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アイデアのつくりかたとキューブリック

1 : たけくま ★    2007/10/03(水) 22:47:03   ID:??? 
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/01/post_6.html

ここで紹介した「アイデアのつくりかた」という本、たけくまメモから累計でおそらく1000冊近く売れています。


2 : メルヘンひじきごはん    2007/10/04(木) 09:29:40   ID:6aa9e8cc87 
キューブリックは一番最初に嵌まった監督でして、ほぼ見尽くしたために離れてましたが、結果的に大恩人と
あいなりましたる。彼のおっさまの皮肉目線だけはたっぽしサクセションしてすまった懸念。あるまする。


3 : moritama    2007/10/04(木) 19:50:21   ID:7a9ec1757b 
この本、読みました。拍子抜けするくらいシンプルな内容です。
小川洋子「物語の役割」と
柴田元幸「ナイン・インタビューズ」の村上春樹との対談(うなぎの話)、
を合わせて、読むと面白いと思います。
谷川俊太郎さんも同じようなことを言っていたなぁ。
開高健も小説の結末は「向こうからやってくる」と言ってました。
三島由紀夫に怒られたみたいですが(笑)。


4 : ウンコブリブリ ◆ H7SSvHbT8Y    2007/10/04(木) 20:58:19   ID:8bdb853853 
キューブリックの話読むと結構苦労して
あのエンディングになったのがわかりますね。
訳が解らなくて、小さい頃見た時は
嫌いな映画でした。


5 : syuu    2007/10/05(金) 02:59:03   ID:bed34c1a6c 
たけくまメモから買いましたこの本。


上の、『もの凄いアイデアあります』という広告に笑った。。


6 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/05(金) 16:24:14   ID:3002107125 
まえからおもってるけど、
竹熊さん自身の知的生産の技法とかはかかれないんですか。
門外不出の秘伝ですか。
いや本か雑誌では発表してるのかな。


7 : たけくま ★    2007/10/05(金) 21:16:57   ID:??? 
俺は知的生産術のマニアだったことがあって、一時期20冊くらい
その手の本を買っていたことがありました。それをもとに
「知的破産の技術」というコラムを書いたことはあります。


8 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/06(土) 10:40:18   ID:839b5c2bd7 
破産ですか。(笑)

梅棹忠夫さんの『知的生産の技術』に「こざね」ってでてきますけど、
竹熊さんが作文するときはコザネ法とかどうなんですか。
というのは、作文のときコザネ法つかうのと使わないのだと、
だれにかぎらず文が変わるところがあるんじゃないと思うんですが、
竹熊さんの文みてるとコザネ法を使ってるようにも使ってないようにもみえて、
まえから「どっちか?」とふしぎな感じがちょっとあったからです。
いや、ただそれだけの話といえばそれだけのことなんですけどね。(笑)
自分でコザネ法を実際やってみると、
梅棹さんの文がコザネ法でできてるってことがよくわかるみたいな感じがあったりして。

でもその破産の話もどんな内容か読んでみたいですね。


9 : メルヘンひじきごはん    2007/10/06(土) 10:56:06   ID:cb17091bd9 
「さね」って女性器のことである。

10 : たけくま ★    2007/10/06(土) 12:15:36   ID:??? 
「こざね法」は一瞬試しましたが、面倒になって結局使ってません。
あれは学術論文など、論理的な文章を書くにはいい方法だと思います。
私が普段書いているような軽いエッセイなどは、文章もせいぜい10枚以下で、
論理的結構よりは文体やリズムが重要になるので、頭からノリで
一気に書いた方がいい結果になることが多いからです。

立花隆の「知のソフトウェア」を読むと、立花氏も梅棹を評価しながらも
あえて「論旨をはっきりと組み立てず、とりあえず書き出す」やりかたを
とっているようです。頭の中にある書きたいことをまず書いて、しかるのちに
推敲を加えて文章を完成させるのだそうです。
これは、学者に要求される文章とジャーナリズムの文章の違いもあるのだと
思って、面白いところです。

僕も、文章術は立花流かもしれません。
現在は論文や企業の報告書などを支援する目的の
アウトライン・プロセッサがありますが、あれは梅棹流と立花流の
どちらにも対応できるソフトですね。まあいずれにしても、短い原稿が
多い私としては使う必要を感じませんが。
しかしこれからは書き下ろし本の仕事が増えそうなので、おいおい
使うことになるかもしれません。


11 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/06(土) 13:15:32   ID:839b5c2bd7 
そうですか。すごい興味ぶかいです。
コザネ法を使わないでもああいう文が書けるんですね。
それぞれの精神構造のちがいが反映するのか……とか考えましたわ。

オレなんてほんのちょっとした長さの文でも、
コザネ使わないとすぐ頭がゴチャゴチャしてきて、まるで話にならんですよ。

それがコザネを使うだけで、おっしゃるとおり論理性がすごいというか、
普段の何でもないときの論理性とは比較にならんほど飛躍的に格段に向上して、
本当に自分がそれを考えたのかと信じられんような作文ができたりします。

