイデアは新しい組み合わせである』
(前略)アイデアはひとつの新しい組み合わせであるという原理と、
新しい組み合わせを作り出す才能は事物の関連性を見つけ出す才能
によって高められるという原理を心に留めて、いよいよこれから
アイデアを作る実際的な方法あるいは手順といったものをみていく
としよう。
(中略)
第一の段階は資料を収集することである。
(中略)
集めてこなければならない資料には二種類ある。特殊資料と一般的
資料とである。広告で特殊資料というのは、製品と、それを諸君が
売りたいと想定する人々についての資料である。
私たちは製品と消費者について身近な知識をもつことの重要性を
たえず九日するけれども実際にはめったにこの仕事をやっていない。
(中略)
私たちは大抵この知識を収集する過程であまりにも早く中止して
しまう。
表面的な相違がほとんど目立たないような場合、そこには何ら相違
点がないとすぐきめてしまう。しかし、十分深く、あるいは遠く
まで掘り下げていけばほとんどあらゆる場合、すべての製品とある
種の消費者との間に、アイデアを生むかもしれない「関係の特殊性」
が見つかるものなのだ。
(中略)
特殊資料を収集することの意味はこういうことである。
一般的資料を集めるという継続的過程もまたこの特殊資料を集める
のと同じように大切である。
私がこれまでに知り合った真にすぐれた創造的広告マンはみんな
きまって二つの顕著な特徴をもっている。
第一は、例えばエジプトの埋葬習慣からモダン・アートに至るまで、
彼らが容易に興味を感じることのできないテーマはこの太陽の下
には一つも存在しないということ。
(中略)
第二に彼らはあらゆる方面のどんな知識でもむさぼり食う人間で
あったこと。広告マンはその点、牛と同じである。食べなければ
ミルクは出ない。
さて、この一般的資料を収集するのが大切であるというわけは、
私が先にいった原理つまりアイデアとは要素の新しい組み合わせ
以外の何ものでもないという原理がここへ入りこんでくるからで
ある。
広告のアイデアは、製品と消費者に関する「特殊知識」と、人生と
この世の種々様々な出来事についての「一般的知識」との新しい組み
合わせから生まれてくるものなのである。
(中略)
一つの広告を構成するということはつまり私たちが住んでいるこの
万華鏡的世界に一つの新しいパターンを構成するということである。
このパターン製造機である心の中に貯えられる世界の要素が多く
なればなるほど、新しい目のさめるような組み合わせ、
即ちアイデアが生まれるチャンスもそれだけ多くなる。
------------------------------------------------------------
上の説明に俺のたとえ話は符合するわけです。
つまり海の深さというのは「特殊資料」のことを指しており、物語
を書く者にとっての「製品と消費者」とは、大雑把に言って題材と
読者と言い換えられると思います。
ただ物語作りは広告という「完全に第三者へ向けたもの」とは違い、
「作家自身という読者」「作者の使いたい題材」の存在も肯定され
ます。
物語は自己表現でもあるから、完全に客観が正義ではない。
だから物語という作品は商品であると同時に「私物」でもあり、その
視点があることは注意しないといけません。
「潜らなければよい魚は捕れない」というたとえは、つまり「関係の
特殊性」を見い出す作業を指しています。それは情報を単純に洗うと
いうだけではなく、自分が一体何を訴えたいのか、何を言いたいのか
を深く探る作業です。自分の心の裏側を見つめなくてはならない。
これには非常な精神的重圧が伴います。まさしく溺れ死ぬ寸前でよう
やく答えを導き出すようなこともしばしばです。
そこまでやって、かなりの大物がとりだせるわけです。

以上が海の深さが必要だという話と、潜るのは命がけで、潜らな
ければ大物は釣れないという話です。
そして「アイデアのつくり方」でいう一般的知識というものが、
まさしく海の広さですよ。
ただ「アイデアのつくり方」の方がはるかに明快な解説になって
います。深海から釣り上げたような斬新で一見とっつきにくそうな
物を、ある程度食べやすくする効果があるという話ですよね。
つまり作家独自の視点、斬新なアイデアを、一般的な知識をまぶす
ことによって普通の人々にも理解が及ぶようにできるということを
言っている訳ですね。

ただ先にも述べたように、作家の生み出す物語というものは表現で
ある以上、作家の主観から離れすぎるとその価値が失われます(特に
作家にとって)。
作家の求めるところによっては深海魚なんだけど近海マグロの姿を
していたりもしますが、作家の本性によってはレバイアサンみたいな
ものからクトゥルフみたいなものまで色々あります。
そこは常に作家にとって戦いです。
商売なのか、自己表現なのか。


200 : ケイン濃すぎ    2007/10/23(火) 07:45:28   ID:e42aed7be7 
長くなりすぎてしまい、申し訳ありませんでした。
「濃すぎ」というのは自嘲を含めたハンドルなのです。
よく仲間にも議論好きだなといわれます。

そうそう、上のような考え方がある上で作家が深さを拒絶して、
浅瀬の魚を釣るというスタイルがいまはあるという認識が俺にも
生まれました。
「分かっていてやる」ということですかね。
書くほうも読むほうも。
読むほうもいかに浅瀬の魚かに期待しているので、マジネタが
入ってくると興ざめみたいな。

そうなるとお約束の知識、かなり広い浅瀬が求められるわけで、
それはそれで一朝一夕にはできない才能って言う感じはします。
へんな言葉ですが、浅瀬に深海魚を飼うって言うのはどんな
精神なのか、俺の理解を超えています・・・

これまた余談ですが、大昔、たぶん浅瀬の王様だと思うんですが、
作家の築地俊彦先生(まぶらほの作者)と同じ会社でバイトして
いましたよ。新井輝とかも社員でいましたが。
築地さん、当時はブラックユーモアな人だったんだけどなあ・・・


201 : 渡辺裕    2007/10/23(火) 19:16:40   ID:f5dc6efa6c 
>そこは常に作家にとって戦いです。
>商売なのか、自己表現なのか。

 所帯じみたこと申し上げてナニですけど、そこは、まず商売やって自分なりに納得いく生活ベースなり資産なり確保して、
「私は芸術やってるんだ幾らカネ懸けても人生懸けても惜しくない」と言える状況になってからじゃないですかね?
 遊ぶんだったらその前に働いてカネ稼げ、と。おばちゃん的有り体に言えば、そういうことです。
 働いてカネ稼ぐことと芸術を平行させようってのがそもそも我が侭と言ってしまえばそれまでですけど、
 そこを敢えて推し進めるのが職業作家の辛いところと言えば、そうかもしれませんね。

 んでも、大抵…というかほぼ絶対的に、稼ぐだけ稼いで偉くなってから、芸術ですよね。
 最近「芸術」枠で大人気の北野武さんの映画にしても、何作か作って地歩を固めて世間的な評価も上がって、
 それから芸術性云々を口走るようになりましたね。
 すっごい初期の頃は「私は芸術なんかやってない。商売だ。映画は映像の切り貼りの技術だ」とか、
 何その職人魂? みたいなことを言ってましたよ。北野作品そのものの芸術性は、今も昔も変わらないと思いますが。

 モノの順序的に、芸術から入るのは、どうかと思います。
 完全に趣味で創作しているならその限りじゃありませんけど。


202 : 忍天丼    2007/10/23(火) 20:49:10   ID:ed158aa5b4 
日本人の働き方は「タグ」と「ソーシャル」で変わる
『ソーシャル・ウェブ入門』から読み解くウェブ・広告・メディアの未来(1)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20070827/133208/

上記の糸井重里氏のインタビューを読んで、たけくまさんが言いたかった事が何となく分かった気がします
演繹法も帰納法もツリー方式だが、タグ方式でも文章が書けるのでは無いか?という
ツリー方式とタグ方式の違いという事ですね。


203 : 渡辺裕    2007/10/23(火) 21:24:16   ID:e421e348a2 
↑そういう意味から言えば、私は完全(?)にタグ志向ですね。

 ある特定の嗜好性を持つ人はツリー式で突き詰めたモノの考え方をすると思いますけど、
 そうでもない他一般の人ってのは、タグ志向で考えますよ。多分。
 んで、そういった気質の基本にあるのが「要は」「詰まり」でね。
 ツリー式で突き詰めて考える人からすれば大雑把でいい加減なんですけど、タグ志向の人は別に問題を感じないわけです。

 前のレスでも述べてますけど、私自身は「正しく理解して」なんてセンスをまったく持っていませんね。
 どういう切っ掛けであってもいいから、そこから掴んで引っ張り出せば? と。そういう感覚です。
 ツリー式の思考が欲しければ広辞苑と資料本をその都度見ればいいよと。そんな感じでもあります。
 資料本の類は2,3000冊持ってますけど、全部が全部読破したわけでも暗記したわけでもないですね。
 大半は、流し読みで捨て置きです。

 ケイン濃すぎさんとのやりとりを見てると、
>渡辺さんの意見に事細かに答えようと思ったのですが、内容が錯綜していてそれに反駁してもなんだかアラ探しっぽくなるだけなので、ここは持論を補強する形で行こうかと思います。
↑こういう発言が出てらっしゃったわけですけど、私はそこで事細かに答えられても濃すぎさんと同じ思考を持つことは、ないんですよ。
 むしろ私が合わないことによって濃すぎさんは話を摺り合わせようと色んな喩えを持ち込んできますよね。
 んで、私が「それは」「要は」みたいな頓珍漢なことを言うわけで、そうやって話がどんどん伸びていく中で、他の方が「それは」「要は」みたいに話を繋げるなりまとめるなりして、
 ツリー式とタグ式の融合系みたいな展開になってきてる。

 こういうのも、ある種「シャーマン型?」なのかな? とも思ってみるんですけど。どうなんでしょうね?
 (私は)落語や三題話や漫才なんかを好んで見ますけど、そういう話法って大抵ボケツリー・タグツッコミ式ですね。


204 : 渡辺裕    2007/10/23(火) 21:30:30   ID:e421e348a2 
 タグボケ・ツリーツッコミ式もありますよね。
 ここでのやりとりは、タグ(渡辺)ボケ・ツリー(濃すぎ)ツッコミ式ですね。

 濃すぎさんにはストレスの溜まる(?)展開になって申し訳ないですけど、
 ひとりで云々考えて自説展開する手法も、こうして頓珍漢トークを延々続ける手法も、
 読み手に対してある種の閃きを与えるという意味では等価…になりませんかね? …ダメか…という感じです。

 あとのことは、私が考えることじゃござんせん。閃く人のセンスや行動に全てを委ねますって感じ。


205 : 渡辺裕    2007/10/23(火) 21:45:09   ID:e421e348a2 
 めたろうさんが提示してらっしゃる筒井康隆作品の紹介とか、面白いですよね。俯瞰的で。
 筒井作品は一応全部(?)読んでるんですけど、私が一番好きなのは『原始人』ですね。
 『朝のガスパール』とか、あのへんは作者の志向にユーザーが付いて来れないというか。
 ボケ役ツッコミ役傍観役みたいな役割分担を、作者ほど読者が徹してないというか。
 天然ちゃんが参加すれば面白かったんじゃないかと思いますけど、良くも悪くも読者さんが賢すぎて、変に型に嵌まっちゃったのが残念かな、みたいな。
 ああいうのは、馬鹿丸出しでフルチン踊りをするくらい堂々としてなきゃダメですよ。
 じゃなかったら、芸人さんの客いじりみたいに天然路線か。どっちか。何にしろ、役者気質が問われますよね。


206 : zwei    2007/10/24(水) 00:09:27   ID:231401910f 
なんか、自治厨ッぽくていやだなと思いつつ、レスをつけます

ケインさんも渡辺さんも同じ内容を話しているように感じているのは俺の錯覚でしょうか?
お互いに認識のずれがあるために、伝わっていないような気がするんですよ。

例え話ばかりで悪いなと思いつつも、山登りに例えますね。
本当に語彙が少なくてすいません。
二人とも山登りという共通の話題で話しているんですけど、
片方は「エベレスト」を上るための準備の話で、
相手は「富士山」を上るための準備の話。
お互いにリスクの考え方が違うから、用意するものにもずれがでてきます。
「コレがないと命に関わる」「そんなのより、コレで十分だ」「それじゃ死ぬから!」
という話に私には見えるのですが


207 : ケイン濃すぎ    2007/10/24(水) 01:34:25   ID:7f70676a7e 
>>201
うーむ・・・渡辺さん。
言っていることが錯綜している、というのはこの書き込みにも顕著
ですね。あと、俺が引用までして述べた内容を理解されておられ
ないようです。

作家が「いかに素晴らしいアイデア(創作物)」を生み出すことが
できるかということと、商業的に成り立つとか成り立たないとか
はさっぱり無関係です。
確かに売れた、売れないは作品の一つのバロメーターではあります。
しかし本当に優れた文学作品でも、「作者の存命中には全く売れ
なかった」なんていう事例は腐るほどあるのです。
分かりやすい所ではルネサンス期の名画家など、みんな食い詰めて
いました。そして彼らは売れることよりも自己表現の「芸術の極み」
を目指していたわけで、存命中はそれに理解あるパトロンがついて
生活を保護していたに過ぎません。
>>192でいう作家の「深海魚に他人が勝手に値段をつけた」だけの話。

「売れてから好きなことをやるもんだ」というのは「作家の質」とは
まったく関連のない話ですよ。論理のすり替えです。
そして「何故物語の結末を・・・」という話題は作家の持つ能力
(創作のメカニズム)を解明しようという話題ですから、芸術性本位
の話になって当然です。
「なんでそんな手法で面白いものが書けるのか」をみなさん知りたい
はずです。

作家は商人であることが優先したら、それは作家ではありませんよ。
作家とは自己表現をするものですし、芸術的側面がまずあり、その
後に仕事があるんです。その順序を間違えたら、魂のない作品を作る
作家になってしまいます。
売れるためには何でもする、そんな作品では魂は揺さぶれません。
あまりに芸術家の側面を重視するとエンターティンメントにはなり
難いですが、しかし、作家の本質がどちらなのかは明白です。

>>189で渡辺さんが「ラブコメッサー」を例に出して面白い流れだな
と言ったのは、商業的にはまったく価値がない、というか商業的価値
なんて考えて作られていないものなのに「なぜか面白い」という作品
の事例だってあるという流れで持ち出したのだと俺は思うのですが、
ラブコメッサーの作者に対して>>201の論理は通用しないじゃない
ですか。
おっしゃるとおりラブコメッサーは完全に趣味で創作しているかも
しれませんが、心は動かされるわけですよ。
このことからも作家の本質は何か、推して知るべしじゃないですか。
ラブコメッサーが何故面白いのかを解明することと、
物語の結末を考えずに何故書き始められるのかを解明することは、
同じ領域の研究題材として論じることができます。
しかし売れてからどうのこうの、ウケるネタはちどうのこうのは、
主旨が違うとしか言いようがないです(話題として価値はあるに
せよ)。


208 : ケイン濃すぎ    2007/10/24(水) 02:14:52   ID:7f70676a7e 
>>202
忍天井さん、この話題とてもとても面白いですね。
すごく分かりやすい。
最後まで読むのに無料会員登録が必要でしたが、面白く読ませて
いただきました。
忍天井さんは「アイデアのつくり方」はお読みになったでしょうか。
糸井さんの話は非常にこの本の内容と符合しますよ。
お読みでなかったらぜひ一読されることをお薦めします。
頭の霧がいっそう晴れますよ。

というのもです。
つまり>>199で俺が引用したことを裏付けることを話しているわけ
じゃないですか、糸井氏と滑川氏は。
渡辺さんは俺のことを「ツリー型」にくくりたいようですが、
どっこい俺は「アイデアのつくり方」で述べられている脳内作業を
現実にやっていましたから、完全に「タグ型」なんですよ。
というか、すべてのアイデアマン(創作者)は「タグ型」で思考して
おり、そのタグのひもの数がどれだけ多いか、どれだけ人と違った
優れたタグをつけているのか(必要な時に必要なタグを引っ張れるか)
が作家性の発想の優劣であると俺は理解できました。

まずは忍天井さんのリンクから記事をよく読んでいただいてから、
俺の引用した文を読んで欲しい。
つまり「タグをつける作業」っていうのは、「アイデアのつくり方」
でいう「関係の特殊性」を見出す作業に他ならない。

****************************
【アイデアのつくり方より】
私たちは大抵この知識を収集する過程であまりにも早く中止して
しまう。
表面的な相違がほとんど目立たないような場合、そこには何ら相違
点がないとすぐきめてしまう。しかし、十分深く、あるいは遠く
まで掘り下げていけばほとんどあらゆる場合、すべての製品とある
種の消費者との間に、アイデアを生むかもしれない「関係の特殊性」
が見つかるものなのだ。
****************************

そしてタグ型だけでは完結しないのです。
タグというのはお札のすかしみたいなもので、「見える人にしか
見えない」ものです(見える「視点」(=タグ付け)を発見できなけ
れば。だからアイデアには価値がある)。
そして発見したことを「見えない人」に説明するには、やはり
「ツリー型」が非常に役立つ。ツリー型にタグ型を重ね合わせる
ことで、魔法のように「見えなかった人にも見える」ようになる
ワケですよ。


209 : ケイン濃すぎ    2007/10/24(水) 02:35:07   ID:7f70676a7e 
>>205
筒井先生はテーブルトークRPGの弱点を考慮しなかったのでしょう。
言ってみれば社会主義国家を作り上げたかったけど、国民全員が
マルクスではないから実現不可能というような。

TRPGの弱点について
>>98
>>114
>>115

本当に役割を演じさせるには、ポジショニングの意味を教え、人物
相関上の役割をまっとうすることが「オイシイ」という認識をまず
理解させないとキャラクターにプレイヤー自体の倫理観や功名心
(とにかく目だって主役になりたい)をストレートに反映して失敗
する。
「悪役が悪役として活きる」(単に悪いことをすれば良いのではない)
「脇役が脇役として活きる」(単に地味な行動をすれば良いのではない)
をお客さんにいきなり求めるのは厳しいでしょうね。
くわしいシチュエーションは分かりませんから、想像ですが。


210 : めたろう    2007/10/24(水) 03:11:43   ID:9ba16ccdc3 
えーと続き書けてません、、、、。

zwei様
私も同じ事感じてました。
お二人は、おそらくよく似た環境、立場にいらっしゃって、
創作について、これまで考えてきた事が、ほぼ同じレベルまで達しているのだと思います。
ただやはりルートと用語が違う。
まぁ後は「せっかく立場的に分かれたみたいなので、判りやすく対立してみようか」
という色気も感じます、、、失礼!