だからコザネ法はシャレにならんほどの人類の巨大な発明じゃないかと思えてならんのですが、
そんなこというヤツは知的生産やってるヤツでも前から誰もいないので、
やっぱりオレだけの精神構造的なものかもしれんですね。

「知のソフトウェア」は有名な本ですが、いままで読んでないので今度よんでみます。

精神構造的に立花隆さんと竹熊さんが同じ系統なのかもしれませんね。
「とりあえず書き出す」なんて、2chのレスでもなければオレにはありえんですよ。
なんか神意をとりつぐ神官の託宣とか恐山のイタコじゃないんだから……とか言いたくなりますよ。


12 : たけくま ★    2007/10/06(土) 13:35:11   ID:??? 
小説なども、厳密に構成を決めずに「とりあえず書き出す」派が多い
ように感じます。こういう系列の文章を書く人は、文章の冒頭が
ものすごく大事で、出だしが決まれば、一気に、ノリに任せてダーっと
書けることが多いようです。でも、出だしの一枚を書くのに、何時間も、
ときには何日も苦しむことがあります。

小説は、これに加えてキャラクターの人物設定や、タイトルが大事に
なりますね。キャラクターは言うまでもなく、いいタイトルが決まれば、
作品全体のイメージが最後まで出来てしまう人もいるみたいです。
まさに「恐山のイタコ状態」になるんですよ。これは論文書きとは
対極の精神状態かもしれません。
エンタメ系はこういう人が多いですけど、推理小説だけは、僕が想像するに
学者の論文的な思考が必要になりそうな気がします。僕は書いたことないんですが。


13 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/06(土) 14:56:39   ID:839b5c2bd7 
なるほど。ますますもって興味ぶかいです。なんというか、すごいですね。想像を絶してます。

・「ノリに任せてダーっと」←ありえない。かならず話が破綻したり穴があく。
・「出だしの一枚を書くのに、何時間も、ときには何日も苦しむ」←ありえない。長考が人間ばなれしすぎ。
・「いいタイトルが決まれば、作品全体のイメージが最後まで出来てしまう」←ありえない。シャーマンに転職しろ。
・「まさに『恐山のイタコ状態』になる」←ありえない+衝撃+シャーマンに転職

とくにこの4点は想像をぜっしてますね。おなじ人間のような感じがしない。
とくに最後のイタコについてはマジでそんな人があるのかと。

というか、ここまでくるともう知的生産の話じゃないんじゃないですかね。
なんというか、まさに現代シャーマンの仕事場風景というか、
現代に生まれ落ちたつづる説経節の遊芸人稼業の実際とか何とか。
そういう方があたってるんじゃないかと。とにかく凡人の参考には全然なりませんね。
それで竹熊さんもそっち系統ってことなんでしょうね。立花隆さんも本質はそうなんでしょうね。

いやいや、おもしろい話+勉強になります。


14 : たけくま ★    2007/10/06(土) 18:19:55   ID:??? 
SF作家の平井和正氏は「シャーマン型作家」の典型ですね。自ら
「お筆先」と言っています。自分が書くというより、作品が作家に
書かせていると。「かりに誤字脱字があっても、それは天が
自分に書かせているのだから、直してはならない」みたいなことを言ってて、
さすがにこれは極端なケースですが。
しかし作家やマンガ家がよく言う言葉で「キャラクターが勝手に動いて困る」
というのがあって、これはわりと一般的な現象だと思います。
永井豪も「憑依型作家」で、『デビルマン』の後半の展開などは、
作品に着手した時点で作者はまったく考えていなかったものだそうです。


15 : たけくま ★    2007/10/06(土) 18:31:56   ID:??? 
これは平凡・非凡というより、物書き(または物語の作り手)としての
タイプの違いということでしょう。憑依型作家にとっては、学術論文の
ような文章は、とことん苦手だったりします。
筒井康隆の『短編小説講義』(岩波新書)に、「物語素」という筒井の
造語が出てきます。つまり物語には「物語素」と呼ぶしかないような
自立した運動性を持つエネルギー体のようなものがあって、それも
いろいろな種類がある。作家は、いろいろな物語素の組合せで作品を
作るが、物語素の相互作用で作品の方向が自ずと決まってくる、
みたいなことを言っています。この本は、なぜ憑依型の物書きが、
展開もオチも決めずに作品が描けるのか? という疑問について
書かれているように俺には読めました(記憶で書いているので、
細部は自信がないですが)。