と、この様に役割演技(ロールプレイ)を意識する、というのは、
こうした掲示板とかでも現れる現象ですね。

ネット時代になって、皆が情報発信する上で、それ以前と大きく違ってきているのは、
こうした「仮想役者としての訓練」を受ける場が増えて、
読者や観客が自立し、「役者化」しつつある、と私は考えています。

「朝のガスパール」の時代には、そもそもTRPG的な、
「参加者の能動性」や「ロールプレイのスキル」が低く、
「自分から舞台に上がる」者が、結局殆どいなかったのだと思います。

この辺を踏まえて続きが書ければと考えておりますが、今宵はこれまで。


211 : めたろう    2007/10/24(水) 03:15:47   ID:9ba16ccdc3 
訂正。下書き無しはいけませんね。

×読者や観客が自立し、「役者化」しつつある、と私は考えています。
〇読者や観客が自立し、「役者化」しつつある事だ、と私は考えています。


212 : ケイン濃すぎ    2007/10/24(水) 04:25:53   ID:7f70676a7e 
>>211
まったく向かっている方向が違うと思いますね。

俺は何かしらの方法論であるとか、論理であるとかを解明したい
立場です。つまりは作家のブラックボックス「パンドラの箱」を
何とか開ける方法を知りたいと思っているわけです。
それは「物事を系統立てて考える」ことだから、糸井さんの話で
言うと「タグ型」の中身を「ツリー型」に説明しようとしている
ことなのですよね。

現に俺も仕事しているときには「ブラックボックス」が機能している
実感が多々あります。
悩みに悩んでいると、ふと経過はすっ飛ばして答えが出てくる。
それはもう、時には奇天烈、破天荒な発想ですよ。
糸井さんの表現で言うと、「真っ暗闇に手を突っ込んで、生首を
つかみ出す」瞬間が訪れるんですよね。
ある人はそれを「シャーマンのように」と言い、ある人は「脳に
釣り糸をたれるように」(これはたしか宮崎駿監督)と表現する。

その現象にまったくの仕組みがないとは言えないと思っている
わけです。糸井さんも恐らく疑問を抱いていた。少なくとも
任天堂の社長との対話以降は具体的に疑問として心に浮かび
上がっていたわけです。
何か答えがあるんじゃないかと。

そして現にそういうことを論理的に解明している本はあって、
例えば「アイデアのつくり方」なんかは非常に明確にそれに回答を
示している。
タグ型をツリー型に落とし込んではじめて、みんなもそれを理解
共有できる。パブリック化される。
俺が求めるのはそういうことです。

しかし渡辺さんの論調は俺が思うに逆で、「そんなことは出来ない」
または「することはナンセンス」と捉えているんじゃないかと思う
んですよね。
ブラックボックスはブラックボックスだから魔力がある、という
フィーリングのような気がするんですよ。
あえてとんちんかんなことを言ってみたとか、そこからアイデア
が生まれるとか、論理性を超えたところに答えがあるという立場
を示している。

俺はそうじゃありませんからね。
そしてタグ型の「タグの付け方」を解明したところで、いきなり
誰でも作家(タグ付けの達人)になれないわけで。
シャーマンのトリックが解明されても、魔力は依然として作家
固有のものなんですよ。

【アイデアのつくり方より】
自分の見つけ出したこの貴重な公式をなぜ私が惜しげもなく公表
するのかとおたずねになるなら、この公式について私が経験から
学んだ二つのことを諸君に打ち明けよう。
(中略)
説明は至極簡単だが実際にこれを実行するとなると最も困難な種類
の知能労働が必要なので、この公式を手に入れたといっても、誰もが
これを使いこなすというわけにはいかないということである。


213 : へよ    2007/10/24(水) 22:34:46   ID:c0f0926945 
とりあえず一つだけ、念のため。
>作家が深さを拒絶して、浅瀬の魚を釣るというスタイルがいまはある
これは最近のオタクカルチャーに限ったことではなく、怪獣映画や少女漫画なんかの延長上に
あるスタイルだと思ってます。極端に言ってしまえば乱歩の少年探偵団とかも。
今読むと怪人二十面相は、子供相手にずいぶん大掛かりな無茶をやっています。時には自分で
巨大な虫の着ぐるみの中に入って小林少年を脅かしてみたり。怪獣映画で言えば、ゴジラ
なんかは被曝という非常にシリアスなものをモチーフにしているわけですが、それが「口から
放射能を吐く巨大な怪獣が東京を踏み荒らす」という話になると、これはもう“娯楽大作”
以外のなにものでもありません。
『だが、そこがいい』んですよね。“娯楽”として“傑作”。
こういうのも古典的な「大魚」の一種だよなあ、と。

……と、今スレッドの冒頭を読み返してみて、当初の目的と全く違った話をしていることに
気がつきました。(笑)
(ああでも面白い…他人の思考を答え合わせ付きで読み解く機会なんてあまりないですから。
哲学者や数学者の書簡というのはこういう感じだったんでしょうか。ネットの功績だなあ…)


214 : へよ    2007/10/24(水) 22:44:09   ID:c0f0926945 
本筋は ◆ OZCI/VVVB2 さんの「論理を伝える文章と面白さを表す文章で書き方に差はある
のか」というあたりでしょうか?
私は、“伝えたいことを文章に直す”という部分では差はないのではないかと思います。
たとえば、この文章を書くとき。まず、文章を書き始める前に、頭の中には皆さんの書き込み
を読んで感じたことが、文になる寸前の形で渦巻いているわけです。それは皆さんの書き込み
の流れを自分なりに消化したものであったり、書き込みから連想されてきた(記憶の中から
「同じタグを見つけて引っ張ってきた」)ものであったりします。
それを文章の形に当てはめて出力していくわけですが、頭の中の考えがぴったり文章の形に
収まるとは限りません。それどころか、書いている途中で別の考えが思いついたり、
それによって自分の考えが誤読であったことに気付いて結論が変わってしまったりもします。
“会話”ってわりとこういう感じだと思うんですよね。「あ、あ、ちょっと待った今気付いた
けど違うわ今の」みたいにして論が続いていく。
私はこの一人語り形式で一度下書きを書き上げて、それを冗長な文にならないように刈り込む
形で書いています。言葉が足りないところには補い、文章の繋がりのねじれを修正し、
うまく文章の形に収まらなかった部分をこねまわしてなんとか自分の考えが伝わるように整え、
全体を見たときになるべく平易な流れになるように整形する。(これがおそらく「ツリー型に
する」プロセスなのだと思います)
この場合、書き始めたときには、完成形のビジョンはあるにはありますが、結論はまだ文章の
形をなしていないぼんやりとした状態です。書きながら思い出したり思いついたりしている
うちに、完成した下書きの結論はときどき、書き始めたときには考えてもいなかったものに
なるわけです。(書き始めた“後”に思いついたのだから当たり前ですが)
これは「結末の決まっていない状態で書く」の一種ではないかな、と思います。頭の中の
イメージを文章にするときは、誰でも多かれ少なかれこんな感じなのではないでしょうか。

こうして下書きが出来上がったあと、たいていは推敲という作業が必要なわけですが、書いて
いる途中でまれに、イメージが一分のずれもなく文章の中に収まってゆくことがあります。
>>78で ◆ OZCI/VVVB2 さんがいう「あかるくなった感じ」に近いと思うのですが、
書きたかったことのつながりが一気にはっきりして、あとはそれを書き表すだけ、といった
状態です。一人語りでいうなら、口から滑り出たアドリブがばっちり決まった状態ですね。
私のような凡夫ではこういう状態はどんなに続いても1段落くらいのものですが、いわゆる
シャーマン型の作家は、この状態がコラム1本分や短編1本分(あるいは、長編1本分?)
持続してしまうのだと思います。

漫画や映画でも基本は同じではないかと思いますね。最初に頭の中のイメージを漫画のコマ
割りや映画のカット割りに当てはめて出力してゆく、以下同文。
「タイトルが決まれば中身も決まる」というのも、同じ流れなのだと思います。
タイトルから連想されること(タイトルと同じタグのついたもの)が頭の中で関係付けられて、
それが書きはじめるうちに一気に文章の形になってしまう。

……羨ましい限りです。


215 : ケイン濃すぎ    2007/10/25(木) 02:03:51   ID:df2a3d6acf 
>>213
それはちょっと、俺的にはとらえ方が違うんじゃないかと思うの
ですが。

ゴジラや江戸川乱歩の少年探偵団シリーズは、ぜんぜん浅瀬の魚を
狙って釣っていないですよ。
超娯楽映画でありながら、ゴジラには「人類の業」への深いテーマ
があります。博士がオキシジェンデストロイヤーを使う時のシーン
など、特に深く考えさせられ、涙まで出る。
少年探偵団も破天荒だし、俺が度肝が抜かれた話では「電人M」とか
ありますが、非常にたくみに作られた物語で「深く読める」児童文学
ですよ。
たしかに子供向けであったり娯楽であったりはするわけで、その分
チープだったりナンセンスだったり、破綻したりしているわけですが、
そのワクの中でそれぞれの作者はテーマとして深いものを描いて
います。
よいアニメだって同じだし、よい特撮だって同じでしょう。
くだらない子供だましの設定の中に、何らかの「教訓」「感動」を
得られるような「暗喩」がこめられている。

しかしいわゆる「ラノベ脳」が喜ぶものというのは上のような志向
は逆に「必死すぎてイヤ」なのではありませんか。

たとえばサル漫で「戦争とテーマ」っていうネタがありました。
戦争モノの漫画を描く時、作家というのは普通の感覚で行くと物語
を通して「争いのむなしさ」や「大切な人を失う哀しさ」なんかを
テーマとして表現しようとするでしょう。
しかし実際のところ、戦争漫画を楽しみにしている読者は(サル漫
の中では)「派手なドンパチ」「カッコイイ武器や戦車」「残酷な
表現」をただひたすら見たいから戦争漫画を読むわけです。
作者と読者でズレてるんですよね。
あれはまあ、そういう皮肉(ぶっちゃけ話)として描かれているワケ
ですが、「作者が本気で読者と同じ目線だったら」どうなるかです。
つまり本気の本気で「戦争ドンパチかっけぇー」的な漫画を描きたい
表現したいとなれば、物語を通して深遠な人間のテーマを掘り下げる
必要もないし、むしろドンパチ描写のページは減るしブレーキかかる
しで「深いテーマ」はジャマ。ウザくなるでしょう。

たとえば戦争だけじゃなく、恋愛モノでも考えて見ましょう。
普通は恋愛漫画でナニを描きたいかというと、「真実の愛とは」
だったり「リアルな感情」だったり、人間関係の深い部分を描こう、
青春時代のあの熱い季節を表現しよう、なんて考えるわけです。
しかしラノベ的発想で行くと、そんな必死すぎることは大して重要
ではない。むしろ「感情がリアルだと甘酸っぱさが失われるから
イヤだ」なワケです。
だから恋愛モノのギミック(スタイル)やスラップスティックさその
ものがテーマになる。「その形をやることに意味がある」のでしょう。
たとえば「ツンデレ」なんて作者側の技法として昔からあったけれど、
読者側がこれほど価値を見出したのって最近のことですよ。
「メガネ男子」「お姉さま」「妹萌え」も同じ。
様式の追求とそれをどれだけ盛り込めるかが目的で、それ以上の
深さなど必要ないわけです。描くほうにも見るほうにも。
これって昔では考えられないというか、作り手が「やっちゃまずい
こと」だと思うんですよ。
魚と海にたとえると、これほど浅瀬の魚だけを料理して食う文化は
いままで(表世界には)なかったから。
もっと深いところにいる魚を釣るための、もしくは味を引き立てる
ための魚だったものを専門に食う人と料理する人が現代には現れた。
それが現代のラノベ文化というか、同人プロ文化なんじゃないかと
俺は分析していますよ。
そしてこれは卑下して言ってるんではなくて、多様化がここまで
進んだということです。
作者と読者の壁がなくなって、誰でも作者で誰でも読者になった
結果、必然的に生まれたと思いますね。


216 : めたろう    2007/10/25(木) 02:22:20   ID:848e72d83c 
おお。「ギミックや様式の追求」は、この後書きたいと思っている、
「役者化する観客」「行動する読者」の話に繋がって参ります。

「作者と読者の壁がなくなって、誰でも作者で誰でも読者」になる状況下において、
皆の志向はまず、ゲームマスターでは無くプレイヤーに向かっていると考えられます。

「感情移入」に恋愛の要素が加わったものが萌えであると想定される様に、
「現代のラノベ文化というか、同人プロ文化」を「役者化」であると話をもって行きたいところ。

そこで重視されるのは、テーマではなくシチュエーション、状況であり、
結末はもとより求められてはいないのです。


217 : 渡辺裕    2007/10/26(金) 22:33:40   ID:3525e5cb63 
 ケイン濃すぎさんが芸術主義であるなら、私は商売として考えますから「理解していただけない」方向性でしか返事できませんのですよ。残念ながら。なので、話が噛み合って私と濃すぎさんの間で納得するしないは別にして、このスレ読んでる人がその人なりに何か感じれば、もうそれでいいんじゃないかと思います。

>>206
 だいたい、そんな感じだと思いますよ。 


218 : 渡辺裕    2007/10/26(金) 22:59:13   ID:3525e5cb63 
 一般?の人は、別にエベレストに登りたいとは思ってないですよ。富士山に登りたいとも思ってない。近所の山でも「誰かと行くなら」それで十分なんです。そんで、誰かと行くと決まっていても仕事が入ったら仕事優先。キャンセルします。そういうこと。そこから思考が始まる層ってのが、どーやったってあるんですよ。

 エベレストに登る方法論を云々するよりも、近所の山に登るレベルの軽装で「どの高さの山まで登れるか」を考えたほうが、まぁ商売としては有益でしょうね。「砂金拾い」も、私的にはその線で考えてますよ。アレが商業ベースに乗れば面白いんだけどね。みたいな。
 そこで登った山の高さを比べて俺のほうが凄いとかこうすればもっと高くの山に登れるとか美しく登れるとか言っても意味が無くて、やったね、良かったね、そういやあの時あんなことがあって…というレベルで盛り上がるほうが、楽しいんでしょうね。


219 : zwei    2007/10/26(金) 23:03:32   ID:d86ebf57f4 
いや、単に二人の話している内容が同じなだけど、
ずれているって言いたかっただけなのですが


220 : 渡辺裕    2007/10/26(金) 23:47:56   ID:3525e5cb63 
 ありがちといえばありがちなんですけど、「エベレストや富士山に登るにはどうすればいいの?」って設問があったとき、生真面目な人は方法論をいろいろ考えたり旅費や資金の調達方法を考えたり、そういう方向性で考えると思うんですね。

 私は根が天邪鬼ですから、地図や写真を持ってきてその上に乗っかって「登ったよ?」って言い張りますけどね。
 それはそれで「登る」でしょうね。いや厳密には「乗る」だろうがと言えばそうなんですけど、その場をまとめる(繕う)方便としては、「登る」で問題ない。
 たいがい、頓智・ギャグで片付けられますよ。あんまり細かく拘らないほうが、楽は楽ですよ。

 結果が先に決まってる話を書きなさいって形式だと、作家さんによっては↑のような頓智を発揮して「とっとと飽きちゃう」ケースが出るかと思いますんで、「なぜ結末も決めずに文章(物語)が書けるのか」じゃなくて、「結末を決めない」からこそ書けるタイプの人も、中には居るでしょうね。


221 : ケイン濃すぎ    2007/10/27(土) 05:00:40   ID:c33cc342c3 
>>217
>>218
渡辺さん
芸術主義であるとか、商売主義であるとか、そんなことにこだわる
話ではないと思うな。

要点は「どうやって作家は(良い)アイデアを発想しているのか」と
いうことじゃありませんか。
そして何故それに話が及んだかというと、スレの命題である
「なぜ結末も決めずに物語が書けるのか」という疑問を解決する為
にはまず「作家の発想のメカニズムの解明」が必要なんじゃないか
という話なのでしょう。

そこで俺は自説を本の引用やみなさんの意見を踏まえて色々述べ
ましたけれど、あくまで「こう考えた方が説明がしやすい」から
そう話しているだけで、あくまで自説を主張するために意見をねじ
曲げたり拒絶したりはしていません。

>>185でへよさんが渡辺さんの論理を解釈して説明されてましたが、
「なるほどそう考えれば説明がつく」という部分は受け入れて
います。>>186
その後ちょっと意味が違うのでは、という部分では「こういう理由
で違うのではないか」としていますが、それもやはり説明がつくか
つかないかで疑問と意見を提示しています。

商売主義で「作家の良いアイデアのつくり方」を説明できるのなら
その自説にこだわるのも良いでしょう。
しかしよい作品というのは「売れる売れない(だけ)ではない」と
いう説を唱える理由を俺は説明できます。
だから「まず売れなければよいアイデアもクソもない」的な意見
に反論できるわけで、根拠がなければ言いません。
その根拠となる例も挙げましょう。
たとえば今でこそ知られている宮沢賢治ですが、生前に出た本は
詩集と童話が各一冊のみ、原稿料は五円のみだといわれています。
画家で言えばモジリアニの売れない絵と極貧生活は有名です。
それぞれが「売りたくて傑作を生んだ」「商売で成功する作品を作
った」ワケではない。それならば出版社に持ち込んだりパトロンに
売り込んだ時点であれだけの作家が認められないわけはない。
しかし現実に彼らは生前あまり認められなかったわけですよ。
こういった例だけでも、本物の作家がどんな性質の人間なのか
一般人にも容易に想像できるのではないでしょうか。
よい作家には「こだわりのない人間」「自己主張のない(弱い)人間」
はいないですよ。表現したくて作家になったのだから。
その逆を行った作家って、いわゆる流行作家なのでしょうが、作家
として後世まで残る(本質だから残る)のはどちらのスタイルで
しょうか。普通に考えて。
「徹底的なマーケティング戦略を優先した結果名作を生んだ作家」
や「自己表現よりも売れることを最優先した結果生まれた素晴ら
しい作品」があるものでしょうか。
まず、売れることを優先した作家は内面を掘り下げることはしない
ですよね。自分に売るのではなく、お客さんに売るわけですから。
作品のアイデアは常に「作家の外側(客のニーズ)」にあるはずです。
論理で言えば。

その考えでいって、ひいては「物語の結末を考えず・・・」の仕組み
を予測して、仮説を立てられるのでしょうか。
俺はその論理的な説明を渡辺さんから聞ければ「なるほど」と思い
ます。
そして比較もできます。゜ここの捉え方はどうだろう」と。
でもいきなり「理解してもらえない」ではわからない。
それは意固地というものです。言葉は悪いですが・・・
俺は「ここがおかしくないか」と言っていますが、その理由は説明
していますよ。
別に自分と答えが違ったとしても、反論理由がなければ反論もしま
せん。めたろうさんとは似ていてもだいぶ解釈は違うと思いますよ。
忍天井さんやzweiさんとも、へよさんとも違う。俺と渡辺さんの
主張が似ているという指摘は「俺とは捉え方が違う」わけで。


222 : ケイン濃すぎ    2007/10/27(土) 05:04:03   ID:c33cc342c3 
俺が主張しているのは「創造的なアイデアを生み出す方法」の話で
あって、山登りで例えでもそれが「鹿野山(千葉の低い山)」だろう
が「富士山」だろうが「エベレスト」だろうが登り方は一緒です。
ただ「アイデアのつくり方」で書かれている通り、その秘訣を
知ったからといって誰でも一流のように使いこなせるものではない
という現実があるだけ。

渡辺さんは「正論」でもなく「逆説」でもなく、論理展開そのものを
否定することがしばしばですよね。
たとえ話でたとえに沿わないことを言ってみたり。
「地図や写真を持ってきてその上に乗っかって登ったよ?って言い
張りますけどね」など、これは「アイデアの出し方」のたとえ話と
して考えた場合、何の比ゆになるのですか。何がナニと符号して
いて、結局何が具体的に主張したいのでしょうか。
「アイデアがひらめく」というトンチの部分の解明にトンチを持ち
出したらもとの木阿弥で、何も説明できないんだと主張している
のに等しい。
つまり、やっぱり「ブラックボックスはブラックボックス」という
ことが言いたいのだなあと思ってしまう。
無理やり渡辺さんの例えにそって言うと、「登る」ことは誰だって
前提として理解しているんです。問題となっているのは「登り方」
ですよ。どうやって登ってるの?どうやって登ったらプロみたいに
上手に登れるの? ですよ。
プロの登り方のトンチが解明したいんです。プロはいつでも思い
がけなく唐突に「頂上から手を振っていたりする」わけで、それは
どうやってんのかなあという話ですよ。
実際体験として「いつのまにか登れていた」なんて経験もあるし。

「何故結末も決めずに書けるのか」という問いに「結末を決めない
から書けるのだ」と答えるのも、すでに禅問答だからなあ・・・
だから、そのからくりを知りたいんですよ。
そういう作家の発想のプロセスが知りたいの。
そういうスレでしょう?


223 : めたろう    2007/10/27(土) 05:05:11   ID:c5103e5863 
お。またお二人の流れが始まってる様ですが。
こちらはマイペースで参ります。
ここで一旦、以前書きかけた「エチュード」と脱線の話に寄り道します。

芝居の練習で、役者同士で行う「エチュード(即興)」と呼ばれるものがあります。
ジャズバンドで言うところの「セッション」に相当するものです。
公演に向けての、台本をベースに作品を作る作業以前、
あるいは、日常の練習において、役者同士で即興芝居を作ることがあるのです。

まず練習に参加しているメンバーを何チーム化に分けて、上演の順番を決めます。
だいたい、「全体のお題」を決めてはじめますね。

次にチーム毎に、簡単に「状況設定」「役柄」「登場順」「小道具(練習場所にあるものや私物を使います)」等の打ち合わせをします。

あるチームの上演中は他のチームは実に批評的な目で鑑賞しています。
上演後はそれはキビシーイ駄目出しがあったりしますが、時には褒めてくれます。

全てのチームが上演し終わるとお互いに総評となります。


この練習、楽しいのですが、難しいんですなこれが。
上演中は大方笑いを取りに行くのですが、客に吹かせると演ってる方は有頂天、でもその後話がグダグダになったりします。

終り方を決めないではじめる事が多く、「きれいにオチた!」と終るのは中々難しい。
大体話の流れが止まったり、グダグダに伸びていって、演出家や、周囲の客が手を叩いて終らせます。

始まりは、大体2人くらいの会話からはじめます。
そこへ3人目4人目が流れを見ながら参戦する事になります。
状況を見て、話に絡みきれない、と見たら、一度退場して、
外から流れを読んで、また合流したりします。
悪い奴は、打ち合わせにないキャラクターを登場させたりして、相方たちを揺さぶったりします。これに動揺して吹き出したりすると「負け」。
いかにして受け流したり切り返すかが腕の見せ所となる訳です。

このエチュードを面白く作るには、幾つもの要件が必要です。

これまでお話してきた「脚本家」「演出家」「役者」の意識を参加者がそれぞれ持っていること。
まず「役者」として、他の出演者と息があって無くてはいけません。事前に打ち合わせた状況、すなわち世界観を共有していなくてはならない。短い作品ですから、役柄の造形も明確な方が観る側にも共演者にも親切です。
「役者」であるだけでは状況設定も話の流れも見る側に伝えられません。的確な台詞や動作で情報を伝える「脚本家」の視点が必要です。
そして「演出家」として、流れにどう合流するか?どこで退場するか?どういうアドリブをかますと目立てるか?あるいはアドリブで破綻しつつある状況をどうごまかすか?
グダグダになった話をどう持っていくのか?
と、いったことをリアルタイム処理しなくてはなりません。
大概、自己顕示欲旺盛な役者たちの事ですから、目立ったり、話の主導権を握ろうと、打ち合わせに無い事をやる。するとうまい切り返しにあってフリーズしたりします。

参加者それぞれの基礎教養的なものも問われます。
タグ形式であれツリー形式であれ、自分の引き出しの数と、引き出しの中身が充実していないと、他の参加者のアドリブ攻撃を返せません。
ものを知らない役者だと、何か冗談を言われても理解できない。客の側は大爆笑。でも自分は取り残される事もある訳です。

同時に、参加者が共通言語を持っている事も大切です。上記のような齟齬が頻発しすぎては、話の流れは止まってしまいます。ディスコミュニケーションをテーマとするコントにするなら別ですが。

これらを押えた上で、上手い演じ手達、あるいはアンサンブルを確立しているチームは、スムーズに作品を作れる様になりますが、それでは飽き足らなくなってきます。
だんだんアドリブ合戦が派手に、話の流れは脱線してゆく様になります。

「状況を破綻させた方が、面白い!」と思う様になるのです。
突拍子もないネタ振りで、瞬発力で引き出されるリアクションこそが面白くなってゆくのです。

そして時折、全てがかみ合って、「グルーブ」が神懸り的に降りてくる、奇跡的な作品が現れる事があります。
そうなると結末とかは全く判らなくなる。
観てる方も批評してる余裕も無く、「で?どうなる?」とホントにお客さんになって見てる。

で、まぁ大概、途中でどうしようも無くなってフリーズしちゃうんですが。

基本的に役者と言うものは「話を広げる」「脱線させる」「状況を変化させる」事は得意ですが、物事を纏める志向性は余り無いんでありますな。すぐ収集がつかなくなる。

その辺を纏め、整理し、区切りをつけるのは、やはり外から観察し続ける演出家の仕事といえます。そして最終的には、「作品」としては演出家個人の、固有の世界観でもって、纏められる事になる訳です。

エチュードの面白さと言うのは「作品」以前の、過程の面白さであると言えましょう。
そこで働くベクトルは、脱線志向、拡大志向、シーン毎の面白さの追及であり、纏まった全体としての評価とは、また別の評価軸があるのだと思われます。

一方、そしてなにより、エチュードは訓練なのであります。
参加者の「引き出し」を増やし、深化させ、同時に共演者との共通言語を身につけ、
「観客の視点」を身につけ、「演出家から見た全体像」を想像する。
「役者の総合力」を高める機能があるのです。

そしてこれは、「よりよい観客」を形成する訓練でもあるのです。

長文、ぐだぐだになっちまいましたが、次はようやく「朝のガスパール」の話に戻れます。
「訓練の浅い役者、教育されていない観客が、エチュードに参加するとどうなるか」
についてのお話になる予定。


224 : ケイン濃すぎ    2007/10/27(土) 05:08:45   ID:c33cc342c3 
>>222>>220への意見です。

225 : ケイン濃すぎ    2007/10/29(月) 06:15:14   ID:ccc130212f 
>>223
なるほど。
ゲームの仕事はモーションキャプチャーの時など役者さんと仕事
する機会もままあるので、そういう稽古のことは聞いて知っては
いましたが、詳細は初めて聞かせていただいたのでとても参考に
なりました。

前に>>114あたりで「究極のテーブルトークRPGを求めて」デザイン
した自作RPG(修羅の門RPG)の話をしましたが、それを何で作ったの
かというと、まさしくライブで物語を作ってゆくテーブルトークに
「役者の資質」、または視点が不可欠だったからです。
既存のテーブルトークはゲームであるがゆえに、「ライブ感」のみ
が重視された作りだったわけです。
はじめに物語的取り決めが多くあると、プレイヤーは自分が楽しみ
たいのに窮屈になってしまう。プレイヤーにとってライブ感が失わ
れるのです。

みなさんはあまり読んだことはないと思いますが、テーブルトーク
RPGにはプレイ中の出来事を文章に起こした「リプレイ小説」という
ものがあります。
ゲーム中の音声を録音して文章に落としますから、キャラクターの
行動とプレイヤーの本音は違います。
実例を挙げると水野良のロードス島戦記があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%B9%E5%B3%B6%E6%88%A6%E8%A8%98
***
物語のクライマックス、魔女の精神に幻惑された僧侶の娘レイリア
は、母親の親友であり旧知のドワーフギムを含めたそのパーティと
対決する。
ギムはレイリアを攻撃できず、正気を取り戻そうと必死に説得を
続ける。しかし容赦なく唱えられる「死の呪文」・・・
ギムは魔女にのっとられたレイリアのフィンガーオブデスを受け、
一筋の涙を流しつつ即死する。
***
このシーンは小説版でもアニメでもかなり盛り上がるわけです。
しかしリプレイ小説ではどうなっているかというと、ギムの担当を
していた安田均氏は悶絶します。「うわあ、死にたくねぇぇぇ!」
そしてサイコロ判定に失敗して水野氏に「死んだよ」と言われ、
安田氏はガックリ。ぶちぶちと不満を洩らしています。
後にリプレイをもとに水野氏が小説した時には感動的になったあの
シーンは、ゲーム上単なる失敗に過ぎないんです。
リプレイ小説に見るそういった現場のライブ感は読むと伝わって
きて面白いけど、ストーリーが面白いわけじゃない。

これを当時読んだ俺は何か違うと思った。
どう考えても物語的には「ドワーフはここで死んだほうがオイシイ
のに、何故それが失敗というか、プレイヤーの喜びにならないの
だろうか」と。
物語の理想的展開とリプレイに見れたようにプレイヤーがゲーム
として求めている結末にはあまりに差がある。
その差はなくなるべきじゃないかと思ったんですよ。
プレイを録音したりプレイ小説が、何故そのままで水野良の小説版
ロードス島戦記にならないのかが納得がいかない。
物語として比較したら明らかに小説が上で、書き直しているわけです
からね。それはプレイの仕方が間違っている(そんな方向に誘導する
ルール、システムが悪い)のかと思いました。

そこで色々と「RPGって本当はどんなものか」を研究して解析して
いったことで色々分かってきた。
漫画の「ザ・スター」とか「アクター」とかむさぼり読みました。
そして演劇や歌舞伎や狂言も本で研究しました。
あしたのジョー思考実験も行った。当然修羅の門も参考にしました。
そうして分かったのは、やっぱりRPG「役割を演じて楽しむゲーム」
は「ライブ感だけじゃないんだ」ということでした。
物語はライブだけでは作れない。ライブも大切だけどね。

話がここでやっと戻ります。
めたろうさんが>>223で説明していることがテーブルトークには
足りなかったんですよ。
『「脚本家」「演出家」「役者」の意識を参加者がそれぞれ持って
いること。』がね。そしてそれを鍛えるような「エチュード」のよう
なコンセプトをシステムに盛り込んでいなかった。
我々は当時エチュードという訓練法を知らなかったので、独自に
音楽に照らし合わせて考えていました。
ジャズを構成する「アンサンブル」の概念と「アドリブ」の概念
です。アドリブって言うのは、ゲームで言うライブ感と同じ。

テーブルトークっていうのはシステムから逆算しても、アドリブ
のことしか計算されていないゲームです。
他のプレイヤーとセッションしている認識はあっても、面白くする
方向はめたろうさんのエチュードで言われている『役者性』だけ
なんですね。
しかし役者軸のみでアドリブを入れてゆくと、演劇と同じ、グダ
グダになるんです。「発想と連想だけがつむがれてゆく」先には、
結末なんてないですからね。
ここで必要になってくるのは「アンサンブル」の認識です。
俺は演劇には役割が決まっていて、その人物が「物語上何を表す
ためにいるのか」役者が明確に認識する事が大切だと思います。
狂言で言う一枚目、二枚目、狂言回しなど、物語上すべきことは
決まっている。
物語を調節し、目論見どおりに収束を迎えさせるための取り決め、
音楽ていう「アンサンブル」です。
これを俺はテーブルトークにシステムとして組み込みたかった。
これが組み込めれば「役者軸」に「演出家軸」が入らざるを得ない。
そして「演出軸の面白さ」「演出軸のオイシさ」(ゲーム的に与え
られるメリット)を理解してもらえる。
そうなれば初めてプレイヤーが役者であり監督であり観客になる
「作家でなくても物語が共同で作れる」ツール的なゲームが完成
するんですよね。

アンサンブルは単純に「設定」なんていうことじゃないです。
エチュードでも役者のアドリブに演出家や観客視点になった
別グループの役者さんが「ダメ出ししたり手を叩いて終わり
にしたり」する基準は決して「脚本とは違う」という単純なことでは
ないはずですよね。

脚本に書かれていることの「意味」を、役者は理解しなければなら
ない。そしてそれを表現するための「道筋は自分で探す」ワケです。
エチュードはそのための訓練。
セッションする中で、アンサンブルにどれだけのアドリブを加えれば
曲がよりグルーブするか、スイングしてゆくかを役者演出家一丸と
なって試行錯誤するための訓練ですよね。

俺の考えていた理想のテーブルトークはまさにその過程をゲームに
したかったといえます。
そして訓練されたプレイヤーがプレイして、そのさまをリプレイ
すれば「そのまま小説に落とせる」ことを目指したわけです。

ええと、これはテーブルトークRPG論ではなくて、めたろうさん
のおっしゃることを「こう捉えていたので、はからずしも同じこと
をやっていました」という事例です。
はい・・・


226 : ケイン濃すぎ    2007/10/29(月) 06:39:04   ID:ccc130212f 
最近色々とこのことを考えていて、テーブルトークのシステムを
考えていた頃からずっと俺の中でもやもやしていたものが解明
されそうです。
しかもこういうときって一気にパズルのピースがそろうように、
「謎の答えのほうからこっちに集まってきてくれる」もんですね。
今年始めから仕事の流れでゲームAIの研究セミナーに参加して
いたのですが、そっちで得た知識からもここでやり取りしていた
「アイデアの出し方」と符合する要素が俺的に見つかりました。
当たり前といえば当たり前、人工知能とは人間の思考のメカニ
ズムを模倣して作られる仕組みですから(大雑把に言うと)。

で、「そんなことを考えている」という話をゲームセミナーの講師
さんに話すと「その考え方は非常に面白い」と。
・・・もしかしたら、俺の意見をまとめて「ゲームアイデアの発想
法」としてセミナーで講義をすることになるやも知れません。
もちろん、参考にした文献はすべて公表しますが。
「アイデアのつくり方」と糸井さんの記事が引用としてはほとんど
ですね。あとはAIの仕組みと絡めて。
めたろうさんの演劇の話も参考になってます。


227 : めたろう    2007/10/29(月) 12:57:04   ID:3eadcd7a8f 
>ゲームAIの研究セミナー

SUGEEEEEEEEE聞きテーーーーーーーー。
一般客の傍聴席はないのですかいな。
いや、ゲームは全く判らぬものの、
自律思考AIとか、判らぬまでもわくわくするだろなぁ、と。

講義録出来たら見てみたい、、、。


228 : ケイン濃すぎ    2007/10/29(月) 14:12:38   ID:0e4375006b 
>>227
まず所属会社内で講義して反応を見て、手ごたえがあればゲーム
デザイナー向けのセミナーで公表するかも。
一般も有料ですが参加できると思いますよ。ヘタすると一万円
くらいしますが(もちろんゲーム制作者も払う正規の料金で)。
講義する場所(セミナーの規模)によって決まります。
パワーポイントなりが完成したらたけくまさんに送ります。
まだ色々資料を読みたいので時間はかかると思いますけどね。

AIには色々な種類(仕組み)がありまして。
学習するタイプのAIがあります。
話すと長くなるのではしょりますが、C4アーキテクチャーという
タイプの人工知能と、ニューラルネットワークというタイプの
人工知能があって、その仕組みというのが実はC4が「ツリー型の
思考」をモデル化したもので、ニューラルネットが「タグ型の思考」
の仕組みをモデル化した、反映したものなんですよ。
俺的にはですが。
人間の脳の働きを参考に人工知能はデザインされているわけです
から当然といえば当然なのですが、人工知能は回路なので、もの
すごく説明しやすいし、「ちゃんとそれらしく動く」わけだから
思考の方法の実証になるんじゃないかと思うんです。
だから絡めて話したらもっと「アイデアの出し方」を理解しやすい。
そんな話をするつもりです。

養老先生は「唯脳論」で「人間は脳化を進めている」という話をして
おりました。都市を整備し、そこに暮らすということは「脳の中に
住むことなのだ」(脳の機能を外に持ち出している)と。
この話は俺にとってすごく面白かったわけですが、人工知能はまさ
にそれで、人工知能というモデルを見れば人間の思考の働きを説明
しやすい。
論理として、一つの線としてつながりました。


229 : メルヘンひじきごはん    2007/10/29(月) 14:24:09   ID:a1cc950d5a 
「社会主義は人間性にそぐわない」という常識いくせいぬわ

そーとーおかにえつつこンドルDEATHnA.洗脳するのは勝手ですが 粛々乃粛々度をAGEデゆきますんで夜炉詩駆ゥ。


230 : ケイン濃すぎ    2007/10/29(月) 16:14:37   ID:0e4375006b 
>>229
なんぞ誤解されてるようですが、俺はサラリーマンの約定に縛られ
てるのでセミナーの講師は完全ボランティアですよ。
技術者のセミナーなんていうものはCEDECも含めて学会みたいなもん
です。偉い先生を招待した場合以外は、本職を持った講師はノー
ギャラでしゃべってます。所属会社にメリットもない。
俺も他の会社の人からセミナーで知恵を分けてもらっているので、
こちらの技術も流して全体の意識を高めたいだけです。
この貴重な話を自分の業界にフィードバックしたいのよ。
センセイの真似事をして知識で禄を食もうなんていう気はさっぱり
ありません。独立するか、引退して本職の先生にでもなるか、出版
が話をもちかけてきて依頼で原稿を書くなんて稀有なことがあれば
話は別ですが。それはまあないでしょう。
その時はその時でまたインフォメします。