ちょっとこれは面白い問題で、コメントスレで書くだけでは少し
もったいないので、近く独自にエントリを立てたいと思います。


16 : たけくま ★    2007/10/06(土) 19:47:31   ID:??? 
この問題のエントリ立てました。ちょっと仕事でしばらく参加でき
ないかもしれませんが、読んでますので◆ OZCI/VVVB2 さん、続きが
ありましたら こちらにお願いします。

http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/takekumamemo/36/


17 : 渡辺裕    2007/10/06(土) 21:11:56   ID:2eddd3a4ee 
 古典文学とか落語とか昔話とか演劇の類を陳腐と言わず何度も見聞きしてると、組み合わせや発展系のパターンが無数に出来ますよ。
 将棋指しが定石を徹底的に研究して、細部は閃きでどうにかすると。勝負どころの勘みたいなもんですか。
 元々の思考回路にもよるんでしょうけど、子供のうちからそういった文物に触れて育ってるか否かで、また随分違うかと。

 結局、作法作法と言ったところで定石的なものに留まるわけで、そこから一歩先の独自性を発揮しようと思ったら、生まれ育ちがモノを言うのかな? と思います。


18 : 渡辺裕    2007/10/06(土) 21:13:35   ID:2eddd3a4ee 
表現者のセンスって、子供の頃に自分の周りにどんな表現物が置いてあったかで8割がた決まっちゃうと思うんですよね。

19 : Gryphon    2007/10/06(土) 21:26:33   ID:2c6198edc6 
面白い話題ですね。

ちょっと別の人の話で、知っているネタを引用します
夢枕縛がこの前映画化もされた伝奇小説「大帝の剣」を書いていたときの話
人がかく書いている。

====================
(「妖魔復活編」あとがき)

おれは怖くなった。

いくらでも広がっていきそうになる風呂敷を、なんと、このおれは、
押さえながら書いているのであった。(略)ようするに、思いつきの
垂れ流しになってしまうのではないか。

【註:そうしたら、ある編集者が】

「かまうことはありません。大風呂敷、結構ではありませんか。
いくらでもがんがん広げてしまえばいいではありませんか」

どん。

「しかし、そうなるとプロとして結末の責任をどうとって
ゆけばいいのか、非常にむずかしくなってしまうのでは
ありませんか」
(略)
「これこれという作品をごらんなさい。だれそれさんのあれはどうですか。
それに、あの作品があるではありませんか。それらはみな、どれも、伝奇
小説としては傑作と呼ばれているものです。しかし、どの作品も例外なく
結末が書かれていないのです」


いや、「結末が無い」というやり方はいくらなんでもこの場合は
反則か(笑)


20 : madi    2007/10/07(日) 00:52:10   ID:771c24d0cc 
学術論文ですと、結論と梗概ができていないと発表できないことになっています。
長編の連載小説・マンガで10回分以上きまっているのはあまりないんじゃないでしょうか。
注文形態の違いが制作形態の違いに反映するのは当然かもしれません。
それと学術論文の場合の読み方とマンガや小説の読み方はかなりちがいます。
学術論文の場合はマンガや小説でいえば読み巧者しか読者がいません。
注のつけかたとか引用のしかたについて、おぬし、できるな、とみわけるレベルのひとにむけて書いています。
映画でいえば芸術映画しかない状態でしょう。ごくわずかの人間の説得のためにやるのでだいぶかわってきます。


21 : メルヘンひじきごはん    2007/10/07(日) 06:29:59   ID:0cd40e7959 


後年題材はルポ・小説だった巨匠は、うーん。チョイスはすばらしいのと、「カメラ技術アイデア」なら
わかるのと。

きょしょーは小山田圭吾そんにそつくりでごらまる。でも後年のお姿は真似しないでね圭吾にーちゃん。


22 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/23(火) 03:16:09   ID:eca306ddf0 
このスレッドがいちばんいいような気がするのでここにかかせてもらおう。

立花隆『「知」のソフトウェア』をこのまえ読了。

各論はべつにして、全体としてはおもしろかった。

上のほうでこの本をまだよんでないと書いたが、もしかすると、
わすれているだけで、むかしよんだかもしれない。

ソデ机を左右にすえた上へコンパネをのせて天板とし、
これを机とするのがひろくて簡単でいい──という意味のことを、
いつだったか立花隆でよんだ記憶がずっとあったのがその理由のひとつ。

もうひとつ、1文ごとに「のは本当かどうか?」などと文末に疑問をつけていけば、
だれのどんな意見にも反論がなりたつものだ──という意味のことも、
いつだったか立花隆でよんだおぼえが昔からあった。

どの本だったかわすれてしまっていたが、もしかするとこの本だったかもしれん。

この本は「知」のソフトウェア≠ニか情報のインプット&アウトプット≠ニかより、
「わたしの記事のかきかた」という感じだとおもった。
立花隆がそれまでやってきた記事のかきかたの技術をのべたという感じがした。

よんでソンはない本だとおもう。


23 : ◆ OZCI/VVVB2    2007/10/23(火) 03:24:15   ID:eca306ddf0 
KJ法とコザネ法について、
上記の本と竹熊さんがこの掲示板でかかれたこととについて、
どうもコザネ法の経験者としてはやや違和感があるので、
あとでこの掲示板にちょっと批判を書き込むかもしれません。
(いやオレも気まぐれなのでわからないけど。(笑))






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