231 : めたろう    2007/10/29(月) 18:01:35   ID:3eadcd7a8f 
おお。1万くらいなら、マジで行きますぜ。
今日び、大家の芝居は8〜9千円することもあるけど、
費用対効果で満足できたためしがないもんな。
それより面白いのは間違いない。

話変わるけど、AIに「批評」はできるのかなぁ、とか思います。

たぶん、ケイン様のやろうとしてる事って、
「AIに「面白判定」をさせる」事になると思うんです。
観客チームや演出家の視点で「手を叩かせ」なきゃならない。

で、たぶんその手がかりになるのが「物語素」、
「物語の黄金律」みたいなものになるのではナイかと妄想。


232 : メルヘンひじきごはん    2007/10/29(月) 21:20:33   ID:a1cc950d5a 
無防備な再生産は困るんですが

障害があるほど萌えあがる理。


233 : ケイン濃すぎ    2007/10/30(火) 03:59:01   ID:7b08a21303 
>>231
めたろうさん。
IGDAでのセミナーなら、千円くらいだと思いますけどね。
でも来るのは完全に本職だけです。研究会なので。
AIに興味がおありなら、セミナーより前にオライリー・ジャパン
から出ているAIの本とかを買って読むとよいです。ちとプラグラム
の記述とかあって眠くなりますが。

ちなみに俺はAIに物語を作らせようなどとは考えていませんよ。
人間の思考がどうやって機能しているのか、それを説明するのに
AIの仕組みは適しているという話をしているだけです。
AIは脳の回路をモデルにしているから、「人間ってこうやって
アイデア出しているのか」と、AIの回路を学ぶことで論理的に解釈
できるわけです。
実際にAIは「それらしく動く回路」だから、模型としてだけの意味
じゃなく、シミュレータにもなるといえばなりますが。
いまはまだ実用化どうこうの段階じゃないですね。
ニューラルネットワークとか、ゲーム業界ではまだちゃんと使って
いるところの少ない、新しいAIの仕組みです。
人間のニューロンの発達の仕組みをAIに応用しているんですが、
まだゲームに使うとなるとアイデアが足りない。
今後どういうゲームに使われるのか明らかになってゆくでしょう。

それは置いといて、俺が注目しているのはニューラルネットの進歩
(ニューラルネットワーク型のAIは学習します)の過程が、アイデアが
脳内で結実する過程(糸井氏の言う「タグがつく」過程)と似ている
ということです。
そしてニューラルネットワーク以前に開発された同じく学習型のAI
C4アーキテクチャーの仕組みが、脳内で論理構築する過程(糸井氏の
言う「ツリーを作る思考」の過程)と似ているということです。
これはぜんぜん偶然ではなく、人間の脳のモデルであるAIの進歩に
よって現れたシステムの発展と同じように、人間のアイデア(発想)
というものもAIの進歩と同じプロセスを経て完成するものなのだと
俺は確信しました。
まあ、そういう説明を講義したいんですよね。

答えだけ言うと、物語の発想(新規性のある発想)とは
ツリー→タグ→ツリーの順序なのだということ。
ツリーでダイブし、タグで釣り、再びツリーで浮上させる。
ずっと言ってた「海のイメージ」で言うとこんなところです。
これはあくまで「意図的にアイデアを出したい時の発想法」であって、
無意識にやって(神に祈ったり何となくひらめくまでボーっとして
浮かぶという人)はガチに意識しなくても良いんです。
ただアイデアが出ない原因を知りたかったり、アイデアを出したい
けどうまく出せたためしがない人、出そうとした経験がない人など
には有効なメソッドになるはずです。
俺はアイデアは湯水のように出るタイプなので、こんなことを日常
意識したりはしないでしょうね。
しかし煮詰まった時は「何の過程が不足しているのか」いいチェック
になりますよね。たぶん。
しかし・・・
アイデアが出ない言い訳ができない(フテ寝できない)のはツライな。


234 : メルヘンひじきごはん    2007/10/30(火) 09:23:20   ID:c1b679faba 
俺語れることがものっそうすくのうなつてきましたるニガ敢えると

・日本観客だけはかつてないほど高潮。質×人数に数値するにDISTINGUISHeD
・建前をガメてた不当の頑なな拳を拓かせるニナヌヲセンネバナランカツタカ
・大正と大正天皇の評価がひくすぐる
・反映光源をまやかすが倣いヤガ…
・罪人の再生産という常識こそが旧いが、それを認めるオリのくつぢよくにたえらりるか否か
・たいくつなことすかシトランから終わり無き日常なのであってコテコテの入り口は常時開放中ただ寅辰巳はトグロヲマイテイルヨ
・俺ほどこまつたちやんはおらんとおもつていたニマタマタアマカツタエエイくチヲ視野
・「あらかじめきまつていたこと」としたがりっこ総じてオッちんだ後にちこちこあなさがしのキルト織りおいつれHOBBYにそしてきつとすくあいる

なんのことゆうとるかわからんてしようなあ。わかるとこもあるてしようざざ。なんで なあ がざざになるの。ATOK12ソフトキーよおまいモカ。


235 : メルヘンひじきごはん    2007/10/30(火) 09:30:21   ID:c1b679faba 
distinguishは あぶりだす あたりがそのお・あるいわじゅうえんだましたじきにえんぺつ擦り。

236 : メルヘンひじきごはん    2007/10/30(火) 09:32:08   ID:c1b679faba 
隠れたPEEKを可視化てコトスネ・。

237 : めたろう    2007/10/30(火) 12:22:29   ID:53825c4a42 
昨年〜今年頭に
「心の起源」
http://www.amazon.co.jp/%E5%BF%83%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90%E2%80%95%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%AD%A6%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E6%8C%91%E6%88%A6-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%9C%A8%E4%B8%8B-%E6%B8%85%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4121016599
「脳は空より広いか」
http://www.amazon.co.jp/%E8%84%B3%E3%81%AF%E7%A9%BA%E3%82%88%E3%82%8A%E5%BA%83%E3%81%84%E3%81%8B%E2%80%95%E3%80%8C%E7%A7%81%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E7%8F%BE%E8%B1%A1%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B-%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%89-M-%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3/dp/4794215452/ref=sr_1_1/503-1030941-2477521?ie=UTF8&s=books&qid=1193714279&sr=1-1

と読んでいって、そういうのが好きな知り合いと学習AIの話とかで盛り上がったんですよ。
で、「思考」の前段階に「評価」や「選択」がある、と言う話になって、
俺には理解不能だったのですが、「アナログコンピュータの論理展開は独特で、「判断」基準も違う」
という話をされました。

それで、興味を持った次第です。


238 : めたろう    2007/10/30(火) 12:26:52   ID:53825c4a42 
タグ抜けた。233ケイン様宛。

239 : ケイン濃すぎ    2007/10/30(火) 14:51:06   ID:1f62c7cced 
>>237
C4アーキテクチャーAIは情報を「認識」することからはじめます。
センサーから得た情報を認識ツリーと呼ばれるふるいにかけて細分
化するのですが、これはあくまでAIの「主観的な認識」なので%で
分類されます。つまり「あやふや」なんですね。
たとえば羊を見たときに「(自分の位置から捉えた視覚センサー情報
から判断して)75%羊だとおもう」「60%立っている」「80%前進
している」という感じに細分な認識をします。
そして認識ツリーによってふるいにかけた情報を元に、AIは行動
を起こします(認識ツリーとはまた別の行動ツリーに従う)。
その結果微妙に判断が間違っていたり、確信を深めたりします。
認識ツリーから得た情報の%が調節され、経験則としてワーキング
メモリーに蓄積されるので、次はより間違いのない高度な判断に
よって行動を起こす・・・という仕組みです。

一方ニューラルネットワークは、センサーから入ってきた世界情報
を「どう認識して」「どう結果につなげるか」を、結果から「評価」
して回路を最適化(ネットワークを形成)してゆきます。
つまり生物の進化と同じように、色々な「試行」をまず行うんですよ。
生物で言えば子供を沢山作る。
そしてその第一世代(試行一回目)で判断が優秀だった子供(たとえば
アルゴリズム)たちが「子孫」を残すんですね。
子孫は生き残ったものたちの「形質が遺伝」しています。
たとえばABCDEFGという行動パターンがあって、結果ACEGが優秀
だったとする。そうしたらAとCを半分ずつ受け継いだ行動パターン
とEとGを半分ずつ受け継いだ行動パターンが生まれます。
そして第二世代はさらに生き残りの上位が子供を作り、それがまた
試行によってふるいにかけられ・・・
という循環をたくさん沢山重ねることで、回路は最適に近づき、
進歩してゆきます。
この進歩のさせ方には「生物的なゆらぎ」を加えることでさらに
AIの判断が多様化してゆきます。つまり突然変異の要素ですね。
まあこれ以上はなすと長くなりますからはしょりますが、AIは
行動を起こす前に情報を認識細分化し、試行を繰り返すことで
ワーキングメモリーを発達させるか、回路を発達させるかしない
と成長はしません。

アナログコンピュータの論理展開は独特・・・
というのは言っている意味を俺は理解できていませんが、
進歩するAIというのは裏を返せば「最初は赤ちゃんからはじめる
AI」ということなので、最初は能力が優れているわけじゃない。
その代わり適応力があるので育つと環境や状況にも柔軟に対応
できるAIができるんですね。

通常のゲームで使うAIは最初からもっと賢くて、ツリー型に判断を
して行動します。
たとえば「ゴール指向型プランニングAI」など。
AIは目的(例えば第一目標・敵の殲滅、第二目標・陣地の確保)は
目標に向かうために世界情報から最適な判断(この場合は先に説明
したAIとかと違い、もっと明確な判断。たとえば地形に点数が
ついていて合算して評価を下す。右の地形はぬかるみで歩きにくい
から20点、左は草場で歩きやすいから60点、右は敵から見えない
から60点、左は敵から丸見えなので-80点、合計右80点左-20点
だから右へ行く、とか)をし、ロジカルに行動します。


240 : めたろう    2007/10/31(水) 07:32:39   ID:bf1a2c7e38 
「脳は、、」の方で、脳回路の「記憶の強化」の為にに進化論というか、
いっぱい回路作って淘汰させる話がありましたな。
特定の少数回路だけが生き残り、他のは死んで、その分が新しい回路に回るんだったけ?
それで脳は生体アナログコンピュータだという話になったのだったか?
半年前で記憶があやふやであります。


241 : ケイン濃すぎ    2007/10/31(水) 13:16:00   ID:d59373386f 
「脳は空より広いか」をアマゾンで注文しました。
俺が言っていた「面白み」に近いものに固有名詞を与えて説明して
いるみたいですね。心理学では当たり前なのかな。
その言葉の意味を確認したいので買います。紹介ありがとうです。

ちなみに解剖学的見地から心を説いた本で俺がバイブルとしている
のは養老先生の「唯脳論」ですね。古い本だけど超お薦めです。
本当に論理的で、当たり前のことが書いてある。
宮崎駿さんとか、これ読んだら「ゴジラとヤマトとぼくらの民主
主義」なみにイヤだろうなあ・・・


242 : メルヘンひじきごはん    2007/11/01(木) 10:43:05   ID:049b04b1a7 
俺はコンピュータの マシン語 アセンブリ語 高級言語 の三段階プログラムアーキテクチャのヒントてーのは
PacificOceanWARの折日本語徹底研究を行った副産物ではないかと考えておりまして。ノイマンかいなかは
心に棚。


243 : nomad    2007/11/01(木) 23:27:28   ID:9859dbb227 
> めたろうさん
手元に資料が無いのでアレですが(たしか「アポトーシスの科学」に載ってたような)
脳細胞の数は、胎児期に最大となりますが、出産までにアポトーシスによって3分の1まで減ります。
回路の削りだしをしているのです。


244 : ケイン濃すぎ    2007/11/02(金) 01:15:08   ID:d72b4a3e1f 
>>242
メルヘンさんはどのくらいインテリなのか計り知れないなあ。
まあ、俺は高校しか出ておりませんので深い話はできませぬ。
知っている限りで言えば・・・
ノイマンは日本語解析などに関わってないとおもいますが・・・
二次大戦中のそんな文献があるのですかね。
最近ではフォン・ノイマン型のアーキテクチャーだけではなく、
ハーバード型のアーキテクチャーも見直されて取り入れられて
います。CPUとメモリ(キャッシュの構造だとボトルネックが
生じるわけで。
ただ、この話は突き詰めてもだいぶスレの話題からは離れてゆく
かなあ。ノイマンのゲーム理論とか面白いんですけどね。

>>243
回路の淘汰というのは、AIでいうニューラルネットのことですね。
脳が命令を出して行動を起こすには神経細胞同士をシナプスが結合
してゆき、回路を形成することが必要なんですが、行動を行う際に
パルス(命令)が経由したシナプスは結びつきが強くなってゆき、
使われないものは細く消えてゆくわけです。
そして足りない部分は新しいシナプスが形成され、神経細胞を網羅
的に繋いでネットワーク化してゆく。
この仕組みを数学的に置き換えてAIに使ってるのがニューラルネット
ワーク。
だからAIってのは研究すると人間がどういう回路を使ってものを発想
するか分かるし説明しやすい。
仕組みが回路図になっていますし、数学化されてますからね。

ちなみにもう一つの生物の進歩を応用したAIの仕組みは「遺伝的
アルゴリズム」という仕組みとしてAIには取り入れられています。
アルゴリズムを遺伝子として捉え、色々なアルゴリズムで試行を
行う。その結果優秀なアルゴリズムの上位を掛け合わせ(この時
二分の一ずつ掛け合わせる、四分の一ずつ掛け合わせる・・・
などありますが、細かく分断して掛け合わせるほど形質の遺伝は
損なわれます)
こうして試行を繰り返し、第一世代から交配を繰り返してゆくうち
にしだいに進歩したアルゴリズムが完成する・・・
という仕組み。
このシステムでは多様化させるために、遺伝子に「ゆらぎ」も加え
て突然変異が起こるようにするのもポイントです。


245 : めたろう    2007/11/02(金) 03:24:34   ID:7f0af636cf 
おおなんですか言語学までひつようですかそうでつか。

そのうち言語学における遺伝と進化なんつう話になるのかいな。さすがに全然判りません。

「心の起源」の肝が、「記憶の集積が感情へ相転移し、感情の選択の集積が行動へ相転移し、行動の集積が相転移して意識に進化する」
という階層論であったかと記憶しております。で、
「これは、士郎正宗の言ってた、情報の集積が意識へ進化する、ってアレをマジで仮説で体系化しとる!と。」
「なんとパンクでMADなじいさんかと(なんか著者が東大の老教授なのです)」
大変オモロかった記憶が御座います。
記憶の海ならぬ部屋のマンガの海に埋もれてしまった、、、。


246 : めたろう    2007/11/02(金) 03:53:03   ID:7f0af636cf 
「脳は、、、」の方で一番オモロかったくだりは、
「縮退」(なんか本来の使い方とはだいぶ違っていたような)という用語で説明されていた話で、
「脳の中で一つのイメージを形成するのに、複数の回路が、
バラバラなルートから同一の答えを猛スピードで連続作成している」というところでした。

たぶん、脳を、スタンドアローンの(古いイメージの)コンピュータに擬えるのではなくて、
ネットとのアナロジーで考えるべき(それも双方向的な)だ、という事だと思うんだけど、
こういう解釈ってホントに時代の産物なんだなぁ、と感慨深いものがあります。

ここらでスレッドの話題に戻ると、「縮退」の意味するものが
「一つの結末に対して、複数の到達経路がある」
「複数の到達経路の起点はバラバラで、到達する「結末のかたち」にも誤差がある」
「にもかかわらずその集積が(かたちの揺らぎを含めて)一つの結末を形成する」
「結末に至るルートは時間経過と共に、淘汰集約されて一つの太いルートになってゆく」

こんな感じになるのかな?

そろそろ「朝のガスパール」に戻らねば、、、。
何書いてたか忘れちゃった。


247 : ケイン濃すぎ    2007/11/02(金) 05:24:25   ID:d72b4a3e1f 
>>246
めたろうさん
「脳の中で一つのイメージを形成するのに、複数の回路が、バラ
バラなルートから同一の答えを猛スピードで連続作成している」
というのがつまり、『アイデアのつくり方』でいう「表面的な
相違がほとんど目立たない場合、そこには何ら相違点がないと
すぐ決めてしまう。しかし十分深く、あるいは遠くまで掘り下
げてゆけばほとんどあらゆる場合、すべての製品と消費者の間
に、アイデアを生むかもしれない関係の特殊性が見つかるもの
なのだ」ということなんですよ。
糸井氏の対談で言われるところの「タグをつける」も同じことを
言っています。
そしてこのアイデアが生まれる流れというのは「アイデアの元に
なる断片的な情報」を神経細胞、それを関連付けるための試行錯誤、
発想、連想がシナプスに置き換えることができます。
これらが網を形成して回路がつながったとき、ニューラルネットが
形成された時、「すべては一気につながって」まったく新しい回路
(発想)を生み出すわけです。
我々はこの脳の性質に従ってアイデアを出しているから、脳のルール
にしたがって考えれば「意図的に」形成されるニューラルネットワーク
をコントロールできるはずなんです。たぶん。
そしてそのことは「アイデアのつくり方」などの方法論と符合させても
スジが通ることばかりなんですね。

そして俺がこの考え方で分かったのは、
結末をつけるための思考は基本的に「逆ツリー型」な脳の使い方
が必要であり、話を広げるのは「タグ型」の脳の使い方なので
まったく脳の使い方、分担が違うのだということです。
だからこそ「結末をつけようと意識しなければ、作家はタグの先
のタグを永遠に引き出し続けることが可能(材料か枯渇しない限り)」
という理屈も納得がいきます。
たとえば夢枕先生は永遠にタグ型の思考で小説を書き続けること
ができる。タグの数と強さが半端ではないから。
物語を集束に向かわせたいときは、タグ型から逆ツリー型に思考
を変化させ、集束させればよい(集束へ向かいはじめた初期はタグ
と逆ツリーが共存しているところもある。少しずつ連想を減らし、
論理で結論へ向かう)。
ツリー→タグ→ツリー(逆ツリー)・・・これがよいアイデアという
か、物語を広げてオチまで付けられる作家の発想の使い方だとおも
います。

ちなみにこれ、物語のセオリーでも証明されています。
もっともバランスの良い物語の構成法「起承転結」というのがある
じゃないですか。
これ、アイデアの出し方も符合します。
なぜなら物語はアイデアの集合体なので、構造は同じになるんですよ。
起=アイデアの発端
承=論理付け、資料の研究による深い理解、つまりツリー
転=まったく別の論理、つながらないものを繋げる発想、つまり
タグ
結=突飛な発想を整える、裏付け、理論によるフォロー、つまり
逆ツリー

このサイクルによって基本的に人間はアイデアを出し、集積して
物語を形成している・・・
んじゃないかなーと。


248 : ケイン濃すぎ    2007/11/02(金) 05:31:17   ID:d72b4a3e1f 
>>244のニューラルネットワークが形成されるプロセスもあわせて
よく見返してもらえれば、より俺の言いたいことが分かるんじゃ
ないかなとおもいます。
ツリーとタグという意味がね。


249 : めたろう    2007/11/02(金) 06:27:03   ID:7f0af636cf 
ふむふむ。
脚本に基づく芝居作りに擬えると

起=脚本(脚本家のお仕事)

承=「本読み」(読み合わせ)
「脚本家へのツッコミタイム」(昔いた劇研では、上がってきた脚本に皆でツッコミを入れる時間が設けられていて、
より脚本への理解を深めたり、矛盾点を訂正させたりしてました)
(↑このあたりまでツリー的な動き)
「役争奪の為のオーディション」(このあたりからタグ的な役者の裁量が出てきます)
「役決め」(ここは演出家の権限)

転=「立ち稽古」(脚本を暗記して、段取りを決めて行きます)
「シーン練習」
「エチュード」(役を膨らます為に、脚本に無いシーンを勝手にやってみたりする」
「役の入れ替え」(ロールプレイの視点を入れ替えて、俯瞰の視点を得る練習ですが、ホントに役をチェンジする事もある)
等など、タグ型の拡大作業が多く、役者の裁量が最も大きい段階です。

結=「演出家によるまとめ」
「シーン毎の最終的なまとめ」
「シーンを時系列で連続する全体練習へ」
「衣装合わせ、音響、照明とのすり合わせ」
等など、劇場に入る前のツリー的な纏めへの回帰、
ですね。
この段階では、ほぼ演出家の独裁になってゆきます。

こんな感じのアナロジーになりますかね。

音響などは、きっかけあわせに必要なので、早い段階から役者に合流していますが、
衣装、照明、装置などは、劇場入り直前に合流します。
ただし、合流前までの流れは役者の流れに準じます。


250 : めたろう    2007/11/02(金) 07:02:18   ID:7f0af636cf 
補足:「承」のとこの役者の動きはまだツリー型の範疇ですな。

「脚本の読み方についての演繹の提示」なので。

「起」→「承」までは演繹。コスモスからカオスへ。
「転」は演繹にも帰納にも当て嵌められない、「タグ型」の混沌状態。カオスそのもの。
「結」で、出揃ったアイデアを結びつける帰納、カオスからコスモスへ。
てな感じかと。


251 : メルヘンひじきごはん    2007/11/02(金) 09:11:55   ID:337f6d03c8 
いえ。俺チョムスキーになっどナヌをゆいはつておらりるのかはつぱりわかりまへん。ハイデガーもおなし穴。

で、仕方ないので「彼らがわけわからんちんなことをくっちゃべることによる知識層内政治効果」に着目しましてる。

これとアルバート先生の「宇宙の法則はシンプル」という哲学を併せた者が現状採用方法論。難点はおかにぇに
ならぬいことである。


252 : メルヘンひじきごはん    2007/11/02(金) 09:32:47   ID:337f6d03c8 
そうそう。相転移って重要な概念なんですよ。「閾値」「パラダイム・シフト」と親和性の高い。

雲って遠目からだとはっきりどこからどこまでかだいたいわかりますよね。しかし、ミクロにかきわけていくと「アレッ」
となると思いませんか。厳密に定義しにくい、しかし「常識」にてらせば遠目には明らかに「雲空間」と「非・雲空間」は
歴然としている。つまり、常識とはいわば「遠目で観る皆様のためへの言葉」なのでありまするよ。

で、「雲空間」と「非・雲空間」が「相」として「転移」していることを「相転移」と呼称してまったくかまいません。

もっとも、俺が教養学部の図書館で生まれてはづめてこの言葉を眼にした折の、その指し示していた対象は

「整然と整列する金属原子構造内にフラクションとして例外存在した不連続面」でした。マア有呈に言うと、
「ちょっと斜めにズレてる列が数列あった」。

近視眼的になるとこういうもんなんです。東大レベル理系学生のための入門学術書だったんですが。

数年後ナデシコです。「ケッコーはええな」とおらおもつた棚。


253 : メルヘンひじきごはん    2007/11/02(金) 10:01:34   ID:337f6d03c8 
チョットちょーしに乗ると

「非・ノイマン型コンピュータ」、すなわち二進数とシリアル処理に否、を唱えたDr.ウィーナーじさまは青春読書の
思い出のひとつ。彼の人生を反面教師するに、俺は飛び級制度に反対である。

ベトナム戦争の折稀代の天才と呼ばれたマクマナラ国務長官はゲーム理論を採用して華麗に敗北。でも俺は
「基本」しっぺがえしタイプを採用中。で、くだんの長官殿はチェ・ゲバラに「ぶつけられた」という「俺憶測」。
その「プレイヤー」が「ロスチャイルド五家族」でまったく驚きません。

「MI6のどなたかが日本に過剰に興味を示し始めた過剰なささやかな兆候」がありんす。「エレガントさ」「洗練」「では」
マダCIAは彼らにおよばんのやもしりまへんナ。なこと考えたりしまする。


254 : ケイン濃すぎ    2007/11/02(金) 12:24:53   ID:4717a333f5 
>>249>>250
めたろうさん。
めたろうさんのおっしゃる解釈で大体正しいとおもいます。
やはり人間、養老先生が言うように「脳の機能を外に取り出して
生きている」ので、脳の仕組みにしたかがった構成のものがよい
(処理しやすい、気持ちがいい、納得が行く)ワケですね。
ここに違和感があるとスッと入ってゆかない。

>>251>>252>>253
メルヘンさん。
うぐおわーっ、メルヘンさんは文を読むこと自体に相当の負荷が
かかるので、いいこと書いてあっても内容を読み取れなくなって
くる・・・正直本気で読もうとするとえらい疲れます。
妙に「おいしそうなもの」がちりばめられているからほっとけも
しないという。
心あるコンピュータがウィルスプログラム流し込まれたらこんな
気持ちになるという気がする。文章ウィルス。


255 : メルヘンひじきごはん    2007/11/02(金) 14:10:14   ID:337f6d03c8 
ウエイァト「粗密」も相転移にものっそく有用つか有効つか重要塚。

256 : yasu    2007/11/16(金) 06:30:00   ID:f21971b513 
物語の結末には二種類あると思います
既に完結している物語で結末が分かっている場合と
物語が途中の段階で結末を頭の片隅で予想している場合です
日本人は後者に慣れた人が多い環境なのかもしれません
ある意味女性的といえるかもw


257 : 名無しさん    2007/11/20(火) 07:07:44   ID:c53c71c183 
推敲しながら漫画が描けるソフトだそうです
http://www.ipa.go.jp/jinzai/esp/2007youth/gaiyou/y2-05.html


258 : はなもぐら    2008/03/06(木) 16:25:11   ID:8vKNHOJU 
乙一さんが、
小説を微分すると俳句や詩になって、
物語を微分すると描写になる。

って書いてて、これは物凄い洞察だなぁって思うんっすよ。

小説はライトノベルでも文学だと苦しんでた、乙一さんの
文学観を一言で表してると思いましたですよ。

で、タケクマ先生のおっしゃる、結末を考えなくても書ける人ってのは、
小説を書いてる訳じゃなく、物語を書いてる人なんじゃないかと。
それならば結末を考える必要ないと思いますし。

つまり描写はさらに単語に、文字に、と微分可能なんで、
原始関数さえあれば、原始関数に則って記述を続ければ
良いんですが、俳句や詩ってものは、単語や文字に微分可能か
と、問われればそれは不可能だと思うんですよね。

最後に蛇足ですが。
こういう例えって、微積分を把握してない人にとっては
ソーカル事件的だと思うんですが、微積分をなんとか物にしようと
苦労した人にとっては、(私は失敗したほうですが)
物凄く納得する例えなんですよね。

別のスレッドで高校教育なんていらないと書いてたましたが、
そっちにもつながるかと思って。


259 : ケイン濃すぎ    2008/03/06(木) 18:00:46   ID:pOigbQdE 
むつかしく言っているが、因数分解に言い換えても通じるような
使い方で微分というものを扱っているように読めるんですが。

普通、物語とはどうオチをつけるのかを想定して書く(訴えたい、
伝えたいことのために仮定の話を想起する)もんだと思うが、意識的
にオチもなく書く人間というのは「夢想をそのまま書き留めている」
と言える。漫画家にも居ますよ。
つまり意味として何か言いたいことがあるのではなく、イメージを
発信することそのものが目的という書き方。
そういった書き方もないことはないが、そういった場合はオチなど
つかない。作者が思いつく限り続くのみである。思いつかなくなれば
そのまま消えるように終焉する。ブツッと消えることもある。

目的地に着くために飛び立つ飛行機はいかにランディングするかが
重要だが、飛ぶことそのものを目的に飛び立った飛行機は予測不能
かつ燃料がある限り飛び続け、どこに降り立つのかは分からないし
しばしば遭難してしまう。
それで実力を発揮する人も居るから、仕事としてはともかく文学
の手法として悪いとはいえない。
プロだと手法はそうなのにうまく着地させられる人もいるしなあ。

ちなみにどうでもいい話、俺は乙一氏の初受賞作品の載った号の
雑誌に初作品を掲載したんだよな。道は違えど同期デビュー?


260 : はなもぐら    2008/03/06(木) 18:14:04   ID:8vKNHOJU 
そこなんですよね、因数分解と微積分って
算数として見れば似たようなものなんだけど、
数学としてみればそれぞれに違う。

ここで、微積分だと難しがるから因数分解にしちゃおう
と思えてしまう人が物語書きで、それをやってしまうと、
違う作品になる、と感じるのが、小説家なんだと思う。


261 : ケイン濃すぎ    2008/03/06(木) 18:58:15   ID:pOigbQdE 
いや、今のままでは単なる言葉遊びだといいたいのだけれど。

フィーリングは分かるけど、その深い意味を理解するのにたとえ
を使うのに、たとえそのものの構造の違いをまずちゃんと説明
できてないなら、それはいくら美しい解釈でも空虚だと思うんだ
けれども。
むずかしがるというより、それを引用する意味を具体的に知りたい。

物語とは「総体を把握できないもの」として捉えているわけかね。
微分ていうのは簡単に言えば、局所的な情報から大局的な情報を得る
方法(大局的な情報は総量の量りにくいものを扱う)でしょう。

物語の真意を捉えるのが難解であるという前提で、それを描いた
描写を取り出して測ることから真意を求めようということなのかも
しれないけど、このたとえにおける「原始関数」とは何かね。
そこに当てはまるものを説明してもらわんとなりませんよ。

小説は大局。実測は難しいものとする。
俳句や詩は局所的な情報(小説は俳句や詩に近い集合体だと捉える
前提で)。
さて原始関数はここでいうと何ですかね。

物語は大局。実測は難しいものとする。
描写は局所的な情報(物語は描写の集合体に近いものであるという
前提で)。
さて物語における原始関数とは何かね。

原始関数で近似値(答え)を求めるという手法が違いなのだから、
物語の原始関数について説明できんわけはないでしょう、この表現
に納得いったのだから。

そも、物語書きと小説家の違いは何ですか。

単に「数学としてみたら違うところが同じ」なんていうガックリ
な話じゃないよね。
この解説しだいではなるほどねよく理解できるなあと思うんだけど、
今のままでは乙センセの文学詩人的カックイイ言い回しにボクシビレ
ましたというくらいの意味しかありませんよ。

いやみ半分はいったけど、本当にこの言い回しの真意が知りたいね。
何か創作の新境地が開けるかもしれないから。


262 : はなもぐら    2008/03/06(木) 19:23:33   ID:8vKNHOJU 
>いやみ半分はいったけど、本当にこの言い回しの真意が知りたいね。
>何か創作の新境地が開けるかもしれないから。

私が言いたいことは伝わったと思いますです。
それに答えをだすのが、創作なんじゃないでしょうか?
うまく説明は出来ません。とくにそのような議論スタイルで
考えることじゃないと思うんですよね。
別の議論スタイルなら対応出来たかも、、、
それも分からないんですけど、そういうのが掲示板のよさだと
思うので、書いてみました。

一応ソーカル事件を引用して、そんな風に議論できないと伝えた
つもりなんですが、読み取ってもらえず残念です。

私は読者側ですので、そういうスタンスで、漫画もラノベも小説も読んでます。
とお伝えしたかった、もちろん優れた物語も好きです、が、やっぱり
先に述べた意味での小説、(漫画にしても同じです)、そういう作品の方が
好きですね。お役に立てなくてすいません。

最後に。
>小説を微分すると俳句や詩になって、
>物語を微分すると描写になる。

これを説明できるほど書けるのなら、小説家になれると思ってますので。
で、小説家なら、こういう文章が書けないと駄目なんだろうとも。


263 : ケイン濃すぎ    2008/03/06(木) 20:14:39   ID:pOigbQdE 
コークスクリューパンチの打ち方が分かっても、訓練と見合った
センス、フィジカルが伴わなければ打てない。
サッカーファンがサッカーの戦略を語り合っても、その戦略をファン
自身が実行出来るわけはない。そのレベルでの話でいいんですよ。

雰囲気でフワッと話してるのは分かるけど、論理性がないんですよ。
別に書き手でなくても理屈は理解できよう。「意味が分かったから
納得したんだろう」に。
それを説明できなきゃ話し合いにならないですよ。
微分を因数分解でやっちゃおうと考える人は物語書きで、違うと思う
人間は小説家って断言しているんだから、論理はあるでしょう。
その違いを何であなたは判断しているんだね。

そこをよく分かってないのに言っているなら、「言い回しがカック
イイ」というレベルで乙先生に同意しただけなのね、という話です。
それは彼もガックリなんではないかな。

一掲示板の書き込みにおいて、書き手も読み手もないでしょう。
同じ土俵で書き込んでいるのだから、ただ考えを書けばよいの
です。
無ければ書かなくてよいのだけど、何かある風に見えたので食い
ついたが本当にソーカル事件狙いだったのかしら。
結論、乙一氏の感じ方はソーカル事件そのもので、「微分なんて
解釈に使ったのは氏のファンに対する単なる釣り」と。
ああ、それならあなたが説明できなくて当たり前だし、見事にワナ
にはまりましたよ。
ガッデム。


264 : はなもぐら    2008/03/06(木) 21:40:34   ID:8vKNHOJU 
「ワナ」とか「ガッデム」とか、困った人だなぁ。。。
タケクマ先生や、他の人が来るのを少し待ちませんか?

>雰囲気でフワッと話してるのは分かるけど、論理性がないんですよ。
理論性は、乙一さんの引用だけなんですよ。それに同意するなぁって
話でして。微積分で苦しんだ経験が有ってよかったなぁと。
この一文、ZOOで書かれた言葉だったと思うんですが、ググルとかなりヒットします。
多分、微積分で苦労した人で、乙一さんの小説を読むと、
(乙一さんって書いてしまう。なぜだろう敬称はさんが似合って先生と書くと
違和感がある。1ファンのわがままです。他意ははありません)

ケイン濃すぎさんの議論スタイルはディベートに近い感じがして、
建設的に話せないんですよ。あと、2ch流の煽りを上品にした感じ?
発言の良し悪しを一文毎に採点して勝った負けたの議論になりそうで、
嫌なんですよね。

意見交換はしたいけども、議論をしたくて来てるわけじゃなのです。
お怒りをしずめてくださいな。

最後に。
>結論、乙一氏の感じ方はソーカル事件そのもので、
ここには釣られますが、出典元は小説です。


265 : はなもぐら    2008/03/06(木) 21:43:39   ID:8vKNHOJU 
○多分、微積分で苦労した人で、乙一さんの小説を読むと、
○共感する人が多いのだと思います。

すいません、文章が切れてしまいました。


266 : ケイン濃すぎ    2008/03/06(木) 22:46:04   ID:pOigbQdE 
>>264 >>265
ソーカル事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

いや、ディベートって。
乙一氏の発言がソーカルと同じ意味で発せられたものと捉えないと、
あなたの話は意味が分からないんですよ。
「数学を知らないとソーカル事件ぽく見えるけど、実は違うんです」
という意味なら、乙一氏とソーカルの話とは違っていう理解者である
あなたはそこを説明できなきゃウソでしょう。
だけどあなたは説明できないし、そうなら乙一氏の発言をソーカルと
同じと捉えた書き込みだったのかと俺が捉えるのは自然だよ。
ソーカルは引っ掛け論文を書いたのだから、乙一氏の発言も「釣り」
と表現するのが今的には分かりやすい。
俺は別に2chを意識してませんが。ガッデムはシャレ。や〜ら〜れ〜
た〜でもいいよ。

ちなみにウィキのソーカル事件の解説文を読むとこんなところが。

***********************************
しかし、ソーカルの批判の対象となった哲学者の支持者達は、
ソーカルの批判に真剣に取り組もうとせず、「哲学を分かって
いない」といったコメントを発する程度のことしかしないなど、
全く反論にならない感情的な反発しかしなかった[3]こともあり、
彼らに関して言えば出鱈目というレッテルを払拭できないのが
現状である。

これ、>>260 以降からのあなたのスタンスですよ。
結果的に乙一氏発言を論理的に説明できず、数学よりも哲学より
の対応じゃありませんか。

あー・・・なんか俺、相変わらず引き際を知りませんね。
この辺でやめときます。


267 : ◆ OZCI/VVVB2    2008/03/08(土) 20:57:10   ID:pV/7KxsA 
ソーカル事件なんていうできごとがあったとゎはじめてしった。
めちゃくちゃおもしろいな。アラン・ソーカルえらいゾ! という感じがする。(笑

話はかわる。

乙一とかいうひとの説明する物語と小説のたとえ話の件なんだが、
べつのふさわしいタトエがほかにないかと、ちょっとかんがえてみた。
(ただし、オレはこの件をこのスレッドでよんでしっただけで、乙一さんの原文はよんでない。)

まず、小説も物語も「長文を叙述する」という点ではおなじ作業であるとかんがえる。
で、この点を「植物を人工的に配置する」ことであるとたとえる。

そうすると >>258 で はなもぐら さんが紹介してる乙一さんの説明をたとえてみると、
小説は「いけ花」ということができて、
物語は「田植え」とか「畑のタネまき」ということができるんじゃないか、
などとおもいついたが、どうか?

俳句や詩は規模のちいさな「いけ花」ということができる。

これにたいして小説は、規模のおおきな「いけ花」とかんがえる。
「規模のおおきな」というのは、ただ「花」だけの配置の問題にとどまらず、
その活け花のまわり全体をある程度ひろくふくむような表現としての活け花というか。
それが小説だと。

そういうことを乙一さんという人は説明したいんじゃないか。
いや、よくわからんが。

どっちにしても「微分」というタトエはオレにはピンとこなかった。
微分・積分というのは、どっちかというと、
オレとしては「田植え」「タネまき」としての「植物の人工的配置作業」のほうのイメージになるなあ。


268 : ケイン濃すぎ    2008/03/08(土) 23:23:39   ID:e7b8oeyw 
>>267
いや〜、これは論理的な話ですな。

俺も物語書きは単なるストーリーとして「経過を書く」脚本やシナリオ
的なもの書きスタイルのことを言い、小説書きというのはストーリーを
書くのにただ書くのではなく、文や構成そのものに叙情性とか韻とか
そういう散文詩的な「描き方」をするスタイルのことを指して
そう捉えているとかならまあ、良し悪しはともかくとしてなるほどね
と思う。
ただ、なんとなくそこはかとなくスタイルの違いというより優劣っ
ぽい捉え方で捉えられないこともないところは分け方としてあやういね。
文体にこだわるのはよいが、主旨は伝えることであるという側面で物語
を見た時には華美な表現っていうのはジャマになる。
書き手が伝えたいことを伝えるのに最も適しているのが文章の美しさや
構成の妙だというならそれは存分にそうするべき。
でもさ、日露戦争の秋山参謀の電文みたいな物語の伝え方もまた
よかったりする(本日天気晴朗ナレドモ浪高シ)。
だから流派の違いという意味で捉えるべき比較だよな。

微分をたとえに使うことについて、ソーカル事件からこんな解説
も引用できる。
*********************
まずソーカルは科学用語を使った比喩そのものを批判したわけでは
ない。科学の論文や教科書では比喩は本来難しい事を簡単に説明
する為に用いるのであって、その逆ではないはずであるが、ソーカル
によれば、哲学者達は『簡単な事を難しく言う為に比喩を使って』
いるのであった。
ソーカルがいうように『たとえば私が量子力学をデリダの精神分析
に比喩しながら説明したら失笑を買うはず』なのである。

またソーカルは人文科学を軽視していたわけではなく、むしろ重視
していたからこのような批判を行ったのだと述べている。 ソーカル
の言によれば、これら科学用語の無意味な乱用で本当に被害を受ける
のは自然科学ではなく、こうしたナンセンスな議論で不毛な時間を
費す事になる人文科学なのである。


269 : 名無しさん    2008/03/09(日) 08:18:22   ID:WKCCfm3E 
微積って実はあんまし難しい定義じゃないです。

次元の下げ上げっす。点を線に、線を面に、面を体に、その逆々々。
概念上はもちろんこれ以上もできまふ。また、実際は点を線には
し難いっすね数式では。


270 : 名無しさん    2008/03/09(日) 08:24:40   ID:WKCCfm3E 
だから俺にゆわせっと一次元文章:一行詩(含む俳句短歌
二次元文章:一枚物語(SS
三次元文章:ごほんができたよ(青木俊直

とゆうことに。さしずめ四次元文章はテキストアドベンチャーゲームすかね。


271 : はなもぐら    2008/03/09(日) 08:45:02   ID:cDtz9wq6 
>>267
>どっちにしても「微分」というタトエはオレにはピンとこなかった。
加速度を微分すると速度なる、速度を微分すると位置になる、それ以上は微分できない。
という、応用数学(高校生レベルなんですけどね)の方面からのアナロジーなのですよ。

これをあえてここで紹介したのは、結末を書かずになぜ書けるのか、
書ける人と書けない人がいるのは何故か?
に対する答えとして、私が持ってるもので、いい機会だから、
皆さんにお聞きしてみたいなーと思ったからです。

別のスレッドで、高校の微積分なんか必要ないとおっしゃっていたので、
思考の道具が増えるんですよと、二方面から、この例えを引っ張り出すのが
良いと思ったからでして。

あと、筒井先生の言う物語素というのは、このアナロジーで考えると、
「素」というより、物語関数なんだろうと思います。この関数は簡単な
n次式で表すことの出来るようなものじゃなくて、マルコフ連鎖みたいな
ものなんだろうな、と、もちろん「マルコフ連鎖では無い」とも思います。

これをみっちり研究して、数式を提示できる人が応用数学者と呼ばれる人だと思うし、
これをうまく人に語って聞かせれる人なら小説家になれると思うし、
これを題材に面白い物語も書ける人がいるかも知れないなと。

そして一番いいたかった事は、物語と小説って違うものだから、
作り方が違うんじゃないかなと。


272 : 名無しさん    2008/03/09(日) 13:38:59   ID:qekxMUPU 
>加速度を微分すると速度なる、速度を微分すると位置になる、それ以上は微分できない。
>という、応用数学(高校生レベルなんですけどね)の方面からのアナロジーなのですよ。

もしこれが書き間違いでないなら酷いもんだ.


273 : はなもぐら    2008/03/09(日) 13:50:01   ID:cDtz9wq6 
>>272
その手の文言議論が好きな人を招き寄せちゃうばっかりでしたね。
ここなら大丈夫かと思ったんだけど、しょうないっす。


274 : 名無しさん    2008/03/09(日) 14:04:34   ID:qekxMUPU 
>>273
いや,よりによって微分と積分を取り違えてるから.
書くなら書くでその内容に問題がないようにきちんと書くべし.

さもないと議論の前提(=自分の語っている内容を自分自身が理解していること)
が疑わしくなるだけなんですけど.

しょうもないっす.


275 : はなもぐら    2008/03/09(日) 14:23:50   ID:cDtz9wq6 
>>274
ならばそうなんでしょうね。あなたにとっての私とは。
それで構いません。


276 : 名無しさん    2008/03/09(日) 14:59:27   ID:qekxMUPU 
>>275
そのことと,
間違ったことを書いた事の訂正の話は別のはずです.
どうか混同しないで頂きたい.

もし訂正する必要はないという考えなのであれば
その根拠をお聞きしたい.

はっきり言って微分がどうとか興味がないけど,
そのことについて力説している本人が
主張の内容にデタラメを含んでいても
全く意に介さないでいるということには
大変興味がある.


277 : ケイン濃すぎ    2008/03/09(日) 15:11:13   ID:fQcyZv9Y 
>>270
次元化は面白いですね。
確かにアドベンチャーゲームは物語が多岐に流れてゆくから立体的
といえないこともない。
舞台にストーリー性があり、イベントで語られないけどプレイする
ことで「物語に身を置く」ようなゲームも今はあります。
そういうものはよりストーリーとしては多角的ですね。
受け手に依存する部分が非常に大きく、送り手の予想だにしない
ストーリーが構築されることもある。これは体験型物語のよい
ところ。まあ、書き方というより選択した媒体の特性の話には
なってしまいますが。

>>274
微分を取り違えているのは最初からでは・・・俺はそこは突っ
込んでもしょうがないので自分の書いた説明ではひっそりと修正
しておきましたが。
だから雰囲気でフワッとモノを言いたい人なんだと思いますよ。
論理的なようで、実はイメージだけポンと書いている。
俺がソーカル事件の解説から引用しているのはそういうことへの
戒めなんですけどね。
最終的には突っ込まれると「キミタチは分かってない」と。
だからそれじゃダメな哲学者とおんなじやん。

>>271
とはいえ、物語関数という説明は今まで聞いたことの中では理に
かなう話ではあると思うよ。
素というより「何らかの仕組み、構造を持つ」ものとしての独自
の関数があって、そこに素材やテーマを放り込むと構成された
物語として出てくる。
そしてそれはマルコフ関数のように詳細が不明でモデル化しにくい
ものを統計化できる(実現化できる)という存在という意味において
は、なるほどなあというたとえかもしらん。

しかし独自解釈過ぎる上に説明皆無なのでよく分からんのはです、
物語と小説って違うものだからと言い切っている部分。
あなたがそれをどう分別しているのか、まずそこがあなたの言説
では重要でしょうが、内容を聞いてないですよ。

小説反小説なんて言っていた時代の分別をまさか今でも行っている
のでしょうか(んな分け方したら乙一氏なんか小説家とはとても
言えん)。
現代的には小説と物語の分別は非常にあいまいで、かつ物語は虚構
だけ扱うわけではないから小説を包括すると考えられている。
・・・と思うんだけど、あなたの中では物語と小説はどう分けられ
ているのかしら。


278 : ケイン濃すぎ    2008/03/09(日) 15:13:09   ID:fQcyZv9Y 
>>277
物語としては多角的×
多元的と書きたかったです。


279 : はなもぐら    2008/03/09(日) 15:21:10   ID:cDtz9wq6 
>>276
興味ないならそれで良いと思います。


280 : 名無しさん    2008/03/09(日) 16:11:04   ID:qekxMUPU 
>>279
で?


281 : 名無しさん    2008/03/09(日) 16:27:08   ID:qekxMUPU 
>>277
読み飛ばしてました.

> 論理的なようで、実はイメージだけポンと書いている。
御意.


282 : はなもぐら    2008/03/09(日) 16:33:06   ID:cDtz9wq6 
>>280
たたいて煽ってネタがほしい?
そこまでの頭もなさそうな感じ?
という事で。


283 : ケイン濃すぎ    2008/03/09(日) 16:43:05   ID:fQcyZv9Y 
これこれ、いくらなんでも童心に帰りすぎじゃよ。
言い返したいならお互い理屈を述べなされ。
はなもぐら氏も批判されたら論理的にここはこうだと話せばええ
だけやろ。
君の考えが悪いのではなく、自分の言ったことをちゃんと人に説明
できないことが悪いのだ。
理解できない相手の格を下げて自分を孤高に保とうとする姿勢も。


284 : はなもぐら    2008/03/09(日) 16:51:06   ID:cDtz9wq6 
>>283
そうしたかったんだけど、貴兄のおかげで無理です。
物書きなのがちょっと信じられない。後、後に参加してきた
七資産は、貴方ととても似てらっしゃる。釣り針に
想定したとおりに噛み付かれてる。

議論の仕方もディペートの仕方も知ってるので、
教えて頂かなくても結構毛だらけ猫灰だらけ、
かと。


285 : ◆ OZCI/VVVB2    2008/03/09(日) 17:00:24   ID:XiNR7GQc 
>>271
┃加速度を微分すると速度なる、速度を微分すると位置になる、
┃それ以上は微分できない。
┃という、応用数学(高校生レベルなんですけどね)の方面からのアナロジーなのですよ。

なるほど。了解です。オレとしては微分積分のべつの側面をイメージしていたので、
あなたがどういう意図だったのか、よくわかりませんでした。その説明をみて、ようするに、
関数の式を微積的にいじるときのことを念頭においてたんだな〜などと納得できました。

ちなみにオレは、微分積分の主たるイメージは、曲線をふくむ平面図形の面積をもとめるかんがえ方、
球面などの曲面をふくむ立体図形の体積をもとめるかんがえ方などのほうをおもいうかべるのです。
だから田植えやタネまきのような「単なる連続」とか「単純な蓄積」みたいなイメージになるわけです。

で、オレも

┃これをあえてここで紹介したのは、結末を書かずになぜ書けるのか、
┃書ける人と書けない人がいるのは何故か?
┃に対する答えとして、私が持ってるもので、いい機会だから、
┃皆さんにお聞きしてみたいなーと思ったからです。

のことが関心の中心で、ほんとうは

┃で、タケクマ先生のおっしゃる、結末を考えなくても書ける人ってのは、
┃小説を書いてる訳じゃなく、物語を書いてる人なんじゃないかと。
┃それならば結末を考える必要ないと思いますし。

の部分のことをかんがえたいとおもってます。しかし、この件にかんしては、
それこそ筒井康隆の『短篇小説講義』を読了するまではオアズケだと(個人的に)おもっていて、
しかも、それを読了したあとはタケクマさんや立花隆の方法についてもちょっとツッコミが必要じゃないか、
などともおもっているし、いろいろ段階が(個人的に)ありまして、おいそれとはイカンのです。
おゆるしください。(笑

おもうことをひとつかきますと、乙一さんのたとえを上のラマヌジャンの例にあてはめてみるとき、
ラマヌジャンの天才にひらめくみじかい数式を俳句・詩だとしますと、
その数式にいたるまでのながい論考というか、長文の叙述としての「証明」のほうは、
はたして「小説」とかんがえるべきか、「物語」とかんがえるべきか、どっちとかんがえるべきか、
ということです。

もしかすると、このあたりのことが、
ケインさんのいう物語と小説のさかいはアイマイ≠ンたいな話につながっていくのかもしれません。

おもうことはほかにもいろいろありますが、ここでは適当にうかんだことをひとつだけ。

ともあれ、なにごとによらず「たとえ」というのは本当にむずかしいもんだとおもいます。
ドンピシャで文句なしのタトエというものは、なにごとであれ、なかなか見つからないし、
それなのに、ドンピシャでないタトエをちょっとウカツにもちだそうものなら、
たちまちのうちに、ごらんのとおり弾や矢バネの雨アラレです。(笑

で、不幸にもそういう矢おもてにたたされてしまったひとをオレは(弾や矢バネをうけるのはイヤなので)
たすけはしませんが(笑)、画面のまえでふかくふかく同情はしています。(笑
まこと人情は紙ふうせん……ですよねエ……(笑)


286 : ケイン濃すぎ    2008/03/09(日) 17:11:26   ID:fQcyZv9Y 
なら話せばええやん。話すことがないなら四の五の言わなきゃいい。

まぁ、君が物書きじゃないのはよく分かる。
だって自分の思っていることを人に表現できないんだからさ。
ディベートはいいから、少なくとも議論の仕方を知っているなら
知ってるようにおやんなさいよ。

というか自分の思っていることすらはっきり表現できず、議論は
できないくせに相手を卑下する、そんな甘えが通用する仕事って
ないと思うけどね。

ソーカル事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
*********************
ソーカルの批判の対象となった哲学者の支持者達は、ソーカルの
批判に真剣に取り組もうとせず、「哲学を分かっていない」と
いったコメントを発する程度のことしかしないなど、全く反論に
ならない感情的な反発しかしなかった[3]こともあり、彼らに関して
言えば出鱈目というレッテルを払拭できないのが現状である。

実際のところソーカルは、別に「ポストモダン哲学」自身を批判
したいわけではないと『「知」の欺瞞』ではっきり断っている。
ソーカルが批判したのは、権威づけだけの為に使われている科学的
比喩であり、科学用語を無意味に散りばめて読者を煙に巻く哲学者
達の欺瞞であった。
************************

君の意見がそうじゃないってことを、他の誰でもない君にうかがっ
てるんです。
別に頭ごなしには否定しちゃおらんでしょう。取れるところは
取ってるやん。

ちょっとあなたは掲示板に意見を発表するには打たれ弱すぎだよ。


287 : ケイン濃すぎ    2008/03/09(日) 17:22:33   ID:fQcyZv9Y 
>ちなみにオレは、微分積分の主たるイメージは、曲線をふくむ
>平面図形の面積をもとめるかんがえ方、
>球面などの曲面をふくむ立体図形の体積をもとめるかんがえ方
>などのほうをおもいうかべるのです。
>だから田植えやタネまきのような「単なる連続」とか「単純な蓄積」
>みたいなイメージになるわけです。

俺もそっちで捉えてるんだけど。
というか、全体を把握するのが難しいモデル(局面を含む計算とか)
を理解する方法のメタファとして言ってるのかと。
だから因数分解じゃあかんというのでしょう?

でもこういうこというんだから「原始関数は何のメタファなんだよ」
ってなるじゃない。
で、出てこないからやいのやいのといったら、「マルコフ関数」が
出てきた。
・・・こういうのさ、自分で導いて欲しいわけよ。
わからんあんたらに話す気はない、みたいな感じじゃなく。


288 : ケイン濃すぎ    2008/03/09(日) 17:25:10   ID:fQcyZv9Y 
たとえ話がよく伝わらんかったら、それについてすり合わせするのは
礼儀じゃないかね。
本来共通項を増やして分かり合うためにたとえ話はするんだから。
と、ソーカル先生も言っておられる。


289 : はなもぐら    2008/03/09(日) 17:40:04   ID:cDtz9wq6 
>>285
>ドンピシャで文句なしのタトエというものは、なにごとであれ、なかなか見つからないし、
>それなのに、ドンピシャでないタトエをちょっとウカツにもちだそうものなら、
>たちまちのうちに、ごらんのとおり弾や矢バネの雨アラレです。(笑

私の中ではドンピシャなのですが、何度も書いてるように、
上手くかけるのなら小説家になれるだろうなぁと。残念です。
最初からこの手の方が出るだろうとは想定してたのですが、
この手の方*しか*出ないとは思わなかったもので。。。
定義づけ、理論化をあんまりやると、ニューサイエンスみたいになりそうで、
それは避けたかった。

>”物語と小説のさかいはアイマイ≠ンたいな話につながっていくのかもしれません。
最初乙一さんの小説を読んだ時に、感じたのは「小説と物語って何が違うの?」
でしたので、疑問としては当然なんでしょうね。
私の場合は逆に、これを真としたら、受け入れてみたらどうなるって方向で
考えた結果、こうやって小説と物語を分けるのがベストなんだと感じ入りました。
書いてなかったんですが、小説ってのは、俳句や詩で表せられるような
(物、事、情、etc)を「物語」る文学の形式なんじゃないかと考えてるんですよね。

もちろん異論もたくさん在ると思うんですけどね。


290 : 名無しさん    2008/03/09(日) 17:43:43   ID:qekxMUPU 
>>271
>加速度を微分すると速度なる、速度を微分すると位置になる、それ以上は微分できない。

距離・速度・加速度の話だけど,
距離(つーか変位だけど)を時間微分すると速度に,
速度を再び微分すれば加速度になるけれども,
それ以上「微分できない」わけでは「ない」よ.

古典力学では加速度が*本質的*だという話なだけです.

#もちろんより本質的には運動量だろ,とかそいういう話はおいておく.

現に心理学とか人間工学においては
乗り物等の乗り心地のパラメーターとして,
加速度の時間微分(ジャークという)が出てきます.
これが人間の感じるいわゆる「加速感」というものです.

閑話休題.ここから本題.

つーか普通に考えると,
物語とか文章の本質とは何か? ということをまず考えて
それに見合ったモデルを導入すべきだと思うのだが.

それが,喩え話が最初に決まっていて,
それに沿って議論するという形式がよく判らない.
下手したら「物語」の定義をその喩え話に
都合よくゴニョゴニョしたりできるでしょうし.

アイディアそのものも大事だが,
その検証はもっと大事よ.

喩えたもの同士には当然,
通底するもの(本質)がある筈で,
本質から考えれば当然それは保証されよう.

逆に表層上の類似性を起点に考えたとして,
収まるべき所に収まるのかは怪しい.

まあ綺麗サッパリとした結論がでるような話じゃないというのは
誰の目にも明らかだから,床屋談義風もOKではある(と思う)が.

と,
とりあえずここは論証系のスレッドだと思って(勘違いなのかな?)書いています.
#ところで論文も物語に入りますか?


291 : ケイン濃すぎ    2008/03/09(日) 18:54:12   ID:fQcyZv9Y 
>>290
つまりそういうことだよはなもぐら氏。
他人を勝手に分からず屋に仕立てるんじゃあない。

ここまでひっぱってきて良し悪しはともかく言いたいことは何と
なく分かってきた(大切な部分はフワッとしてるけどな)。
みんなが興味があるのは「あなたがどう思ってそういう話を展開
しているのか」だよ。そう話したい意図を知りたいの。
何でその例が(よりによってそんな数学が)どんぴしゃなのか説明
して欲しかったわけ。
いじめてるとかおもわんで欲しい。

論文
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E6%96%87
物語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E8%AA%9E

物語っぽくなると論述性を失うという気がするけども、俺は論文を
書く事はほとんどないのでよく分かりません。


292 : 名無しさん    2008/03/09(日) 19:48:01   ID:cDtz9wq6 
>>291
話し掛けないで下さい。


293 : ケイン濃すぎ    2008/03/09(日) 19:51:49   ID:fQcyZv9Y 
この掲示板に書き込む限り、ムリ( ´_ゝ`)

294 : はなもぐら    2008/03/09(日) 19:54:52   ID:cDtz9wq6 
クッキーを失っていた。>>292は、おいらね。

295 : 名無しさん    2008/03/09(日) 19:56:41   ID:WKCCfm3E 
アノオ…

しんさく、まってます。る。


296 : ケイン濃すぎ    2008/03/09(日) 20:00:46   ID:fQcyZv9Y 
>>294
みんな(たぶん)分かってるよ( ´_ゝ`)

>>295
SVGといえばシンサック・ビクトリー・ジム。
というわけで俺はむしろメルヘンさんのメルヘンあふれる新作に
期待しておるのですが。


297 : はなもぐら    2008/03/09(日) 20:04:19   ID:cDtz9wq6 
>>295
あっ、でも、これだけ気持ち悪い人だと、作品は読んでみたい気がした。


298 : ケイン濃すぎ    2008/03/09(日) 20:15:25   ID:fQcyZv9Y 
ついに人間攻撃する方向に落ち着いたか・・・哀しいねえ。
バーカバーカ、お前のがバーカ・・・そんな事したくないんだが
なあ。意見はしてるが別に君の人間性は否定してないし。

たぶんミリオンタイトルだからタイトルと内容くらいは目に触れた
ことはあるんじゃないか。
あっちで映画になったりもしてるから。
でもゲームは集団作業だから俺がどういう人間でもどんなシナリオ
書いても機能さえすれば質はよくなるからね。
ディレクターは大事だが、個人力はあまり関係ない。

て、>>295か。 俺のこと含まれてなかったらさーせん。


299 : 名無しさん    2008/03/09(日) 20:21:09   ID:WKCCfm3E 
エットオ。

もーちょっと!おーらばとらーはかっこいいはづ!!

おーらしっぷはちょーかっけかったけど…こんぴたでやるなら
ぱーすくるわしないと端正なままですよで…


300 : ケイン濃すぎ    2008/03/09(日) 22:03:26   ID:U+/f3smE 
そういう話なら俺、板野一郎セミナー受講してきましたよ。
板野一郎セミナー内容
http://shiraishi-unso.com/archives/2007/11/18-235804.php

確かに言うことは素晴らしいが、アニメ業界もいま出来てるとは
いいがたいよな。3DCGにおいて。
例に挙げてた「剣聖のアクエリオン」とかのCG、俺は物足りなかった。
板野さんがつけたマクロスの動きはスゲエと思ったけど、聖闘士
聖矢や六神合体ゴッドマーズとかドラグナーとか・・・みたいな
ダイナミックなパースで勝負しているんじゃなくて動的なカメラ
ワークと複数物体の制御に妙を感じた。

とはいえ。
ゲームの場合は「いつどの角度で見られるか分からん」(ゲームの
都合でいつカメラをヤバい位置に付けられるか予測できん)という
考えが根付いているから、破綻を極度に恐れるフシは確かにある。
お客を楽しませる気がないんじゃなくて、そういう考え方起源。

でもゲーム用ならともかくイベント用ならカメラワークは決まって
るからパースくらい破綻させるべき。
そういう意味では今、ゲーム業界から流れてアニメCGを作っている
人間は多そうだがアニメで育ったCG屋がゲーム業界に来ている話は
少なそうなので、流入があればゲームももそっと思想が変化する
でしょう。

今なら独自にフレームワークを作って駆使すればゲーム中でも出来
んことはなさそう。
まあ、俺そっち方面のゲーム作ってないんで、今度フロムソフト
ウェアの人に会ったら話してみます。


301 : どけん    2008/03/09(日) 23:13:42   ID:+yhXCXok 
↑と、言う事は聖戦士ダンバインがリメイクされるんですか?つーか
されたのか?主題歌は良かったよなぁエンディングも。夢中で見たのは
やはり後半、舞台が現実の世界に戻ってからで、こっちの人間側の武器が
全く通用しないって、設定にハラハラしたんだっけかなぁ?惹かれたのは。

メカは出渕?さんですよね確か。徳間のロマンアルバムでスタッフ達の
反省座談会見たいのやってて、後半人気でたのは結局バイストンウェルの
幻想世界を活かしきれなかった証明だって、熱く反省してた記憶がある。

メカも確か昆虫を下敷にしたらしい?「お!」と思う造形だと思ったんだけど
(当時のメカパターンからすれば)・・これもやはりスタッフ達が機械じゃなく生物って
感じだから、斬られたら体液つーか血がでるって工夫とか必要だった。って確か
言ってた気がするんだけど、オレはこれ読んだ時は一人悶えましたね・・・!

「だったら何故にはようソレをやってくれへんかったのじゃ!!」

ってw、思わずでっかい徳間のロマンアルバムを床に叩き付けるような
そんなマネできる筈ないじゃないですか・・・・僕は自分の兄に
「お前は本を磨いている!?」って言わした男ですよ。昔は本フェチw

話違うw とにかくロボが生物とか、血が出て包帯巻いたりとかおいしーとこ
のちに全部エヴァがもってちゃった気がするなぁ。。。。。。。

昆虫生物ロボ(タイムボカンじゃありませんw)であるところのオーラバトラーに
乗る主人公のショウ座間(ヘンな名前w)戦闘中にダンバインが片腕斬られて
戦意喪失してショウの命令聞かずに地上に不時着する。虫だって生きてますから。
片腕押さえて体液巻き散らかして苦痛でのたうちまわるワケw でそれ見たショウが

「なんだよーせっかく現実から召喚されて活躍しに来たのに乗ってるメカが
 こんなんじゃニコ動見てたほうがいくね?」ってヘラヘラ笑いながら言うと、

仲間の隣にいた赤い戦闘服のアメコミみたいな外人の金髪女がバシーンと、まあ
ショウを引っぱたいて、「あんた!虫に乗ってるクセに心はムシ以下ねっ!」って
ダンバインをかばってるのか今一つわからんセリフが出るよーな物語、なり設定でもあれば
オレのハートは最初からTVに釘付け状態だったんだがな〜w残念じゃわいw

女王でシーラ様っていういわゆる清純派タイプ?の女の子キャラがいて、いつも慈愛と優しさ
に満ちた彼女が戦闘服着てるのを見ると意味無く興奮したもんですよ。はっはっはっ。w


302 : 名無しさん    2008/03/10(月) 00:13:44   ID:Zvq7p1Us 
う うーわー

いづぶちせんせいはぶいすりゃあをされますたる。

PG-12のりゆうわ… しし … くく んっこちのがよろすい。


303 : 名無しさん    2008/03/10(月) 00:24:14   ID:Zvq7p1Us 
確か出渕先生かゆうき先生が 「バイストンウェルには電子回路になる
植物が生えてる(植物の構造が電子回路に応用可能」という設定を考え
なされたのを敷延して 当時書き殴った小説の出だしの中に「イの6号」
「ハの7号」という前者、「考える森」後者、「考える巨岩」という
自然コンピュータが出てきます。「このままでは平和のうちに社会は
ダメになる」という双方の結論から、戦争への策動を 敢えて 世界に
撒き始める、という賢者たる彼等。主人公は何も知らずに仮想現実げいむを
いまでゆうねかへのやうな処でうだっている(エステのおねいさんの
やうな存在付き)。

20年前の試行錯誤ですた。あー 今なら 続き書けるかもなー

ティラノサウルスに同化するソフトをやっとるとこから始まるのですが。
駿台予備校の友達には「これ書いたのきちがいか?」と一字一句そのまま
ゆわれたりしたおもいでも。やーいろいろと しゃれならん。


304 : ケイン濃すぎ    2008/03/10(月) 01:27:02   ID:VUybRHmQ 
いや、誤解されないように。
俺は新ダンバインを作っているかどうかはしりません。
ガンダムはともかくダンバインだと板野さんは関係ないんでは。

アニメ的なパースじゃないとCGは・・・という話の筋で読んでいた
だきたいと思いますよ。


305 : 名無しさん    2008/03/10(月) 06:51:07   ID:Zvq7p1Us 
それはオズの魔法遣いに出てくる「ランチの木」に呼応するのす。

ああ…ランチバスケットのなる樹!!

なんて…ステキなんでせう…ハァ。うんやっぱしヒイロどもはたぶん
まつがつておる。たぶん「はやくせんそうになあれ!」とおもつて
おつたのは りりーなきさまだあ!


306 : ◆ OZCI/VVVB2    2008/03/11(火) 19:37:40   ID:DPhs4Owc 
ふーむ……なんというか、
ここのところの一連のながれをみておるとだな、

打たれ弱いひとをふくめた場での議論・論争・批判・攻撃のしかたについて

というようなことをかんがえてしまうなあ。
批判や攻撃を容赦していては「かんがえる」ことの否定・弱体化をまねく。
しかし、批判や攻撃をふつうにはうけとめれないひとがいて、
そういうひとの提出した意見をみすみす見ごろしにするのはあまりにもったいないとかんじる。

ふーむ、板ばさみですなあ……
両者をどちらも生かす解決策がないもんかのう。


307 : 名無しさん    2008/03/11(火) 21:08:02   ID:aeWpHwkw 
エッ

たんに 線そーにならないよーにわどーすればよいか

をついきうしたけっくわですので。べつだんあえて他人と異なる視点を
持とう持とうとしたわけでわない。「ふつう」わ変わり間する。

戦争周辺期では特に。今どっち?俺は細木さんはワーナーBros.のやうな
かたなのだろーかとおもいはぢめておる。


308 : はなもぐら    2008/03/12(水) 13:55:46   ID:SJLOGgOA 
>>306
攻撃と批判を並べて考えると、答えは得られないと思いますよ。
きれいに分けられる物では在りませんが。


309 : ◆ OZCI/VVVB2    2008/03/12(水) 20:24:35   ID:zjQJKq62 
>>308
┃きれいに分けられる物では在りませんが。

それこそがかんじんな点だとおもいます。だからこそ、
批判と攻撃をわけずに「おなじ」とみなさなければイカンのじゃないかとおもいます。
そのほかにかんがえようがないんじゃないかとおもいます。



しかし、なんというか、上記のやりとりをみていると、
イワシのあたまも何とやらのいわれにつうじる話のようで、
他人のめいわくにならないかぎり「根も葉もないことを信じるのも自由である」
という件があたまにうかんでくる。
Hもしてない女が妊娠したという言いつたえはウソかホントかの議論・論争が、
キリスト教徒の信仰心におおきくひびいたことがあるのか、みたいな


310 : はなもぐら    2008/03/12(水) 22:30:50   ID:SJLOGgOA 
>>309
>批判と攻撃をわけずに「おなじ」とみなさなければイカンのじゃないかとおもいます。
それは大雑把過ぎて危険です。糞と味噌は違うと思うですよ。

この世に味噌が出来てから何時、「糞味噌いっしょ」と言う
言葉が出来たのか分かりませんが、昔から人は似てるものこそ分けなきゃならないと
考え、この慣用句を作ったんだと思うのです。


311 : ケイン濃すぎ    2008/03/13(木) 17:10:03   ID:nFAbwlqw 
糞と味噌を分けるのは、
「それがなぜ味噌なのか」を人を納得させられるか否か。
どれほど自分の中でそれが味噌でも、他人から糞と見えればそれは
糞なのが意見や定義の摂理。そのままじゃあね。
きっとしのごの言わなくても味噌だと信じてくれる・・・
なんていうのは世に対する甘え。楽観論。
説明も出来ないのに反論者に対して「分からないならいい」
「お前には分からない」「あいつはバカだから」などと相手を一方
的に下げることで主張を保護するなどもってのほか。
自分のこと(意見)を分かってもらいたければ、他人との摩擦は覚悟
しなくてはならない。

世の中だけが絶対的価値基準とは言わないが、人間とは対話し、意見
を戦わせてより思考の精度を高めてゆくものだ。
それが出来ない、またはしたくない(誰の共感もいらない)ものなら
それはそっと心の中にしまっておくべき。
もろいもの、傷つきやすいもの、あやふやなものは意見として提示
すれば叩かれても仕方なかろう。
外に出た瞬間、それは正しいと信じる当人が守り通す事が出来ない
限りは味噌も糞に成り果てるんだから(思い込みとかっていうもの
だけではね)。

つまりは、思考の扱いにおおざっぱなのは◆ OZCI/VVVB2 さんでは
ない。と、個人的には思う。
その人間がどこまで思考を磨けるか、他人にも一定の理解を得られ
るかによって、定義や意見は糞にも味噌にもなる。
そしてそのせめぎあいの過程は時に論争が過ぎてしまい、話が破滅に
向かうこともあるが、そこは避けて通れない。

最低限のルールとして
「意見の批判はしても人間批判は避ける」(意見と人間性が密接なら
その限りではない)
「意見をつぶすためにつぶすのは避ける」(復讐のための反論)
「ただし同意見の繰り返しなどで停滞するまで思考の妥協は避ける」
くらいに則って論議した結果ならば、結果意見がつぶれてもそれは
いいだろう。


312 : はなもぐら    2008/03/13(木) 18:20:16   ID:w8KadzVk 
糞は不愉快な匂いがするので、簡単に区別できるのです、
議論する意味は無いのです。
糞と味噌を混ぜる議論を好む人がいるだけなのです。

変態なのでほって置くしかないのです。


313 : ケイン濃すぎ    2008/03/13(木) 20:35:59   ID:nFAbwlqw 
他者からは「糞の臭いをいい匂い」と言っている風に見えている
のだよ。

なるべくマイルドに言うと、うまい例えではないが・・・
納豆を食べたことのない人種がいるとして「それは食い物じゃない
だろう」と言う(そのままじゃ食えないだろう、とか)。
その人にはなぜ悪臭を放つ腐敗した大豆が食えるのか理解できないが、
食える人間がちゃんと食えると説明すれば納豆を食えないまでも
「理解は出来る」だろう。
そこが対立した二者の間で糞と味噌を分ける第一歩だ。
「腐敗物」としてみた時の臭いの捉え方と、「発酵食」として捉えた
時の匂いの捉え方にも影響があるだろうし、実際に食えなかった
人種が理解によって食えるようになるかもしれない。

その人間にとってそれが糞ではなくなる瞬間があるかもしれない。

基本的には見識を深めるために議論しているから、人の持ち込んだ
味噌が糞ではなく素晴らしい味噌、食ったことのない味噌であって
ほしいわけで、味噌を冤罪で糞におとしめて叩き潰そうなんて誰も
思ってない。
単純に分からないことを分からんとは言うと思うけどね。

なお、
完全なる糞を食い物だと言い張る場合と、完全なる食品を糞だと
主張する場合もあろうが、ここではそれは論じない。
糞も味噌も一緒という例えを「一見似てるようで大違いなもの」の
例えとして使っているからね。
意見の食い違いも、まあ俺は性善説に基づいているわけだけど、
わざと糞を味噌と信じ込ませようとして話すやつは居ないと思うし、
逆も然りだろう。
食い違いはあくまで対話者間の主観のズレのことだ。
で、
糞と味噌を混ぜて議論をしたい人間がいるだけというのはあんまりに
周りを馬鹿にしておらんですか。



理由もなく糞の臭いが味噌の匂いという人間がいるとする。
マニアックな趣味ほど理屈ではなく思い込みです。
そういう意味では会話をしようとしない変態は放って置くしかない
のは道理だが・・・


314 : ケイン濃すぎ    2008/03/13(木) 20:54:08   ID:nFAbwlqw 
糞も味噌も一緒の本来の用法をちと間違えたよ。
あれは正しいものも悪いものも分別しないで語るという意味だから
俺の例え方はちょっと違うね。

ニホンゴムツカシイヨ シャッチョサン

しかし、主観や思想のズレによる「味噌が糞に見える」「糞を味噌
と思い込んでる」という状況設定での話は理解しやすいだろうと
思うので、そう考えてくださいまし。


315 : ◆ OZCI/VVVB2    2008/03/13(木) 21:32:11   ID:+3rnlXoE 
>>310
あなたにとって批判と攻撃のふたつはそれぞれ「区別できる」ものなのですか、
それとも「区別できない」のですか、どっちとおかんがえなのですか?

ミソとクソは区別「できる」わけです。

しかし、あなたは >>308 で批判と攻撃のふたつを
「きれいに分けられる物では在りません」とおっしゃっています。
つまり、「ミソとクソ」のタトエのばあいとは反対に、
批判と攻撃のばあいは区別「できない」とあなたはおっしゃっているのです。

批判と攻撃は区別「できる」のか、「できない」のか、どっちがあなたの意見なのでしょうか?

オレにとっては批判と攻撃が(ミソとクソのたとえとちがって)「区別できない」ことこそが、
この話のいちばん重大な点だとおもうのです。
>>309 でも「それこそがかんじんな点だとおもいます」とかいていますので、
これはくりかえしになりますけれど。


316 : 名無しさん    2008/03/13(木) 22:29:27   ID:CoFd+z8w 
えーと

「キリストこそが ふたなり であって 聖杯とはそのミイラ」

テンプル騎士団は 少林寺からその秘密を聞きつけて十字軍遠征、そして
どこだったかでほむとうにその遺骸を見つけだし 教皇と同等の権威を
持ってしまう。教皇の奇襲にあって壊滅するが 勢力は後継され。

ジョコンダ像・モナ=リサこそ キリストを描いたもの。謎の微笑み。
ルネサンスは秘密の共有者たちの創りあげしもの。バッハの対位法、
右手と左手を「同等に」奏でさせる「男女平等思想・乃至両性具有旋律」。

グーテンベルグ活版印刷から著作権で稼ぐ手法をガメたのも騎士団末裔なり。

バルタザールは南米よりのマギ・ロサ、賢少女にして褐色の肌、キリストの
家庭教師にして愛人 の名を簒奪し、少林寺に逃れる。

マア 信じる方は極く少数だとは思いますが、これが俺の辻褄合わせに依る
「筋の通った」キリスト史であるまする。矢鱈薔薇が歴史局面で噴出する
理由、延々と繰り返される対立家同士の男女の悲恋。スラブ、奴隷民族。ロマ。

十字架に磔られたのは バプテスマのヨハネ、キリストに籠絡されて使徒ヨハネと
なってしまった善人の末路。エリエリサバクタニ。原始科学の時代、両性具有を
神と信じてしまう素朴。

ローマ帝国はギリシャに仏陀の唯我独尊思想を加味したものとなつておりまふる。
陰陽、明暗、白黒を両面掌握して手玉に組織戦争。角刈り。クルーカット。髪を
刈ることで殖えつける下僕根性。去勢の為に髭を剃る。男の証の消滅。女の増長。
そして強姦力。ロマンティック、ローマ式。

仏陀は単一君臨者による地上制覇を夢見たと考えてよろしかろうかと。思われますう。


317 : 名無しさん    2008/03/13(木) 23:22:28   ID:OM7gtw0I 
スイ〜〜〜 ⊂二二二( ^ω^)二⊃

318 : 名無しさん    2008/03/14(金) 06:43:12   ID:8OK+yqfc 
スィ〜とかうるせえ。しばくど。この宇宙に棲めないやうに
してやるど。或いは…

居候にゆきます


319 : 数学者の端くれ    2008/03/22(土) 17:23:15   ID:5cB5Mcik 
>>130

>彼の、(多くの場合の)証明抜きの具体的な数式の提示というスタイルでは
>どうしても数学的には枝葉末節の結果しかもたらさないのです。
>玄人受けはよくない(より抽象的な、本質的議論からほど遠い)一方で、
>目に見える「具体的な数式」であるので素人受けはするでしょう。

本題からはずれますが、以上の引用部分は数学者達の間での一般的な評価とは、全く違います。
斯界ではラマヌジャンの業績は非常に高く評価されていますし、今でもそこから新しい応用が見つかったりしています。


320 : 名無しさん    2008/03/22(土) 17:51:36   ID:hUTvqRHg 
>>319
それならそれでなんか例でも挙げてくれると嬉しいな。


321 : ◆ OZCI/VVVB2    2008/05/01(木) 22:54:58   ID:URTBd+sk 
 
やたら時間がかかってしまったが、
最近ようやく筒井康隆『着想の技術』『短篇小説講義』の2さつをよんだ。

で、結論からいうと、「物語素」の件はこの2冊にはでてこない。
だからタケクマさんは何か思いちがいをしているのではないかと。

しかしこの2さつはそんなことと無関係に、どちらもおもしろかった。
いやはや、まったくよんでよかった。

とくに『着想の技術』だ。これはオレ的にはスゴい本だった。
ドえらいことがかいてある。とくに「虚構と現実」だ。これはいろんな意味でたまげた。
こんなこと、いままで考えたこともなかった。

オレは今まで笑犬楼の御大については特に愛読者でもなく、
べつにキライでもないという「ただの読者」で、よんだ作品も合計たぶん10冊もないぐらいだろうが、
むかしからこの先生に熱狂的ファンがおおい理由のひとつを、
この『着想の技術』でかいま見たような気がした。

もしオレがもっと若いとき、たとえば高校生ぐらいのときにこの本をよんでいたら、
オレも御大の信者になってた可能性があるとおもった。それぐらいスゴい本だった。
いや読んでよかった。

で、この2冊をよんだら、
こんどは『文学部唯野教授』で文学理論の説明をちょっと読みかえしたくなって、
奥からひっぱりだしてきた。

そしたら、「第8講 構造主義」という章の、
唯野教授の講義内容のなかに、物語素ではなくて「神話素」として、
タケクマさんが書いてた内容とややかさなりそうな部分があった。
それで「おお、ひょっとしてこれか!?」などと勝手におもったのだが。

つまり、言語でいう「文法」は単語のならべ方の規則だが、
それと同様のならべ方の規則が神話素にもあって、
それにしたがって神話という物語もつくられている、
けっして特定の人間によって勝手きままにデタラメ勝手につくりあげられたようなシロモノではない、
そして、それは神話だけでなく、物語一般もそうなのだ──みたいなことがかかれてる。

だから思うに、タケクマさんはこれまで筒井氏の文章をよんできたなかで、
作品の創作に直接かかわりそうな文章の断片がいくつも記憶にのこって、
それらがまざってひとカタマリになっている──ということなのでは……などと妄想したのだが。


322 : たけくま ★    2008/05/02(金) 00:31:17   ID:??? 
> ◆ OZCI/VVVB2 さん

どうもです。自分もあれから「着想の技術」を読み返して「物語素」が
出てこないんで「あれ」と思ったんですよ。 ◆ OZCI/VVVB2 さんの
おっしゃる通りで、「只野教授」とゴッチャになっていた可能性が大です。
でも「神話素」でしたか・・・。確かに「物語素」って読んだような
気がしたんですが・・・。もう20年近く前に読んだきりなので、
もう一度そのへん読み直してみます。
みないとなあ。


323 : ◆ OZCI/VVVB2    2008/05/15(木) 12:47:26   ID:N31FQ162 
うわー、おそくなってすいません。
あれから『着想の技術』の衝撃で筒井康隆にハマってしまい(いまさら!)、
ねてもさめてもって感じで没入してます(年がいもなく!)。(笑
ネットも日に1どそそくさとメール確認するだけって感じになり、パソコンとも疎遠に……(笑
それで2週間ほどごぶさたになってしまいました。あしからず。
もうしばらく没入してますので……(笑


324 : とも    2008/05/15(木) 23:24:11   ID:pnrpwmXQ 
>>323
「着想の技術」にハマったのであれば「虚人たち」は是非とも読むべきです。
あれは「着想の技術・完全実践小説」ですから。
逆に「着想の技術」未読で読むと何のこっちゃか全然判りませんが。


325 : ◆ OZCI/VVVB2    2008/05/18(日) 20:19:57   ID:8d90OGjc 
>>324
これはどうもご親切に。「虚人たち」はまだですが、いずれぜひよみたいです。
「着想の技術」新潮文庫の「解説」で斉藤由貴が「虚航船団」にイカレてぶっとんだ云々てことをかいてて、
それもあわせてぜひよんでみたいとおもってます。
いまは主として過去の短編集をあさってるとこです(現在は「笑うな」新潮文庫の途中。これから「トーチカ」)。

しかし、この先生の場合はどうも「小説作法」といったって、
小説にできるのであれば「ぜんぶ」「なんでもかんでも」つかったるわいという感じなのじゃないかと、
よんでるかぎりではおもえてしまいます。
もしそうなら、もはや特定の「作法」など、あってないようなもんってことになります。
だからこのスレッドの話題における代表例にはなりえないかも……とかおもってしまいます。


326 : とも ◆ xgSWdejH02    2008/05/19(月) 00:03:33   ID:CVJd16+Q 
>>325
筒井康隆というひとはおよそ作家としては考えられないほど自覚的な作家ですので、
そのまま読んでも面白いのですが、その意図する部分をエッセイ等で補完しながら読むと
面白さが数段増します。
ただ超虚構宣言以降の作品は初期スラップスティックを期待して読むとちょっとアテが外れるかも。
(本人も「失敗である事を度外視すれば成功」などというミもフタも無い自己評価でしたし)
虚構でぶっとべるのは中篇「驚愕の荒野」なんかいいですけどね。


327 : ◆ OZCI/VVVB2    2008/06/22(日) 19:09:47   ID:MfgYfQJs 
>>326
大変おくればせですが。

>およそ作家としては考えられないほど自覚的

という部分はどうも全くそのようですね。
「そのよう」とオレがいうのは、作家が基本的に自覚的でない生きものだという部分です。
小説家が「論理的でない」という意味のことをタケクマさんもいってますし、
ツツイ氏もどこかに書いてました。しかし、俺みたいなド素人の門外漢からしますと、
それらの意見はものすごく意外でした。
「つづる」というのはどこまでも「論理のこと」だというふうに(漠然とですが)それまで考えていたからです。
だからオレにとってはそのへんから勉強になってます。

とにかくオレは創作という世界にはまったく無縁できた人間なので、
このところちょっと筒井康隆にのめりこんでるんですけど、
創作の方法もふくめて、いろいろとものすごい興味ぶかいですわ。
タケクマさんも大学の講義のレジュメで虚構とのこと述べてますけどね。
そういうことをいままでマジメに考えたことなかったもんで。

しかし「虚構」という考え方をつきつめていくと、けっきょく、
いわゆる「現実」といわれているこの世界は「虚構のひとつ」にすぎないと考えざるをえないことになると思います。
虚構は無数にあるので、現実とよばれる虚構はその無数の中のきわめて特殊なそれのひとつだ、
という話になると思います。そう考えないとツジツマがあわないことになってくると思います。

いやー、なんかとりとめのない話になりましたけど。
それと、「驚愕の荒野」はよみましたけど、肝心の「虚人たち」と「虚航船団」はまだ……(笑)
なんせ ツツイ先生のご本は多くて多くて、いままでどんだけ出したんや、と。
「驚愕の荒野」はツツイ氏の小説のひとつとして面白く読みましたし、
オレはどちらかというとゾクゾクする感じで好きな作品ですけど、
「超虚構ぶり」という点はよくわからなかったですわ。どうもまだよく判定できない段階みたいです俺は。
「なんだ、これだけのことか」という感じもするし、「こういうもんなのかな」というような感じもしますし。
まあ、まだ沢山はよんでないからでしょうね。

いやあ本当にとりとめがなくなっちまって。なんか、
まじで書き出すといろんなことをむちゃくちゃ果てしなく書きつづけちまいそうな気がしてですね、
なかなかアレです。

ああ、それと、ツツイ氏はドタバタ「も」書いてる人ですけど、
それ以外も多種多量にありますよね。
ドタバタはその多種のうちの「ひとつ」にすぎないと思います。
まあ面白い印象的なドタバタをいくらもかいてますから、
ドタバタとむすびつけられるのもわかるし、
また、それは不名誉なことでは少しもないとおもいますけど、
もしツツイ氏のことを「ドタバタの人」というような感じで、
ドタバタとだけむすびつけている傾きが誰かにあるとすれば、
その人はツツイ氏を全く見間違えていると思いますね。
それに、そんなツツイ読みは損得の話として全く損なことだと思いますよ。

……などと、きりがなくなりますなあ。止まらないのでやめますね。
本当はスレッド本来の着想のこととかもあるんですけどねえ。いや〜。


328 : Zz    2008/06/24(火) 01:00:45   ID:y+P76eBs 
ほんと長いよ。
自分の理解力が足りないと自覚されているようだが、
であるなら、もう少し良く考えてから書き込んで欲しい。
他人に読ませるレベルでないものを、クドクド長く書くべきでない。


329 : ◆ OZCI/VVVB2    2008/06/24(火) 18:42:34   ID:s5Us3tDw 
おれだって自分で「ながい」とみとめてるんだから、そんなきびしくいわんでもいいでしょう。
なんでそんなつらくオレにあたるんですか。うらみでもあるんですか。

おれはダラダラと冗長な文をむしろ書きたくて>>327をかきこんだのですよ。
そういう気分だったんですよ、なんなとく。そういうときがたまにあってもいいじゃないですか。
というか、そんなことだってあるでしょう、人間なんだから。

だいたい、ネットのかきこみなんて1つのこらず自己満足とオナニーのわけで、
基本的に、だれが何をどうクドクド書いてもいいんですよ。

ながくて読みたくない人は、それをただ読まなきゃいいだけです。
だいたい、相手のつらも名も素性も性別すらしらん間柄でしかないのに、
返事がかならずあるとか、まちがいなく読んでもらえるなどと考えるほうがまちがってますよ。
ここはオナニーの場なのですよ。

そう。オナニーの場なのです。みんなでオナニーしてるのです。あられもない姿で、
男も、女も、老いも、若きも、肌色のも、黒いのも、白いのも、赤いのもいっしょにゴタマゼになって、
いっしょうけんめいハァハァとみんなでオナニーしてるんですよ。そういう場所なんですよ。
オレにはティシュの箱がみえる。

しかも、です。長い短いということをアナタは安易にいいますけど、
その厳密な定義をいえますか? 何文字めから「ながい」のですか?
何文字めから「みじかい」のですか? それをいえますか?

6文字をこえればすべて「ながい」とおもうヤツだってこの世はゴマンといます。
ところが一方では、『チボー家の人々』や『大地』などを平気で読破するヤツがいるどころか、
それを書いたヤツだってこの世界にはいる(いた)のですよ。

長い短いなど、そうそう口にできることではありません。
筆にできることではありません。キーをたたけることではありません。

だいたい、どうしてそんなことでオレなんかにからんでくるんです?
オレのアホバカ文なんぞ、ただシカトすればいいだけじゃないですか。
ひょっとして、かまってほしかったんですか? 

それとも、 オレが『驚愕の曠野』を「なんだ、これだけのことか」などと上にかいたので、
それにカチンときたツツイ信者さんですか。

あるいは、オレが『驚愕の曠野』を「どちらかというと好きな作品」などとホメたので、
それにカチンときた反ツツイ信者さんですか。

どっちかしらないけど、なんか、もうちょっとまともなこと書き込めるでしょ。
筒井康隆はこうだとか、こうではないとか、まともな書き込みすればいいじゃないですか。
おねがいしますよ、ほんと。


330 : 名無しさん    2008/06/24(火) 19:39:05   ID:CzmSKbOA 
いいかげんにしろよ。◆ OZCI/VVVB2
うらみでもあるかって?
クソ長文読まされたうらみがあるな。ここを見てる全員。
まともに書き込んでるつもりか?それで。
自分のコメントがいかに程度低いか分らないから、
言われるんだろ。それでも反省しないオマエだから、
俺は「アンチおまえ」。


331 : どけん    2008/06/24(火) 21:07:31   ID:uIcsxb0A 
「アンチ」といえば◆ OZCI/VVVB2 さんはネット内の「アンチ竹熊メモ」であるところの
ネルフの連中の存在を公平な視点でその存在意義そのものを肯定的にオレとの会話の中で示唆して
くれてた人なんだけどね、(※記憶違いならスマン◆ OZCI/VVVB2 さん)

『驚愕の曠野』ってアレかなぁ、オチの所で読んでる自分と作品の中の人物が同一化される仕掛けが
あるやつ、なんかページそのものに仕掛けがあった気がするがもうよく覚えてませんw全然違うかも

個人的には『宇宙衛生博覧会』が第二の人生ショックw(第一は誕生日w)


332 : nomad    2008/06/25(水) 03:09:53   ID:ADh6YsQg 
俺はうらんでませんよ。楽しく読みました。

333 : 名無しさん    2008/06/25(水) 09:06:02   ID:aBQ7jjZg 
うちは悪いけどアンチにさしてもらうわ。来なくて良し。

334 : ◆ OZCI/VVVB2    2008/06/28(土) 20:18:34   ID:c5D3TXqg 
>>331-332
あたたかいレスをありがとうございます。まさか上の書き込みにそんなレスがもらえるとはおもいませんでした。(笑)

>>331
ネルフ・スレ。いまでも健在ですねえ。あそこはたしか、
SUICA関係のエントリーあたりから反タケクマ勢力が凝集しだして、
「たけくまメモ」の影としての機能がつよまっていったようにオレにはみえてました。
それを境に以後は悪意と憎悪ばかりになっちまったので、それまではオレも普通に時々かきこんでましたけど、
よむだけになっちゃって今にいたりますね。ああいう悪意と憎悪だらけになるとオレはどうもダメですわ。
書き込もうという気が全然おこらない。

『驚愕の曠野』はそれだと思います。オレはあの話の長篇がよみたいですね。
みじかすぎてモノ足りなかったですわ。長篇でもっとゾクゾクしたかった。

読者もあのつづきの著述者になりうるというシカケは、ひょっとすると、
あの作品世界を読者が勝手に云々してひろげていってもいいんだよ、
というツツイ御大からの読者への呼びかけでもあるんですかね。よくはわからんけど。

ページ自体にしかけがあるというのもそのとおりです。
何巻もの書物にかかれた長大な物語の途中だけという設定の小説でもありますけど、
オレは章の表紙にボロボロの紙をあらわす絵がうすく描いてあるのをみて、
純粋に「字だけ」の表現ではないといえるゾと思い、その点もちょっとアレでしたね。

どうせならあんなちょっとした絵なんぞ一切ぬきの純然たる「文」芸に徹してほしかったなあ、
などと思いましたわ。

でなければ、いっそ文もマンガも絵画もゴタマゼのめくるめく絢爛たる本という表現であの虚構をえがけ、
などと。ちょっときびしいか。(笑)

『宇宙衛生博覧会』は新潮文庫でちょっと前によみましたけど、あれも平均値の高い短篇集ですね。
オレは 『顔面崩壊』 『最悪の接触』 『ポルノ惑星のサルモネラ人間』 の3つですね。
『問題外科』も名作だと思いますが、ちょっと理屈っぽい感じがして、それがオレの採点にひっかかる。(笑)
ほかのもどれも面白いですけどね。


335 : 名無しさん    2008/08/06(水) 16:51:28   ID:W9TTfZh2 
「物語素」とはNarremeの訳語らしいです。

"Narreme is the basic unit of narrative structure. "
http://en.wikipedia.org/wiki/Narreme

折口信夫が「物語要素」と訳していることからこっちの方も一般的かもしれません。


336 : 名無しさん    2008/11/28(金) 16:05:25   ID:rL7ceIn+ 
なぜ飛ばしたし!横着は許しまへんえw

337 : imFJrUIYIsZ    2009/10/23(金) 02:07:21   ID:N8QVJzX6 
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